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特集

日本映画監督協会 会員名鑑

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伊藤審査委員長レポート

二十四時間の情事(映画との)、
YAMAGATA MON AMOUR

    伊藤俊也

 

山形の酒はうまい。私のように酒が好きでありながら、強くない者にとって、翌日のノルマに備えるためには、かなりの自制が必要であった。
我が日本映画監督協会賞の対象作品は、インターナショナル・コンペティション部門15作品、アジア千波万波部門25作品、ニュー・ドックス・ジャパン部門のうち8作品、合計48作品。気の遠くなる数字だった。
私は、本当は、前回(2009年)にこそ来たかった。監督協会が本腰で山形国際ドキュメンタリー映画祭に関わったこの年に、国際委員会はもとより、著作権委員会、広報委員会、いや理事会挙げての努力によって、「映画監督って何だ!」の上映とシンポジウムが実現していたからである。当然、私は参加の要請を受けていた。私自身、最前線の教宣活動ができるよい機会であり、行きたくもあったし、協会員としての義務でもあると考えていた。だが、私は新作「ロストクライム 閃光」の準備に入っていて、抜けられなかった。その負い目もあり、今回声が掛かった時には、一も二もなく引き受けたのだったが。
審査員でなく来られたら、どんなによかったろう。最初の晩の酒をいささか飲みすぎていた頃の私は、つくづくそう思っていた。だが、他の四人の審査員と朝食時のミーティングを重ねるうちに、審査員として映画を見、それを論じることが楽しくなってきた。映画を何本も見ることの張り合いも出てきた。
振り返れば、山形では映画祭の日程に限りがあるので、それ以前にせめて東京で10本ぐらいは見ておきたかった。上映会で再度見る必要があるにしても、最初の篩はDVDで事足れりと考えていた。ところが、結果としては、その思惑は外れ、試写室で見ることができたのが2本、映画館で1本。映画祭事務局から、山形でのスクリーニング以前にDVDの貸し出しはしないと言われれば、その正論に対抗する術はない。こうして、未見の映画を5人の審査員に振り分け、それぞれの審査員が手分けして見て、篩にかけ、皆で見るべき価値があるものは差し戻す、という方法に依ることとした。時には、複数の審査員が同じ映画を見ることもあった。段々、勘が働いてくるものである。こうなると、朝食時のミーティングで、焦点も定まってくる。
一日に7本見た日は、さすがにくたばった。もちろん、長短あるので、必ずしも本数が決め手ではない。そう思ったので、因みに、7本の上映時間を合計してみた。6時間12分。むしろ、5本見た時の方が、6時間47分と長かった。五日間で、トータル24時間余り。見続けていると、次第に嗜虐的になって、本数の多さを誇りたくなると、別に言いたいわけではない。見落としては、作品に対して申し訳ない、という日本人気質というか、貧乏根性というべきか、そんな気分が湧いてくるものだ。
 いずれにせよ、対象作品をどう絞るかというのは、今後の課題になろう。審査員を上映館に縛り付けるより、もう少し解放して、折角の世界各地からの賓客と交流させる有益さ。しかし、それもまた、その監督たちの作品を見た上でのこととすれば、自己撞着となる。
今回は、私たちはほとんど山形に行くことだけが求められていて、詳細なスケジュールにしろ、作品や監督紹介などの記事は、現地に入ってから知ったわけだが、今後はそれらを先んじて受けることで、作戦計画ももう少し緻密に立てることができるだろう。
 ともかく、私たち五人は、<来た、見た、決めた!>のである。そして、日本映画監督協会賞にふさわしい作品としてインドネシアのダニエル・ルディ・ハリヤント監督作品「監獄と楽園」を見出した時、私たち五人の感覚は共通して、<来た、見た、勝った!>なのであった。オーバーな表現に、カエサルも笑っていようが。
 授賞式当日、ハリヤント監督は、すでに日本を後にしていた。その日、彼は「監獄と楽園」が題材とし追求した2002年10月12日のバリ島爆弾テロ事件の10周年の追悼の催しとして、この映画の上映に立ち会っていたのである。受賞者はいなかったが、まさに劇的な受賞の形ではあった。
 だが、そのことは、私たちに一つの課題を強いている。それは、彼を再び日本の地にいざない、彼と共にその受賞を祝い、そして彼の映画を共に体験する場を設ける必要があるからだ。それは、理事会をはじめ国際委員会に音頭を取ってもらわなければならないが、審査員としての私もその責務の一端を担っていかなければと思っている。