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日本映画監督協会 会員名鑑

作品インタビュー

兼子

渋谷 昶子監督インタビュー
ドキュメンタリー『兼子』について聞く


(取材:日笠 宣子)

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柳 兼子 1982(明治25年)~1984(昭和59年)


〈アルトの声楽家として18歳から87歳まで演奏活動を続け、92歳、死の2ヶ月前まで後進の指導にあたった柳 兼子。明治・大正・昭和を生きた彼女の音楽活動そのものが「わが国の生きた音楽史」ともいわれています。また兼子は夫、柳宗悦の白樺派の文化活動、民芸運動にも妻として、声楽家として協力、経済的にも大きく貢献しました。そして、母として、3人の子供たちの養育にも力をそそぎました。兼子を敬愛する人々20人の、インタビューによって描き出されるのは、激動の時代を生きた一人の女性の心の軌跡です。兼子晩年の演奏は、日本歌曲の詩歌に込められた、日本の美しい言葉の復権です。兼子は言っています。「芸術は心である」とー。 -『兼子』チラシよりー〉
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渋谷 昶子32・3・8生  旧満州大連
中央大学法学部中退。
54独立プロ製作のスクリプターとして、五所 平之助、山本 薩夫、今井 正の作品につく。
61企画、脚本、演出の仕事を始める。 64(記)「挑戦」は、カンヌ国際映画祭短篇部門でグランプリ受賞。NHK、民放のドキュメンタリー番組。企業、自治体のPRなど。96自主映画「鏡のない家に光あふれ」完成。

"「兼子」の企画の発端はどういう事からだったんですか?"
渋谷:それはね、私、柳 兼子の事は全然知らなかったのね。この人の夫の柳宗悦っていう人は民芸運動などで知っていたし、日本民芸館にも2度ぐらい行った事があるし、大変難しいけれど本も読んだ事がある・・・。(私たち一般的にソウエツ、ソウエツって言ってるけど、あれはムネヨシと読むらしいのよね)でもそのご夫人がまさかアルトの歌手でこういう方だとはまったく知らなかったの。

<佐藤 隆司さんとの出会い=兼子との出会い=>


渋谷:で、たまたまある所で佐藤 隆司さんという人に出会う訳です。そしたらその方は兼子が80代、ご自分が50代の時に兼子に出会われて、それ以来その人柄と歌に心酔して、兼子が生きている間の10年間通いつめてインタビューをして、兼子が亡くなってから今年でちょうど20年目なんだけど、回したテープをもとにいつか形にしたいってず~っと30年間思い続けてきたんですよ。私はたまたま紹介されて、女の監督だって事で女性だから何かやってもらえるんじゃないかって・・・。向こうは逆にすごく軽率だと思うんだけどサ。(笑い)兎に角、その時は名刺交換をして、そしたら「一週間後にお会いしましょう」って事になって。1週間後にお目にかかったらカビ臭い風呂敷包みにいっぱいの資料とテープをまずお持ちになって、「まだまだあります」って言ってらっしゃったけれど、そこでお話を聞いてはじめて私は兼子さんという人に出会う訳ですよ。「兼子さんが非常に美しい日本語を歌う人だし、話す人だし、しゃきしゃきの江戸っ子だし、今日言葉が非常に乱れているから自分としては何かの形で残したい、あなたに出会ったから映像にして欲しい」って佐藤さんが言われたのがそもそもの発端だったんです。それについては「対象を小学生にして、出来たものを小学生たちに無料で配って日本語の美しさを伝えたいんだ」っておっしゃる訳よ。その時は「はい、分かりました」って聞いて、帰ってから風呂敷包みの中の資料を読んだり聞いたりしたんだけど、まぁ30年にわたって集めたものだからカビの匂いもするけれど、すごく面白い資料がたくさん入っていて、1ヶ月かかったかな?全部目を通させていただいたの。そして初めて深く兼子さんと知り合うのだけれども、それで何て言うか、大人に見せる普遍的なものだって分ったのね。後年の兼子さんの活躍って大変なものなので、そこにスポットを当てて、小学生というよりも一般の普遍的な方たちを対象にした映像を撮った方が良いって考えて、改めて企画・原案の佐藤さんにお会いして「私はこういう風に思いますけれど」って言ったら、「もう、後は全部あなたにお任せです」っておっしゃるの。それが一昨年の3月9日。その時から、他の仕事をする合間に芸大の図書館に行ったり音楽資料館に行ったり民芸館に行ったりしてその他の資料をあたりながらその年は過ぎていって、去年の5月にようやく第一稿が出来て、それじゃやりましょうって事になったんだけど、まぁ発端というのはあるキッカケでまったく知らない佐藤さんという人を紹介されたことですね。
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"佐藤さんってどういう方なんですか?"
渋谷
:稼業はタクシー会社の社長さんなんだけど、肩書きは李朝研究家であるとか奈良の土塀をずーっと追って撮ってその写真集を出したり、ワグナーのレコードを3000枚持っているとか、兎に角ね、ある意味の文化人ね。なりわいはタクシーの会社を経営しているんだけど自分の生き方ってのはそういう風なところに専念しているというような人。で、「僕が兼子さんの為に貯めておいたお金があるからそれを使ってくれ」って話で、私は今回まったくお金の苦労は何もしてないの。
"その人が全部出してくれた!"
渋谷:ぜ~んぶ出してくれたの。
"素晴らしい!!"
渋谷:信じられないでしょう?だけど日本にもそういう人が居て当然なのよ、本当は。このタクシー会社にいくら資産があるか知らないけど、それ程大金持ちじゃないと思うの。だけどこういう風に一人の人に心酔して何とか形にしたいと思って、コツコツかどうか知らないけれど「自分のお小遣いを貯めてあるから使って下さい」っていうそういう心根、凄いじゃない?

"凄いですねぇ。外国じゃ財をなしたら芸術家のパトロンになるとかってあるけれど。"

渋谷:ね~え。財団じゃなく会社じゃなくって個人が・・・って事も多いですけれどもね。本当に希有な存在ですよ。だから斎藤 百合の時はあんなに苦労したけれど今回はお金の苦労だけはぜ~んぜんしなかった。(1996年に視覚障害者の斎藤 百合を題材にした「鏡のない家に光あふれ」を、文化庁の助成と醵金により制作した。)
"撮影日数はどの位?"
渋谷:インタビューするのに相手の都合もあったり、アポイントとるのも大変だったりしたけど、実質で云えば資料撮影も全部入れて1ヶ月。だけど自由にやってくれって云われればなお難しくなるのよね。自由ってのは逆に難しいもんでしたね。(笑い)佐藤さんの兼子さんに対する思いは具体的に映像イメージではどんな風なものか、それが分かるまでがね。私たちが話していると映像はこんなのが良いとか何とか具体的に出て来るけど素人の人からは話していてもなかなか映像イメージは出て来ないですよね。佐藤さんの兼子に対する映像イメージがどんなものか、あるやなしやって事で、それを探り当てるまでが大変な作業でしたね。でもきちっと持ってらしたのよね。どうしても歌を中心にした映像ってことで、歌を中心にした映像って云ってもなぁ、なんて思って。

〈兼子の晩年を中心に〉


もうひとつは、晩年、70歳以降にしようって決めたの。というのはそこから花咲くんですよね。70歳って宗悦が死んでからなの。面白いね、女性っていうのは殆どの人がご主人より長生きするし、その後から花開いていくのよねぇ、のびのびしちゃうんだねぇ、それが不思議ですよね。
"一個の人間として生きはじめる・・・"
渋谷:そうそう。人間として、束縛から離れてね。60歳の歌も残ってたんですよ、映像はないのだけれど。
"歌はいっぱい残ってた訳ですか?"
渋谷:この方は人におもねる事が好きじゃなくってレコードなんか余り録らなかったのね。70歳から録音するようになったんだけど60歳の頃の歌があったんですよ。でも70代後半の方が断然良いの、素人の私が聞いても。ただキレイに歌っているってのはあるのだけど味わいがない、深みがない。それは表現として歳をとったら呼吸が続かないとかいろいろあっても、つなぐ方法をまた工夫してらっしゃるのよね、後年はね。あぁこれはやっぱり70歳からにして良かったという風に思いましたね。

〈伝記映画にはしたくない〉


渋谷:それからもうひとつはやっぱり伝記映画にしない方が良いんじゃないかって。伝記映画って本を読んでもらったら分るし、そういうものが出てる訳だから。家族を中心にして伝記でない兼子の全貌をどうやったら描けるかっていう事で、まぁそれはインタビューの中でそれぞれの立場の方が兼子を語って下さった事で全部言い切れていくんじゃないかって、そんな事でインタビューの方を選択したの。
"お話をされている兼子自身の声がありましたよね、あんなのがあって良かったですよね"
渋谷:あれは佐藤さんがずっと通って、兼子先生が80代のお元気な時にとにかくお話を聞いてらっしゃったのがもう沢山あったんですよ。
"佐藤さん一人で取材をなさっていたんですか?"

渋谷:佐藤さんともう一人、山之内長蔵さんという骨董屋さん、その方も文化人なんですよね。インタビューの内容を聞いてると大変学識がある人。その方がお亡くなりになってこれからどうするかって事で佐藤さん自身が一頓挫していて、それから2年経って私が会うんだけど、自分の中でやりたくてやりたくて仕様がない事がちょうど出会って、そういう出会いがあったのが3月9日。偶然なんだけどヤマハホールの完成試写会も3月9日。ちょうど2年目でね。それに今年が亡くなって20年目、何か縁があるなぁ、なんて・・・。
"あの大量の資料をどうやって集めたのかなって思ったんですが、渋谷さんの手に渡る前にその佐藤さんが沢山集めてらっしゃったんですね"
渋谷:そうなの。もうひとつは私自身の方法論として音楽資料館というのが狸穴にあってそこに1ヶ月ぐらい通った。マスコミにのった資料が全部あるの、兼子文庫ってとても良くまとまっているんです。それともうひとつは芸大の付属図書館で調べたりして、それだけでは裏打ちされるものも少ないし、これ以上はいいなぁというところまでいろんな資料を集めましたね。

"色んな方のお話を聞くのにも必要ですよね"
渋谷
:そう、お話を聞く為にも自分が知ってないと聞きだせないでしょ、だからそれはやりました。

"ところでドキュメンタリーの場合の監督の仕事って劇映画の場合と随分違いますよね。まず渋谷さんはこの脚本をご自分で書かれたんですよね?"
渋谷
:ええ。私はドキュメンタリーこそ台本が要るっていう主義だから、白紙に一行を起こす時から始まるんで、必ず構成案を書いて台本を書いて取材して、ずっと今まで編集も自分でやってたのね。今度はじめて大橋富代さんという女性の編集者を起用しました。
"どうでした?"
渋谷
:私、良かったと思う。インタビューをモンタージュしていく時、自分だとのめり込んでいくでしょ?ところがそこでカットとか偉そうぶって指示出来るでしょ。客観的にまた観たいとか、引いてインタビューを観られたのが一番良かった。始めての経験でしたけど大成功だったと思います。
"脚本の場合はどうなんですかね?その客観性ってところで言うと"
渋谷
:人に書いてもらった事が私は今まで一遍もないのよね。今後もないんじゃない?人のホンでやるってこと。
"劇とはまた違いますからね"
渋谷
:劇の場合は人に書いてもらって行って来いしながらやってもいいしね。短編だけど子ども向けのドラマを撮った事があるけど、その時も自分で書いたし、一生懸命いま劇映画の脚本も暇にあかせて書いているの。もしドラマをやらせていただくとしてもやっぱり脚本から自分で書くんじゃないかと思いますね。勿論リライトしたり、いろんな人の意見をまわしてもらって聞いたり、そういう事は方法論としてあってもいいけど、ね。というのはオリジナルが多いじゃない?脚色というのは私はあんまり好きじゃないから。だけどドキュメンタリーこそ発表衝動という強いものが演出家にある訳だから、それを意図する構成案は自分で書かないと伝わらないんじゃないかと思うんですよね。
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〈「兼子」における発表衝動1〉


渋谷:私が調べて行く中で兼子を本当にやりたいと思い始めた一番の発表衝動っていうのは、兼子が「歳をとると歌えなくなるのじゃなくて歌わないんでしょ?」っていうあの一言ですね。あぁこれがテーマだなと思った。

"通じますよね、私たちにも"
渋谷
:出来ないんじゃなくって仕事をしないんでしょ?とか全部に言える事で、ビシーっと来てね。私はこの一行であぁ私のテーマにしようと思ってやった訳ね。ドキュメンタリーの演出家は特にその発表衝動が大切なんじゃないかなと思うんだけどね。それにいつも立ち返っていく作業よね。根本に、原点に返って行く作業をしながら広がってまた返ってくるまた広がって行く、そういう作業じゃないかなぁって思うの。

〈発表衝動の2〉


渋谷:私の発表衝動のもう一つは兼子が音楽学校(今の芸大)に行った時の動機がね、女性が仕事をするには例えば料理人にしても仕立て屋さんにしても絵描きにしてもみんな男性が優れている、どこで勝負をしようかっていったら女の私は声で勝負するって言った、そこですね。それと私が一番素晴らしいなって思ったのは経済的に自立しようというその自立の精神ね。自立するって事を明治の時代の人が持ったっていう事よ。明治の気風の強い下町のすごいお金持ちのお嬢さんだったんだけども、その自立の精神が素晴らしいと思ったの。それからまた柳宗悦って人は哲学者だし宗教家だし思想家だし文筆も優れているという大変な人だけど経済力はないでしょ?若い時から自分の歌で演奏会をやって彼の思想、やりたい仕事などを助けていった事は息子さんたちもみんな認めているのね。「母が居なかったらそういう偉業も成し遂げられなかった」って。それで編集してても取材してても早く柳宗悦さんをあちらの世界に行っていただいて兼子の事をやりたいと思うのだけど、なかなかあの方は死ななくってね、編集上でも大橋さんといつ殺そうかいつ死なせようかと言いながら、いやぁしつこい男だねぇって。面白かった、それは。うん、なかなか死なないのよね。
"実際には兼子が70歳頃に亡くなったんですよね"
渋谷
:兼子が68歳の時に宗悦が72歳で。でもそれで良かったのよ。美男子で女性にはもてたらしいし、もう大変だったらしいのよ。
"自立した女性だといっても彼女は肩ひじを張ってなくって柔らかいですよね。女権とか何かそういう事がなくって普通の女性・・・"
渋谷
:だから国立音大の教え子でいま国立の先生をしている佐藤公孝さんがインタビューの中で「普通のおばぁちゃんなんだ」って言ってるけど、まさしくそうよねぇ。お料理が出来てお裁縫が出来て、それですごくダイナミックというかあまり細かい事にこだわらないのびのびとした生き方のサッパリとした気性だって、物言いもはっきりしててね。
"三人の息子さんがお元気な内に作って良かったですよね"
渋谷
:お歳だし病気がちだしね、元気な時にお話を聞かないとね。ほんとあらゆる意味でワンチャンスでしたね。
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〈3つの宝物の使いどころ〉


渋谷:それともう一つ動機づけになったのはね、現存している映像・ビデオを全部調べたの。そしたら民放にはもう保存されてない。だけどNHKに83歳の時の「ハバネラ」と「早春賦」の歌と、それから岩波ホールで宗悦とお二人で話してらっしゃるのがあったの。その動いている兼子さんがあったのでこれは何とか勝負できるなって思って、その3本はいちばんいいとこに、いい場所にどこまで引きずっていけるかなと宝物を切り札にするのがちょっと面白い作業でしたね。結局、日本語をちゃんと聞いてもらいたいっていうのがもうたったひとつのことですよ。日本の歌の美しさをね。だから映像の中に歌詞を入れるんだけどカラオケのようにならないかちょっと心配だった訳よ。文字をどんな出し方にしようかってずーっと考えてた。だけど日本語の文字の強さの出し方はあるね。テロップが下から流れてくるんじゃなくて、その言葉が持っている意味の再現みたいな出し方、文字をどう出すか、それもとても面白い仕事でした。
"渋谷さんの映画の方向性として女性の生き方、女性の生きた人生を追って行こうっていうふうなことはあるのですか"
渋谷
:そういう事はなくってたまたま、ね。でも私は風景の中に人間が居ないと撮ろうとしない質で人間大好きだから、人間を中心に作ってきて、NHKのテレビでやった「北林 谷栄」さんと「斎藤 百合」さんと「兼子」とこれで三本になったね。女性三部作、はからずもそんな感じなのよね。これからもやっぱりそうなるかな?何か女性の方が共有するものがあるし分るのね。ちょっと男性とは違った面で理解できるんではないかと思うよ、やっぱり。そしてこの前ある監督に言われたけれども次男で美術史家の宗民さんがね「おやじからは影響を受けてないですよ」っていう一言で映画がパッと終わるんだけども、男性監督だったらあそこはカットするだろうって言うの。私はどんどん出していったんだけども、そういう事を言われれば成る程そうかな?って思う事があったの。それと今度ヤマハで試写会やった時の反響は男性の方が凄いのよね。泣いたとかさ、鳥肌たったとかさ、そういう感性的な反応があったの。そういう反応は全部男性だった。結局なんだろうと思ったら男性はマザー・コンプレックスを持ってるんじゃないかと・・・、完全マザコン。女の人って結構冷たく冷静に観るじゃないですか。それと男の人が描けない部分を描けるというのが特権として女性にあるんじゃないかなぁっていう風に思い始めました、最近ね。特に嫌がらなくっていいんじゃないかって思って。別に女だから女を撮るみたいなイージーな考えじゃなくって、女だからこそ見えるものを発見していったらいいと思うの。
"ナレーターの加藤 治子さんも良かったですねぇ。兼子さんの人柄にピッタリ合った声質で"
渋谷
:そう、混然として来たの、後半は。私、加藤さんでやろうと思ってちょうど「阿修羅のごとく」を演っていて加藤さんがトップシーンだけナレーションを入れていたので確認の為に2度観に行って、それで台本を送った訳ね。そしたら何と加藤さんは兼子に会ってるの。「何と言うご縁でしょう」とおっしゃって。
"えーっ。どういう関係で?"
渋谷
:彼女は文学座でしょ?荒木 道子さんたちとボイストレーニングを受けていたの。単なる会ったっていうのじゃなく指導を受けに行っていたの。ナレーション原稿と編集したビデオをロケ先まで持って行って毎日練習して下さったらしいの。だからもうね、兼子さんみたいな感じで入って下さって、とても嬉しかったっておっしゃって下さった。良かったわねー。ちょうどお歳も82~3でね。

"これは全農映の製作なんですか?"
渋谷
:お金を佐藤さんから委託されたけど私はお金って触るのも嫌なたちだから、結局これを全農映に預けて制作管理をしてもらったの。ギャラを払うのにもいろいろ源泉徴集したり支払いがいろいろあるから任せたの。
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"今回は幸いな事にお金の苦労がなかったようだけど、通常はお金を集める事から仕事が始まると思うんですけど"
渋谷
:結局いろんな組織よね、「斎藤 百合」の時なんかは。日本女子大という組織と点字図書館、それから目医者さんたちが頑張ってくれたし、民芸っていう組織があったでしょ、娘の斎藤 美和さんが民芸の幹部だったし、だから4つの組織でやったの。組織があるところは作る時もそうだけど上映する時も組織に返して行くから、自主映画の場合はまず組織化じゃないの?「斎藤百合」で学んだんだけどね。私の場合はスポンサード映画=こういう映画を作って欲しいという風に頼まれてあとは自分の意図とどう合体するか=でやる仕事がほとんどじゃない?もうひとつは自分がやりたい事を例えば「北林谷栄」さんとか「岡本文弥」さんとかを企画を立てて持ち込んで、テレビ局で作る。これはお金を心配しないで良いわよね、局の予算がある訳だから。完全に頼まれるものと企画をたてて売り込んで先方の予算でやる事と自主映画と、この3つですよね、フリーでやっていくためには。でもボーダーラインすれすれだけどこうやってまだフリーで生きてられるのは幸せな方かもしれないですよね。やっぱりひとつの作品が動くとまた次に動いてくるからね。動いてないとダメじゃないですかね。やっぱり人間関係もあるし。いつも感性を研ぎすましていて自分のエネルギーを高度な感情に持って行っていると何かこうそれが具体的になっていく方法を見つけられるよね。ずーっと思ってるとそういう切り口が向こうから寄ってくるしね。とにかく思ってると何とか成るんじゃないかなという脳天気な楽天的な考え方なんだけどね。

"有難うございました。ところでこの作品を一般の方が観るにはどうすれば良いでしょうか?"
渋谷
:VHSとDVDと16mmのフィルムを作りました。16mmは貸し出し用で一律5万円。VHSとDVDは5000円で販売してます。
【取扱い 兼子制作委員会事務局(全農映)】
 東京都千代田区内神田1-2-6産広美工ビル
 TEL 03-5281-8781 FAX 03-5281-8780
 -現在決まっている7月以降の上映スケジュールー
※ 7月24日(土)午後6時~7時半。
 日本民芸館 目黒区駒場4-3-33
 TEL 3467-4527
※ 7月9日(金) 午後6時30分~
 あがたの森文化会館
問い合せ先 松本民芸館
 TEL 080-1007-6840
※ 9月10日(金) あいち国際女性映画祭