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特集

日本映画監督協会 会員名鑑

私のこの一本!

入江 悠監督 篇

2016年05月25日


独立愚連隊と独立愚連隊 西へ
                               入江 悠

この記事は、監督協会会報「映画監督」2015年10月号からの転載です。


 僕の一本は、たぶん一生揺らぎません。
 岡本喜八監督の『独立愚連隊』と『独立愚連隊 西へ』です。
 二本じゃねーか、と早々に突っ込まれた方、すみません。
 第二弾『西へ』も一作目と甲乙つけがたく好きなんです。
 いま観直すと、演出的に過剰なところやキャクラクター造形が直線的なところも目に付きますが、それでもやっぱり人生でもっとも大事な一本です。
 なぜかというと、僕が暗い十代の青春期を送っているときに、この映画に救われたからです。
 十八才の頃、僕は大学受験に失敗して、無気力の塊となり、実家にひきこもっていました。
 映画の仕事に就きたいと思ってはいたけれど、埼玉の田舎の町だったのでまわりには映画の話をできる友人はおらず、近くに映画館もありませんでした。
 ただ鬱々として、「どこかに隕石かミサイル落ちろ」と呪っていました。
 まさか、それから数年後にニューヨークに旅客機が突っ込むとは思いませんでした。
 不謹慎ながら、あの事件が浪人時代に起きていたら、僕はテレビの前で喝采を叫んだろうと思います。それくらい当時は鬱屈し、他人を、世の中を、そして自分を呪っていたんです。
 そんなわけで予備校は早々にドロップアウトして、家にひきこもりレンタルVHSを観続ける日々をしていました。
 家の近くの小さなレンタルビデオ屋には、名作とよばれる洋画や古い日本映画がかろうじて揃っていて、片っ端から観ていくのがその頃の唯一の楽しみでした。
 そのレンタルビデオ屋にあった最も長いシリーズが『男はつらいよ』。
 ひねくれていた僕は、最新作から古い方へと遡っていくように観続け、そのため晩期はねそべっていることの多い寅さんが初期に戻るに連れてだんだん凶暴になっていき、バイクに乗って悪ぶっていた満男は精子以前に戻り、この映画で人生の諸行無常を学びました。
 おっと、『独立愚連隊』の話でした。
 その頃です、ビデオで『独立愚連隊』を観たのは。
 こんなに面白くて痛快な日本映画があるのか!? と驚き、すぐに第二作目『西へ』も観ました。
 日本映画監督協会の会報で、この映画の素晴らしさについて僕なんかが語る愚はやめましょう。
 ただ、「映画には、出会うべくして出会い、観るべくして観る時期がある」というのはやっぱりあると思います。
 暗鬱とし世界を呪っていた当時の僕を『独立愚連隊』は勇気づけてくれました。アウトローたちの誇りと活力で。佐藤允さんの爽快な笑顔で。そして岡本喜八監督のテンポの良い演出で。(それから数ヶ月後、映画館でやっていた長崎俊一監督の『死国』で佐藤允さんを見つけて興奮しました)。
 その後、僕はなんとか大学に入って、たまたま行った中国旅行でその風土と歴史にハマり、中国語を独学で勉強するようになったのですが、そこにはおそらく『独立愚連隊』とフランキー堺さんの演じたあの隊長の影響があります。
 余談ですが、ひきこもっていた僕はそれまで志望していた国立大の受験を諦め、日本大学芸術学部映画学科というところを受験しました。その面接試験で教官に「好きな映画は?」と問われ、「『独立愚連隊』です」と即答したら、教官は隣の人に「こいつは映画を観ているね」とつぶやき、合格してしまいました。そういう意味でも、人生を救ってくれた一本です。
 いつか岡本喜八監督に会いに行こうと思いながら、勇気が出ずに、結局果たせなかったのが今も唯一の心残りです。