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特集

日本映画監督協会 会員名鑑

わが映画人生

わが映画人生 伊藤 俊也 監督編

<わが映画人生を語る>
~語り尽きない、尽くせない~
伊藤俊也

私の親戚の爺さんが、九十幾歳かで亡くなる直前、三日三晩殆ど眠らずに自分の来歴を語り尽くしたという話を、その四人娘(といっても、私より年上の老嬢たちだが)の長女から聞いたことがある。周りには、次女三女たちも居て頷いていたから、まんざらホラ話というわけでもなかろう。この爺さん、戦前の官選知事を二県に跨ってやった男だから、確かに話のネタは尽きなかったろうと思われる。

さて、私にも<わが映画人生>の番がやってきた。いざとなってみると、自分の顔がこの二、三年で急速に老けたことを知っているから、もう少し早めにやっておいた方が多少とも映りがよかったかと思わぬでもない。だが、初めて自分の金で作った「始まりも終わりもない」が完成し一定の上映も終えた段階で一区切りつけるというのも、タイミングとしては悪くなかった。いずれにしろ、<わが映画人生>が未完で終わるはずのものならば、死ぬ前に撮って貰えただけでもよしとせねばなるまい。

撮影日は、2014年6月5日、場所は東映東京撮影所。阪井部長の世話でポスターを飾りインタビュールームとして用意されたのが第17ステージ。正午頃から準備して、ということで、その頃着く。

朝の9時頃から予報通りの雨。日頃天気に強いことを自慢にしているこの身にして、よりによって何たることか。インタビュアー、崔洋一、アレンジャー、梶間俊一、君たちはどうなのか。あるいは、文化史料委員会の工藤、椿原、広報委員の舞原、金丸の諸君、それに、藤山、茅場の応援部隊・・・。君たちもこの業界を生き残ってきたからには、天気に強かったはず。気が一つに集まってかえって負の力になったのか。今日は撮影監督の高間賢治まで駆けつけてくれている。彼とは「風の又三郎 ガラスのマント」を撮った仲だ。そういえば、あの夏の岩手もよく雨が降ったものだ。今日は崔君のアイデアで所内を巡りたいと言うではないか。雨の中をか。まるで、己の、いや<わが映画人生>の沽券に関わるとばかり、内心不機嫌にしていたが、いざその時間になってみると、雨が上がったから不思議だ。

さて、再び、ステージに戻ってからの数時間。時の経つのも知らずに喋り、夜の帳が落ちてからは、時計を気にしながら喋り、押しては引き、引いては押し返す、崔インタビュアーの心地よい誘導のままに、時には眠りながら喋ったかと思うばかりに、とりとめなく喋ったものだ。

だが、後で、見直してみると、歌の文句じゃないけれど、語り尽きない、尽くせない。

肝腎なことで一番喋っていないことは、ホンづくりのことだ。私の場合、脚本としてクレジットされているかいないかに拘らず、必ず一本の映画に入る前には、この作業が欠くべからざるものとしてあった。そして、一人で書くよりも、むしろ共同作業が多かった。東映映画としての最初の脚本作業は、私自身の監督作品ではない。三年先輩の降旗康男監督・高倉健主演「ごろつき無宿」だった。一年後輩の澤井信一郎と組んだ。その前のマキノ雅弘監督作品「ごろつき」で、私と澤井はチーフ、セカンドとして助監督を務めていた。他に、シナリオライターがいるわけでもなく、二人だけで勝負できる機会を貰って、私たちは張り切った。資質から何から真反対にあった二人が一つのシーンを書き比べてみると、意外や共通の域に達することがあってお互い驚くこともあった。兎にも角にも、お互い秘術を尽くして勝負した。ところが、持って行く度に、俊藤浩滋プロデューサーに押し戻された。自分が監督ならともかく、引き下がらざるを得なかった。苦い思い出ながら、澤井と向き合って互いに秘術が尽くせたという貴重な体験である。

次からは、己のためのホンづくりだ。先ず、神波史男と松田寛夫の両先輩との作業。そして、後の多くは松田さんとの作業。「誘拐報道」では、裁判資料の読み込み、特に誘拐犯の調書の読み込みから得たものは大きく、さらに現場をも渉猟した。「花いちもんめ」では、様々な施設を訪ね、取材も重ねた。これらの作業は、野球選手の素振りのようなものだ。それらが一気にホームランに通じるわけではない。だが、下調べの積み重ねの中から、常に霊感はやってくる。「プライド 運命の瞬間(とき)」もそのような作業の産物だ。

私は、論理的に主題を極めようとするタイプに見られがちだが、本来はストーリーテラーだ。だから、共同作業が嫌いではない。むしろ、相手がいれば、どこかで抑えてくれる安心感から、好き勝手に飛んで行ける。野上龍雄さんとの「白蛇抄」や柏原寛司さんとの「ルパン三世 くたばれ!ノストラダムス」などもそうだった。「風の又三郎 ガラスのマント」だけはちょっと違って、当初から筒井ともみさんに依頼した。そして、「かりん」という原作にはない少女が生まれた。私は現代の少年少女と「風の又三郎」を仲立ちする何かを求めていたので、その「巫子」の誕生を喜び、「巫子」としての少女を些かながら育てることで共作とさせてもらった。

時間の都合上、話題を映画だけに絞らざるを得なかったが、「美空ひばり物語」など話題の宝庫は数多ある。だが、それらもまた、氷山の一角だ。

ステージに貼ったポスターとは別に、同じ数ぐらいの白紙のポスターを貼ろうかと思ったくらいだ。それは、実現しなかったあるいは現在まだ実現していない映画の数々である。脚本だけが堆く積まれているというわけだ。その内の何本かは成立に近いところで頓挫した。これが、作家と違って、実現には厖大な金を必要とする映画監督の宿命であり悲哀だろう。同類相憐れむべし。

(2014.12.18)