特集

日本映画監督協会 会員名鑑

作品インタビュー

血と骨

表示 表示 表示"新作「血と骨」  崔 洋一に聞いて来ました"

set_sai.gif

sai_nakajima.gif

調布飛行場横東京都保有の原っぱに忽然建ち上がった、戦後大阪は鶴橋付近某路地の横町オープンセット。当り前の事ですが5月19日は大事な本番当日に、広報委員のビッグママこと日笠 宣子女史と私望 月六郎ノコノコと現場見学に行って参りました。薄曇の空の下、美人女優にして本作ヒロイン鈴木 京香さん演じる英姫(ヨンヒ)が、己に迫った死の病と出会う、真に重要なシーンが撮影されておりました。鈴木 京香さんは何処いるの?って感じに立派な特殊メイクで地味な普通のおばあさんの存在にビックリしたり、オープンロケの土道に小っちゃく芽吹いた雑草が妙に気になったり、とても旨しい昼飯中華丼頂いたり、その中華丼の横に乗せたキムチ旨くて、やっぱりなぁと思ったり、崔監督穏やかにして紳士な現場指導に作品に対する自信をかい間見たり、まぁそんな雰囲気を少しでも感じて頂けたらとスチール写真、是非楽しんで下さい。それからお宝映像「崔 洋一のヨーイ、スタァートからカットまで」もちゃんとチェックして下さい。
meshi.gif

set_sai_chair.gif 
映画雑誌数誌からのインタビューも撮影の合い間にあってお忙しい監督なので私らは喰ったら即帰り後日のインタビューを申し込み、これまた即快諾を頂きまして、6月15日、渋谷は某所、崔 洋一とそのバディ、シナリオライター鄭 義信の共同オフィス"C2"にお邪魔致しまして、再び日笠、望月のコンビでインタビュー始めます。

 

C2にて 右 崔 洋一 左 望月 六郎

望月「現在、どういう状態で、何時頃僕らが観る事ができるか教えて下さい」

「今、所謂アビット上の編集が始まったばっかりの所で、7月中にアビット編集を終えて、8月の頭にフィルムに戻してオールラッシュを済ませてダビング。八月の終りに初号かな」
望月「で公開は?」
「11月の半ば位です。だから急がれてる作品なんだな」
望月「今時だと何処の映画祭を目指そうかとかありますよね」
「うん、まぁ幾つかの映画祭には出したいなと思ってます」

望月「2ヶ月位の宣伝期間だと忙しい感じもしますね」

「だいたい今頃そうなんだけど、中々撮影に入る迄の時間が掛かって後はバタバタバタ、と言う感じが多くてね。まぁ、この作品に関しては、そう云う運命なんだなぁ」
望月「凄く長大な原作なんですけど、どのぐらいの上がり尺になるんですか」
「最初に書いた一稿、かれこれ六年間になるけどね、その段階では七時間位」
望月「七時間!!」
「七時間映画、誰が観るんだい、どうやって作るんだいみたいな話で、それをまぁ、この六年間で、切り、再構築しては解体すると言う作業を繰り返し、多分出来上がる物は2時間半位の作品でしょうね」
望月「今日一番聞きたいのは実はその辺の部分でして、結果七年の時間ですよね。よく映画界で構想10年とか言いますよね。映画監督が六年七年と作品に賭けてく姿勢なんかを教えて頂きたいなと思ってるんです。で、原作との出会いなんですけど」

「丁度六年前僕が単行本を出すって事で、と在る出版社の寮に缶詰めされてて、なんとその本は未完のままなんだけどね(笑)その時に何冊か読みたい本を持って行った中のひとつが「血と骨」だったわけなんだよ。読んで、梁石日(ヤン・ソ・ギル)さんの小説として非常に深く感銘を受けたって事が大きい。膨大な小説でありながら正史でない、正当な歴史とは違う本当に端の端の端の所、本当にアウトサイドぎりぎりの所に居る小さな家族の物語と言う所に惹かれてって、魅力的だった。読んだ瞬間から、これは映画化権の話が殺到するなと思ったんだけど案の定、そうなってたんだけど、唯、その時に思ったのは、僕が「月はどっちに出てる」を梁さんの原作で一緒にやったからという意味ではなくて、多分待てば、海路の日和りかなと・・・つまり待てば、その時点での日本の映画界では、これを現実的に具体化できるって事は中々少ないだろう。企画としては皆んな飛びついた、しかし具体化する事は難しいだろうって言う俺の判断があったから、待とうと思った。待っていれば、まぁこういう言い方をしたらなんだけど、どうせ一人去り二人去り誰も居なくなるだろうと・・・一年位待ったかな。案の定手を上げきらなかった、と言うか、上がってた手が下がって行く中で俺だけが手を下げなかったから、まぁ首尾良くと言うか、原作権、映画化権は取れたんだな」
望月「手が下がって行ったのは、原作の膨大さ、時代設定、描かれている世界が、或る種限定された世界でもある、と言う事なんですかね」

崔「それとやっぱり日本と北朝鮮との国際的な状態の変化なりと言うのも微妙に影響しているだろうね。社会が持つイメージが映画企画者や製作者なりに或る種の影響を及ぼしてると思うね」
望月「最終的に崔さんの所に来た時は、崔さん自身はなんかあてはあったんですか」

mochi.gif

「何人かのプロデューサーに原作読ませて、まぁ読んでる人もいたし、逆に手を上げろ、って半ば恫喝して(笑い)お前ら、やるのかやらないのかみたいな事でね。で、やっぱりやると言った会社が松竹だった訳です。「血と骨」と云ったものが所謂松竹的な物であるかどうかと言う声はあったようなんだが、企画会議の中で、一度本は書いて貰おう、シナリオ作ってその上で判断しよう、と言う事で比較的好意的に松竹が捉えてくれた訳だね。企画費が出て第一稿が上がる訳です。例の七時間バージョンなんですけどね、僕と一緒に本を作った鄭義信も一番好きな本なんですよ」
望月「企画が成立して、気に入った脚本が出来て、尚かつ数年と言う時間が掛かる訳ですよね。当然山あり谷ありだとおもうんですけれど。それからの五年間ですか?崔さんはどう言う形でこの映画を引っ張って行ったんですか」
「松竹は本書かせてくれて、結果、松竹でやらない結論が出た訳なんだな。まぁ日本映画界に横たわる風とか空気とかあったんで、結局、松竹単独ではやらない、と言う事になった。それは或る程度予測できた事ではあったんだけど、何故諦めなかったのかと言えば、・・・まぁ松竹と言う大手が離れた後でも、これはどんな形でも出来ると云う確信を持つ・・・そうなると良くした物で・・・まぁ結局、今回もプロデューサーとして関わっている松竹のプロデューサー二人が、社外企画ではあるけども協力を惜しまなかった事が一点・・・それと松竹やらないらしいよ、と言う事になると名乗りを上げてくれた人達が居た。但し、これが面白いんだけど、名乗りを上げた連中はロクでもない連中だった訳だ(笑)。大きい企画だし、在野の、インディーのプロデューサー達には大変興味深い企画だから、僕が知らない所で動き始めたりね、で、そう言った事が或る日判明したりする訳だ。勝手に自分の思い込みで動いたそういう人達が、今思えば停滞気味の企画を外から引っ張ってくれたと云う事もあったわけだよ。僕がもうひとつ諦めなかった理由のひとつは、やっぱりたけしさんだね。「やるよ。崔さんやるならやるよ」と。外の、僕が知らない所で動いていた人達にとってやっぱり、崔洋一、ビートたけしって魅力的だったんだと思う。やっぱりたけしさんが待ってくれたと云う事が持続できた大きな要因になったと思う」
望月「ビートたけしさんが居て、崔 洋一が監督であり、大ベストセラーがあって、それだけのカードがありながらなお時間を必要とする、それは高い壁があるんだと思って、それこそ、所謂構想10年って壁なのかな・・・・と。構想10年って、10年シナリオ書いてるわけでもないでしょうし、しかし10年間考え続けてるのかな、まぁ自分達だんだんスケールが小さくなってるのかな、10年間考える力を失ってるのかなと言う中で、崔洋一と云う人間が同時代でそれをやってるって云う事について秘訣なんかあったら聞きたいなと思ってます」

 

「何人かのプロデューサーに原作読ませて、まぁ読んでる人もいたし、逆に手を上げろ、って半ば恫喝して(笑い)お前ら、やるのかやらないのかみたいな事でね。で、やっぱりやると言った会社が松竹だった訳です。「血と骨」と云ったものが所謂松竹的な物であるかどうかと言う声はあったようなんだが、企画会議の中で、一度本は書いて貰おう、シナリオ作ってその上で判断しよう、と言う事で比較的好意的に松竹が捉えてくれた訳だね。企画費が出て第一稿が上がる訳です。例の七時間バージョンなんですけどね、僕と一緒に本を作った鄭義信も一番好きな本なんですよ」
望月「企画が成立して、気に入った脚本が出来て、尚かつ数年と言う時間が掛かる訳ですよね。当然山あり谷ありだとおもうんですけれど。それからの五年間ですか?崔さんはどう言う形でこの映画を引っ張って行ったんですか」
「松竹は本書かせてくれて、結果、松竹でやらない結論が出た訳なんだな。まぁ日本映画界に横たわる風とか空気とかあったんで、結局、松竹単独ではやらない、と言う事になった。それは或る程度予測できた事ではあったんだけど、何故諦めなかったのかと言えば、・・・まぁ松竹と言う大手が離れた後でも、これはどんな形でも出来ると云う確信を持つ・・・そうなると良くした物で・・・まぁ結局、今回もプロデューサーとして関わっている松竹のプロデューサー二人が、社外企画ではあるけども協力を惜しまなかった事が一点・・・それと松竹やらないらしいよ、と言う事になると名乗りを上げてくれた人達が居た。但し、これが面白いんだけど、名乗りを上げた連中はロクでもない連中だった訳だ(笑)。大きい企画だし、在野の、インディーのプロデューサー達には大変興味深い企画だから、僕が知らない所で動き始めたりね、で、そう言った事が或る日判明したりする訳だ。勝手に自分の思い込みで動いたそういう人達が、今思えば停滞気味の企画を外から引っ張ってくれたと云う事もあったわけだよ。僕がもうひとつ諦めなかった理由のひとつは、やっぱりたけしさんだね。「やるよ。崔さんやるならやるよ」と。外の、僕が知らない所で動いていた人達にとってやっぱり、崔洋一、ビートたけしって魅力的だったんだと思う。やっぱりたけしさんが待ってくれたと云う事が持続できた大きな要因になったと思う」
望月「ビートたけしさんが居て、崔 洋一が監督であり、大ベストセラーがあって、それだけのカードがありながらなお時間を必要とする、それは高い壁があるんだと思って、それこそ、所謂構想10年って壁なのかな・・・・と。構想10年って、10年シナリオ書いてるわけでもないでしょうし、しかし10年間考え続けてるのかな、まぁ自分達だんだんスケールが小さくなってるのかな、10年間考える力を失ってるのかなと言う中で、崔洋一と云う人間が同時代でそれをやってるって云う事について秘訣なんかあったら聞きたいなと思ってます」

「うん、それはありがたい受け取り方してくれてるかな。何か混乱を起こす国ってさ、大抵、いろんな人間が寄り集まっている所なんですよ。つまりはそれは、そこに住む人々やその子供達、そのまた子供達にとって、非常に解りやすい物語りっていうのが根底にあると思う訳だ」
望月「済州島っていうのが、例えばシシリア島と云った感じで・・・まぁ強制連行で無理矢理連れて来られたと云うよりも・・まぁ好きで来てしまったみたいな事で出来上がっているなこの本はと感じたんですけど」

「そうですね。必ずしも植民政策があって日本にいる在日朝鮮人、韓国人が強制連行の末裔であると云う考え方は、基本的にはデータからも実は間違ってて、僕らは、どうしても植民地時代があって宗主国としての日本がある、という二国間だけの問題だと捕らまえがちだけど、そうではなくて、大きな戦争や植民地って云うのは、逆流する民も当然あって、宗主国と呼ばれる所の根っ子もまた掘られていく・・・、そしてそこでも人々は生きて行くってところであると云う事です。つまりこの物語はニューヨークの話であっても、ロンドンの話であってもおかしくない。パリであってもベルリンであってもおかしくない物語であるわけだ。人類っていうのは中々大きな過ちを犯すわけで、しかし学習しない。そして時代が繰り返す中で、やはり人々は生きる為に生きてるって事がある。それが物語として普遍性を持てればそれは世界の観客は笑い、涙し、手に汗握り、血をたぎらす事が起こりうる、それが可能なのは僕はやはり映画だと思ってる訳なんです。映画を作る誰もが、そこにこだわる必要はないんだろうけど、今回で言えば、僕もたけしさんも鄭義信もそこにこだわったって事かな。まぁ頭のおかしいオッサンと、そのオッサンの周りでおもしろおかしく、つらく悲しく生きて、そして死んで行く話なんだけれども、今の朝鮮半島に対する厳しい眼差しがある時に、まぁ少なくともその事に関りを持つ映画だから、僕は、それはビビッドないいタイミングである訳だ。望月さんが指摘してくれたように、これはやっぱりアイリッシュが辿った道かもしれないし、イタリア移民、あるいは中国福健省の人々が、ブラジル移民が、体験した事だろうし、世界はそういう体験をして来た血族の真に末裔達で溢れている訳であるから、「知ってる、じいさんばあさんはそんな体験をしたらしいよ。俺はその孫だ、私はその孫よ」とそう云う事で観て貰えるのが一番だと思ってる。本当に身勝手で頭のおかしいオッサンの物語だけれども、なんか魅力的な・・・近寄りたくはないけれど、見る分にはおもしろいなぁと、そんな感覚でこの映画に近づいてくれれば観客は割とすんなりこの映画入っていけるんじゃないかと思います。・・・まぁ長屋物語だよ。マーチン・スコセッシの「ギャング・オブ・ニューヨーク」という大作があるわけだけれど、しかしその前に、彼は「ミーン・ストリート」なんていう、イタリア移民のいとこ同士の恋のさやあてであったり、ひとつの嫉妬であったり、・・・本当に家族間の小さな事をテーマにした映画が、俺は正直好きだという事が、「レイジング・ブル」に俺は真実を見たと云う事があるわけなんですよ、そう云った先に「血と骨」があるって事なのかなと思ってる部分もあります」

・ ・・たっぷり一時間半の取材、酒も飲まずに、本当お腹、胸、頭、いっぱいになりました。日毎の映画の悩みも聞いて貰ったし、なんだか、元気な感じで皆さん、「血と骨」を待とうじゃありませんか・・・って事で。
取材担当 日笠 宣子
文章 望月 六郎