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特集

日本映画監督協会 会員名鑑

にっぽん劇場(コヤ)めぐり

参館目 名古屋シネマスコーレ編  

2016年04月04日

この記事は、監督協会会報「映画監督」2015年9月号からの転載です。

『名古屋 シネマスコーレ 編』           高原秀和

 名古屋のシネマスコーレは故・若松孝二監督が自分の観たい、好きな映画をかけられる映画館をと、木全純治支配人と1983年に開館した。
 『がむしゃら』の最初の地方上映がシネマスコーレだった。宣伝から交通費が出ず、半分をシネマスコーレが負担してくれて、舞台挨拶に伺った。劇場に着いた途端、木全さん、副支配人の坪井篤史さん、スタッフの大浦奈都子さんに『がむしゃら』を熱く語られ、質問攻めされ、あまりの歓迎ぶりに圧倒された。お客さんも通路に補助席まで出て満員。物販サイン会も劇場の外まで行列ができ、お客さんの熱量も感じた。作り手として、こんなに嬉しいことはない。地方は熱いぜっと思ったものの、地方が熱いわけではなく、熱いのはシネマスコーレだった。
 坪井さんがこんなツイートをしていた。
 「2015年4月に『がむしゃら』と安川惡斗さんと髙原秀和監督のアテンドできたことは自分は映画が好きで人生を映画に捧げるってことが間違ってなかったって再確認できました。やっぱりこんな素晴らしい方たちと素晴らしい映画に出会える映画館人生が大好きです。やはり映画は人を繋げます」
 自分の作品に限らず、坪井さんのツイッターはジャンル問わず、いつも映画愛に溢れている。本来ならば支配人の木全さんなのかもしれないけど、副支配人の坪井篤史さん(1978年生)に話を聞きたくなって、電話取材をしました。
 「元はシネマスコーレのお客さんだったんです。大学の時にシネコンでバイトしていて、そのまま、卒業後もシネコンで働こうと思っていたんですけど、映画に近い映画館で働きたいと、シネマスコーレに行った時に、勇気を振り絞って、何でもやります、お金もいりません、働かせてくださいと言ったら、木全支配人からお金は大して払えないけど、週二日ぐらいだったら、遊びに来るかと言われて、15年経ってしまいました(笑)。当時、一つだけ条件がありまして、シネコンとミニシアター両方学べることはないから、両方働きなさいと、平日はシネコン、土日はスコーレで働いていたんですけど、映画に対する愛情の違いを感じて。シネコンでは、お客さんは映画を観に来てるんではなくて、接客を見に来ているんだという社員がいたんですね。接客をがんばれば、映画がヒットするなんて僕はさっぱり意味がわからなくて、シネマスコーレだけでやらせてくださいとお願いして。好きなことを仕事にできれば、死ぬまでやれるかなと、勝手な自分の信念だけで、スコーレに来たという感覚ですね」
 映画に嵌まったきっかけは何ですか?
 「母親がジャッキー・チェンの追っかけだったんですけど(笑)。小三の夏、『プロジェクトA2』を母親と観に行ったんです。アニメとか特撮以外で人間しか出てこない映画を観るのが初めてで、お客さんが笑ったり、拍手をしたり、劇場の中での一体感を感じて、びっくりしたんですね。すごい、世の中にこんなにおもしろいものがあるんだ、映画って、観客の心を動かす力があるんだと知ってしまって。それからはテレビでもレンタルでもとにかくいろいろな映画を観たくて。たぶん、ジャンル関係なく、映画そのものに取り憑かれたんだと思います。それから、そのままずっと来てしまったという感じです。映画だけ観てたら幸せになれるって今でも思っていますね」
 坪井さんにとっての映画って何ですか?
 「バカな言い方をしますけど、片思いしてる好きな人という感じですか。絶対に両思いにならない。好きなんだけど、振り向いてくれなくて追いかけている。永遠の片思い。(映画に)好きだったら、尽くしてみなさいよと言われ続けている感じですね(笑)」
 名古屋の映画館事情はどんな感じですか?
 「今、ミニシアターとして生き残っているのが、スコーレとシネマテークしかなくて、後はシネコンで。映画館が多いのはいいことだと思うんですけど、自分たちの色を出していって、やりたいものをやっていかないと、本当に映画好きな人はいなくなってしまうって思っています」
 スコーレでは『ニューインディーズ映画総選挙』というイベントを開催していますね。
 「映画の数が多くなってしまったので、一週間で3~4本の映画を上映させてもらって、お客さんの投票と僕らの投票と観客動員数と、一位を取ったものに関して、アンコール上映をしてます。一週間レイトでも、ちょっと(興行的に)厳しい作品でも無下にしたくないという思いもありまして、毎年3~4回の開催をしています。上映される間口を少し広くしてあげないと、若い作り手の皆さんも劇場で観られて判断されるというのをなるべく経験した方がいいと思いますし、少しでも、こういうことをやることによって、スコーレを思い出してもらえればという思いでやってます」
 スコーレで舞台挨拶した時にお客さんの熱気を感じました。客層というのはどんな感じですか?
 「スコーレでやってるならと、観て、いろいろ言いたいというお客さんが多くなりましたね。お客さん同士でのコミュニケーションもあって、新しいお客さんを連れてきていただいているという反応はありますね。僕らは常連のお客さんに支えられている劇場だと思います。そういうお客さんが30%ぐらいいるっていうのは、本当に嬉しいと思います。こんな映画やっちゃダメだよって、失敗すると厳しいことを言われるんですけど、それは僕らの励みにもなりますし、お客さんとは凄くいい関係性を築けているんだと思います」
 東京と地方との違いはどう感じていますか?
 「今は東京でヒットはあくまで東京での話で。東京から始まるという概念はいつかは転覆させたいと思っていますね。名古屋の方がおもしろいことやってるよと、逆に東京に響く映画館になってやりたいなという野望はもっていますね。これがスコーレを立ち上げてくれた若松監督への思いに応えることかなと思っています。いつかは勝ちたいです、東京に。映画は名古屋が一番熱いと、天下を取りたいなと、そんな夢は持ってます(笑)」
 これからの日本映画をどう思いますか?
 「今、塚本晋也監督の『野火』をやっているんですけど、本来なら、大きな資本がついて作られるべき映画だと思うんですけど、そんな状況にない中で、監督の思いで作っていて、そういう作品がスコーレでもお客さんが入っていて、やっぱり映画って、予算じゃないなと。日本映画には志がある監督たちが沢山いるので、自分の作りたい、おもしろい映画をどんどん作ってもらって。とにかくもう作り手の愛さえあれば、映画館は生き残っていくと思いますし、また日本映画が注目される時代が来ると思うので、僕はそれにかけています」
 これからのシネマスコーレは?
 「シネマスコーレは映画の学校という意味で若松監督がつけたんですけど、教えるというより、喜怒哀楽なんでもいいんですけど、映画から受けたパワーをお客さんが何か一つでも持って帰れる、そういう映画館にもっとなっていければいいと思っています」
 取材の最後に坪井さんに「監督、帰ってきてくださいね」と言われた。そりゃあ、帰りますとも。監督殺しな言葉だなあ。坪井さんの映画愛に負けない映画を持ってシネマスコーレに帰ります!