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東日本大震災被災地視察報告----茅場和興

東日本大震災被災地視察報告

茅場和興

日本映像職能連合(以下:映職連)では、東日本大震災からの復興のため、被災者支援事業に乗り出す事になりました。その一環として、5月18日から20日まで被災地の視察を行いました。メンバーは美術監督協会の福澤勝広氏、照明協会の土山正人氏、そして私の3名。以下、その報告です。

 

×   ×   ×   ×

 

●まず、大まかな行程からをお伝えします。
①日目(5月18日)
新幹線で仙台入→タクシーで視察(仙台市街・石巻市・名取市・亘理町・山元町)→新幹線で盛岡入/盛岡のホテル泊
②日目(5月19日)
レンタカーで視察(宮古市街・宮古市赤前地区・山田町・宮古市田老地区)/盛岡のホテル泊
③日目(5月20日)
タクシーで視察(釜石市・大船渡市・陸前高田市)→一ノ関から新幹線で帰京

 

●5月18日。宮城県石巻市を一望する日和山公園。

「......こんな、......マジかよ......」

眼下に広がる2km四方の海沿いの土地。そこには捻じ曲がった鉄骨の残骸と粉々に砕けた木材、おびただしいプラスティック片、グシャグシャにひしゃげた自動車のスクラップが、数え切れない瓦礫の丘となって聳えていました。パワーショベル等の唸りが異様な腐敗臭を運んできます。見渡す限り褐色と錆び色の土壌。圧倒的なエネルギーと膨大な量の海水が、あらゆる物を叩き、潰し、捻り、千切り、粉砕し、引き倒して去った痕でした。

 

0518isimaki02.jpgそこから南下して福島県との県境に近い山元町の視察に向かう車中。仙台空港を過ぎた辺りから景色の異常に気がつきました。沿岸から3kmほど内陸側、仙台平野を縦貫する常磐自動車道。それを境に沿岸側と内陸側の色彩が違うのです。沿岸側は、建造物のほぼ全てが流出。本来ならば田植えシーズン真っ盛りの田んぼ。なのに、そこには人っ子一人見当たらず、汚泥を被って一面褐色。一方、山側は、ほとんどの民家が無傷。人々が行き交い、樹木や屋根が夕陽を受けて豊かな色彩を放っていました。高速道路が防潮堤となって街の東西の明暗を分けたのでした。聞けば、沿岸側内陸側どちらの住民も余震を警戒し、避難所に身を寄せているとの事。しかし、家や財産全てを失った方と、帰る家もあり家財道具も無事な方との間に、微妙な距離感が生じている......。

 

 

0518isimaki03.jpg東京の会議室で、被災地全域を十把一絡げに議論していた私の不明さを思い知らされました。支援活動は、各地域のニーズに合わせたキメ細かい個別の対応が必要です。

 

●19日。岩手県、リアス式海岸線の中央に位置する山田町。

0519yamada01.jpg伊豆の下田をうんとコンパクトにした印象の町です。ところが......。瓦礫があちこちで黒く焦げています。地震直後、火災が発生した証でした。

火災現場から100mほど海寄りに、朽ちた消防車がポツンと放置されています。火災現場に到着する前に津波に呑まれたのでしょうか。そしてもう1点。海から200mほど内陸寄り。糸ハンダのようにグニャグニャに曲がった鉄道のレールを見つけました。レールのごとき鋼が、水の力でこれほどまでに湾曲するものなのでしょうか? 我が目を疑いました。さらにレールを追うと......。焦げて、破壊された駅舎がありました。

0519yamada02.jpg 0519yamada03.jpg 0519yamada04.jpg陸中山田駅。まるで戦争映画。爆撃された地方都市のオープンセット。仕事では、作り物のセットを如何に本物っぽく見せるか? に腐心します。しかし陸中山田駅前は、例えば戦争という私には未知の世界に、現実の方からが近づいてきた、そんな感覚でした。揺さぶられ、炙られ、水に掻き乱された町は、復旧がほとんど進んでおらず、震災の爪痕を生々しく残しながら、時間だけが過ぎていました。

 

 

0519yamada05.jpg続いて、海岸線を30km北上して宮古市の田老地区を訪れました。巨大な防潮堤が中学校の地図帳にも掲載される程、津波への備えは万全だったはず。事実、防潮堤の礎には『過去の度重なる津波で被災したこの地区を守るためにこの堤は築かれた。これで住民は津波の脅威からは開放されるであろう......』云々と記されていました。しかし、町自慢、自信作の楯は全く無力で、町は木っ端微塵に粉砕されていました。

 

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0519taro02.jpg 0519taro03.jpgところで、防潮堤には鋼鉄の水門が設けられていました。地震直後、消防団員が手動で水門を閉鎖中でした。その最中に津波が押し寄せたのです。彼らは自分達の住処を、家族を守るため、水門の閉鎖を続けたそうです。迫り来る津波を目前にして、数分後には命を失う事を自覚していたでしょう。完全に閉じるには至らず半開きの水門を目にして思いました。復興とは、原状復帰だけでなく、例えば一地区だけでも、被災した状況をそのまま保存して、未来への警鐘とする事も視野に入れるべきではないでしょうか? と。

 

 

 

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●20日。岩手県南部の陸前高田市。

0520takada01.jpg海岸に沿っておよそ8km奥行き2kmの面積がビル4階分の高さまで水没したケタ外れの大津波。猛烈な引き波があらゆる物を一切合財海へ引き摺り込んで、他の被災現場で目にするような、地面を多い尽くす瓦礫さえもあまり残っていません。陸奥屈指の風光明媚な海浜都市は一瞬にして不毛の砂漠と化していました。

 

 

 

 

 

 

0520takada02.jpg 0520takada03.jpg今回、岩手県中央部から宮城県最南部までの津波被災地を視察しました。新聞やテレビで報じられている所だけでなく、太平洋沿岸およそ500kmに及ぶ全ての集落が津波で破壊されたという被災の規模を実感しました。

 

●被災者の皆さんは、これからどうやって生活を立て直すのか? いつ暮らしが普通に戻るのか? そういった課題と悩みを抱えています。避難所のリーダー曰く、「動ける者は瓦礫撤去や職探しで気が紛れます。しかし、避難所や仮設住宅は津波を避けて高台に設けられています。お年寄りは坂が辛い。だから避難所から一歩も出ようとしません。テレビの台数も少なく、やる事もありません。せめて何か楽しみがあれば......」

 

●そうした中で、被災地で映画の無料巡回上映を行っている2つの団体も視察しました。お年寄りには『男はつらいよ 柴又より愛を込めて(松島ロケ作品)』子ども達には『トイ・ストーリー3』が上映されました。場所は避難所になっている小学校の一室。通常の映画館より、明らかに濃いリアクション。とても楽しんでいただけて、映画界の末席を汚す者としても晴れがましく誇らしく感じました。

トイ・ストーリー3の上映を行った団体は三陸沿岸部唯一の映画館。震災後2週間で興行を再開し、同時に映画館に来られない方のために無料巡回上映を始めたとの事。スタッフは全て地元のボランティア、経費は持ち出しです。本業の健闘ぶりも気になって覗いてみると、85席と62席ある2つの劇場に、お客様はたった2人。それでも、無料巡回上映を続けているのです。

 

●また、仙台市内の撮影スタジオでは、人的、設備的な被害はほとんど無かったものの、震災後の自粛ムードで仕事が激減していると訴えていました。 110804a.jpg盛岡のフィルムコミッションも同様でした。視察前、私達は被災地入りする事が復興の邪魔や被災者の皆さんの迷惑になるのではないか、との躊躇いがありました。しかし逆でした。私達は歓迎されたのです。被災地の映画関係者は一様に「良く来てくれました、震災の傷跡を是非見て行ってください」と言うのです。「沿岸部以外は平常です。各地から被災県を訪れ、ロケハンや撮影で宿泊費や飲食費を落としてください。それも大いなる復興の一部です」と。

 

 

 

 

 

 

 

110504b.jpg●私達の仲間も被災しました。仙台在住の協会員、大平伸一監督。自宅が地震の被害を受けました。生業としていた作り物系の仕事も失いました。今は門外漢のテレビの記者として、被災地での取材で活躍しています。被災現場を駆け回る自家用車は傷みがち。瓦礫を踏んで週に1度はパンクするのが悩みの種との事。大平監督は、「生活のため止むを得ず始めた報道の仕事ですが、運命と思って復興を見届けます」と爽やかに語ってくれました。私達の仲間の支援こそ、第一番に着手しなければいけない事かも知れません。

 

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映職連では震災復興支援事業の第一弾として、避難所等を純開始、映画の無料上映(一部有料)に取り組みます。被災者の皆さんに束の間でも辛さを忘れていただければ、楽しんでいただければ......、そう願います。
正式名称は『東日本映画上映協議会(通称:シネマエール東北)』。http://www.cinema-yell-tohoku.com/主催はコミュニティシネマセンターとジャパンフィルムコミッション、そして映職連。日本映画監督協会崔洋一理事長が、当協議会の副代表を務めています。事業は来年3月31日迄。逐次、監督協会ホームページでもご報告します。各関連団体と共同のボランティア活動が建前です。目下、人手不足に悩んでいます。協力、参加の申し出、ご質問等は監督協会事務局まで。

カツドウ屋の心意気で、ニッポンに元気を取り戻そうではありませんか! そしていつしか、映画館で被災者の皆さんと再会できる日を願って。