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特集

日本映画監督協会 会員名鑑

私のこの一本!

井上 眞介 監督 篇

2016年06月15日

              ふ た り
                              井上 眞介

 旧ソ連(リガの映画学校)の卒業制作と聞いている。四十数年前に一度観たきりのモノクロ、三十分ほどの短編。
 映画の勉強を始めていた身に、ズシリと重い衝撃を与えられた作品だった。大筋はボーイミーツガール(記憶を元に書いているので詳細に間違いがあれば御容赦下さい)。
 美術学校に通う男子学生が、ある日街に出掛けて、すれ違った女の子がハンカチを落としたのに気付く。それを拾って女の子の後を追うが見失ってしまう。必死に探し、あきらめかけた時、デパートのウィンドウに見入る女の子を発見、駆け寄って声を掛ける。が、無反応。ムッとなる男子学生。気配を感じた女の子が振り返る。怪訝な表情で見返す女の子。
「落とし物」とハンカチを差し出す男子学生。女の子は受け取るが、お礼の言葉は返ってこない。異変を感じる男子学生。やがて気付く。彼女は耳が聞こえないのだ。
 男子学生は、自分の気遣いの無さを恥じる。女の子は男子学生の優しさを感じ取り、二人は一日だけのデートを始める。デートといっても貧乏な学生同士だ。黒澤作品「素晴らしき日曜日」を彷彿とさせる。貧しいが平和で楽しい時間は瞬く間に過ぎ、別れの時が近付いた頃、二人の上空を旅客機が通過。その機影が二人を覆う。その瞬間、耳を劈く爆撃音が画面を席巻する。
 女の子は奇声を発し、耳を塞いでその場に踞ってしまう。唖然と立ち尽くす男子学生。何が何だか分からない。
 映画は女の子の心情に乗り移ったかのように、大音響の着弾音と人々の阿鼻叫喚であふれ返る。ナチス・ドイツの空襲で、女の子の家族は皆殺しとなり、彼女もその衝撃で、耳が聞こえなくなった事実が判明する。
 それまでサイレント手法で展開していただけに圧倒的な重量音が観る者を震撼させ、いいしれぬ怒りを想起させる。
 近年の独映画「コーヒーをめぐる冒険」では、三十代の監督がドイツの負の歴史、ナチに関する問題提起を忍び込ませた描き方をしている。古くは岡本喜八監督の「肉弾」。
 ラスト、七十年代の平和を謳歌する若者たちの背景に、骨となった特攻兵の主人公が魚雷をくくり付けたドラム缶で漂う様は戦争の残酷さ、愚かさ、反省を忘れず二度と過ちを繰り返さない為のメッセージが含まれている。だが、現実世界はその愚を繰り返す。
 「ふたり」は戦争の影を色濃く滲ませた青春物語だ。
 戦争を知らない世代にも衝撃的な内容だったが、映画ならではの手法で描き切った瑞々しく、魅力あふれる佳作であった。
 「現代人は『想像上の探求心』を忘れてしまった」と、ドナルド・リチーが述べている(二〇〇八年・談)「五十年前、人は人生について真剣に考えをめぐらせていて、そのヒントを映画に求めていた」とも。
 この映画が与えてくれた豊饒な想像の糧。大いなる触発もあったが、学生監督の見事な演出力に落胆の方が優った。だが、身の丈にあった作品を作ればいいのだと悟った。作品作りの一歩を踏み出すきっかけも、ささやかな資金と限定されたシチュエーションでの若者たちの機微を描いた「ふたり」だったのだ。

この記事は、監督協会会報「映画監督」2016年3月号からの転載です。