今春から、映画を教える立場になった。職人の集まりである映画界で、先生なんかになったらおしまいよ、などと揶揄されたのも今は昔。我が監督協会でも右を見ても左を見ても先生ばかりである。先生になることの是非はひとまず置き、改めて考えた。そもそも、映画を教えるってどういうことなのだろう。言い換えれば、私(あなた)は、いつどこで、どのようにして映画を教わったのだろう。そんな疑問を、二回にわたりさまざまなゲストにぶつけてみることにした。独断と偏見のメンバーによる座談会。題して『映画を学ぶ/映画を教える』。初回は『映画を学ぶ』をテーマに、若松プロ出身のガイラさん、高橋プロ出身の水谷俊之さん、そして、石井聰亙さんの第一の弟子を自任する緒方明さんというお三方に、自分はどこで映画を学んだと言えるのか、縦横無尽に語っていただいた。(構成/山本起也 撮影/瀧本智行)
1/マチバの演出部
山本:最近、明らかに「映画学校バブル」と言える状況がありますよね。僕のような半端者にも声がかかるくらいですから。正直、それは有難いことではあるんですが、受け皿もちゃんとできてないのにそんな映画学校ばっかりできちゃって大丈夫なのかな、と反面複雑だったりするわけです。今、高橋伴明さんと同じ学校なんですが、先日伴明さんが、「こないだの現場についた助監督が誰も編集に来ねぇんだよ」というような話をチラッとされて。僕もちょっと耳が痛かったもんですから、「じゃ、伴明さんの頃の助監督は違ったんですか?」って聞いたあたりから、そもそも映画を教えたり学んだりすることってどういうことなんだろう、という僕自身の興味が膨らみまして。助監督システムの中で先輩から後輩へ映画が伝えられる仕組みというのが、今よりはもうちょっと強固な形で、ある時代まではあったのではないかな、と思ったんです。僕らからすると少し上の世代で、僕らの知らない時代の空気を知ってらっしゃる方たちで座談をしていただいて、是非話を聞いてみたいなと思ったんですね。
水谷:でもあれですよね、そういう意味では極めて異端の三人が(笑)集まっていますね。
緒方:まあ、撮影所以降の世代の映画屋ということですよね。我々は。撮影所で学んできたっていう最後の世代は日活ですよね。
水谷:多分、撮影所でそういうシステムが受け継がれていた、っていうのは、相米さんとかの世代まで遡っちゃうのかもしれないですよね。俺らが入った時は、見回すと撮影所のシステムがすでに崩壊していて、そこから我々はやってるっていう感じでしたよね。
緒方:「マチバ」という言葉が出てきたのは、いつ頃なんですか。僕らの時代はよく「俺たちマチバの演出部は...」って言い方よくしましたよね。(注/町場、つまり撮影所の外の世界という意味)
水谷:そうそう。割ともう、会社で人の面倒見る余裕がないから。独立プロではまだ走れてるところはいくつかあって。そこでやってた人達が今日、この座談に集まってるって感じじゃないですかね。
緒方:ガイラさんは、自分から若松さんのところ訪ねたんですか?
ガイラ:つられたんだ。足立さん(注/足立正生 映画監督)と沖島さん(注/沖島勲 映画監督)に。当時はまだ学生だったんだよ。新宿のジャズ喫茶でジャズ聴いてる時に、足立ちゃんと沖島さんと知り合いになって。あの、スチルのアルバイトあるんだけど来ない?って言われて連れて行かれてそのまま監禁状態(笑)。皆、同級生か同窓生なんだよな。日芸の。
緒方:ガイラさんも日大芸術学部?
ガイラ:日芸だよ。俺はバッヂをつけてたんだな。カーディガンかなんかに。「君、後輩だね」って言われて、そうですか、って。新宿でごちそうになって、調子こいてたら、アルバイトしない?っ
て言われて行ったのが若松プロ。緒方:最初は何のパートだったんですか?
ガイラ:スチルと制作の手伝い。
緒方:スチルだけでは許してくれないわけか(笑)
ガイラ:で、ギャラもらうと、ドボンがオイチョカブかなんかやってみんな取られて(笑)。取られた上に、500円ぐらい前借りさせられて(笑)。次もやれよ、て渡されるわけ。
山本:作品でいうと、若松さんのどのあたりですか?
ガイラ:『壁の中』(注/『壁の中の秘事』1965年作品)の後だから『日本暴行暗黒史』(注/『日本暗黒暴行史 異常者の血)1967年作品)ていうのと、あと『人間蒸発』じゃなかったかな。
緒方:え?今村昌平さんの...?
ガイラ:違う。パクリのタイトルがあったんだよ。『蒸発人間』かな?(笑)(注/『性の放浪』1967年作品の原題と思われれる)
緒方:それは全部ピンク映画のくくりでいいんですよね?
ガイラ:そうそう。二本撮り。俺はその頃ヒッピーだったから、髪は伸ばし放題だったのね。ある日の朝、お前、ちょっと床屋いってこい、って言われて、坊主になってこいって言われて。そしたら、やおら日本刀持たされて、脱獄囚の役やらされた(笑)。うしろにいるのはコストパフォーマンスの高いおっさん(若松さん)だから、スチルだけじゃもったいない、って思ったんじゃない? それで、制作やらされたりとか、メーター測れるんだったら撮影助手やれとか、字書けるんだろ? ええ書けますよ、じゃホン書け、とかね(笑)。
緒方:まさに学校ですね、正しく。映画の(笑)。
2/炊飯器と風呂と飲み代と
ガイラ:二日に一回ぐらいしか家に帰らないで、本当に入り浸ってたね。若松組に。同じ釜の飯を食うっていう徒弟制みたいなところがあったから。要するに、何も教えないぞ、と。盗むんだったら、盗め、と。そういう感じだったね。でも映画を志して入ったわけじゃなかったから。下手な例えなんだけど、エッフェル塔の嫌いな人は、毎日エッフェル塔の下にお昼食いに来る。何でここに来るの?って聞くと、ここに来るとエッフェル塔が見えないから、っていうさ。何で映画やってんの? って言われたら、それと同じ。日本の映画業界の弾かれた側にいたじゃない? 農林高校中退して監督してるようなおっさんがやってたから(笑)、だから、自分の中にもコンプレックスがあったんだろうね。
緒方:いわゆるメジャーの映画に、っていうことですかね。
ガイラ:うん。それと自分がやっぱりロジカルな人間じゃないから、新宿で大島チームと飲んだりすると、こてんぱんにねじ伏せられるわけじゃない?だから、最後はもう、「バーカ」ってペンで書いてったけどさ。
山本:大島さんのところもあったんですね。
緒方:若松プロのほかには大島さんところ(注/大島渚監督の「創造社」)、あと篠田さん(注/篠田正浩監督の「表現社」)とかが撮影所とは違う映画の作り方を模索していた。
ガイラ:ATGがあったからね。あそこにやっぱり自己表現の開放の場所があったから。そうしてみると葛井さん(注/葛井欣士郎 ATGプロデューサー 若松孝二監督作品では『天使の恍惚』1972年などをプロデュース)も偉いところがあったんだね。
山本:ATGがあったってことは、今見ても大きい...
ガイラ:大きいよ。撮影所システムじゃなきゃ、小屋がなかったからね。
山本:若松プロには当時何人ぐらい人いたわけですか。
ガイラ:僕の上にいたのが、足立さん、沖島さん、それと大和屋さん(注/大和屋竺 脚本家 映画監督)。それが若松プロに出入りしてて、その当時は大体僕がチーフで、秋山道男(注/プロデューサー、クリエイティブディレクター、俳優などでも活躍)がセカンド。山本:若松プロには炊飯器とかお風呂とかはないですよね?
ガイラ:あったよ。
山本:あった?そこらへんはどんな感じなんですか?
ガイラ:最初は渋谷の仁丹ビルの裏のマンションの5階かなんかにあったんだよね。その後に、原宿のセントラルアパートに移ってきて。
緒方:そういうとこは若松さんすごいですね。交通の便のいい、しかもちゃんと見栄えのするメジャーな場所に事務所をおく。
山本:そこでガイラさんたちはお風呂入ったりとか。
ガイラ:うん。
山本:で、飯はどうするんですか。
ガイラ:飯はだから、若松監督が、飯炊けって言うと、俺らが飯炊いて...
緒方:それって材料費もらえるんですか。
ガイラ:うん。少しくれて材料買ってこい、っていうとだいたい俺がガードして、秋山道男がだいたいもらった金の四倍ぐらいの材料持ってきて(笑)。
水谷:すごい才能。
ガイラ:誤配された小包みは、絶対返さないし。後は、冷蔵庫にチェーンが渡してあって、鍵かけてあって。「開けるな!」みたいな。
山本:風呂と飯ぐらいは、ギャラ以外に、生きてくぐらいの環境は整えてくれてたんですね。
ガイラ:整えてくれてましたよ。あと飲み代。夜は毎晩飲みに連れて行ってもらってたし。
山本:そうすると、ほとんどおこづかいっていらないといえばいらないですね。女の子と遊ぶぐらいですか。
ガイラ:そうだね。
3/ゆるやかなる交差の場所
山本:そういう状況で何年間ぐらい。
ガイラ:俺は、19の時に入って、23の時に監督したから、4年間はいたね。その後一回映画をやめて、10年ぐらい写真やってて、33,4の時にまた戻ってきたんだよね。戻った第1回作品の時に緒方君がセカンド助監督で参加してくれたんだよね。
山本:それはどういうきっかけで?
ガイラ:石井君がうちに来て。シーツ張って上映会やって。
緒方:やりましたね。石井さんが『狂い咲きサンダーロード』(注/石井聰亙監督作品 1980年作品)撮り終えて完成した頃でしたね。で、その頃のガイラさんの家が若松プロじゃないけど、いろんな奴がタムロ出きる場所だったんですよ。そういう伝統は連綿と受け継がれるわけですね。山本:ガイラさんの家...
緒方:ガイラさんの家が千駄ヶ谷にあって。小さな一軒家なんですけど、そこになんか、演出部とかいろんな奴等が出入りしてましたよね。鍵開いてたもんね。
ガイラ:鍵開いてたよ、いつも。
山本:鍵開いてたって、ただ出入りするだけじゃなく、寝泊りとか
緒方:うん。してた。で、酒飲んだり、飯食ったりという場所だった。そこで石井さんが「サンダーロード」の上映会やって、俺が映写機抱えて行ったのかな?
ガイラ:そう。
緒方:それで、知り合いになって、ガイラさんが久々に監督する、ってなって、使ってもらったんですよ。
ガイラ:保坂和志君も石井君が紹介してくれて...
緒方:あれは、俺です。
ガイラ:あの、芥川賞とった。保坂君はまだ早稲田の学生だったのかな。
緒方:そうそう。保坂は長崎俊一さんのグループで。あと「サンダーロード」で照明やった手塚君(注/手塚義春・カメラマンや照明技師を経て現在はロンドンでコーディネーター)て、若い彼をいきなり主役に使う(注/『ラビットセックス・女子学生集団暴行事件』1980年作品)という(笑)。今、考えたらかなり無謀ですね(笑)。
水谷:だから、若松さんの流れって不思議ですよね。緩い感じでいろんな出入りが
結構あったんじゃないですか。曽根さん(注/曽根中生 映画監督)とか。いろんな人が出入りしてたって言うし。緒方:そういえば僕も石井さんにセントラルアパートに若松プロがあるから行ってこいって小道具借りに行かされました。あの明治通りと表参道の交差する角がさ、なんか聖地に見えた。緊張したなあ。取り込まれたらどうしよう、とか(笑)。
水谷:俺も一時、セントラルアパートの最後の方でしたけど、若松プロで電話番なんかしてたことあります。ちょっとでも長く電話してると、若松さんが「短くしろ!」って(笑)。
ガイラ:いまだにそういう性癖抜けてないかな。偉い監督なんだけど、電話すると「ハイ!」って自分で出てしまう、っていう(笑) 。
4/シナリオ執筆、奥の一手は「回し書き」
山本:水谷さんのお師匠の高橋伴明さんも若松プロですよね。
水谷:当然出入りしてて、「出口出」名で皆でよってたかってシナリオ書いてたんじゃないですか。
山本:出口出...
ガイラ:足立さんの頃から使ってるんじゃないかな(注/出口出【でぐちいずる】とは、足立正生、沖島勲、大和屋竺ほか、若松プロにおける脚本担当者の共同のペンネームである)
緒方:最初にこういうテーマで書けとか若松さんから言われるんですか?
ガイラ:あの人は、思いつきのすごくいい人だから。予感めいたことがあると、ああそれ!って。だから閃きだけだよね。閃きとケツだけかな。最後はみんな爆破して死んじゃうんだなとか。(笑)。
水谷:アタマとケツだけ。
緒方:SMもので、とかそういうシバリはないんですか。女子高生もの、とか。
ガイラ:だって、若松プロのものっていうのは、色気がないんで有名だったものね。ピンク映画って言われてる割には。
緒方:そういう縛り方はしないわけですね。闘争があって、とか(笑)。
ガイラ:うん。俺が最初に書かされたやつは『テロルの季節』(注/『現代好色伝 テロルの季節』1969年作品)っていう。あれはなんか、安保闘争の末裔が羽田行って、体中にダイナマイト巻いて、自爆して皆道連れにして死んでやるっていうやつだから。だから、羽田行って自爆するんだよ、って。あ、そうなんですか、って(笑)。それで書け、って(笑)。その頃はあのソビエトのなんていったかな、革命戦士達のイデオローグがあったわけじゃないし、上にはうようよいるわけじゃない、ヒヤヒヤするようなのが。そいつらにこれを見られると思うともう、冷や汗タラタラで書いてたもん。
山本:一人でホンを完結させるんですか?
ガイラ:回し書きだよね。『餌食』(注/1979年作品)なんか回し書きだよね。荒井(注/荒井晴彦 脚本家)と俺と斉藤博(注/脚本家)と高田純(注/脚本家)と。
緒方:いろんな人のエッセンスがいっぱい入ってるんですね。
ガイラ:そうそう。ここからはどうやってつなぐんだ?みたいな。
緒方:それぞれは途中までしか書かないんですか?(笑)
ガイラ:「シーン2」ぐらいまで書くと、こっち回ってきて、はいはい...と。
山本:そのリレー方式っていうのは比較的よくあるパターンだったんですか?
ガイラ:俺と荒井と斉藤はよくやってたね。一回もろバレしたことあってさ、
山本:若松さんが推奨した方法じゃないんだ。
ガイラ:違う違う。ネタバレがあって。その『餌食』(注/1979年作品)の後の話に、実はボン(注/高橋伴明さんのこと)のホンを書いて渡さなきゃいけない期限を過ぎてたのよ。荒井が。で、どうしよう、どうしようって言ってた時に俺が本棚にあったある作家の本を三つに破って、ハイ、ハイ、ハイ、って渡して(笑)、書いたら一日で終わっちゃったわけ(笑)。それをボンが面白いっつって映画にしたら、試写の時にその作家のファンがいて(笑)、あれ?これの原作知ってる!ってなって、ボンがブチっと切れて、ゴールデン街で荒井を追い回して(笑)、荒井、あばら骨かなんかにひびが入って(笑)。
山本:回し書きと言うのは、若い人たちの切り抜ける一つの方法論と言うか。
ガイラ:今にして思うと、足立さんや沖島さんや大和屋さんより、頭が濃密じゃないからね。三、四人集まって一人前だったんじゃないの?
緒方:今回のテーマで言うと、学ぶ、とか教わる、という感覚はありました?
ガイラ:ほとんど盗んだね。足立さんだって、教わろうとすると冗談みたいなことしか言わないから。大和屋さんはね、若松さんから、お前一週間ぐらい大和屋のところ泊まって勉強してこい、って言われて。行ったはいいけど、二行ぐらい書いて、あとずーっと音楽聴いて酒飲んでたけどね。そういうのはいろいろ学んでたね。
山本:学んでた、というのはどういう実感ですか?
ガイラ:人生観だったり、世界観だったり。あとはその人の持っているセンス。匂うじゃない。大和屋さんも、あの人どっかお茶目で。どこか抜けてる世界観があって。そういうのはスクリーンを通して観るだけじゃわからないから、個VS個という関係性を保持しないとわからないこともいっぱい出てくるから。オーバーな言い方をすると、細胞どうしでコミュニケーションする、みたいな。私、あなた、という関係じゃなくて、例えば映画を一緒にやってる同じ釜の飯を食ってる、っていう条件の中の同じ共通の細胞意識みたいな。
緒方:わかりますね、自分ひとりの中から出てくる感性ではないんですよね。共有することで生まれる感覚ですね。
ガイラ:あれをああするにはどうすればいいんだろう、みたいな、同じような上昇志向が醸し出されるじゃない。同じメンバーでやっていて、悪かれと思ってやるスタッフはいないから、やっぱり良かれという気持ちでやっていくから。
緒方:足立さんとか大和屋さんとか、インテリですからついていくの大変だったんじゃないんですか。
ガイラ:大変だったよ。
緒方:勉強しないと、置いてけぼりにされるんですよね。論客でもあるでしょうから。
ガイラ:うん。だから、蜘蛛の糸じゃないけど、助けの糸は垂らさないから。そういうエモーショナルな人類愛みたいなのは持ってないからね(笑)。
緒方:思い出した。助監督やった時に、ガイラさんのうちがスタッフルームみたいになってたじゃないですか。そしたら、本棚に山のように本があるんですよ。で、その背表紙見てるだけで勉強になる。この監督は、普段は東北訛りでくだらないギャグばっかり言ってるけど(笑)、こんな難しい本読んでるわけ?って。で、それを時々二、三冊借りて読んでた記憶がある。読んでもよくわかんなかったりするんだけど。バタイユとかあったなあ。
ガイラ:そういうのも、足立さんや沖島さんや大和屋さんのおかげなんだよね。
緒方:愕然とするんだよね。自分の無知、無教養に。最初、業界に入った時に、経験もないし、あるとすれば若さしかないわけじゃないですか。自分の引き出しに何もないから入れていかないといけない。そういう時に先輩たちが山のように本読んでるの見ると、あ、やべぇ、と。で借りてまだ返してないのが何冊かあるような気がします(笑)。それ思い出した。
5/映画と喧嘩に明け暮れて
山本:じゃ、次に高橋プロの話を少し。伴明さんも、その若松さんの空気みたいなものも吸っていると思うんですけど、高橋プロにおける今言ったような皮膚感覚みたいなものは、どういうものだったんですか。水谷:若松プロみたいな濃密さはもう多分なくなってる時代だったけど。俺は、若松さんのところから高橋さんが独立して、高橋プロを興した最初の助監督だったんですね。その後米田(注/米田彰 高橋組の脚本、助監督)が入って、周防(注/周防正行 映画監督)が入って、その間3ヶ月ぐらいのスタンスなんです。ほとんど同時期に入ってきてるから、横並びだったよね。最初から。一応、入った順に就くわけだけど、仕事覚えてくると、皆横並びだから、助監督のチーフ、セカンド、サードってほとんどなかったわけです。仕事によってどんどん、二ヶ月に三本ぐらいのペースで撮ってたから、当時はね。だからどんどんやってかないと回っていかないから。
緒方:高橋プロの印象はフレンドリーだった。なんか、こう放課後の部室みたいな空気感があった。最後の方チラッと出入りしましたけど。驚きましたね。若松さんの流れを汲んでるからちょっと怖いのかなと思ったら逆で、助監督は仲良かったですね。伴明さんは一人ちょっと別格みたいな感じで。
水谷:高橋さんは、俺を含めてだけど、助監督を一人も殴ってないと思いますよ(笑)。酒場ではわからないけどね。仕事の場では。
緒方:酒場では時々戦闘モードに入るって聞きましたよ。それはもう、やっぱり運動上がりだから、腕に覚えあり、みたいな。
ガイラ:強かったよ。
水谷:ガイラさんが、強かったよ、っていうのがいいね(笑)。
ガイラ:俺も、一触即発に近いことがあったんだ。お互いに、これ相打ちだな、
とか。グッと我慢したね。緒方:映画屋が集まるゴールデン街だったり、新宿二丁目、三丁目あたりでそういう武勇伝は日常的に聞こえてくる時代でしたよね。伴明さんが監督の●●を殴ったらしいよ、とか(笑)。創造社と若松プロがなんかあったとか。
ガイラ:あれはね、大島チームと若松チームじゃないんだ。唐さん(注/唐十郎 劇作家)のところと足立さんたちが揉めて、飲み屋を一軒ダメにしたんだ(笑)。「ユニコーン」だっけ。御苑の前にあった。唐さんが負けて、足立さんが勝ったー!っつって、飲み始めたら、唐さんが黙って来て、後ろからボーン!って(笑)。カウンターがダーンって落ちて皆割れて(笑)。そこに後で大島さんが来て、何ですか、これは!って(笑)。
緒方:水谷さんは伴明さん、止めたことないんですか?
水谷:いや、皆一緒に戦わないといけないから(笑)。
山本:何が理由で喧嘩になることが多いんですか?映画論の違いとか...
水谷:そんなんじゃなくて、ガン飛ばした、とかね。
緒方:酔っぱらいの定理だよなあ。イデオロギッシュなことではなく。
ガイラ:あいつ女々しいとか。
緒方:あいつなんとなく好かん、とか。
山本:なんか喧嘩する理由を見つけてみたいな。
緒方 水谷:そうですね。
ガイラ:だから酒じゃなくてガソリンだったんだよね(笑)。
水谷:さっきガイラさんおっしゃったけど、そうやって一緒に過ごす時間が多いわけじゃないですか。いろいろ飲んだり食ったりしながら、いろいろしゃべる、それが多分映画にとっては、直接、映画の作り方っていうことではなくて、どういうものの考え方とか、どういう人の付き合い方とか、ていうようなことが一番勉強になったような気がしますね。
6/量産のためのシナリオ合宿
山本:高橋プロは、皆が一緒に住んでる、みたいな場所はあったんですか?
水谷:皆それぞれ家はあった。当の高橋さんは家っていうか、住んでるところがプロダクションなので、行くと、もうお父さんいるわけで。
山本:当時場所はどこらへんですか。
水谷:西新宿。そこで撮影もよくしたし。緒方さんが石井さんなんかと出入りしてたよね。
緒方:伴明さん、あそこ住んでたんですか。
水谷:あそこ住んでた。行くといろんな女がいたりして。朝行くと大変だったりなんかして。
山本:それと伴明さんは助監督にホンを書かせた、っていう。
水谷:まあ、一応そういうことにしておきましょうか(笑)。
山本:ホンに関してはうるさかったというか。
水谷:うるさかったですね。いっぱい撮らないといけないので、いっぱい台本がいるわけですよ。台本なくなると、シナリオ合宿行くぞ、って、当時銀座サウンドっていう仕上げのスタジオの別荘が熱海にあって、そこに行って安く泊まらしてもらって、三日間ぐらいで書くわけですよ。四人で行って、一本ずつ書くと、四本。これであと二、三ヶ月しのげるな、とか。緒方:別々に書くんですか。
水谷:そうそう。もちろん。それは脚本を量産するために入るわけですから。それで皆それぞれいろいろ。
緒方:何書いてもいいんですか。
水谷:何書いてもいいですね。周防のはね、ついに作品にならなかったね(笑)。
緒方:伴明さんが最後にジャッジメントするわけですか。
水谷:そう。さすがにこれは俺は撮れん、とかね。その時に米田が書いたのが『襲られた女』(注/高橋伴明監督 1981年作品)っていうので。記憶してますね。そういうことやったりしながら、量産するにはどうすればいいか、っていう、走り続けるにはどうすればいいか、っていうかっていうのをひたすらやってた感じでしたね。
山本:年度でいうと何年から何年の間ぐらいですか?
水谷:77,8年から81年。『TATTOOあり』の前ぐらいまでですかね。
山本:調べものとかそういうことする時間はない...
ガイラ:いや、あるよ。
水谷:いわゆる助監督さんがきっちりリサーチして、何ヶ月もかけてリサーチしてっていう作り方ももちろんあるんだけど、多分その時にやってたのは、もっとこう、瞬発力っていうかね。それと普段から溜め込んでいかないといけないものがたくさんあって、そのストックを書く時に生かす、っていうことなんじゃないかと思いますね。
山本:溜め込むっていうと、気がついた時にすぐメモするみたいな。
水谷:高橋さんはすごいメモ魔だった。
ガイラ:で、ゴールデン街でモメるわけ(笑)。
緒方:出口としての需要が存在してるから、書かざるを得ない状況があって、高橋プロも若松プロも。そうすると、学ぶとかいう概念を超えて、とにかく何かを提示していかないといけない、次から次へ。それが結果として一番勉強になるっていうことなのかな。ひとつのホンに一年とかかけてる場合じゃないから。
ガイラ:公開が早かったからね。仕上げが終わるとすぐ公開。だから展開が速いのよ。なんで今度の客にはあまり評判がよくないんだろう、っていう。やりながら状況が見えてくる、みたいな。
緒方:そうですね。だから学ぶ時って時間がない方がいいのかもしれない。下手に時間与えてじっくり考えろとか言ってる場合じゃないのかもしれない。
ガイラ:時間さえあれば何かできるんだったら、お前ら普通だろ、っていう世界だったから。「今」必要なんだっていうのがいっぱいあったじゃない。
緒方:書けませんでした、とかっていう世界ではないわけですね。
水谷:書けなかったら、メモで入ってましたもん。「以下、現場でよろしく」とか(笑)。
緒方:そういうこともあったんですか。
水谷:ありましたね。現場でうめてくっていうかね。
7/私が私でなくなる瞬間
水谷:ピンクの、量産していかないといけない中で、学んでいくっていうのがあったと思うんだけど、石井さんなんかとやってて、緒方さんは、そのあたりはどうだったんですか。
緒方:実は石井さんについた中で一番学んでないことはホンなんです。ホンに関しては触らせてもらえなかった。石井さんはもともとは自主映画作家ですから。自分の世界観をホンに叩きつけて石井ワールドを作っていく。今は、石井さんそういうことではないと思いますけど。当時石井さんは『高校大パニック』(注/1978年作品)っていうプロの現場に一人だけ行って、日活の撮影所に乗り込んで、そのシステムの中で思い通りにいかなかったわけですよね。だからその後演出部とかの体制は、自分の築いたシステムでやっていきたい、っていう。その一号が僕だったんですね。だからお前は俺の弟子だ、みたいな発想ですから。だから石井さんはホンにはタッチさせないんですよ。絶対的な立場で存在する。その代わり映画の現場での心構えや気持ちの持ち方を教わったような気がします。そこから出て行ったのが、阪本順治(注/映画監督)であり、僕であり、あと松岡錠司(注/映画監督)だったりするんですけど。
山本:時代でいうとどういうあたり...
緒方:歴史的に言うと、1978年です。「高校大パニック」っていうのは。僕はその頃高校生ですけど。その頃自主映画のムーブメントがあって、松竹で大森さんが『オレンジロード急行』(注/大森一樹監督 1978年作品)撮ったり、石井さんが日活で「パニック」撮ったり。自主映画がブームだったんですよ。山本:若松さんたちの時代とは全然違いますよね。
緒方:一番違うのは、石井さんぐらいの時代から純粋に映画原理主義というのかな。その前は、若者達が何かを表現する時に、学生運動だったり、イデオロギッシュなことと映画が連動してきたんですけど、それ以降の世代、例えば大森一樹さんとか石井さんぐらいになってくると、純粋に映画が好きなんです。単純に。そこが僕が惹かれたところではあるんです。イデオロギーの部分ではなくて、映画として面白いものがいいんだということですよね。だからいつも映画の話なんですよ。映画の話しかした記憶ないんですよ。おねえちゃんの話もたまにしましたけど。基本は映画を観ることでしか、もうダメだと。だから例えば僕が最初に石井さんに弟子入りして、石井さんのところに二人で住んでた時に、お金なかったですけど、石井さんが、千円札くれて、今日池袋のオールナイトでATG特集やってるから、これは観とけ、とかね。とにかく映画観ておかないとダメだ、って。他には、今から『太陽を盗んだ男』を観に行こう、っつって、観終わって、「あれを追い抜くぞ」みたいなことを真剣に語るんですよ。ああ人生を完全に映画に捧げてるんだ、この人は、って思ったなあ。それはすごく影響を受けてますね。いまだに。学ぶっていうテーマでいえば、何を学んだんだろうって来る時ずっと考えてたんだけど、僕の場合は、石井さんに映画との向き合い方を学んだっていうことですね。カラダ弱いのに現場で血を流しながら本当に撮影してたからさ。だから石井さんには感謝してますよ。ビリー・ワイルダーは、演出の時に、ルビッチならどうする?って考えてたらしいけど、俺は石井さんならどうする?とは絶対思わないと思うんだけど(笑)。でも石井さんがどう向き合ってきたんだろう、あの時、っていうのは、いまだに自問自答をしてますね。作る映画は全然違うし、作り方も含めて違うんですけど。
山本:今の話を聞いて、若松さんや伴明さんのところと比べてどうですか。やっぱ違いますよね。
ガイラ:違うよね。若松プロだって、ピンク映画っていう需要があって。だからやっぱりあのルーティーンワークじゃないけど、やっぱり飯のためでもある部分があるじゃない。でも俺はなんか、いつの間にか飯のタネじゃなくなってきたから。作りたいものを作りたいんだけど、映画を労働にして糧を得たい、っていう気は今はないから、やっぱりね、一応、あの、インドに支店を出したいと思ってるカレー屋がある(注/ガイラさんは初台のカレー屋【コズミックダイニング・ガイラ】のマスターである)から(笑)。
緒方:で、たまに俳優の仕事して(笑)。
ガイラ:映画っていうのはすごい暴力じゃない。人の生き方を変えるぐらいのものが潜んでるでしょ。だから、二元論じゃないんだけど、夢物語みたいな商業映画はそれはそれであってもいいんだけど、俺が撮りたい映画っていうのは、俺の中ではアセンション(注/ascension上昇、昇天の意)の願望でしかないから。映画監督という職業の「業(ぎょう)」って「業(ごう)」だからね、ホントに自分の作りたい映画を作りたいし、俺の頭の中に絶対権力者がいてね、こいつだけを泣かしたいのよ。それが例えばルードヴィッヒかもしれないんだけど、こいつだけは涙流させて、アホ、って言ってやりたい。そいつのために俺は映画を作りたいんだよね。だから万人受けとか、商業とかあまり俺の中では興味ないし、逆にお手軽にデジタル映像が手に入るっていうことが、安直なことなんだろうし。自分の中では映画が一番の贅沢な遊びだから。ビスコンティなんか、こいつホントいい小道具使ってるな、とか思うよな。おいしい紅茶はホウロウ引きのマグカップじゃダメなんだよ、みたいな。
緒方:若い時はホウロウ引きのマグカップでいいんですけどね。
ガイラ:そうだね。
山本:ガイラさんは、自分たちはルーティーンワークだったと言いながら、最後は緒方さん以上に「映画に命を捧げる」みたいなことを喋っています。最初はルーティーンワークみたいなところでやったからこそ、今逆に映画のことをそういうふうに語れるのかな、と感じながら聞いていましたが。
ガイラ:年に一本とか、五年間温めてた企画を撮りました、みたいなことやってたら、こうはなってなかったと思うし。
緒方:そうでしょうね。
ガイラ:もうケツに火がついてたもんね。あさってまでに上げないとダメだ!みたいな。いつも切羽詰ってたような気がする。若松さんのところで制作とか助監督やらされてた頃って、お金がないのに、時代物が入ったりするんだけど、幕末から昭和から現代までみたいなとんでもないストーリーなのね。最初の方は幕末の官軍が出てくるみたいな。予算がないからかつらなんかワンセットしか借りられない。それを主役の野上正義さんとかがかぶってて、「おーい、足立と沖島とガイラ!」って呼ばれて行ったら、官軍の兵隊達が宴会してるとこを撮るっていうの。そしたら足立さん達が、「ハイわかりました」って新聞紙を巻いて頭に縛って、障子越しにライト当ててシルエットで撮るわけ。時々結んでた紐が見えたりするんだけど、やっぱりああいうのって、俺すごい勉強なってると思うんだ。
緒方:だから映画監督の仕事っていうのは、もちろんいいものを作る、供給するっていうのは当然なんだけど、撮りきる、っていうことを要求されるわけじゃないですか。映画監督っていうのはとりあえず現場の責任者であるわけですから。期間内に、できれば予算内に撮りきるってことを要求されますよね。そういうタフさというのかな、これは多分ピンク映画とか自主映画で学ぶところ多いですよね。何もないところから始まってますから。
ガイラ:あれがないからできません、っていうのは通用しなかったから。
緒方:そうでしたね。例えば、脚本の中に、バイクが50台やってくる、とか出てきて。どうするんだよ、って言うと「考えろ」って言われる。もうほんとに考えるしかないわけですよ。こっちは。
山本:緒方さん、ガイラさん、水谷さんはそれぞれあのバックグランドは違うのかもしれないですけど、例えば緒方さんで言うと、石井さんのホンのあのシーン一体どうやって撮るんだ! とか、ガイラさんで言うと、このホン、時代物でこんな予算がないのに撮るんだよ! とか、そういうある種のハードルに対してどうするのかという、日々発生する問題への直面の仕方は一緒だったと思うんです。もしかしたらそれを乗り切る時にある種の感動を覚えるのではないか。こんなやり方があるんだ、ということを発見し乗り越えていく中で、もしかしたらガイラさんは嫌いだったはずの映画への愛がむしろ高まっていった、そして今最後におっしゃったような、俺は、こいつだけは泣かしたいんだよね、っていうような気持ちになっているのかなって思ったんですけど。
緒方:ガイラさんがホンを一所懸命書いたり、水谷さんが切羽詰ってやったりしてる時に、僕もそうだけど、自分というものがなくなってるんですよ。自分はこう思う、とかいう次元ではないんですよね。「僕って何?」みたいな自問自答したらもう負けるんですよ。自分というものを消して、棚上げした上で、映画、あるいはこの局面をどう乗り切るのか、ということが一番学ぶことなんですよね。それを続けてきた人間が、いざ監督になって、中年を通り過ぎた今、自己というものを再発見しようとしているんじゃないかといいうのを、今ガイラさんの話を聞きながら思ったんですけど。残念ながら、僕らは今、量産体制の中にいないんですよ。映画もテレビも含めて。Vシネなんかもだんだん疲弊していってる現状の中で、やっとその僕ら、叩き上げの人間は「監督」と呼ばれるようになった。じゃあ、この時代に俺たちは何を撮るんだ、ということを自問自答せざるを得なくなってきてるんじゃないですかね。最近、僕よりちょっと上の先輩監督達を見てて、すごくそう思いますね。だから若松さんが『連合赤軍』撮ったのもそういうことなんだろうな、と。違いますかね?
ガイラ:ううん、あれはまた...
緒方:商売ですかね(笑)。
ガイラ:俺は観てないんだよ。呼んでもくれないし(笑)。
8/問われているのは監督自身?
緒方:最後にこれ聞きたいな。若松さんや伴明さんに具体的に何を学んだんですか? 僕が石井さんに向き合い方を学んだみたいに。ガイラ:今にして思えば、とにかくコストパフォーマンスということ。あと、ゆめゆめ騙されるなよ、世の中は一握りのエスタブリッシュメントと85%の馬鹿な集まりだ、っていうことかな。
山本:15%のエスタブリッシュメント?
ガイラ:10~15%のエスタブリッシュメントと85%の馬鹿、というか奴隷の集まりなんですよ。社会は(笑)。だから、偏狭的な教育を受けて、あなたたちは一般人になりなさんなよ、っつって高い教育費をかけて育った子供達が官僚になった時、乞食本性を現してしまうんだよ。
緒方:それに騙されるなよ、っていうの若松さんに教わったと。
ガイラ:だから貧乏人が馬鹿を見るんじゃなくて、馬鹿だから貧乏人なんだ、っていう説明の仕方だから。あの人は。すごいアグレッシブだかなんだか(笑)。
緒方:だから馬鹿になるなと。
ガイラ:馬鹿だから貧乏なんだと。
山本:水谷さんはどうですか。
水谷:そうですね、俺はね、高橋さんから一番学んだのは、人に任せてみる、っていうことですね。
緒方:いい話ですねえ!
水谷:一番簡単なのは、高橋プロ時代、俺番頭だったから、バンクカードをずっと預かってたんですよ。キャッシュカードを。で、落としたりなんかして、怒られたりなんかして。だから全財産を委ねられてたわけですよ。無謀といえば無謀。それぐらい、ポーンとこう渡しちゃうというか、知力も財力も含めて任せちゃうというようなことは、ある種関係として結んでいかないと。学ぶも学ばれるも成り立っていかないのかもしれないですね。そういうことをちょっと思うようになりましたね。そのことかな。あの人について学んだ、っていうのは。
緒方:映画って継承されていくものなのかどうなのかっていうのは、結構難しい問題だなって、すごく思いますね。
水谷:だから何を持って継承するかっていう。
緒方:すごく悩ましい。
水谷:悩ましくて面白いところ。
緒方:継承しようと思ってなかったですよね。過去の映画なんてことは。
ガイラ:趣味とか音楽の使い方とかで、やたら感心するおじちゃんはいたよ。ヴィスコンティだったり、ハワード・ホークスだったり。好きだよ。キューブリックの『バリーリンドン』なんかも、映画は面白くないんだけど、大英博物館から持ってきたんだもん。呆れるよね。だから、昔の松竹の監督も、なんか呉服屋の若旦那みたいで嫌なんだけど、いい趣味してるよな、着物とか。
緒方:最近、なんか継承しなきゃな、みたいなこと思うようになってる。年取ったのかなとか思うんですけど。20代の頃全然思わなかったけど、今や、温故知新だもん。
水谷:俺もそうだな。
ガイラ:日本人というスピリットに対する危機感があるんだよ。自分のアイデンティティの問題でしょ。だからやっぱりなんとかせんといかんのよ。じゃなきゃこんな国なくなったっていいもん。
(ここで撮影を担当していた瀧本智行さんに質問が。瀧本さんも高橋伴明さんの助監督を務めた経験がある)
緒方:瀧本は今、自分についた助監督に対して、何を教えられるんだろう、みたいなことは思ったりしない?
瀧本:思いますけど。逆に、僕が何を教わってきただろう、って思うと、高橋伴明という魅力そのものですよね。人間の魅力そのものを感じた時、やっぱりこの人は映画監督だなって思うんですよね。具体的に演出がすばらしいとか、そういうことではないじゃないですか。
水谷:いい加減にやってるだけだもんね。
瀧本:いい加減にやってるだけなんだけど。自分がそうなきゃいけないという。あと、飲み代を払う、というそれだけですね(笑)。
緒方:継承すべきは飲み代か!
瀧本:それだけは絶対払わせない、という。
ガイラ:米びつとして存在する時っていうのは、やっぱり米びつだけじゃなくて、飽きられちゃまずいっていう気はあるんだよな。絶えずくだらないことにやたらめったら首をつっこむ好奇心を振りまいてないと。やっぱり飽きられるとアウトじゃない。だから俺つまんねえ駄洒落ばっかり言うんだな(笑)。
瀧本:監督がどこまでその作品に真剣か、みたいなことって、助監督やってて見ますよね。命はかけないにしても、腹決めて作ってるな、って時は、チーフでもやるし。逆に、プロデューサー的な助監督にでもなっちゃうっていうのはありますね。
水谷:あるよね。サクサク撮ろうぜ、みたいな。
山本:僕もVシネの助監督とか散々やってもう嫌になったんですけどね。自分がなくなる瞬間というのはあったと思うんですよ、きつい現場で。でもそれがどちらかというと、二度とこんな現場嫌だ、っていう方向に行ってしまうんですよね。
緒方:単純に、人ってことなのかな。要するに水谷さんは伴明さんについてるわけだし、ガイラさんは若松さん、僕は石井聰亙の元についてる、っていう「人」なんですよね。
そこの人とのつながりという中で映画作りというのを覚えたり、嫌になったりしているわけじゃないですか。瀧本:僕もいろんな監督に助監督でついていったんですけど、監督によって、この人の時はどこまでもやるみたいな時と、そうじゃないこととあるんで、問われてるのは監督なのかなって思いますね。自分のこととして聞いてましたけどね。
山本:ある種の密度みたいなものを作り出すのも監督の仕事だとしたら、今それが一番重要なのかな、って思いますね。
緒方:いろんな意味で映画は撮りにくくなってきてるんです。物理的に。ロケ場所の問題、エキストラの集め方の問題。それからお金の問題もね、つぶれた廃工場で撮ってもスタジオになってたりするから一日2,30万取られたりするわけじゃないですか。だからおおらかじゃなくなってきてるわけですよね。それは具体的に監督の撮り方に制限を与えてきますよね。車の数も増えてるから、車止めも大変だし。
山本:現場がすごく薄い感じがあって。こんなんで映画できちゃっていいのかな、って。助監督やって月4,50万もらってまあこれでいいや、みたいな。おねえちゃんと飯が食いに行けるな、とかいうことで時間ばかりが過ぎてくっていうか。というようなことがある時期ずっとありました。
緒方:だから今愕然としますよ。学生を教えながら、何を教えられるんだろう、みたいなことは常に。立ち尽くしてますよ。自分のやってきた経験と現状の中で。
水谷:ほんとそうだよね。俺も昨年から東放学園てとこで教えてるけどね、ホント、どう伝えられるの?みたいなことは思いますよ。でも面白いね。ま始めたばっかりだから。そのうち飽きちゃうかもしれないけど。
山本:やれるとしたら、合宿スタイルみたいな濃密なプロジェクトを自ら何か立ち上げてそこに学生を放り込むみたいなことしかないんじゃないかと。歯車みたいな現場に送り込んでも、歯車のひとつになって何かあるのかっていうと...
緒方:俺の『独立少年合唱団』も合宿体制をとったということが功を奏したもんなあ。
山本:そういう密度でしかできないっていう。
緒方:逆境をどう作るかっていう。
水谷:運命共同体にね、むりやり運命共同体にしちゃうかっていうことかも。
緒方:飯食った仲っていうのは忘れない、ってことですか。
水谷:実は一番シンプルなことだけど。
山本:だからまず一番最初に必要なのは炊飯器だったりするんですよね(笑)。
水谷:最高のまとめですね。

