このページの先頭です

特集

日本映画監督協会 会員名鑑

私のこの一本!

土橋 亨監督 篇

2016年05月28日

私を映画に走らせたこの一本
                                                           土橋 亨

この記事は、監督協会会報「映画監督」2015年11月号からの転載です。


 中学、高校と演劇部だった。大学は、大工の棟領であった義理の祖父(継母の父)の跡を嗣ぐ事になり、理工学部建築学科を受験、文系志望であり、文系家系(父方の祖父は日本画家、父は洋画家、生母(-4才で生別)-はドイツリードの歌手)で、受験は見事に失敗、飯田橋の理数学院と云う予備校に行くも、一日で挫折。正座し、両手を義祖父の前につき「僕には建築の仕事は無理です。どうか演劇の道へ進ませて下さい。」しばらく考えていた義祖父は、「演劇ってのは、俺の跡を継ぐより難しいぞ。最後までやり通す覚悟があるならいいだろう。」と僕の目を見据えながら許してくれた。
 まったく血の繋がりのない僕を小学5年から育て(父と継母は昭和28年、パリに行った藤田嗣治に呼ばれ《戦前、父はエコールドパリで藤田に可愛がられた縁で》で、パリに行ったまま帰らず)、しかも、僕が高校2年の時、父と継母はパリで離婚、継母も父も帰国せず、僕は天涯孤独の身になった。
 明治生まれの義祖父は、そんな僕を育て、あまつさえ演劇の道に進ませてくれた明治男の大きさ優しさに感謝しつくせない。
 翌年、早稲田大学演劇科に進み、サルトル『蠅』、カミュ『正義の人々』、ベケット『ゴドーを待ちながら』等々芝居浸けの毎日。
 そんなある日、新宿名画座で一本の映画に出会った。
『情婦マノン』 1949年、仏
監督、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー
脚本、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー ミッシェル・フェリ
撮影、アルマン・ティラール
 月並みな表現だが、雷に打たれた様に全身に衝撃が走った。
 特にラストシーン、砂漠の逃避行、砂漠の映像の美しさ。逆さまにマノンを担ぎ上げ、灼熱の砂の上を歩くロングショット。死体となったマノンを降ろし、砂に埋めるが、顔までは出来ず愛おしそうに優しく撫でる。この美しいアップショットに死臭を嗅ぎつけた一匹の蠅、この残酷なまでの美しさ。
 愛の不条理、人生の不条理、社会の不条理を残酷な迄に美しい砂漠の描写により描ききった映画。
 映像の象徴性、これだと思った。
 これからは映画に生きようと思った。