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日本映画監督協会 会員名鑑

監督協会 声明文

「青少年社会環境対策基本法(素案)」に対する日本映画監督協会の見解と反対声明

「青少年社会環境対策基本法(素案)」(以下、法案)が意図するものとは、昨今の青少年問題に対し国民が漠然と持つ不安や自己防衛意識の感情を拡大解釈し、なおかつ巧みに利用し、国家主導で国民の基本的権利である言論・表現の自由を抑圧、管理しようとしている、と私たち協同組合日本映画監督協会(以下、監督協会)は捉えています。

法案(第2条)では、「青少年有害社会環境」とは、「青少年の性若しくは暴力に関する価値観の形成に悪影響を及ぼし、又は性的な逸脱行為、暴力的な逸脱行為若しくは残虐な行為を誘発し、若しくは助長する等青少年の健全な育成を阻害するおそれのある社会環境をいう」と定義付けています。

この定義の文言は抽象的で強圧的です。なおかつ、「おそれのある社会環境」などと曖昧な括りで、施策上の恣意的な拡大解釈が可能であることを自己暴露しています。そもそも、「青少年の健全な育成を阻害するおそれのある社会環境」とは具体的にどのような現実を指し、どのような環境を示すのかの根拠も分析も一切明らかにされていません。

現在の日本社会が歴史的に政治的に経済的に文化的に精神的に、どのように形成され、どのように発展していったのか、また、その社会の変化は国民生活や言論・表現にどのような影響を与え、社会を構成する国民は何を基本に何を拠り所とし、主権在民の民として生きているのか等の考察のかけら一つもなく、ただ一方的で主観的に青少年の環境が悪い、悪くなっている、悪いのは、そして悪くしたのは、性や暴力を描き表現するからだ、とまるで性表現や暴力表現が「青少年有害社会環境」の根源そのものであるかのように法案は決めつけているのです。

法案(第14条~16条)では、規制の対象を「商品又は役務の供給」と規定していますが、この広範で無原則な解釈は私たち映画監督を含む、事業者又は事業団体に限らず、今日の高度情報化社会の国民生活において誰もがどこかで関わらざるを得えない現実の生活環境を指しており、明らかに国民全体を規制の対象にしたいのだ、と理解せざるをえません。

そして、第14条(青少年有害社会環境の適正化のための協定等)では事業者又は事業団体につぎのように義務付けています。

「事業者の供給する商品又は役務が青少年の健全な育成を阻害するおそれがあると認めるときは、その商品又は役務の供給に関し」「遵守すべき規準についての協定又は規約を締結し」「これを内閣総理大臣(都道府県の区域内にとどまる場合にあっては~略~都道府県知事)に届け出るものとする」とあります。これは、明らかに憲法第21条で禁止されている検閲以外の何ものでもありません。また、第15条(指導及び助言)では、「青少年の保護に関し必要と認めるときは」「商品又は役務の供給方法等」について、内閣総理大臣、都道府県知事が事業者又は事業団体に「指導及び助言」することができ、第16条(勧告及び公表)では、「性的な感情を著しく刺激し、又は性的な逸脱行為を誘発し、若しくは助長するおそれがある場合」「粗暴な又は残虐な性向を植え付け、又は暴力的な逸脱行為若しくは残虐な行為を誘発し、若しくは助長するおそれがある場合」「その他青少年の不良行為を誘発し、又は助長する等の青少年の健全な育成を著しく阻害するおそれがある場合」は、事業者又は事業団体に「勧告」することができ「勧告」に従わない場合は、「公表」という行政措置をすることができるとも規定しています。

これは、前述したように、内閣総理大臣・都道府県知事が、「おそれがある場合」と恣意的に判断できることの具現であり、また、事業者又は事業団体は反論や異義申し立てを一切認められていません。これは、問答無用の強権の押しつけであり、言論・表現に対する国家からの強制的な私刑とでも呼ぶべきものです。法案では、「商品又は役務の供給」等についての調査等を含む有害社会環境対策に関する事業を行う機関として「青少年社会環境対策センター」(第17条)を設置し、申し出た公益法人の中から内閣総理大臣が全国でただ一つを指定して決められるともあります。

この「センター」設置こそ、国家検閲を推進する御用機関そのものと断定せざるをえません。

法案は第6条(事業者の責務)で、「青少年の健全な育成を妨げることがないように」「必要な措置を自主的に講じるとともに、国及び地方公共団体が実施する青少年社会環境対策に協力する責務を有する」と規定し、自主規制という名の下に際限のない規制を強要しています。

そして、第8条(国民の責務)で、「社会のあらゆる分野において青少年有害社会環境からの青少年の保護が図られるよう努めるとともに、国及び地方公共団体が実施する青少年社会環境対策に協力する責務を有する」と全体主義丸出しの国家発の啓蒙運動を押しつけています。

日本映画が生まれて100余年。監督協会は2・26事件(昭和11年 1936年)の前日に創立された65年の歴史を持つ日本で唯一の映画監督の為の協同組合です。

戦時の国家統制による活動の休止と国家検閲による自由な映画製作が閉ざされた時代。終戦後、GHQの占領政策による4年にわたる検閲。私たち監督協会はこの歴史を忘れることはありません。(添付資料参照)

監督協会は、言論・表現の自由を基本的人権とし、永久に侵されない権利と考えています。

表現の自由とは、表現する者の権利に止まらず、その表現の受け手にとっての基本的権利であることは言うまでもありません。

それは、自己表現やその他の一切の表現行為が、人間が人間として生きるために不可欠で根源的な自由に他ならないと考えるからです。

性表現も暴力表現も人間の存在の根源に繋がる普遍的な哲学のひとつの形であり、人間が人間として生きていく以上はもっとも自然な存在なのです。

私たちが生きる社会とは、あらゆる表現の自由の上に立って、その社会に生きるすべての人々が個人の発想・判断・選択が行なわれることによって成立し、その発展が可能になるのだと固く信じています。

そして、社会を構成するすべての人間はあらゆる表現を自由に行い、自由に受け取る権利があり、そのことによって個人の人格や思想の自由な形成がなされ、それが集積されたものとしての社会が存在するのです。

私たち日本映画監督協会は言論・表現の自由を奪い取ろうとするまさに国家検閲そのものの「青少年社会環境対策基本法」に断固として反対します。