森崎東監督の最近のブログ記事

ニワトリはハダシだ

森崎東監督 インタビュー
徳永:
 この度は完成おめでとうございます。
森崎: 有難うございます。
01.gif

森崎東監督。24作品というフィルモグラフィーを持ち、日本では著名な監督だが、海外映画祭で上映したのは初めてだという。ベルリンの舞台挨拶では『ニワトリはハダシだ』にちなんだ民謡を披露しようとしていたらしい。ちなみに『党宣言』の舞台挨拶でやはり唄を歌った監督を見て、志摩プロデューサーが「一緒にやりたい」と思ったことが今回の映画の発端だという逸話がある。

映画への愛は何処へ行ったか


徳永:  ベルリン国際映画祭に行かれて、どうでしたかね? 向こうでの反響は......。
森崎: ええ。僕は古いんでやっぱり戦前の映画観客なんてのは良く知ってる訳だし、ある懐かしさを非常に感じる男なんですけども、例えば夫婦単位だとか家族で映画を観に行くなんてのが物凄く多かったんですよね、昔は。奥さんが亭主に隠れてというか子どもを連れて観に行くとかいうケースも多かった。映画の楽しみってのはまったく娯楽の王座と言われるぐらいあって、価値が断然的に特別扱いだったんですよ。そういう感じをドイツでちょっと感じたんですよ。「あぁこの人たちの中にはそういうのが生きてるんだ」と。それで映画館がダーンと良いのが昔ながらのデルフィーなんてのが建ってるんで余計そうですね。で、朝の10時だってのにもう立錐の余地もないほど満員になっちゃうし、「映画祭だから満員になるのは当然だ」なんて答えてくれるんですけども、僕には当然じゃないんですよね、びっくりする。それは映画への愛がまだ生きてるっていうのか、物凄くそれを感じました。理屈抜きにそうでしたね。と同時に、「ドイツ映画ってのは昔はもっと良くて面白かったんだけど、近頃は何だかハリウッド映画の真似ばっかりでうんざりしてるんだ。あなたの映画を観て嬉しかった」みたいな風に言われるとね、物凄い褒め言葉に感じる訳ですよ。飛び上がって万歳を唱えたいぐらい嬉しい訳です。日本の映画祭では絶対に聞けないですよ、このセリフは。言ってもらいたいんですけども、言ってもらいたいと顔に書いてあるから言ってもらえないのか。(笑)
徳永: やっぱり日本と違うなってところがありました?
森崎:  ええ。いや、むしろ日本の昔が残ってるっていうのが驚きでした。
徳永: 昔と今とどこが違ってしまってるんでしょう?
森崎: それを考えましたけど、あんまり考えたくないテーマでしたね。ノモンハンで何故負けたかってのを、司馬遼太郎(歴史小説家)さんが「いやそれについて書かせるのは俺に死ねって事だ」っておっしゃったそうですけども、何故ベルリンがそうで東京はそうでないのかっていう理由について書けっていうのは、同じく何か死んだ方がマシだっていう、ハッハッハッ、気がしますよ。考えないで死にたいですよね。
徳永: 僕らなんかこれから考えていかないといけないんでしょうね。
森崎: ええ、あなた方は考えざるを得ないですよ。考えてそれを乗り越えないと。ねっ?僕らは昔の暖簾で食ってる訳だから。
徳永: 森崎さん自身は何だと思われますか?そう言わないで往年の映画人として若者にちょっとヒントを下さいよ。死んだ方がマシだという話だと思うんですけど(笑)。
森崎: うーん...(しばし沈黙)...、やっぱり......
徳永: なんでしょう?
森崎: ......テレビは大きいですよね。
徳永: テレビですか。
森崎: もう圧倒的に大きいんじゃないでしょうか。僕は三池炭坑という町の生まれなんですけども、あそこで最後に日本の総資本と総労働の対決という、何百日にわたるストライキ(1959三井三池労働争議)があって、その結果炭労(日本炭鉱労組)というのが負けちゃって、ダーっと引いて行くんですよね。日本の労働運動も学生運動もダーっと潮が引くように引いて行ったのを目の当たりにしたんですけども、その時引いて行く途中で「えいくそテレビ」って言葉が流行ったんですよね。
徳永: なるほど。
森崎: スト中はみんな給料が全然出ないからメシも食えないんですけども、炭労は毎日ストライキに出て来い、デモに出て来いと言う。確かに船と船とがぶつかり合うような凄い市街戦みたいなのも目にして、人も一人死にました。けれども、やっぱりそんな場所にもやって来たのが「えいくそテレビ」だったんですよね。何もなかった炭労住宅の上にブアーっと林立していくんですよ、テレビのアンテナが。で、それを誰が止める事が出来るのかっていうのは絶望的な問いですよね。僕だって見たんですから、テレビを。一所懸命。
徳永: とめようがなかった。
森崎: 日本人の民衆が安い娯楽にどれだけ飢えていたかっていうことですよ。それで、そこに対して与える側の連中のドラマに対する何と言うのでしょうか、大事に対する仕方がちょっといい加減だったなという、何でもいいだろうという、金儲けだよこれはという、金儲けに対して文句いうな、というのがありますからね、日本人の精神構造の中に。それだけ文化度が低いとは言いませんけども。それとこれとがあいまって、あるのはやっぱり一億総白痴化という、皆が白痴になってしまったという。それは文部省が教える力よりも、毎日毎日何十時間という圧倒的な物量差でテレビが教える力には勝てませんよね。勝負にならないと思います。だから当然のごとく娯楽の殿堂は明け渡しになったんだと、テレビに。テレビの人はもっと別の事を言うでしょうけれども。だと思いますね、やっぱり。僕はその頃映画雑誌の編集をやってたもんだから、テレビに負けて映画が斜陽化しているっていう言い方はおかしいという論を書きましたけどね、一所懸命。それはそう思いたくないので。その時は映画人自身の何とかだ、みたいな精神論になっちゃいましたけども。これだけの密度でこの空の上をドラマが飛び交ってる国ってのは他にないような気がするんですよね。やっぱりドラマ漬けになってる訳ですから、一日の中で100時間以上ドラマが飛んでるんじゃないでしょうかねぇ、波長となって。それは多すぎますよ、やっぱり。タダだから飛んでるんじゃないかと思って。飛ばしてもタダだから。(笑)
02.gif

森崎監督は1927年生まれ。日本は31年の日中戦争より軍国主義に傾いていく。45年の終戦。その後の学生運動と70年安保の敗北。戦時中は軍国少年、学生運動中は雑誌の編集と森崎監督自身、その両方に深く関わってきた。それはすなわち、すくなくとも二度にわたる社会的価値観の大きな転覆を間近で体験してきたということである。

変容の時代を通り抜けて「ニワトリはハダシ」


徳永: そのテレビのアンテナがかつての闘争の場所を覆っていったということを含めて、たとえば僕なんかその頃まだ生まれてないんですよ。同世代には、まったく知らないし、知らないから興味も持てない人もいる。だけど知ってるにせよ知らないにせよ、やっぱりそんなことがあって、今の状況があって生きてるわけで、個々で考えなくてはならないことも確かですが、そんな時代も人も「繋がっている」という自覚は多少なりとも頭の隅においといた方がいいと思うんです。「死んだ方がマシ」な話もさせて悪かったですが(笑)、違う世代の話や考えも、聞けるときに聞いておきたいという思いがあるんですね。森崎さんが生まれて今生きてるのと、僕が生まれて今生きているのと、そういうのがありながらも、こうして同じところに座っている訳なんで。
森崎: うん、そうですか、うん(うなずく)
徳永: ベルリン映画祭の時にドイツ通信(『日本ノ皆様、コチラハ、ベルリンデアリマス』)を書かれてますね。ドイツという土地柄もあったんでしょうが、そこでしばしば戦争のことに触れられてますよね。そういうのを見てもやっぱり戦争体験というのは森崎さんの中に強く入ってるように感じます。僕なんか別に戦争も学生運動もあった訳じゃないし。どちらの世代が物語るに豊かな土壌かってそういう話ではなくって、ただやっぱり違いはあるかもしれないと。映画を作る時ってそういうものが理屈でなく関わってくるんじゃないかって思うんですよね。なにかご自身でお気づきのことってありますか?
森崎: それはどれとどれがそうだという事でなくて全部がそうだって気がしますねぇ。やっぱり僕の体験が重いとは決して思いませんけれど、僕ら世代の皆が見て来たわけで、それから自由にはなれない訳で、その時代の子であるという事は動かない事だし。だから逆に自分を客観視してこれとこれはこう違うからどうのって発想はちょっと出来ないくらいですね。
徳永:  戦争中の事について、ご自身がある種の軍国少年みたいなところがあったということとか、お兄さんが終戦とともに自刃なさったこととか、少し聞いたことがあるんですけども、戦争が終わってご自身変わらなければならなかったという事があったりしたんでしょうか?
森崎: いや、それが実感でいうと僕自身は変わらなかったし、良くも悪くもならなかったし、日本の状況もあるところでは政治的に大きく変わって行ったんでしょうけども、本質的には政治の本質も含めて変わらなかったし、現実に社会を牛耳っていた財閥というのも変わらなかったし、変わってないという方が僕は遥かに正しいような感覚があるんですよね、僕自身もそうだし。
そこで変わったのはスポッと腹切って死んだ兄貴だけがポンっと居なくなっちゃって、何なんだという、何でようという、僕は17歳ぐらいだったけど、......号泣しましたね。わかんないから、何の意味だかわかんない、類推も出来ないから。それまで軍国主義教育をあんだけ叩き込まれていたのに、ええっ!考えられもしないというほどビックリしましたもんね。それは未だに分んないし。戦争によっても敗戦によっても変わんない部分の方が遥かに多かったというのはむしろ声を大きくして言いたいですね。やっぱり男の子は男の子だったし女の子は女の子、ニワトリはハダシだったというのが感覚として大きいですね。
徳永: ああ、なるほどね。
森崎: 火星人にはならなかったですもんね、まったく。戦後民主主義ってのが来た時に何か嬉しいようなことはありましたけども、実はそれ程のものでもなかったし。やっぱりそれが通り過ぎてみると前より何だか自分を励ますにはあんまり役に立たなかったような気もするし。
徳永: そのあと今度は学生運動に参加されたかと思うんですけども、僕らが歴史をあとから見ると戦争の時は軍国少年で、それがひっくり返って、また学生運動があって安保があって、またひっくり返ってみたいな、次々と自分の根本、「当たり前」を変えて行かざるを得なかった時代なのかなって見えるんですけれども......。
森崎: そうですね。「元軍部で今は総評」という言い方がありますけども、今おっしゃったこう変わってこう変わってこう変わってっていうのは、例えばそれが軍国主義とスターリニズムだと考えるとですね、両方とも非常に大きな影響を与えましたけども、ただ出て来て引っ込んじゃったということだけ見ると、何だか同じような風に見えちゃうんですよね。ある時期の僕は「スターリンは物凄い人間だ」と認識していたんですけども、何だか今となってみるとワリカシ人の作った映画にケチばっかりつけてですね、そのせいで自殺した監督なんかが居たっていうのを聞くとですね、「ヤロー!」と思っちゃったり、なんだかいろいろあるんですが。つまり、その時々の権威というものは変わりますけども権威主義というものは牢固としてもっと強くなって行くという気がするんです。しかし、そこで、だからこそ「ニワトリはハダシ」と声高らかに雄叫びを上げて欲しい。「ニワトリぐらいは......」って。それは何ちゅうか民衆の感性というのがもっと主導権を持つべきだって気がするんですよ。権威に対する民衆の力だけは温存しないとなぁというね。
徳永: 変容の時代を抜けて来られたからこそ、今回の『ニワトリはハダシだ』ということになった。つまりはいろいろ生きて来て、いろいろ見て来て、いろんな事が変わっていくんだけども、「ニワトリはハダシだ」っていうような本質の部分はいつも変わらずあったし、あるんだ......って事なんでしょうかね。
森崎: そう!そういう事ですね。その為に映画というのは大きいんだよという風に嘘でも思いたいし、逆にその為にテレビは凄いんだよとは言えない気がする。映画は言えますけど、テレビは言えない。何で映画は言えるのかってのを考えると、映画は個人でも作れるけども、テレビドラマってのは個人で作ってこれをあるチャンネルで放送してくれっていったってそれは不可能な訳でして。つまり個人で作る事が絶対に出来ないメディアな訳です。映画はまったく違う。滅びて行くのかもしれないけれど、その個人性というのは物凄く誇るべきメディアであると。一人で俺は作るんだって言って誰かゼニを貸してくれりゃあ作れますからね。で、若い映画人ってのはそれがある限り天下を持ってるようなもんですからね、だからみんなあんまりブチブチ言わないでとにかく作ってもらいたい。ハッハッハッハ。
03.gif

『ニワトリはハダシだ』のもともとのタイトルは『56億7千万年の遅刻』。釈迦の入滅後56億7千万年経って、次代の如来である弥勒菩薩が修行を終えて顕れ、末法の世を救うという信仰に基づく。直子の「私、そんな56億7千万年も待てない。もう明日弥勒菩薩が人間を救いに来て欲しい。だってサム君は放っとくと明日は殺人犯にされちゃうんだもの」という台詞も用意されていた。

「ニワトリはハダシだ」=当たり前のこと=普遍性


徳永: じゃあ、ここで、『ニワトリはハダシだ』っていうタイトルに決められた経緯と、込められた思いをあらためて......。
森崎: もう随分前から、助監督時代からの思い出に遡るんですけども、松竹京都撮影所の大道具さんにチュウやんという僕の友達がいまして、それが僕ら助監督に向かって散々ひどいことを言うんですよ。「何してるんだよ、助監督。早く走らんかい、ニワトリはハダシやぞ!」って。彼の言う「ニワトリはハダシや」の中には、深遠な哲学的な意味がこもっているのやなぁという風に思いたくなるような、何か確信に満ちてるんですね。「お前ら何やっとるか知らんけど、大学出た癖に。ニワトリはハダシや」っていう風に言われる。やっぱり考えましたよ、何を言ってるんだろうって。まぁ辞書を引くと「そのままずばり。決まりきった当り前の事」って書いてあるんですけどね、突然、哲学的になりますけども、それはやっぱり「普遍性」って事じゃないのかなぁと思うんですよね。チュウやんという大道具さんで小学校だけしか出てないような人だけに持ってる普遍性への説得力みたいなものを感じたんですね。だからそのことに触れたかったんですよ。今どきなんだか訳の分らん事ばっかりあって、普遍性は一体どこに行ったんだ、という何か根本的な事が不安になっちゃったりするように、人間と人間との間に闘争精神も本能もあるけども親和力もまた働くに違いないという事まで思い起こさせるみたいな「当り前の事」をテーマにしてみたいと言いますかね。要はかつてチュウやんが僕らをののしったように「ニワトリはハダシやぞぉ」って言ってみたいという事なんですけどね。
04.gif

「ニワトリはハダシやぞぉ」と言う森崎監督。
編集部ではベルリン国際映画祭でも果たせなかった「唄を歌う」を遂行していただき、その動画配信を画策していたが、時間の都合で叶わなかった......。またの機会を期待したい。

多義的な現代において普遍性を唱えるとは?


徳永: この前フィルメックスで上映された時、観客に割合若い人たちが多かったと聞きましたが、おっしゃるように、今、その普遍性とか当り前の事というのが普遍性とか当然の事っていうのはまぁ見えにくくなっている。ひとつどういう風に見えにくくなっているかというと自分の当り前と相手の当り前と皆の当たり前というのは違って、いろんな当り前があることが前提といった気分に生きてるんじゃないかなとも思えるんです。だから互いにひとつの当たり前を信じて、拠り所にして交わる事が少なくなってきている。
森崎: うん、そうですね。俺の当り前はこれやというような事ですね。ただ知的障害児についての当り前は非常に当り前だと思うし、......と言われてるし、......何だかだんだん自信がなくなってきましたけども(笑)、映画では特にこの子(チラシの"サム"を指しながら)の言うことの当り前性を強調したかったという思いはありますね。
徳永: それは当り前はいろいろあるんではないかっていう中で、逆に森崎さんは当り前っていうのはやっぱり一つのこととしてあるんだよってことを強調したかったことなんでしょうか?
森崎: やっぱり今度フィルメックスもそういう質問があるだろうって気にしてくれて、ある週刊誌に「ニワトリはハダシ(=当たり前)」の同意義語をご存知の方は教えてくれっていって募集してくれたんですけどね、物凄いいろんな当り前があってね、むしろ多義すぎて当り前というしかないみたいな状態でしたね。だから当り前がひとつだけって気持はまったくありません。
05.gif

「当り前」が見えにくくなったと感じる時代に、「ニワトリはハダシだ」と叫ぶということとは......?

多義・多声~森崎映画の語り口


徳永: 森崎映画を見ていると、多声的というか、いろんな立場の話が一堂に詰め込まれてますよね?若い世代の人が特に抵抗なくああした多声的な語り口の映画を受け入れるということも含めて、やはり、そういう多くの当たり前のある現代を意識しているというところもあるんでしょうか?
森崎:  多声的でありたいというのは僕の好みでして、主演女優と主演男優がいい男といい女が出て来て何だか天上に結ぶ恋みたいな事をやられるとムッとするという、単純に、何かそういうのがね、権威主義だと感じちゃうのですよね、恋愛そのものの。権威とはまったく無縁のものですけども、そこに表されてくる価値づけられるものはつまりは権威である。で、それに物凄く下々が惑わされるというね。陸軍の権威だったり大学の権威だったりも含めて、すべての権威に下々は物凄く走り回されて威信を失うという仕掛けになっているので、権威に対する敵意は強ければ強い程イイという風にしか言えない。......でもまた、それが時のスターリニズムと相俟って、ここんとこはちょっと悲劇的なんですけども、スターリニズム権威の中でね、何のこっちゃ分らんうちに権威に対する敵意と権威がひっくり返ってソビエトがなくなっちゃったという。だから結局は権威に対する反抗もいい加減にして自分の中の臍のあたりを見るという事で自信を養成していくっきゃないんじゃないかという。......だから僕らは映画を面白く作らなきゃいけないと。突然そうなる訳ですけども、やっぱり面白い映画を作ってそれを自信にすべきじゃないのかなぁという、そこまで行っちゃう訳ですよ。
自分の中の臍のあたりを見るという事で自信を養成していくっきゃないんじゃないかという......自己主義っていうんでしょうか、民主主義って言うよりも。オレ主義(笑)......だけど、アイツがなにか言うことに対しては、じっと聞かにゃあいかんのじゃないかみたいな。
06.gif

民主主義≒たくさんのオレ主義


徳永: 多声的ということも含めて、いろんな立場がそれぞれそうやって自信をもって語っていくことで、ある意味、反権威で民主的な世界が展開していくという?
森崎: いや、自己主義っていうんでしょうか、民主主義って言うよりも。オレ主義(笑)。アレもオレと同じ、才能がなくって監督になってもなりきれない奴。だけど、アイツがなにか言うことに対してはじっと聞かにゃあいかんのじゃないかみたいな、そういうものですね。
徳永: なるほど、オレ主義が沢山ある世界という。微妙な違いですが、単純に民主主義なんていうより、もう少し元気のある世界な気がしますね。
森崎: そうそうそう!
徳永: それが『ニワトリはハダシだ』であって、今度出される本の『頭は一つずつ配給されている』という事にもつながるんですね。(森崎東著『頭は一つずつ配給されている』。この題名は渥美清氏のアドリブ台詞「自分の頭で考えな。お前ら、頭一つずつ配給されてんだろ?」にちなむ。)
森崎: そうなんですよね。......渥美ちゃんが突発的に言うセリフの中で誰も言わない、例えば丸山眞男(政治思想史学者・主著『日本政治思想史研究』他)だったら絶対に言わないような真理を渥美ちゃんがポッと言うような瞬間がある、という風に思いたいんですよね。そういうのは確かにあるんじゃないかという気が......。それは一俳優のアドリブでしかないという風になっちゃうかもしれませんけども。僕はあまり上手く言えないんで、そんな事ですね。だから読み人知らずだとか、名前の分らない無名性の人が俳優でやると、ここまでやるというのが証明できる映画ってのは素敵だと思う、という風なことまでになって来ますね。
徳永: そういえば森崎映画の特徴というとああいう多声的な語り口というのともうひとつ、「周辺層の人たちを描く」という言い方をよく聞くんですけども。
森崎:  やっぱり僕も周辺の生まれで、九州の西の果ての長崎県のさらに西の果ての・・という辺鄙なところで生まれて、「俺なんかは東京の芥川龍之介さんとは絶対に死ぬまで会えないんだ」みたいなところに居た訳ですから、そういう東京中央に対する単純な反発と言いますかね、田舎もんの、まったくド田舎人のひねくれと言いますか、そういうもんでしかないんですけども「それが何悪い」と言いたい......というのが根底にあるんじゃないでしょうかねぇ。静岡あたりで生まれてるともう少しモデラートな人間だったかもしれない(笑)。渥美清も『ニワトリはハダシだ』っていうのも、要はそういう種類の地口と言いますか、読み人知らずの民衆から生まれ出てきた哲学と言いますか、格好良く言えばそういうものに価値を再発見したいって言いますか......。
徳永: 中央とか権威とかに走り回されて威信を失うんじゃなくて、読み人知らずも、一俳優も、スタッフもそうだし、勿論いろんな監督もそうだし、そしてまた観客もそうだし、「アタマはひとつずつ配給されている」んだから皆、オレ主義で考えてっていう事ですね。
森崎: えぇ、えぇ!考えなくても、感じて、映画を観て、楽しんで。
徳永: それがそのままこれからの世代へのメッセージみたいなところということになるんでしょうかね。
森崎: そうです、そうです。楽しんでもらいたい。本木(克英)監督が会社の命令でハリウッドに留学した時にビリー・ワイルダーに会いに行ったそうですよ。で、ここをビリーが通るから待ってなって言われる道筋に立ってて、ビリーが来たんで「僕は日本の松竹という映画会社から......」なんて言ってたら、「君、映画やりたいの?」って。一発でそれは分りますよね? で、「映画をやるにはどうすればいいのかを聞きたくて来た訳でしょ?ビリー・ワイルダーにメッセージをもらいたくて来た訳だね」って。で「勿論です」と。そうすると一言......「Have a fun」って言ったそうですよ。「楽しめ」と。ビリーらしいですね。その事をずばり言うという......。だからって「勉強はあまりしなくて良い」とは言わなかったでしょうけど。(笑)
徳永: 森崎さんもやっぱり......。
森崎: えぇ、でもつい忘れちゃうんですよね、楽しむ事を。楽しむ余裕をこのぐらい保持してないと楽しめないよという風な基本的なこっちの姿勢をつい忘れちゃう、何かこう苦しめば、昨日も徹夜したみたいな顔してればいいんだ、という。何か苦しみイコール誠実さだとかいう風にね、権威主義なんですよね、それも。(笑)
徳永: じゃ楽しむようにします(笑)。
森崎: えぇ!是非!(笑)
07.gif

喜劇映画の監督らしく、これからの世代に向けて「楽しめ」と一言。監督自身の次の計画には『ベテルの家』に取材したシナリオの執筆がある。喜劇とも怒劇ともいわれた森崎映画だが、監督自身の底にある明るさと反骨心の同居がそういわせた所以かもしれない。『ニワトリはハダシだ』を含む全24作がイメージフォーラムシアターにて公開される(レトロスペクティヴは11.1~。『ニワトリはハダシだ』は11.13~)。森崎監督いわく「恵まれなくて来た分だけ最後にドカって来てるので、いいのかなぁ(笑)」
森崎東監督の公式サイト http://hadasi.jp/

アイテム

  • 25.gif
  • 05-01izutu05.gif
  • gassou.gif
  • momoko.gif
  • kyonja.gif
  • kosyu.gif
  • 05-01izutu04.gif
  • 05-01izutu03.gif
  • arison.gif
  • sakazaki.gif

タグクラウド