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特集

日本映画監督協会 会員名鑑

にっぽん劇場(コヤ)めぐり

五館目 宮古シネマリーン 編

2016年05月28日

この記事は、監督協会会報「映画監督」2016年3月号からの転載です。荻野欣士郎監督が宮古シネマリーン支配人・櫛桁一則さんを取材しました。

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街と海と人の映画館
支配人 櫛桁 一則さんに聞く

 私の映画の師匠は映画館の支配人をしていました。新宿にあったアートシアター新宿文化です。支配人の苦労話はよく聞いていました。
 という前振りは置いといて、シネマリーンの支配人・櫛桁一則様に電話でインタビューしました。

宮古シネマリーン成立について
「1991年に宮古市から映画館がなくなりました。そのあと、定期的な自主上映会をやっていました。有志の中で自分たちの映画館を作ろう。という話が出てきて、市民一人一人から出資を出し合って成立しました。1997年です。今では1万7千人の会員がいます」

櫛桁様が支配人になられたきっかけは?
「小さい頃から映画が大好きで、映画館への憧れがありました。地元(岩手県の久慈市)の映画館がなくなって、レンタルも当時はなかった。当時は民放の月曜日と金曜日のテレビ映画が楽しみでした。最初はシネマリーンの観客でした。上映などのボランティアをしているうちに、前の支配人がやめることになって、その頃にいた設計事務所が傾いたこともあって、常勤で支配人になりました。茨の道に来てしまいました」

 設計士から映画館の支配人へ。これほど人生の転換を迎えた人はいないのではないでしょうか?最初は映画業界の仕組みに戸惑ったそうです。さて映画は映画館で見てもらいたいと映画監督ならば誰もが口にします。でも映画監督は映画館をどのように見ているのだろうかと、この話を聞いて思いました。この映画館で上映してもらいたいというのはほぼなくて、配給がどこか?全国何館で上映できるか?ばかりを気にしてしまいます。もしかして少し上から目線ではないか?でも映画館こそがお客様と映画を結びつけてくれる場所。もしもそうであるならば、考え方を変える必要があるのではないか?と思いました、個人的にですが。

 また櫛桁様は「空間を共有する場所」が映画館の魅力の一つとおっしゃいました。「日常から非日常」に行ける場所。海外映画はすでに背景が非日常。アニメ映画も世界が非日常。漫画の世界は非日常なのに、実写化すると日常っぽくなってしまう...そんなところに今後の日本映画の課題があるような気がします...という私の二つの脱線は置いといて、次の質問へ。

上映する映画を決めるポイントは?
「独立映画館は作品を決めて、配給会社に上映を頼みます。二番館なので、公開しているのを見て考えます。市民の人からリクエストもあります。大事にしているのが市民の皆様がみたいと思うものを上映すること。でも自分がこういうものを見て欲しいという作品は問い合わせなくてもやったりしています」

 さて、話は変わって、東日本大震災から5年。当時の話を伺ってみました。

「震災後、二週間は閉館していました。映画館自体は大きな被害はありませんでしたが、個人の心の中で映画は飛んでしまいました。毎日、ボランティアに参加していたのです。震災後に初めて上映した時、スクリーンに映る絵をみて、胸にくるものがありました。「ドラえもん」と「相棒」でした。お客様は思ったよりはきていて、20〜30人ぐらい。街ががれきの山であふれているのに、映画やってるのかよ?という声もありました。でもこんな時だからだと思いました。子供達に震災の現実を忘れろということはできないけど、映画を見ている間は辛いことを忘れてもらいたかった。一日三回の上映です。余震が多くて、いつ停電がくるかと心配していました」

 私も被災地ボランティアにいっていました。一番感じたのは「全員がいいというものはない」ということです。演奏会があると、ありがとうという人もいれば、うるさいという人もいます。「それでもやはりやってよかった」という櫛桁様の言葉に、深い想いを感じました。現在は月に三、四回、巡回上映会をやっているそうです。「巡回上映会はお客様と一緒に映画を見ます。みなさんの感情が自分に直に来るから楽しい」

 日本で唯一の生活協同組合が運営している映画館の支配人から、最後に「街に映画館があって、毎日、なにかをやっている。そんな場所をなくしたくない」という言葉をいただきました。
 映画館と街は一つ。そして映画とは街を作る一つなのかもしれません。映画を作る身として、そういう意識も大事なのかな...と、思いながら、インタビューは終わりました。(取材:荻野欣士郎)