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日本映画監督協会 会員名鑑

作品インタビュー

草の乱

映画好きではなかった記   神山 征二郎

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 日本映画の隆盛期というか全盛の時代に少青年期を送っていたことになるが、なにしろ岐阜の片田舎の一学年一学級という寒村に生まれ育ったから無論映画館は存在せず、巡回映画を鎮守の杜の屋外の風でたなびくスクリーンでチャンバラ映画のみをたまに観る程度だったので、映画少年などとは縁遠い子供であった。大勢で主役を前後左右にとり囲みながら、どうしてやっつけられないのだろうか、と思いつつ、あまり面白くないので布製のスクリーンの裏側に廻ってのぞいたりしていたものだ。
 反面、もっと粗末な中身に違いなかったが旅の一座の村芝居が好きでたまらず、一座について行こうか、と夢想したことがあったほどである。ライブの強さということかもしれなかった。
 やがて中学生となり、となりの小さな町の映画館(いつもはやっていた)に出入りできるようになり、チャンバラ映画以外のものを観るようになった。
 木下恵介監督の「野菊の如き君なりき」を観た。色気づく頃でもあったからその初恋の物語は痛切で今もいくつもの名場面は脳裏の内に残っている。
「映画っていいものなんだ」 とはじめてその時思ったように記憶している。民という年頃を迎えた少女の正雄という少年を想う心がそくそくと伝わってきた。正月か盆の興行で田舎の小屋も超満員で、立ち見でスクリーンは上三分の二しか見えないという有様だったが、そんな苦痛も忘れ去って映画の中にひきこまれていたような気がする。
 しかし、その時はまだ映画監督の道などは夢にだに考えてはいなかった。
 米のみを耕作して何百年という、根っからの百姓の子弟、その次男坊だったから、もとより家督は継げず、高校三年、六十年安保の前年を迎え、将来の進路を少しは考えなくてはならないという時に父親が持っていた株主優待券で岐阜柳ヶ瀬の満映という大映の専属館で市川崑監督の「野火」を観た。ラストシーンは戦う意志を捨てた兵士(船越英二)がホールドアップして、ふらふらと、生ける屍のように降伏するうしろ姿だった。これを観終わった時、映画に足を踏み出したのではないかと思う。
 また、なんといっても景気絶頂の映画界だったから、リクルートの先として、悪くはないかもという下心もあった。が四年間大学をブラついている間に、日本映画界は経営的に急降下し、新規採用の門戸は極めてせまくなった。路頭に迷ったが、新藤兼人・吉村公三郎監督らの独立プロの草分け、近代映画協会に拾われた事が私の映画道の第一歩となった。
 仕上がったばかりの「草の乱」(今秋の公開)が私の第二十四作目である。
画好きではなかった記   神山 征二郎