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特集

日本映画監督協会 会員名鑑

私のこの一本!

伊藤 有紀 監督 篇

2016年06月10日

『神々の深き欲望』の欲望
                                                           伊藤 有紀

 昨今、廉価で映画DVDが買えたり、WEB配信がされていたりし、ビジネスとして「映画をどう見せていくか」に多角的に取り組むことはもちろん必要だが、それでもやはり映画は「体験」の中にこそあると信じている。
 人生のある一日、ふらり映画館へ。入場料を払い、暗闇の中で2~3時間スクリーンと向き合う。やがて客電がつくと、観客ひとりひとりの中で、ささやかだけど確実に何かが変わっている。安価でDVDが手に入っても、パソコンやスマホで映画を見られても、この濃密な「体験」は映画館の暗闇でしかできないし、この「体験」以上に映画が持つ原初の力を味わえるものはないと信じている。
 さて、話は変わるが、「グラップラー刃牙」というマンガがある。東京ドームの地下闘技場に世界中から様々なジャンルの格闘家を集め、世界最強を決めるというただそれだけのマンガだ。横綱力士が、プロレスラーが、空手家が、暴走族の総長が、ボクシングのヘビー級チャンプが、筋金入りの極道が、地上の制約から逃れ、ただただどちらが強いか腕っぷしを競い合うのだ。
 こんなことを考えてみる。映画館の暗闇に浮かぶスクリーンという四角いリングがある。人種も言語もジャンルも関係なく、年代も予算の大小も公開規模・期間も関係なく、スタッフ・キャストの有名無名や様々な大人の事情も関係なく、先述した「映画体験」という一点において競い合ったら、もっとも腕っぷしの強い映画は何になるだろう?観終えて客電がついた時、ひとりひとりの胸の中で確実に何かを変容させる力を持った映画は何だろう?
 古今東西の名作群の中、もちろんすべての作品を観たわけではないし、あくまで僕にとっての「世界最強」であるが、今村昌平監督の作品、それも物質的な尺の長さと、それを補って余りあるエネルギーがほとばしっている『神々の深き欲望』を挙げたい。カット一つ一つ、芝居一つ一つから「この映画を撮らねば!」という監督の深い欲望が溢れ出ている。
  人間というものを表から裏から観察するしつこさ・いやらしさ・たくましさ。そしてそれは、膨大かつ丁寧なリサーチに根ざしている。製作会社は今村監督ご自身の会社だ。監督として、と同時に経営者としてのご苦労も色々おありだったと想像するが、そんな中、よくもまあこんな化け物みたいな映画をお作りになったものだ。きっと今村監督ご自身が化け物だったのだろう。
 僕は、九州の小さな町のドキュメンタリーを一本作り、今二本目の、大阪のベテラン落語家のドキュメンタリーを仕上げ中の、たった二本の長編ドキュメンタリー映画しか作っていない若輩だ。だが、若輩の作る映画でも、大先輩の映画でも、入場料は同じだし、スクリーンに映写されれば、観客にとってそこには対峙すべき「映画」そのものがあるだけだ。生意気言わせてもらえば、観客に与える「映画体験」という一点においては、どんな名匠・大先輩の作品にだって負けたくない(むしろ勝ちたい)。負け戦でも、そう思って作らないと、観客にも、映画にも失礼な気がするのだ。

この記事は、監督協会会報「映画監督」2015年12号からの転載です。