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透光の樹

根岸吉太郎監督「透光の樹」インタビュー

《根岸吉太郎監督の新作「透光の樹」が10月末から公開となる。それに先立ちモントリオール映画祭から帰ったばかりの根岸監督にお越しいただき話を聞いた。》
聞き手・構成/天野裕充
DV取材/山本起也・福岡芳穂
構成協力/今岡信治
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根岸吉太郎監督 プロフィール

根岸吉太郎 1950・8・24 東京生 藤田敏八、曽根中生に師事。78「オリオンの殺意より・情事の方程式」で監督。81「遠雷」82「キャバレー日記」83「探偵物語」85「ひとひらの雪」86「ウホッホ探検隊」93「乳房」他。

天野:  本日はわざわざお越しいただきましてありがとうございます。9月3日にシネカノン試写室で「透光の樹」を拝見し、非常に力強いエネルギーを感じました。今作を撮られることになった経緯というのは?
根岸:  前作で「絆 -きずな-」っていう作品を東宝で6年前に撮ったんだけど、そのグループで次にやるような映画はないかって話をしてて。原作の高樹のぶ子さんの「透光の樹」が単行本で出版されて、谷崎賞も獲って一部で話題になってまして。こういう中年の男女の恋愛みたいなものを、性を媒体に描いた映画が、森田芳光の「失楽園」以来ないので、そういうものに日本映画の中でトライしてみるのもいいんじゃないかと言う話があって。僕はちょっと逡巡したんですけど‥‥。まあ、シナリオを作ってある程度のところまでやってみようかと思って、それで田中陽造さんと6年くらい前に始めたんですよ。企画はあったんだけども、なかなか実際にバックアップしてくれる人が1年くらいははっきりいなくて、それから最終的にスタッフ東京っていうところが面白いと言ってくれてスタートしたっていうような経過が。だから監督がどうしてもやりたいって飛びついた企画ではなかったわけで。ただ長くかかっちゃってやってくうちに、もうずっとこれを巡ってものを考えているから、だんだん顔つきも周りにいる人たちも、執念の企画だとか思い込むようになっただけだよ。
天野: 監督が逡巡したところというのは?
根岸: んーと、ひとつはキャスティングがものすごく難しいと思ってね。ざっくばらんに言っちゃえば、ほとんど始めから終わりまで男女2人だけでいく話だからね。それなりの男の俳優さん、それなりの女の俳優さんがいないと務まらないわけですよ。40前後、女の人は30代後半から40代でね。男の人が40代前半から50位の範囲でものを考えていくときに、ちょうどその年齢って、全てを曝け出してそれを次のステップの為にするとか言うのじゃなくてね、ある意味で出来上がっちゃってる俳優さんなんですよね。そういう出来上がっちゃってる俳優さんが、こういう映画に頑張ってトライしてくるっていう可能性はものすごく少ないんですよ。だから、そういう意味で、まずキャスティングが難しいだろうと。で、キャスティングって必ずこういう映画の場合だと、投資する人たちに影響することなんですよね。かといってこれがものすごく少ない予算で作っていい映画かどうかって言うとね、別にそんなに大した投資がなくても、名が知れてない、どっかで僕らが見つけた俳優さんでそれなりの映画を作る作り方も無いことはないと思うんですけど、話の内容がそういう種類と違う、ある程度の時間と見せられるだけの美術的なお金をかけて、初めて人に見てもらえる種類の映画だっていうね。それだから、作ってく上で監督の創作上の問題っていうよりもプロデュース的な問題がものすごく大きいだろうなと、これに取り組むときにいちばん気にすることだったね。
天野: 取り組む時に超さなければいけないハードル‥‥
根岸: なんだろうな。勢いで映画作る歳でもないんでね、一つには、僕はプロデューサーやったこともあるし、映画を作るシステムっていうの、順番と斬り方がある程度見えてるっていうのがあるんですよね。それがだから、その後に配給って問題も控えてるわけだけど、作る僕らと出資する側、演じる人たち、スタッフ、配給、観客全てのラインが、本当は繋がって見えないと、映画って言うのはものすごく不安定な台の上に乗っかってる訳ですよね。だけど、逆に言えばまた冒険心も必要でさ。全部石橋たたいて確実だってことになってから渡るんじゃなくて、え~いままよっていう気合いもないと映画って作れないわけじゃない。ただあまりに無鉄砲だと、地雷原を裸で駆け出すようなことになっちゃうからさ。なるべくそうなる確率をね、どのくらい減らしたとこでやれるかっていうせめぎ合い、計算とか努力とか。話が抽象的になっちゃうけども。
天野: 監督の中で、これくらい固まれば大丈夫って言う線引きみたいなものは?
根岸: 僕はいっちゃえって言ってもね、お金出す人が出してくれない、例えば具体的に言えば1億円出してくれる人がいるとするでしょ。すると1億円で今作ってる映画っていっぱいあるわけじゃない。で、僕はこの映画は1億円では絶対出来ないって思ってたわけ。だからその時に1億円しか出ないってなったらGOとは本当はいえないわけ。それは僕の中ではそれで作った方がいいか、作らない方がいいかっていうさ‥‥。だからいっちゃえってことはないんだよね。その都度その都度の「いっちゃえ」は例えば、こういうキャスティングでこれだけのいっちゃえ、ここだったらこういっちゃえ、それはいかない、それはやめ、とか。極端に言うとやめるって言えるか言えないかでさ。映画はよくあるんだけど1億円でこういうの作りませんかって言って映画の話が始まって、やってくうちにスポンサーが急にいなくなったり、5千万しか出せなくなったとか。それでなんか2千万出す人がいるから7千万しかないけど作ろうかっていって、またやってるうちにクランクイン直前になってやっぱり5千万しかなかったって言われて、それでえいままよって入って、なんか納得いかない映画が出来て、配給する人もいなくて半年眠ってるとか1年眠ってるとかいう映画がいっぱいあるじゃない。だから、そこなんだよね。なんで何年もかかっちゃったんですかっていう話になると。
天野: 条件が揃うまで「やっちゃえ」とは考えずに。
根岸: プロ野球選手会のスト交渉みたいなもんですよ、映画を1本つくるのは、ある意味。それに今、大きなエネルギーが割かれ過ぎるっていう‥‥しょうがないけど。そういうのに大きなエネルギー割かないで、どんな方法があんのかなっていうのを、考えるしかないでしょう。
天野: キャスティングが決まるまではいろいろなことがあったと思いますが。例えば、秋吉久美子さんに決めたのは監督自身が?
根岸: そうですね。僕が決断すると同時にプロデュースサイドも決断したと。
天野: キャスティングは理想どおりでしょうか?
根岸: いや、全然。思いどおりのキャスティングなんか出来ないんだよ、こういう映画では。例えば吉永小百合なんかに頼んだってやってくれないわけでしょ、まあ頼もうとも思わないけど。そういう意味でさ、理想どおりのキャスティングなんて、後から、しょうがないから監督はみんな理想どおりって言うんだよね。でも、キャスティングはそういうもんですよね、基本的には。みんな、もちろん色んなスケジュール抱えてるし、やりたいものも違うし。だから、理想どおりかって質問自体がナンセンスなんだよ、逆に言えば。映画はもう、キャスティングして撮ったら、それが、理想どおりなわけがないって言うのも本当だし、理想どおりだって言っちゃうのも本当だと思う‥‥だいたい解るじゃん、同業者だったら。理想どおりっていうのは難しいね。うん。‥‥たださ、理想っていうのは監督が勝手に頭の中でね、あの人がやったらどうなるかなってシミュレーションして、それを、言ってみればひとつの理想っていうかも知れないけど、それってやってみなけりゃ判らないよね、その俳優さんとその役でね。同時にこういう場合は、組み合わせってものがあって、この人だったら相手はこの人、男がこうだったら女はこうだとか、女がこうだったら男はこうだとか。まあもっと具体的になると、やるって言ってるけど、裸になって重なり合ったりするわけだから、生理的な問題もあってさ。この役をやりたいけど、この人とはやりたくないとかさ、そういうことがいっぱいあるわけ、やり取りしてれば。この人とはいいと思うけど、あの人とは昔色んなことがあったから嫌だとか。あ~‥‥みたいなさ。

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天野: 監督自身がシナリオは書かれないのですか?
根岸: うん。あんまりないですね。
天野: なぜ書かないのですか? 何かポリシーがあるのですか。
根岸: ポリシーは無いですね。ただ自分で書いたものをね、撮るっていうのはあんまり面白くないなって。それは要するに、自分がシナリオを書いて面白いなっていうようなことはさ、それは別にシナリオがあってもね、その後から取り込めるってのがひとつあるし、シナリオを作ってる間にシナリオライターにそういうふうにもってってもらうことも出来るし。そういう意味じゃ、自分個人で全てを作り上げていくっていうよりは、一回人の手に渡してね、その人との共同作業ってことを通じてね、映画を作るほうが、映画を作ってて楽しいってことかな。
天野: そのやり取りの作業が楽しいのですか?
根岸: 作業自体はそんなに楽しいことないよ。例えば田中陽造さんなんかっていうと、それなりに立派なシナリオを書いててさ、トップクラスの人だから。なかなかね、僕が意見を言ってもそうは思わないって返って来るときもあるし、説得するのに時間がかかるときもあるしね。そういうことの面倒臭さはあるし、そのこと自体を楽しむってことはないですね、真剣勝負だから。だけど映画っていうものを1本作っていくときのさ、そういう鬩ぎ合いみたいなもの。それは別にシナリオだけじゃないけども、カメラ、技術的なスタッフにしても、俳優さんにしても、僕はこう思うしあなたはどう思うのかっていうさ。その思うことが同じでうまくいく場合もあるし、違っててね、違ってることを克服することによって幅が出るってこともある。だから違ってることを克服するってことを、まあ楽しむってさっきの言い方で言ったんだけど、そのことに映画の可能性ってことを僕は感じてるっていう‥‥。早い話が、1人の頭で作るより2人の頭で作った方がより良いものが出来るんではないかっていう‥‥まあ幻想かな。それは解んないけど。‥‥と思ってる。ウン。
天野: 今回の「透光の樹」での具体的な意見の違いは?
根岸: 何年もかかって、シナリオもやり取りして直して貰ってるんで、最終的にそんなに意見の違いって言うのは無いと思うんですけど。やっぱり田中さんのシナリオは非常に男性寄りだったっていうのかな。男の主人公を中心の立場で描かれてたと思うんですよね、最初に上がってきた台本は。それは僕がこの映画に最初にイメージしたものとは少し離れていて、それはそれなりによく出来ていたと思うんですけど、僕はもう少し秋吉君側に寄った、女の主人公よりの話をつくりたいなと思っていたので、それを少しずつ少しずつ‥‥なんて言うのかな、そういう、男からみたちょっと不思議な女の人っていうのから、少しずつ少しずつこう、もう少しその人が持ってる情念とか、感情の激しい揺らぎみたいなことをさ、少しずつ付け加えていってもらっていくっていう変化かな。うん。シナリオの作業の一番大きな事ね。少しずつ彼女を押してくっていう。
天野: 着手してからどれくらいの期間でシナリオは固まったのですか?
根岸: いや。そんなにのべつこれをやっていたわけじゃないからね、シナリオに関しては。だから、その都度その都度、入ろうかなと思うといろんなことがあって延期とかになるからさ、延期って言われて暫くぼんやりしてて読み返してみると、もうちょっとこうした方がいいかなとか思うの。だから、1年に1回くらい会って「こうして」とか言って。で、「まただめだった、ごめんごめん」って‥‥。また1年後くらいに、また「クランクイン出来そうだから、ちょっとこう思うんだけど、ここ直してもらえないか」「それはないだろう」とか言われながら。そういうのを入れたら何年もやってる‥‥。でも映画って、どうなんだろうな、完全なものが出来るなんて思ってないからね、シナリオにしても映画にしても。これをもう1回撮り直さない?って言われても、また、シナリオをたぶん考えるよ、今なら今のね。その次点ではもう考え尽くしたつもりなんだけどね。
山本: 根岸作品で何年もかけて企画を練って‥‥というような作品は他にも?
根岸: 無いですね。(この作品も)練ったわけじゃない、練ることになってしまった。
山本: 何年もかかってしまっている期間は、何を考えていらっしゃったんですか?
根岸: 何度か入るって話があったんでね、それで、結構四季がある話だからさ、入るっていうと半年くらいは空けなきゃいけないんですよね。だからそのために、割とずっと他の仕事を断っちゃ流れて、断っちゃ流れてで‥‥。だからあんまり他のことは考えないで来たっていうかな‥‥うん。だから後は遊んでるだけ。他に何もしてないよ。悲惨だよ結構。
天野: この作品を撮らないと前に進めないという気持ちは?
根岸: いや、それは全然ないよ。ただ体を空けなきゃいけないじゃない、映画ってのはさ。恐ろしいことだよね。撮影自体は年明けてすぐに終わったんだから、3月くらいには終わったのかな。逆算して前の年の8月にクランクインしたんだよね。本当は2月くらいに入れたらいいなと思ってたから、そこからは空けてたってのがあって、その前は夏くらいにはやるっていうGOサインが出てたからね。その前の2月くらいには入ろうと思ってたのが、俳優さんの事情で中止になっちゃったのかな。そっから1年くらい前はそこに入るために体を空けてるから、ずっとあれだよ‥‥。企画自体はね、静かに動いてるものはあるんですけど。うん。だから監督業っていうのはもう、本当に恐ろしい職業ですよ。職業だと思ってやったら。
天野: 入ろうと思ったら入れない、そんなことが繰り返される中でモチベーションはどうですか? 何度も入れなくなって緊張を維持できないとかないですか?
根岸: そんなことはないですよ。
天野: その間は、緊張を保ち続けるんですか?
根岸: あのね‥‥何かオリンピックに出るのとか、そういうのと違うからね。自分の体調も整えて心身ともに最高の状態にするとか、そういう必要はないわけでしょう。映画って言うのは、着実にどのくらい準備できているからだからさ。ある程度準備した物は、程度が下がらないわけよ。シナリオは少しずつ良くなって来ているから。悪くなる事はないよ、延びたからって言って。ロケハンしているもの、例えばカタクリ咲いている場所があるでしょ。僕はカタクリは本当にカタクリが咲いている場所で撮りたいと思ったんだよ。カタクリって1年に一回しか咲かないんだよね。東京で言えば四月の前半。西側だともう少し早く、だいたい桜と同じ位の前線であがってくる。すると咲いたらどうなるのかって、ここはカタクリでいいらしいって。でもそこは1年に一回しかロケハンできないわけだから。前の年に見るしか。そしたら何年かやると僕はカタクリについてはさ、日本の監督の中では一番詳しいと思うけど(笑)‥‥もう何年もかけて場所見てるからさ。結局でも、すべて見た場所は使わずに撮ったんだけれども。‥‥そういう風に準備していることの水準は延期されたからって下がらないんですよ。それによって僕がガックリしようが、精神的に落ち込もうが、準備されている事は着実にどんどん準備されて、それがヘタることはないわけ。‥‥スタッフも同じだと思うのね。スタッフもだいたい2001年頃に頼んでいるスタッフだから。そのスタッフが全員‥‥うーん、頼んだ人は来たかな最終的に。
天野: すばらしい事ですね。
根岸: うん、2年待ってみんな。プロデューサー以外はみんな。撮影も照明も美術も。みんなずっと中止になったときも、ある程度打ち合わせしているからさ。(笑いながら)それを保ちながらきてる。
天野: 私の仕事の場合は、何か壁にぶつかったら空中分解しちゃいます。足場ができあがる前に。監督の話を聞くと、大事なのは積み上げなのかなあと。
根岸: これもね、たまたま積み上げって言えるのも、首の皮がつながるような企画っていうのがあるんだよね。これがそうなんだけどさ。ワーッて一年間やっててバーンって飛んじゃったりすると難しいよね、もう一回っていうのは。それはよっぽど自分が元々やりたいって思ったり、深くこだわってるものでもない限り、それを立て直すっていうのは物凄く難しいことだと思う。これはたまたまね、なんかできそうだ‥‥できそうだ‥‥できそうだっていうことがあったからさ。(考え)それを無理に一つのものにこだわっていると、にっちもさっちもいかなくなるってことはあると思うよね。‥‥そんなにこだわるほど面白いのかよって言われると分かんなくなっちゃうよね。企画なんて、みんな(笑)‥‥それで1年も2年もすれば企画って古くなっていっちゃうでしょ。まあこういう話だから、割に古くなりにくかったんで。なんか世の中の流れとか、感じていることっていうのは、少しずつ変化しているからさ。そういう変化の中のある地点で、これが自分が面白いと思ったし、たぶん人も面白いだろうなあって思ってくれたってことが、一年も二年も先に面白いかっていうのはすごい難しいよね。‥‥「透光の樹」はちょうどバブルの終わり頃の話なんですよね。だからこれを例えば今に置き換えちゃって面白いのかどうかっていうことも当然、考えたんだけど。やっぱり男と女の有りようっていうのかな、ちょっと今とは違うって思ったんで。

 

03.gif天野: 次の作品は、もう準備をされているのですか?
根岸: 今度はすぐにやろうと思います。男女の話じゃないヤツ(笑)‥‥まあ、僕はスタートがにっかつロマンポルノだったんでね。その意味で人が人とセックスするっていうのを撮るわけですよ。そういう人と人が肌を重ねる、体を重ねるっていうことにいたるプロセスとか、そのことが行われたことによって男女がどう変化するとか、そういう男の人と女の人の関係の距離感とか、感情の変化とか、そういうのを丁寧に描きたいっていうのは、もともとスタートラインからあったと思うんですよね。その事が、まあスタートして今まで、監督として25年ぐらい経っているんですけど、まあどっかで一貫してやってきた感じがあって、そういう意味で今までやってきたこと、つまりスタートからやってきたことが、ちょうど一巡したみたいな映画なんだと思うんだよねえ「透光の樹」は。僕は基本的には、人と人の間に揺れ動くものみたいなことを撮りたいと思っているんで、今度は男女じゃなくて、男と男とか、女と女とか、大人と子供とかね。まあ動物にいくことはないと思うんですけどね(笑い)‥‥そういう方面をちょっと撮ってみようかなって思って。
天野: 次回作、また楽しみです。
根岸: こんなのでいいの? 監督協会でこういうのやるんだったらキネ旬とか映画芸術とかと違ってさ、もっと具体的な事で話した方がいいんじゃないの?このシーンはどういう風に撮ったのとか、それはなぜそういう風に撮ろうと思ったのか、とかそういう場所をどうやって見つけたのかとか。
天野: は‥‥(ちょっと戸惑いつつ)
根岸: 俺ね、昔は監督協会で若い方だったんですけどね。若くして監督になっちゃったんですが、今になって思うと、ある種の技術っていうか、映像を撮る技術っていうものに、ものすごく監督自体が無関心っていうのかな、ある種の精神とか思想とかには関心があるんだけど、実際に現場で映画を撮っていく技術を磨く時間ってあまりになくってさ、そのためにある程度のところまで面白い映画は作れるんだけど、その先にメジャーのものをまかされたりした時にね、力のない事が露呈しちゃうってことが物凄く多いんだよね。だからそういうのって、やっぱ一つ一つ、本来だったら映画の現場で少しずつみんな学んで来たことなのかも知れないけど、あいにく現場って言うのは少ないからさ。すると現場って言うのはどういう風に進んで、どういう風にモノを考える場所なのかっていう事を別の何かの形で伝えるっていうの?‥‥ことが必要だと思うんだよね。‥‥俺にもわかんないけど、監督術とは何かって言うことを伝える場所っていうの? 例えば今‥‥見た事ないんだけど、監督協会で先輩監督に聞く、みたいなインタビューとかやってるじゃん。ああいうのもその一つなのかも知れないけどさ。例えばこうやって新しい映画を作っている人間がいるとしたらさ、そういうところでもっと具体で伝えていくっていうのかな。そういうのがなんか必要な気がするんだけど。‥‥天野さんシナリオ書くの?
天野: はい、書きます。
根岸: 自分じゃなきゃできないって思う事とさ、自分でできることはたかが知れてるってさ、両方ないと駄目なんだよね。自分でできることはたかが知れてるって思ったときに、なんでシナリオ書かないのか?ってさっきの話もそうなんだけど、やっぱり書いたもの、作ったものを人に見てもらうっていうか、人と一緒にやるとか‥‥そういうのがなさすぎるんじゃないかな、みんな。
天野: ‥‥‥(考え込む)
根岸: うーん‥‥(宙をみつつ)同業者同士だから難しいのかな。ついでに批評とかものっけたらいいじゃん(笑)
天野: 批評!?いやあ‥‥(困惑つづく)
根岸: この間、たまたまこれ(透光の樹)の撮影報告をね、川上皓市っていうカメラマンが書いているんで、撮影監督協会が出している雑誌「映画撮影」をもらったんだけどさ。「死に花」っていう映画。あのカメラマンが撮影報告を書いていて、岡崎宏三さんっていう有名なカメラマンが見た感想を書いているんだけど、一つも褒めていないんだよね。丁寧には言っているんだけど、言っている意味はボロクソなんだよ。それがすっごい面白いんだよ。撮影監督の狙いはこういうことで、こういうことでっていくつか書いてあるんだけど、岡崎さんは別にそれ読まないで書いたと思うんだけど、その狙いがいかに間違っているかっていうことをさ、物凄い勉強になるんだよ。そういうの必要だよな。
天野: 協会のホームページは御覧になっていますか?
根岸: いえ、今度見ます。いつもそう言っているんだよね(笑)
山本: 監督って常に選択じゃないですか。監督がどっちいくかで、全部違ってくる。そういう具体的なところでの違いみたいなところが議論の的になるんだったら批評ではなく、面白いかと。
根岸: うん、いま今言った通りね、選択もそうなんだし。でもこっちを選んだっていう、それが伝わらない場合があるじゃない。映画ってよく。俺なんかもそうだけど、自分だけ思い込んでてこう撮ったんだけど、見ている人はぜんぜん分からなかったって。その時の表現方法って、こうしてれば分かったのにとか。ま別に伝わらなくってもいいんだっていう風に開き直るよね、監督はすぐにさ(笑)‥‥本当に伝えるっていうのは一つの技術なんだよね。技術って言うのはその伝え方っていうの?伝わればいいかっていうとさ、あからさまにこういうのを伝えたいんだって見えちゃってそれによってつまんなくなるってこともあるだろうし。そこいらのさじ加減みたいなのを、やはり現場を司っている監督はどう考えているのかってさ、そこいらへんを突っ込むべきだと思うんだよね。
山本: さっき監督術と仰っていましたが、たぶん「キャバレー日記」の頃から、監督自身の考える監督というものはずいぶん変わって来たんじゃないかと思うんですよね。監督の考える監督とは?‥‥をお聞きしたいんですが。
根岸: ‥‥‥(考える)
山本: 何年もかける、ということ自体にあまり意味はないのかもしれないですけど、僕ら一つのことにこだわって長い時間考えていくという余裕がないという中で、いろんなことが頭の中で住み分けをして、整理して、煩雑なことも同時にやらなければ生きていけない、という中で、何年にも渡って一つのことを考え続けていられるということのような思考回路というか、根岸監督なりの考え方というのは、どういうものなんでしょう。
根岸: でもさ、何かを作ろうとしているわけじゃない? 日々忙しくても。一つの作品ではないかもしれないけど、何かを作ろうと思っている、その根っこは一緒なわけよね。その人には。そうすると、表面自体はいろいろ変っていても、時々キャッチするものとか、具体的につかむ素材は別々でも、そんなに自分の根っこと違うものはつかめないはずだよ。ある時は、自分と違うということ、自分の資質と違うものをやることが、自分の中の何かになるかもしれないな、という時もあるんだよね。その時に新しい自分を見つけられるかもしれないし、全然向いてないな、と思う場合もあるし。ただ僕らは最後の撮影所の世代だから、ある程度の失敗は許されたんだよ。いい意味で。こんなこともやってみて、ダメでも、しばらく静かにしていればもう一回やらせてもらえるチャンスがあったと思うんだけど、今は一回一回が勝負じゃない? そうすると、それは何らかの形で結果を残さないとダメだよね。それなりに。それは映画としての評価とか、現場を掌握する人間としての評価とかを含めて。若い人もそうだし、僕らみたいに長くやっている人間にとっても、一回一回結果を出さなくてはいけないという時代になっている。可能性はものすごくあるけど、シビアな時代だよね。間違いなく。‥‥難しいね。監督協会といっても、様々な監督がいるんだね。‥‥大丈夫? これで(透光の樹についての)インタビューは。
天野: そういえば、「透光の樹」の原作を読んでないので、申し上げにくいですが、主人公が25年前の気持ちを呼び覚ますという前段の部分で、最初彼女と再会するまでの部分が、かなりスピーディーに進んでいる印象がありました。
根岸: それはそうなんだ。いくつかそういうのも撮ったんですけど。行く前に写真を眺めるシーンとか。でもつないでみたらあまり面白くないんで。それにそんなに分かっていたわけじゃない、人と人との出会いが。「会いに行く」んじゃなくて「会っちゃった」という。そういう会っちゃった人たちにいろんなことが起きる、という。それはどっちの考え方もあると思うんですよ。男がいろんなものごとを抱えて、ふとしたことで彼女のことを思い出して、どうしてももう一度会ってみたい、という。そこから始まる物語というのもあると思うし。それとどっちがよかったかわからない。それこそ選択なんだけど。強い意思を持って会うことよりも、ふと会って、話しているうちにお金のやりとりをしてしまう、ということがあると思う。やっぱり、あの時代というか、性も含めて消費するような時代、それと似た形でお金というものを介在するということによって、いろんな面倒くさいこと、しがらみとか感情をごまかそうとしたことが裏目に出ちゃうというか。それによって余計に濃密で複雑な関係に二人が陥るというか。そいうことを頭の中で考えて作っています。どっちがよかったかは分からないけど。
天野: もう一つ伺いたいのですが、「娼婦になるということを心に決めていた」という台詞があると思うんですけど、その前後というか、前段があってあの台詞にいたるのか、あの台詞を聞いて何か変わっていくのか‥‥。というか、その先に何かもっと深いものが出てくるのか待っていたのですが、そのまま実際には物語の展開に関わってこなかったので、分かりにくかったというか。
根岸: 分かりにくいけどさ。多分それがキーワードのように、その先、その一行がキーワードで物語が何らかの展開すると捉えたということでしょう? でもそういう台詞ではないんだよね。多分。そういう風には撮ってない。「なる」という気持ちと「なれない」という気持ちが、両方彼女の中に存在していて、そういう揺れ動くということ、その揺れに惑わされる、ということなんじゃないかな。男というのは。一つの言葉には限らず。そういうスタイルの話じゃないといえば、それまでなんだけど。
天野: 彼女はそういう風に思っていたという前ふりがあったように私が勘違いしたのかもしれないんですけど、前にこういうことがあったから、後でそういうことになったのかという‥‥彼女は、娼婦になろうと心に決めていた、それはなぜ? 25年前にそんな気持ちだったとか、何かがあったとか。
根岸: それは全然ないよ。そういう話じゃないと思うんだけど。お金をやりとりするということの一環で、彼女の中にそういう風なことを言うことによって、解決される部分と盛り上がる部分とあって。あの台詞に関していえば。陳腐な台詞なんだよね。今の時代でもそうだと思うし、あの時代、15年前でも古めかしい。今時こんなこというのかという台詞だと思うし。それをわざわざいう人なんだよね。彼女というのは。こんなことを言う人だ、ということで彼女を説明している。物語を展開するために言っているんじゃなくて、彼女がこういうことを言う人なんだということのほうに意味があると思う。
天野: 本日は、ありがとうございました。約束の時間も来ましたので、これで終わりにしたいと思います。

《インタビューしながら根岸監督にリクエストされたことは今、読み返してみればよく分かるのだが、その場では理解できていたとは言い難い。この先のウェブに活かしていけるよう努力したい。最後に個人的な記憶を少し。昔、映画監督を志した頃に「ひとひらの雪」を見に行って生理的な興奮を覚えて以来、すっかり私の中ではフェイバリット監督というか雲の上の存在だった根岸監督。ディレカン時代にプロデュースをされた「人魚伝説」のプログラムにあった一文で、原作の宮谷一彦さんが根岸監督に会った印象を「一目で惚れ込んだ」的にその魅力について書かれていたのを覚えている。そのせいか会うまでも会ってからも妙に緊張し切っていた私は、まだまだ小僧である。まあ、想像通り男らしさというか力強さというか、映画から受ける印象そのままを感じられ、同時に上手にインタビューできなかった自分が恥ずかしい。ともかく忙しい中、時間を割いて下さった根岸監督に心から感謝感謝。》
□インタビュー日時:2004年9月13日
□於:日本映画監督協会事務所
□担当:広報委員(天野裕充/山本起也/福岡芳穂/今岡信治)