協同組合日本映画監督協会
 

歴代理事長プロフィール

山田 洋次(2003~2004)

【プロフィール】

昭和6年大阪生まれ。昭和22年満州から引き揚げ、東京大学卒業後、昭和29年松竹大船撮影所に助監督として入社。 川島雄三、野村芳太朗、渋谷実などに師事。この頃から脚本も手がける。 昭和36年「二階の他人」で監督昇進。「馬鹿まるだし」「運が良けりゃ」などの喜劇作品を経て、昭和44年「男はつらいよ」を発表、平成8年のシリーズ終了まで48作品を手がける。 平成14年初の本格時代劇「たそがれ清兵衛」が大ヒット。日本アカデミー賞など数々の映画賞を独占する。 他の作品に「家族」「同胞」「幸福の黄色いハンカチ」「遙かなる山の呼び声」「キネマの天地」「ダウンタウンヒーローズ」「息子」などがある。夜間学校や養護学校などを舞台にした「学校」シリーズの評価も高い。また落語への造詣が深いことでも知られる。

受賞歴

深作 欣二(1996~2003)

【プロフィール】

昭和5年茨城県生まれ。日本大学芸術学部卒業後、昭和28年東映入社。 企画本部を経て。翌年東京撮影所助監督部。 昭和36年「風来坊探偵・赤い谷の惨劇」で監督昇進。 昭和39年谷口千吉監督の「ジャコ万と鉄」を高倉健のの主演でリメイクしてヒット。 その後松竹や独立プロ、合作映画の作品を手がけながら活躍。東映に戻り、 昭和48年「仁義なき戦い」を発表し、大ヒット。シリーズ化されて、東映の任侠路線からの転換を先導した。 昭和57年「蒲田行進曲」でキネ旬監督賞など、多くの賞を独占。 平成12年「バトル・ロワイアル」を発表。平成15年「バトル・ロワイアルII」撮影中に死去。 他の作品に「誇り高き挑戦」「軍旗はためく下に」「人斬り与太」シリーズ「仁義の墓場」「柳生一族の陰謀」「青春の門」「復活の日」「魔界転生」「上海バンスキング」「火宅の人」「華の乱」「いつかギラギラする日」「忠臣蔵外伝 四谷怪談」「おもちゃ」などがある。

受賞歴

大島 渚(1980~1996)

【プロフィール】

昭和7年、京都生まれ。京都大学卒業後演劇仲間に誘われ、昭和29年松竹大船撮影所に助監督として入社し、大庭秀雄監督らにつく。 オリジナル脚本創作による監督をめざし、主宰誌「7人」及び助監督室編集の「シナリオ集」に11本の脚本を発表。 昭和34年「愛と希望の街」(脚本名は「鳩を売る少年」)で監督昇進。続いて「青春残酷物語」(第1回日本映画監督協会新人賞)「太陽の墓場」を発表。松竹ヌーベルバーグの旗手と称されるが、「日本の夜と霧」の上映中止騒動の後、昭和36年退社。同年独立プロ・創造社を設立。以後、「飼育」「白昼の通り魔」「日本春歌考」「絞死刑」「少年」「儀式」などを撮る。 昭和48年創造社は解散。昭和50年大島渚プロを設立。「愛のコリーダ」「愛の亡霊」「戦場のメリークリスマス」「マックス、モン・アムール」などの合作映画を発表。 平成8年2月脳出血で倒れるが、平成11年「御法度」を監督。

受賞歴

五所平之助(1964~1980)

【プロフィール】

明治35年東京生まれ。松竹の城戸四郎に勧められ、大正12年松竹蒲田撮影所に助監督として入社。島津保次郎監督に師事し、大正14年「南島の春」で監督昇進。 昭和6年国産トーキー第一号となる「マダムと女房」を発表。 無声映画時代から戦後まで、松竹、大映、東宝、独立プロと渡り歩き、監督した作品は約100本。代表作に「村の花嫁」「伊豆の踊子」「人生のお荷物」「新雪」「今ひとたびの」「煙突の見える場所」(ベルリン国際映画祭入賞)「大阪の宿」「挽歌」「蛍火」「恐山の女」などがある。五所亭の俳号を持ち、俳人協会監事もつとめた。 昭和56年、79歳で死去。

受賞歴

小津安二郎(1955~1963)

【プロフィール】

明治36年東京生まれ。中学在学中、活動写真にとりつかれ、映画監督を志す。小学校の代用教員を経て、大正12年松竹蒲田撮影所入所。 撮影助手、監督助手を経て、昭和2年時代劇「懺悔の刀」で監督昇進。 昭和4年「大学は出たけれど」昭和5年「落第はしたけれど」で当時の就職難を扱い、庶民の哀歓を描く。 その後「東京の合唱」(昭和6年)「生まれてはみたけれど」(昭和7年)やトーキー「一人息子」(昭和11年)を発表。軍映画班員としてシンガポールへの従軍を経て、戦後は撮影監督・厚田雄春と組んで、笠智衆、原節子らの出演で「晩春」(昭和24年)「宗方姉妹」(昭和25年)「麦秋」(昭和26年)「お茶漬けの味」(昭和27年)「東京物語」(昭和28年)「早春」(昭和31年)「彼岸花」(昭和33年)「秋日和」(昭和35年)「小早川家の秋」(昭和36年)など傑作を撮り、溝口健二と並ぶ日本映画界の巨匠として君臨した。 昭和37年には映画人として初めて芸術院会員となる。 昭和38年還暦の誕生日に没し、松竹、監督協会合同葬。遺作は昭和38年「秋刀魚の味」。

受賞歴

溝口健二(1937~1943)(1949~1955)

【プロフィール】

明治31年東京生まれ。黒田清輝主催の葵橋洋画研究所に学び、大正9年日活向島撮影所に監督助手として入社。 12年「愛に甦へる日」で監督昇進。まだ24歳であった。同作は貧乏生活の描写がリアル過ぎると検閲ではカットされた。 関東大震災で京都の日活大将軍撮影所に移る。 「紙人形春の囁き」(大正15年)「唐人お吉」(昭和5年)「滝の白糸」(昭和8年)など無声映画時代から活躍、「浪華悲歌」「祇園の姉妹」(昭和11年)で名声を高め、戦時中は「残菊物語」(昭和14年)「芸道一代男」(昭和16年)など芸道ものを松竹で連作。戦後は「西鶴一代女」(昭和27年)「雨月物語」「祇園囃子」(昭和28年)「山椒大夫」「近松物語」(昭和29年)など名作を発表。 昭和31年永眠。享年58歳。 日本映画の巨匠としてゴダール、リヴェット、ベルトルッチら多くの映画監督に愛された。

受賞歴

村田實(1936~1937)

【プロフィール】

明治27年東京生まれ。東京高等師範学校付属中学を出たが、19歳の時、演劇雑誌「とりで」を発行。 大正元年、劇団「とりで社」を旗揚げし、俳優兼演出者として舞台に立つ。 のち小山内薫の指導を受けて劇団「踏路社」を組織し俳優として活躍したが、 9年小山内薫について松竹蒲田撮影所に入り、第1回作品として自信原作。脚本の「奉仕の薔薇」を完成、映画監督の道を歩む。 10年、映画研究所に移り、「路上の霊魂」を演出し出演もした。のちに国活を経て日活に入社、現代劇部首席監督となる。 昭和7年日活を退社、新興キネマに転じた。その間、牛原虚彦と共に「映画科学研究」を編集。11年「新月抄」撮影中病気のため放棄。12年44歳の若さで亡くなり、第一次日本映画監督協会葬が行われた。 他に「街の手品師」「霧笛」など。

受賞歴