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特集

日本映画監督協会 会員名鑑

私のこの一本!

原田 眞人監督篇

2016年06月09日

「レッズ」+ 

原田 眞人
 
 映画ファンは記憶の中の映画を暖めておくだけで幸せな一生を送る。映画監督は記憶の中の映画を一定周期で再確認することで技術を高めることができる。殊に、現在のように、作品成立に於ける作家性の矜持が興行性の前に不当に蹂躙され、作品評価の「たが」が緩んでいる時代に於いては、過去の「名作」を再検証し、何が今の自分に創作意欲を与えてくれるのか確認することはとても重要だ。
 わたしは、こういった名作の仕分け作業を、映画監督になってからも行ってはいたが、検証する名画の絶対数は少なかった。それが変化したのは、2007年に日大国際学部の教授に就任してからである。映画館で一年に一本映画を見るか見ないかという学生たちに、教養としての映画を教えるとき、ハワード・ホークスや黒澤明ばかり論ずるわけにはいかない。技術は失敗から学ぶ、のセオリー通り、何が素晴らしいかばかりではなく、何が悪いかも教えていかねばならない。そのためには時代で切り取る方がいい。そんな観点から日米比較文化の授業では「70年代アメリカ映画」を取り上げた。1967年から1981年までを、ひとつの時代として区切り、そこで台頭した「ハリウッド」の俳優、監督が関わった主要作品を見せていった。
 なにゆえ、67年なのかと言えば、この年、アメリカ映画史に於ける「革命」が起きたからだ。そして、「革命」を描いたもっとも上質でもっとも高価な映画が作られたのが81年だった。「俺たちに明日はない」と「レッズ」だ。ウォーレン・ベイティはその2作にプロデューサーとして関わったゆえに、この15年は、ベイティの業績を主軸とする「ルネッサンス」と呼ぶことも可能である。
 「俺たちに明日はない」は、まぎれもなくベイティ(製作兼主演)、アーサー・ペン(監督)、ロバート・ベントン&デーヴィッド・ニューマン(脚本)の共同作業だった。ベイティは新進のフェイ・ダナウェイをボニー役に抜擢することを躊躇したけれどペン、ベントン、ニューマンが支持して、見事な作品に結実した。
 「レッズ」はまぎれもなく、ベイティの「作家性」が100%発揮された名作である。構想10年の脚本から始まり、準備3年、撮影1年、ポストワーク1年といった膨大な費用を、アメリカン・キャピタリストの象徴でもあるチャールス・ブルドーンとパラマウントに出させた豪腕は、映画史上類をみない。しかも、映画は、ロシアの十月革命とコミュニストたちの生き様を謳歌しているのである。ベイティのみが成し得た「偉業」とも言えるし、ベイティのみが成し得た「浪費」とも言える。「レッズ」の現場に費やされた時間とカネは、デーヴィッド・リーンでもスティーヴン・スピールバーグでも使えない額だった。なぜなら、彼らは自らのエピックに主演することはないから。
 ベイティの未曾有の浪費は、スターをクビにはできなかったところから始まっている。言わば、自分が主演する作品を「人質」にとって、やり手の製作者であり野望に燃えた監督であるベイティが、資本家たちから資金を搾り取ったのである。そして、映画作家ウォーレン・ベイティは燃え尽きた。「レッズ」以降の彼の作品で論ずるに値するものを敢えて選ぶなら「バグジー」だけ。「俺たちに明日はない」のクライド・バローのように、銃撃死をしたギャング、バグジー・シーゲルを演ずることで、ベイティは復活を企んだ。しかし、得たのは生涯の伴侶アネット・ベニングであり、映画史上の名声ではなかった。とはいえ、「俺たちに明日はない」と「レッズ」は映画作家の進化のプロセスを辿る「この一本」として、不滅である。
この記事は、監督協会会報「映画監督」2015年9月号からの転載です。