日本映画監督協会著作権委員会
梶間俊一
今回の監督協会70周年記念映画「映画監督って何だ!」(脚本、監督伊藤俊也)は、何よりも、映画監督に著作権がないことを広く知らしめたと云う一点において、大変意義深いものがあります。「七人の侍」や「東京物語」の著作権が、黒澤明監督や小津安二郎監督ではなく、映画の製作会社にあると知って驚かれた方が沢山いると思われます。
記念映画の中でも、作家の村上龍氏(監督協会員)が、インタビューに応えて率直にその驚きを語っています。それは何故か。我々の映画の著作権に関する情宣活動が不足していたことも要因のひとつです。
だが、しかし、それ以前に、多くの人々(村上氏も含め)が、作家や音楽家と同様に、当然、映画監督にも著作権があるものだと思っていたのです。
■ 映画監督に何故著作権がないのか
現実には、映画監督は映画の著作者ですが、著作権者ではありません。著作者人格権は所有していますが、財産権としての著作権はありません。
著作権法第29条1項は、映画の著作権について、次のように定めています。「映画の著作物の著作権は、その著作者が映画製作者に対し当該映画の製作に参加することを約束しているときは、当該映画製作者に帰属する」と。著作者については、既存の著作物の著作者(小説、脚本、音楽等)を除き、「制作、監督、演出、撮影、美術等を担当してその映画の著作物の全体的形成に創作的に寄与したものとする」(著作権法第16条)と規定しています。ここで云う「製作者」とは、法人の会社、プロダクション、放送局を指し、「制作」は、プロデューサーを意味します。
著作権法は、本来、経済的強者である法人に対し、経済的弱者である自然人の著作者を保護するために存在する法律です。
我が国が加盟しているベルヌ条約(著作権の保護に関する国際条約)は、自然人が著作権者であることを原則としています。
したがって、記念映画の中でも語られていたように、文学の著作権は出版社ではなく、作家にあります。音楽の著作権は音楽出版社やオペラ興行者やレコード会社ではなく、作曲家にあります。美術の著作権は画商ではなく、美術家にあるのです。
映画だけが、著作権法の根本精神とベルヌ条約の趣旨に反して、自然人の著作者である監督に著作権がないのです。
「映画監督って何だ!」を見た観客の皆さんが、この事実を知って驚かれるのに、何の不思議もありません。著作者でもない法人の製作者に、突如、著作権が「帰属する」とは、一体どういうことでしょうか━━。
新著作権法(1970年4月28日)以来、日本映画監督協会は一貫して、<憲法違反の疑いがある>として、「著作権法第29条1項」の削除と、監督を著作権者とする法改正を求めています。
つまり、財産権である著作権を、著作者から奪う「著作権法第29条1項」は、「財産はこれを侵してはならない」と規定している憲法第29条に違反しているのではないか━━と我々は主張しているのです。加えて近年では、文芸(出版)・絵画・音楽(レコード)・写真等と比べて、何故映画だけが特別扱いされているのか。「法のもとの平等」を定めた憲法第14条にも違反しているのではないか━━と訴えています。
しかし、その斗いは厳しく、36年を経た現在、我々は、日本映画製作者連盟(映連)と全日本テレビ番組製作者連盟(ATP)との間に、十数年に渡る交渉を経て、映画の二次利用に関する団体協約を結び、「追加報酬」を得ていますが、未だ著作権の<奪還>には至っていません。
■ 旧著作権法は、「映画の著作者は監督だった」
いま<奪還>と云いましたが、実は、1970年(昭和45年)に著作権法が"改正"される以前の旧著作権法では、<映画の著作権者は監督だった>のです。
1931年(昭和6年)旧著作権法改正で、初めて映画(活動写真)が著作権法の保護を受けることになりました。「映画監督って何だ!」の中で、山本晋也監督扮する帝国議会の改正法案説明者小林尋次氏(内務省警保局員)は、映画の著作権について、次のように語っています。
「著作者は自然人に限る(とする『ベルヌ条約』に我が国も1899年・明治32年に加盟している)のだから、ひとまず著作者は映画監督であると断定し、完成された映画の著作権は映画監督が原始取得するものであるが、契約に基づき、完成と同時に映画会社に移るものとして意見を統一した」が、「質問を受けなかったので答弁の機会はなかった」と。
その後この内容は、小林尋次著「現行著作権法の立法理由と解釈」(昭和33年文部省発行)に明記されています。
また、著作権の保護期間は、新著作権法では、作品の「公表・創作後50(現在は70)年」に"改正"されましたが、旧著作権法では、<監督の死後38年>になっていたのです。これは、監督が著作者であり、著作権者であった証しです。
我々が、奪われた著作権の<奪還>を目指す所以です。
■ 現行「著作権法」は、監督不在で審議された
では、何故、旧著作権法にあった監督の著作権は、1970年(昭和45年)の"大改正"で剥奪されてしまったのでしょうか。
1962年(昭和37年)、文部大臣の諮問機関として著作権制度審議会が発足。監督は委員に任命されず、映画界からは、馬淵威雄東宝専務が唯一参加。審議会では、製作会社の論理のみが展開されました。この時すでに、映画の著作権についての趨勢は決まっていたとも云えます。
その後、1969年(昭和44年)4月、やっと審議会答申の第6次案を「著作権法案」として、国会に提出。それに対し監督協会は、各政党への陳情や空前の「著作権法案」反対デモなど精力的に反対運動を展開し、また、文教委員会での野党議員の一致した鋭い追及とも相俟って、「著作権法案」は、審議未了で廃案となったのです。
しかし、翌70年(昭和45年)2月、「著作権法案」は再び国会に提出され、前年同様、野党議員の一致した鋭い追及があったにも拘わらず、4月、衆参両院で、「附帯決議」をつけて原案どうり可決されました。
69年、70年の衆参両院での「著作権法案」の審議過程は、「映画監督って何だ!」の中では、国会議事録に基づいて、各委員の発言が寸分違わず精密に再現されています。
━━そこに登場する安達健二文化庁次長役の小水一男監督をはじめ、野党議員を演ずる監督協会員諸氏の演技は、全員"著作権奪還への思い"を秘めてか、迫力に満ちており、この記念映画の白眉をなす素晴らしいシーンを創り出しています。
また、それは、我々の<著作権法改正運動>にとっても、第一級の資料的価値を備えていると云えます。
当時の大映の永田社長が、第29条に関して、著作権は「契約に別段の定めがない限り、当該映画製作者に帰属する」と云う閣議決定した第5次案から、「契約に別段の定めがない限り」と云う著作者に有利な条項を強引にはずさせた件りなどは、衰退に向かう映画産業の一角にあった、大映社長の政治的圧力の様相がくっきりと浮かび上がって来ます。
■多数の著作者がいても、市場の流通は円滑に進む
記念映画の再現劇の中でも再三論ぜられていましたが、製作者に著作権が帰属する理由とは何なのでしょうか。
その一つに「映画には著作者が多数存在し、すべての者が著作権を行使すると円滑な市場の流通が阻害される。故に著作権は製作者に帰属する」と云う考えがあります。
果たしてそうでしょうか。確かに、著作権法第16条には、前述したように複数の著作者が存在します。
しかし、1971年(昭和46年)のベルヌ条約パリ改正条約第14条の2の「承認の推定」を適用すれば、<許諾権>を持つ著作者は、「既存の著作物の著作者」(小説、脚本、音楽等)を除けば、監督一人となり、「多数の著作者(権利者)によって、円滑な市場の流通が阻害される」ようなことはありません。
ベルヌ条約の「承認の推定」とは、日本法で云えば、制作(プロデューサー)、撮影、美術等の著作者は、「製作者の映画の利用に反対できないことを承認したと推定する」と定めたものです。
とは云え、彼らは、<許諾権>は持たないが、<報酬請求権>を求めることは出来ます。現在、メインスタッフ連絡会は、監督は<許諾権を持つ著作者>の要求で、メインスタッフは<許諾権は持たないが、報酬請求権>の要求で共に斗って行くと結論付けています。
また、ベルヌ条約は、「承認の推定」を含んだ著作権法の改定をベルヌ同盟国に義務づけています。当然、我が国もそれに従うべきです。
とすれば、「多数の著作者(権利者)によって、円滑な市場の流通が阻害される。故に著作権は製作者に帰属する」と云う理由は消滅します。
■ 著作権者の条件に「巨額の製作費」も「企業活動」も存在しない
次に、「映画は製作者が巨額の製作費を投入し、企業活動として製作し公表する特殊な著作物である。故に新法では著作権は製作者に帰属する」と云う理由があります。
一見、正しそうに見えるこの考え方は、そもそも<著作権法の精神>に反しています。
著作権法は、著作物を「思想又は感情を創作的に表現したもの」と規定し、著作者を「著作物を創作する者をいう」と定義しています。
平たく云えば、著作権法とは、著作物つまり小説とか、音楽とか、美術とか、最近ではコンピュータープログラムとか、人間が自分の頭の中で考えて作ったものの表現を保護する法律です。ですから、著作権は、無体財産権とか、知的所有権とか呼ばれているのです。
つまり、法律は、あくまでも<自然人が著作者である>と云っているのです。
「巨額の製作費」も「企業活動として製作し公表する」のも、著作権者の条件ではありません。企業や法人が著作権者になるのは、第15条の<職務著作の5条件>を充たした時だけです。
文学や音楽、美術と比べて、映画のみが、何故、法人の製作者(会社・プロダクション)を著作権者とするのか、どう見ても<法の整合性>がつきません。「法のもとの平等」を定めた憲法第14条に違反していると主張する所以です。
また、いつの時代でも映画には大きな製作費がかかりました。にも拘らず、旧法では<著作権者であった監督>が、何故新法では、突如、権利を失ってしまうのでしょうか。これも説明がつきません。
これらの理由によって、「巨額の製作費」や「企業活動として製作し公表する」が故に、「著作権は製作者に帰属する」と云う理由も、<著作権法の精神>に反し、説得力を持たないのです。
■ これまでの<著作権法改正運動>の一端と現況について
以上のように、監督から不当にも著作権を剥奪した新著作権法は、1970年(昭和45年)4月、衆参両院で「附帯決議」を付けて成立しました。
その「附帯決議」は、新著作権法の成立と同時に、「すでに早急に検討すべきいくつかの新たな課題」として、「映画の著作権の帰属」制「についても積極的に検討を加えるべきである」と明確に念を押しています。また、「時宜を失することなく、このような課題に対処しうる措置をさらに講ずるよう配慮すべきである」とも述べています。
監督協会は、この「附帯決議」を斗いの<基点>として、直ちに<著作権法改正運動>を開始し、文化庁への陳情や国会内委員会での証言、日本映画製作者連盟(映連)等の関係団体との交渉を粘り強く行って来ました。
1971年(昭和46年)12月、まず映連との間に<追加報酬>に関する「申合せ」を結び、以後13年に及ぶ交渉を経て、ようやく1984年(昭和59年)3月、正式に<映画の二次利用についての追加報酬>の覚書を調印するに至ったのです。更に、1993年(平成5年)12月には、全日本テレビ番組製作者連盟(ATP)とも、同様の覚書を交わしました。
が、しかし、更に映連やATOに加盟していない製作会社にも、このルールが適用されて、映画界の統一した慣行となるように、我々は、一つ一つの事例にきめ細かく対応する運動も同時に行っています。
また、今日では、著作者人格権を守る斗いも重要な意味を持っています。
著作者人格権には、①公表権、②氏名表示権、③同一性保持権の三つの権利があります。
特に、「同一性保持権」は、映画監督にとっては、現在持っている最も力強い権利です。
伝家の宝刀とも云うべきものです。この権利を支えとして、これまで、様々な映画の改編、短縮等に対応して、作品としての価値を保持して来ました。
しかし、現在、経済産業省や文化庁の一部には、「知的財産基本法」を背景に、権利者の許諾権はあまり行使させないで、<コンテンツビジネス>の流通を最優先させる考え方が、明確に存在します。吉川晃前著作権課長は、著作権法第「20条2項4号の(<改変が唯一許される>筆者註)『やむを得ないと認められる改変』をどう解釈すべきか」(「コピーライト」誌2005年9月号)などと語っていますが、明かに「同一性保持権」(第20条)の<改変事項>について、拡大解釈を目論んでいることが読み取れます。
<放送と通信の融合>の名目のもとに、原作者等の権利や俳優の著作隣接権が制限される動きと相俟って、今後とも厳しく注視していく必要があります。
■ <著作権問題の斗い>は、創作者としての<誇り>を法的に奪還することである
我々の<著作権奪還の斗い>は、単なる経済問題ではありません。映画監督としての<矜持>を法的に奪還することであり、同時にそれは、創作者としての<人間の尊厳>を取り戻す斗いです。
著作権の本来的あり方とは、「創作者」の名誉権である「著作者人格権」を基本として、財産権である「著作権」が、車の両輪として「創作者」の手に残るべきです。そして「創作者」が発言権を持ち、創作物が尊重されることが基本です。その上で、「契約」や「報酬」がリーズナブルに、ルール化されればいい訳です。権利のないところに、次世代の「創作者」は育ちません。
これが、現在の<「著作権の流通」を中心とした「コンテンツビジネス」>に対し、監督協会の、あくまでも<「創作(創作者)」を中心とした「文化の創造」をめざす「著作権」>の考え方です。
そして、日本映画監督協会創立70周年記念映画「映画監督って何だ!」は、改めて、映画監督は映画の著作権者であることを内外に宣言するものです。皆様の力強いご支援をお願いする次第です。

