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特集

日本映画監督協会 会員名鑑

山形国際ドキュメタリー映画祭 日本映画監督協会賞レポート

審査員レポート

山形国際ドキュメンタリー映画祭・日本映画監督協会賞レポート

根岸吉太郎 


negishi.JPGのサムネール画像 世界各国の最新ドキュメンタリーが上映され、国際的にも高く評価されている山形国際ドキュメンタリー映画祭に、国際委員会の提唱で日本映画監督協会賞を創設することになった。これは、その第一回の監督協会賞に審査員としてまた国際委員会委員長として参加した私のレポートである。
 隔年おきに開催される山形国際ドキュメンタリー映画祭の開幕は、列島を縦断する大型の台風に直撃された。前日に山形入りしていた私は問題なかったが、他の審査員は新幹線の遅延や航空機の欠航の影響で到着できず、開幕式に間に合うことができなかった。長い時間、国際委員会で準備を重ねてこの日を迎えたが、残念ながら自然の力にはかなわなかった。「新たに今回設立された日本映画監督協会賞の審査員の皆さんです」と開会式で紹介された時には、私と今回の事務局を司っている斉藤信幸氏の二人が立ち上がって、場内の拍手を受けた。
 昨年来、国際委員会では海外の映画人との交流の場を国際映画祭の中に見つけることはできないだろうかと検討を重ねてきた。東京国際映画祭との交渉の中でも、セミナーや来日した海外の監督と協会員の交流の場を提案し、渋谷で交流会がスタートすることになり多数の協会員が参加した。一方、山形国際ドキュメンタリー映画祭が今日まで果たしてきた努力と成果に敬意を払いつつ、何らかの提携方法がないか模索を始めた。ただパーティで会話をするだけではなく、もう少しつっこんだ交流方法はないかと話し合っているときに、ジャン・ユンカーマン氏や原田眞人氏から監督協会の賞を作るのはどうかという提案があった。審査をすることで会員が積極的に映画祭に関わり新たな才能を発見し援助する、同時にセミナー等を主催して海外の監督と意見を交換するという基本方針を委員会として確認して、映画祭側と交渉に入った。
 大枠の交渉はスムーズに進展した。主催者が市からNPO法人に移行する厳しい状況にあった山形国際ドキュメンタリー映画祭としても新たな展開を模索しているなかで、日本映画監督協会が参加を提案したことは歓迎するべきことなのではなかったろうか。崔洋一理事長が以前にインターナショナル・コンペティションの審査委員長を務めたことや、前理事会のメンバーであり夭逝した佐藤真氏が映画祭に寄与していたことも、両者間の流れをスムーズにした。
 賞の設立と同時に、国際委員会で英語字幕を完成させた『映画監督って何だ!』の上映と著作権を巡るシンポジウムの開催を提案し、映画祭の東京事務所の藤岡朝子氏よりパネラーとしてインターナショナル・コンペティションに出品している『RiP! リミックス宣言』のブレット・ゲイラー監督を推薦された。氏の作品をDVDでチェックしたうえで、立場の大きな相違があるが、そのことが論議を活発化させる原動力にもなるとの判断から、参加を要請することに決定した。
 委員会のなかではいくつも賞がある山形での監督協会賞の位置づけ、またトロフィーのデザイナー選定や、審査員の依頼、宿泊の手配など委員会メンバーの仕事は多岐にわたったが、新しい事業を立ち上げるという熱意がつぎつぎと問題を解決した。なかでも若い新しい委員会メンバーが活動を担ってくれたことは、世界のドキュメンタリーから新たな才能を発見したいという今回の賞の趣旨とも合致していたのではないだろうか。海を越えたブレット・ゲイラー監督との交渉も落ち着き、『蕨野行』で山形と縁も深い恩地日出夫監督に審査委員長を依頼し快諾を得た。
 こうして10月8日に山形で参加者と審査員を迎える予定だったが、先に到着したのは台風で、開会式後にジャン・ユンカーマン氏、金子修介氏、翌日に恩地委員長、山崎博子氏を迎え、各委員とも到着次第すぐに作品を審査することになった。
 審査の内容については委員長の恩地監督から詳細な報告が寄せられるとのことなので省略するが、毎朝、毎晩のミーティングはそれぞれが観た作品内容に深く言及していた。あるときはドキュメンタリーにおける(真実)(素顔)とは何か、またあるときは監督の持つ意図が独善的で稚拙なのかそれとも斬新な魅力なのか、というようにドキュメンタリー映画と劇映画の枠を超えて活発に論議された。ひとりひとりの監督の個性そのままに論議されるミーティングはそれ自体興味深いものであったが、またその論議のなかから賞の対象となる作品を探し、審査委員全員が対象作品を観るようにプログラミングするという丁寧な努力で審査はなされた。
 一方、『映画監督とは何だ!』の上映と著作権をめぐるシンポジュウムに向けて、崔理事長、著作権委員長の梶間俊一監督、主演の成田裕介監督が山形入りし、すぐに『RiP! リミックス宣言』の上映に参加。メモをとりながらスクリーンに向かっている監督諸氏に並々ならぬ意志を感じた。
 さて、10月12日夜7時から1400人収容という山形市民会館大ホールで『映画監督って何だ!』の上映が実行された。当日は明石知幸、瀬川正仁、竹内英孝の三名の国際委員が山形に駆けつけ、会場設営他をボランティアとして協力してくれた。事務方の斉藤副委員長の獅子奮迅の活躍もさることながら、彼らの協力なくしてはスムーズな運営はできなかったろう。広すぎる会場に不安を抱いていたが、300人近い観客で、夜遅いシンポジュウムになっても半数以上の観客が残り、関心の高さを感じた。
 ジャン・ユンカーマン国際副委員長の司会で紹介されたカナダのブレット・ゲイラー監督が『映画監督って何だ!』の「監督に著作権を」の主張に賛同を示しつつも、創造性をあまりにも阻んでいる現在の著作権法への批判、「フェアユース」「クリエイティブ・コモンズ」の考え方を披露。それに対して待っていましたとばかり梶間委員長が「オリジナルの作者の権利の保護」を中心に著作権委員会の主張を展開、あっという間に時間は過ぎ去り、客席にいた金子修介氏から「コンピューターの中でいじられているオリジナルの映画を作っている者として、あなたの映画は許すことはできないし、その映画を観て拍手している観客もどうかと思う」というゲイラー氏に対する過激な発言もあったが、最後に登場した崔理事長が、両者の明確な主張の違いはおいて向かうべき敵は権利を独占する大企業で、いずれ共通の立場で語り合うときがあるだろうと締めくくった。
 本体の『映画監督って何だ!』よりも、挑発的な発言であるが故に『RiP! リミックス宣言』の内容に討論がいきがちであったが、活発な監督同士の討論は映画祭観客にインパクトを与え、監督協会の存在も強く映画祭に印象づけられたのではないだろうか。翌日、たくさんの関係者からシンポジュウムが話題になっているという話を聞かされた。
 審査員会はのべ34本の映画を観て(ちなみに最多は金子修介氏の22本)、ぎりぎりまで討議を重ね、最終的に受賞日の昼に、中国,叢峰(ツォン・フォン)監督『馬先生の診療所』に第一回の日本映画監督協会賞を贈ることに決定した。この作品は中国山間部にある診療所にカメラを据え、そこを訪れる患者の会話から現代中国の社会問題や過酷な状況のなかでたくましく生きる人々を描き出している。狭い診療所で定点観測のように撮影しながら巨大な中国をあぶり出した発想は見事なものであり、フィクションとドキュメンタリーの狭間で揺れ動くドキュメンタリストの良心を本来の立ち位置で確認させた作品とも言えるのではないだろうか。
 叢峰監督が受賞の言葉のなかで「次回作の制作費に悩んでいたところなので賞金は本当に嬉しい」と語ったときには、賞の設立のときに話し合った若い才能への援助という目的が達成できたという実感が湧いてきた。もっとも、審査の討議のなかでは、撮影、録音、編集で技術的に未熟な点が見受けられ映画監督が選ぶ賞としていかがかという意見もあり、そのことは叢峰監督の次回作のためにもと思い、私が受賞会見前の待ち時間に本人に伝えた。
 審査員として真剣に映画を観ることの喜びと辛さが同居した一週間だった。恩地審査委員長の見事な手綱さばきと映画を見つけたいという審査員の熱意が結実した『馬先生の診療所』の授賞ではないだろうか。初めての試みで検証すべき事柄はたくさんあるが、それは国際委員会と審査委員会の総括を待って、再度報告することにしたい。
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(「日本映画監督協会会報 2009.11. No.634号)より転載)