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複眼の映像 監督と脚本家のコラボレーション~山下敦弘×向井康介編

『1スジ(脚本)2ヌケ(映像)3ドウサ(芝居)』と言われた昔から、シナリオの重要性はまったく変わりません。
『シナリオが完成すれば、映画は半分以上できたようなもの......』黒澤、今村、新藤といった巨匠たちも、似たような言葉でその重要性を強調しています。僕自身、シナリオこそが映画にとって最も重要な要素だと信じ、感覚的には半分以上の労力をそこに傾注しています。昨年、橋本忍さんが『複眼の映像』という著書を出されました。黒澤明監督とのシナリオ作りの内実を描いた名著です。僕もその本に魅了され、圧倒されました。監督、脚本家の異なる視点が互いを尊重しつつ激しくぶつかりあう......そこから生まれるエネルギーこそが数々の名作の源泉だったという事実に、改めて感動したのです。

「他の監督、脚本家たちの関係はどうなんだろう?」「あの作品のシナリオはどんなやり取りを経て出来上がったんだろう?」そんな素朴な好奇心から、今回対照的な二組の監督、脚本家の対談を二本立てで企画しました。

第一弾は若手を代表して、『松ヶ根乱射事件』の山下敦弘監督と脚本家の向井康介さん。独特の魅力を放つ山下作品ですが、監督と脚本家の関係性という意味でも、今の日本映画界で他に類を見ません。  文責 瀧本智行



fukua01.jpg【シナリオ共作のスタイル】

瀧本 最初に、二人の最新作ということで、『松ヶ根乱射事件』(2007)のことから伺います。あの作品をやるに至った経緯とシナリオが出来るまでのプロセスは?

山下 シグロの山上徹二郎さんというプロデューサーが、芥川龍之介の「偸盗(ちゅうとう)」という原作をベースにしたシナリオを僕に送ってきたのが最初です。それは佐藤久美子さんが書かれたものだったんですけど、プロデューサーは僕と向井を参加させて、新たに作り上げていこうという感じだったんです。佐藤さんの書いたホンもすごく面白くて、プラス僕らの作り出したキャラクターなんかの話を加えて広げていきました。僕は芥川龍之介の原作自体は読んでなくて、佐藤さんの脚本を原作だと思って膨らませていったという感じです。


fukua02.jpg(山下敦弘プロフィール)
1976年愛知県出身。高校時代にビデオカメラで映像制作を始める。大阪芸術大学に入学し短編を次々と発表。99年に『どんてん生活』を完成させ、これを機に「真夜中の子供シアター」を発足する。 以後、『ばかのハコ船』『リアリズムの宿』『くりいむレモン』『リンダリンダリンダ』『松ヶ根乱射事件』『ユメ十夜』等確実にキャリアを重ねる。今夏にも、くらもちふさこの人気漫画が原作の『天然コケッコー』の公開が控えている。


向井 佐藤さんの台本はたしか4稿だったと思うんですけど、「了解をとってあるから、これをベースにとにかく一回好きに書いてみてくれ」と言われて、一度山下と二人で書いたんですね。出来上がった物を、山上さんと佐藤さんに投げて、打ち合わせして。次に佐藤さんがそれをまとめたのが上がってきて、そこからまた打ち合わせして今度は僕らが直すという......そんな感じでした。


fukua03.jpg(向井康介プロフィール)
1977年徳島県生まれ。大阪芸術大学在学中の97年『鬼畜大宴会』(熊切和嘉監督)の照明、編集助手を担当。その後山下敦弘監督との共作で数々の脚本を担当する。山下監督以外の脚本作品では『悲しくなるほど不実な夜空に』(2001 宇治田隆史監督)、『呪霊 THE MOVIE』(2003 村上賢司監督)、『青い車』(2003 奥原浩志監督)、『神童』(2007 萩生田宏治監督)等がある。


瀧本 二人で最初に書いたものは、土台となった佐藤さんの脚本からかなり変わったんですか?

山下 すごく長くなっちゃったんだよね。

向井 3時間くらいのホンになっちゃったんですよ。佐藤さんの面白いところも残しつつ、プラス僕たちが面白いと思うことを足していったら、必然的に長くなっちゃった(笑)。

瀧本 参加してから、最終的なホンができるまでの期間はどれくらい?

向井 確か5月くらいに書き始めて、翌年の1月にインしたから、半年くらいです。自分たちの中では、それほど長い期間というわけではないですね。普通かな。

山下 最後まで細かい直しはしてたんで。リハーサル中に、向井に来てもらってセリフを書き足したりってこともしていましたから。

向井 やっぱり役者さんのセリフの言い方とかで、変わってきたりしますからね。

瀧本 共作っていうのは、様々なスタンスがあると思うんですけど、二人の場合は?

山下 『リンダ リンダ リンダ』(2005)の時は、最初、僕と宮下和雅子さんとで書いて、後から向井に入ってもらったし、今回は佐藤さんの脚本があったところに僕と向井が入ったので、ここ2本は最初からスタートっていう感じでもないんですけど。基本的に僕は一人では絶対書けないタイプなんで、向井に入ってもらってるんです。そのスタイルは変わってないですが、最近は向井が書いて、僕は二人でいても考えてるだけってことが増えましたね。前はお互いに書いて「これどう?」とか言い合いながらやってましたから、脚本家が二人いるみたいな感じでしたけど、徐々に脚本家と監督が二人でホンを作るという感じに変わってきました。

二人が大阪芸術大学の同窓生で自主映画出身だということは、一本でも山下監督の作品を観たことがある人なら周知の事実でしょう。二人で共同脚本を書いた大学の卒業制作作品『どんてん生活』が、2000年のゆうばりファンタスティック映画祭オフシアター部門のグランプリを受賞し、世界各国の映画祭でも高く評価されたことで、二人の映画人生は切り拓かれました。東京国際映画祭の新人監督に対する助成金で制作された第二作『ばかのハコ船』も好評を博し、つげ義春原作の『リアリズムの宿』(2003)のオファーへと繋がります。

山下 『どんてん生活』(1999)は、最初、僕がホンを書くって言い切ってたんですけど......どうしても書けなくて。向井を僕の部屋に呼んで、二人で書き始めたんです。

向井 『ばかのハコ船』(2002)の時は、今度は僕が書くって言ったんですよ。それで一人で書いてみたら、やっぱり最後まで書けなくて(笑)。それで山下に途中まで出来たのを読んでもらって......で明らかにこれじゃあダメだと。それで結局二人で書き始めました。

山下 今度は僕が向井のアパートに行って(笑)。『リアリズムの宿』になると、どっちが書くということでもなく、二人でシナハンに行って、二人で書こうという流れが最初から自然にできてましたね。

瀧本 どこを書くか分担して書くという感じですか?

山下 いえ。相談しながら作っていました。だから分担という感じではなくて。

向井 『リアリズムの宿』は、ワンシーンワンシーン、「こういうことだよな」っていうのを二人で確認し合いながら書いていったという感じがありますね。あれは原作物ってこともあって、何度かダメだしを食らったんですよ。だから必然的にそういうことになっていったという感じもありますね。

山下 プロデューサーのチェックがあったんですよ、東京の方だったんですけど。僕たちはその頃まだ大阪にいて、向井は当時から人の脚本を依頼されて書いたりしてたんですけど、僕は自主映画ばかりでした。それまでプロデューサーが存在することがなかったから、すごくイライラしたことを覚えてますね。今思えば当たり前のことを言われてるだけなんですけど、当時はそういう経験がなくて、イライラを向井にぶつけたりして(笑)。

向井 山下が東京から帰って来て、プロデューサーにああ言われたこう言われたって言うんですよ。「ここの笑いが面白くなかった」とか。プロデューサーに直接言われるのは平気ですけど、山下に言われるとなんか腹が立つんですよね(笑)。「こんなこと言ってたよ」って、告げ口みたいな感じで。聞いてたら全部俺が悪いみたいな気持ちになっていって(笑)。

山下 『リアリズムの宿』までは、向井も現場にいたんです。あの頃はまだ照明もやってたんで。(**向井さんは脚本兼照明技師)だから、どこかで脚本家と思いながらも、どうせ現場来るんだろうっていうのもあったし、自主映画の延長という感じもあって、本当にその辺がゴチャゴチャした映画でしたね。「これでプロになる!」っていうのもあったけど、一緒にやってるメンバーは前と変わらないし。

向井 だから居心地は妙に悪かった。

瀧本 脚本はどのくらいの期間がかかったんですか?

向井 半年くらいですね。5月に話が来て、6月にシナハンに行って、12月にもうインだったんで。初稿が結構気に入ってたんで、同じテイストで直した2稿目までは早かったですね、1ヶ月くらいだったかな。3稿目でガラッと変えたんですけど、それが時間かかりました。

山下 お互いバイトもしてましたし。だから、夜会ってたのかな。あんまり焦って書いてた記憶はないです。

瀧本 学生時代からの付き合いだと、息詰まってケンカになったりなんてことは?

向井 ケンカまではならないですね。

山下 イライラしてくるとお互いわかるから、その日はもう書かないで二人でテレビをボーっと観たりとか、酒飲んで終わったりとか。

向井 怒るっていうより拗ねるんですよ、こいつ(笑)。

山下 テレビ散々観て、もういい時間になってるのに、どっちかが「じゃあやろうか」と。妙に相手の出方を見たりなんかして。

向井 こっちがやる気になってるのに山下は全然やる気になってないとか、逆とかね。

山下 それだけ余裕というか、時間はあったんですよね。

向井 大阪にいた頃は、本当に時間はありましたからね。

【自主映画からプロへ】

『リアリズムの宿』の後、二人は別々に大阪を離れ上京します。山下さんは『リンダリンダリンダ』の企画に取り掛かり、向井さんは奥原浩志監督の『青い車』の共同脚本を担います。次に二人が共作するのは『くりいむレモン』(2004)。過激なアダルトアニメの実写企画です。『リアリズムの宿』がどこか自主映画の延長のプロの仕事だったとすれば、ここからは完全なプロの仕事ということになります。

向井 『くりいむレモン』は、山下が『リンダ』は「俺ひとりでやる!」ってやってた頃、「700万くらいで撮るんだけど一緒にやらない?」って僕に話が来て。丁度東京に出てきて脚本っていう立場でちゃんとやっていかなきゃなと思っていた頃だったんで、一人で書いてみたんですよ。そしたらまた行き詰まった(笑)。あれはエロを書けという企画だったんですよね。だから普段考えてる笑いとかを全く考えなかった。どういうシチュエーションがエロいのか、どうすればエロくなるのかみたいなことばかりを考えて。

山下 やってみようと思ってお引き受けした仕事でしたけど、二人ともエロが得意じゃないっていうのは、シナリオを書きながら感じていましたね。笑いも入れられない中で、どうやって自分たちに引き寄せるかっていうのを考えて。ラストの15分くらいはほとんどセリフがないんですけど、あそこが一番二人のテイストが出てると思います。あそこは好きなことをやらせてもらった感じで、あとは僕としては仕事として割り切ったという部分があります。

瀧本 やっぱり笑いを入れたいというのはありました?

山下 そういう部分もあって、少し入れて失敗したってところもあるんですよ。

向井 後半山本浩司さん(**『リアリズムの宿』に至る三部作の主演男優。二人の大学の先輩でもある)が出てくるところとかね。

山下 あそこだけ浮いてますよね。すごい反省してます。あそこだけなんで自分たちの爪痕を残しちゃったんだって(笑)。やっぱりどこかで割り切り切れてなかった。

瀧本 プロデューサーからこうして欲しいというような縛りは結構あったんですか?

山下 そんなこともないんですけどね、ただ、意味不明な注文とかはありましたけど......例えばオナニー入れろとか(笑)。

瀧本 意味不明どころか、それ大事なポイントじゃないですか(笑)。

山下 大事なんですかね(笑)。

向井 『くりいむレモン』も最初はプロデューサーが書いた、シナリオに近いプロットのようなものがあったんですよ。それを読むと、明らかに俺たちのことを想定して書いたろうなというものだったんです。『リアリズムの宿』的な世界で。で、こういう感じで、でもこれを一回全部なくして書いてくれって言われて。だから、自分たちのテイストも出さなきゃいけないのかなあというのもあったし、設定は兄妹の恋愛ものだし、その辺で、変に割り切って書いたのかもしれないですね。

山下 あの作品を作り終えて、それぞれの癖が出てるなと思いましたね。バラけてるというのかな。

【ヒット作『リンダリンダリンダ』】







fukua04.jpg山下 最初は『リアリズムの宿』を観てくれた根岸洋之さんというプロデューサーから、エンジェル大賞というコンペで賞を取ったから参加しないかって依頼があったんです。その時にはすでにプロデューサーと宮下さんとで脚本づくりに入っていてそこに僕が参加しました。結構長いことやってたんですけど、僕が煮詰まってしまったんですよね。

向井 普通に山下と会って話をしてたら、「ホンどうすればいいかなあ?」とか聞かれるじゃないですか。それで、「ここをこうしたら?」とか言ってると、こいつが「それをプロデューサーに言って」とか言うから、最初は嫌だよって(笑)。

山下 文化祭の話にしようっていうのと、4人のキャラクターの大まかなところは決まっていましたけど、それ以外は全然で。

向井 「じゃあお前来いよ」と言われて行った最初の打ち合わせで、結構キャスティングの話は出ていて、そのとき山下が突然「この間映画で観たペ・ドゥナって子がいい」なんて言い出して。そうなると必然的に留学生って設定があらわれて。

山下 最初は日本人のボーカルだったんですよ。屋上でギター弾いてる茶髪の女の子いるじゃないですか、彼女がボーカルっていう設定だったんです。その子だったら僕なりの世界みたいなものが広がるんですけど、なんか、『ばかのハコ船』みたいになっちゃうのかなと思っちゃって。すごく生々しい地元の高校の話になっちゃうのかなと思うと自分が乗らなかったんです。そんな時にペ・ドゥナのことを思いついたんですけど。どうせペ・ドゥナの名前出しても、プロデューサーに「そりゃないんじゃないの」と一蹴されるだろうとは思って。(**当時からペ・ドゥナは相当の有名女優でした)それはそれで自分としては時間が稼げるから、言うだけ言ってみるかと(笑)。可能性はなくもないかなと思ってましたけど、その後のプランがなくって。

向井 だから俺は反対したんだよ。

山下 向井は「俺が参加してから無茶苦茶言うな!」とか言ってました。当時、結構日韓の政治問題が連日新聞に載ってるような状態で、でも韓流ブームも来つつ、パッチギっていう凄い映画ができたらしいよ、みたいな話もありつつ。だったらそういう日韓の問題も入れなきゃなんないじゃないかって言ったりして。

向井 俺は「そりゃ大変だよ!」って言ったんですよ。単純に女子高生がブルーハーツを歌う映画じゃなくなるよって。

山下 とにかく、ペ・ドゥナっていうハードルができた分、僕としてはそれまでコピーバンドをやるっていうことで悩んでいたものが薄くなってきたんですよ。バンド物の難しさが和らいだというか。

向井 でも、出てくれるかどうかわからないじゃないですか。それで、プロデューサーに韓国人が主役のバージョンと日本人だけのバンドの話と同時進行で両方書いてくれって言われて、「それは嫌だ!」って言ったんですけど(笑)。結局、僕が韓国人主役の話を書いて、とりあえず日本人4人の話は宮下稿を維持しておくってことでやってみようと。それで僕が書いた物を送ったら、割とすぐにOKの返事が来たんです。

山下 僕がもしかしたら勝算があるかもしれないなと思ったのは、以前にポン・ジュノに会ったことがあって、その時は彼が審査委員だったんですけど、『ばかのハコ船』を観て気に入ってくれてたみたいだったんですよ。それが本当なら、もしかしたら可能性はあるなと。そしたら本当にペ・ドゥナが、「ポン・ジュノが山下の作品は面白いって言ってたから」って引き受けてくれて。あの作品は、彼女が決まって一気に動きましたね。

瀧本 そこからはシナリオもスムーズに仕上がったんですか?

山下 一番引っかかったのはラストでしたね(**映画は体育館で主人公たちのバンドがブルーハーツを歌うライブシーンで終わる)。ライブシーンで終わるんじゃ絶対ダメだから、その後のそれぞれをモンタージュするとか、飛行場でペ・ドゥナが去っていくのをみんなが見送るシーンを入れるとか二人の間ではいろんな話をしたんですけど、その稿の締め切りには間に合わなくて。次の直しの課題にしようってことでライブシーンで終わらせたままプロデューサーに出したら、すごく気に入られちゃったんですよ。それでこっちは拍子抜けしちゃったんですけど。

向井 結果的にはそれでよかったですよね。

瀧本 すっきりとした、いい終り方だと思いました。

山下 4人が演奏してる姿って、書いてる時は想像するしかないので、少し信用できなかったんですよ。それっぽくはできるだろうけど、ラストで感動できなかったらどうしようかと。しかもペ・ドゥナはOKはもらったけど、そこから一切連絡取れなくなっちゃって(笑)。「彼女歌えるんですかね?」みたいな話になって。声聞きたいからテープ送ってくれって言っても返事ないし、日本語も本当に喋れるかどうか確認取れなくて。プロデューサーと会いに行って、一緒にカラオケに行ったりして、その時やっと安心したんですけど。日本人だったら4人集めて練習させたりして様子を見ることもできたんでしょうけど、それができなかったから。だから、ラストに関してはずっと不安だったんです。

瀧本 シナリオから切ったシーンはありますか?

山下 オープニングですね。最初は、今の女子高生たちがブルーハーツを歌うことに意味をもたせなきゃいけないんじゃないかと思って。1984年くらいの設定で、小さな女の子が出てくるようにしていたんです。甲本ヒロトさんが「リンダリンダリンダ」を歌う映像を観て、女の子がわっと泣きだしてから現代に飛んで、その女の子が女子高生になっていて......みたいなシーンを撮ったんですけど、ライブシーンがうまく撮れたというのもあって、変に意味づけしちゃうとかっこ悪いなと思って、全部切っちゃったんです。

向井 主演がペ・ドゥナになったってことも大きいですよね。日本語を喋れない子が三日間で日本語の歌詞を覚えて、ギターを弾けない香椎由宇が同じ三日間でギターを覚える。その二人の感情のつながりが作れていれば十分なんじゃないかと思ったんですよ。ブルーハーツの歌のメッセージ性も強いですし。

山下 最初のラフな編集の時は甲本ヒロトさんがバーンと出てたんですけど。結局、ブルーハーツ自体の絵がないというのはよかったです。

向井 でも、「映画の中に甲本ヒロトの顔を出したい!」っていう欲求はあったんですけどね。

【原点は......大阪っぽくない笑い】

山下監督作品は、近代的な建物のある場所でも、美しい自然のある場所でもない、とても中途半端な地方の町を常に舞台に設定しています。そんな町の取り立てて美しいとも思えぬ風景が独特の味を醸し出し、ユニークな登場人物たちの背景として作品に刻まれています。筆者も高校まで四方を山に囲まれた中途半端な町で生まれ育ったために、その辺りに何とも言えぬ愛着を感じております。





fukua05.jpg山下 僕は愛知県の半田という所の出身なんですけど、親の転勤が多かったので、結構あちこち点々としました。地方都市が多くて、都会は小学校1年生から4年生までいた川崎くらいでした。でも、田舎に対して思い入れみたいなものはないんですけどね。ただ、大阪芸大自体が田舎にあって、そこで映画を撮ってたから、ああいうところでロケーションするやりやすさってのがあるのかもしれませんけど。

向井 大阪にいたことはいたんですけど、僕も元々徳島だし、やっぱり多少大阪の人情みたいな世界に入り込めないなっていうのもあって。そうすると大阪を撮ろうと思っても大阪っぽくないところを撮りたいってことになって、どうしても奈良とか京都とかに行っちゃうんですよ。

山下 大阪芸大の人間って、地方の寄せ集めばっかりで、自主時代も実は生粋の大阪人のスタッフとか全然いなかったんですよ。

向井 結局話してると内容が自分たちの育ってきた環境の話になるし。

山下 徳島と愛知でも共通点があったりするんです。人間関係とか、何をして遊んだとか。

向井 同級生だったあの娘が風俗嬢になってるとか(笑)。

山下 そういうネタを持ち寄っていくと、自然と舞台がどこでもない地方みたいなことになっていきましたね。それに、いざ大阪の映画を撮ろうとすると、すごい先輩がいっぱいいますからね。井筒監督とか、阪本監督とか。そうなると僕らは生粋の大阪人でもないし、とても勝てませんから。それは『鬼畜大宴会』の時の熊切和嘉さん(**『アンテナ』『フリージア』等の監督。二人の大学の先輩である。)もそうだったし、割とみんな、そういう風に感じてましたね。『どんてん生活』の時は、僕らスタッフのほとんどが『鬼畜大宴会』の手伝いに入っていて、ああいう凄いものができたので、むしろ対『鬼畜』的な意識がありました。だから、笑いの方に行って。同じようなものを作ると自分自身も詰まらないし、絶対超えられないんじゃないかと思いましたし、なおかつ、人を笑わせる映画を撮ってる人ってあんまりいなかったので。

向井 いたとしても、いわゆる大阪の笑いで。

山下 その辺りをキーワードにして作っていったんです。

瀧本 そういえば、あんまり方言使いませんね。笑いの材料になりそうなのに。

山下 なんなんでしょうね、なんとなく制限されちゃう気がするんですかね。




fukua06.jpg向井 方言が入ってくると、書くのも撮るのも実際大変ですよね。間ひとつとっても、言葉が違えば違ってくるわけだし、怖さもあるし。そういうことを考えていくと、どうしても架空の町になっていっちゃうのかな。でも、これからはそういうのもちゃんとやっていきたいと思うんですけど。

山下 本当にロケハンとかシナハンに行ってその町を気に入ったんならいいんです。そういう意味では、『リアリズムの宿』は鳥取に行って、鳥取っていうところが面白いなと思って書いたホンかもしれないですね。

瀧本 大阪芸大では、クラスが一緒だったんですか?

山下 学科が同じでした。映像学科で150人いるんですけど、最初のグループ分けで同じグループにさせられたんです。向井と山下で席が近かったので。(**マ行の向井とヤ行の山下)

瀧本 授業って、どんなことをやるんですか?

向井 あんまり出てないから覚えてないです(笑)。

瀧本 シナリオの書き方を教えてくれたり?

向井 簡単にはありましたね。

山下 シナリオの添削みたいな授業はありましたよ。

向井 卒業シナリオっていうのもありましたからね。

山下 でも脚本を書きたいヤツはそんなに多くないので、僕なんかも相当ひどいシナリオを提出してましたけどね。向井なんかはちゃんとシナリオを書けてたと思うんですけど、そういうヤツは少なかったですよ。

向井 一夜漬けとかね。

山下 そうそう、一夜漬けで書く連中多かったですね。

瀧本 『どんてん生活』は卒業制作ですが、それはどうやって決まったんですか?

山下 シナリオさえ通れば、基本的に勝手に撮れるんですよ。その代わりフィルム代は全部持て、機材は貸してやるから、というシステムで。あの時は中島貞夫監督が先生だったんですけど、プロの目から見て出来ないことがあるじゃないですか。一軒家の火事とか、梅田の駅前のシーンとか。そういうことを書いたら、「お前これどう撮るつもりなんだ?」とかって注意はつくんですけど、ただ、現場的に不可能じゃないことに関しては寛容だったですね。『どんてん生活』の時は、JRのシーンに「ここは許可取れよ」とか、パチンコ屋のシーンで「どうやって撮影するんだ?」と聞いてくるぐらいで、あとは自由なんです。

向井 当時は構成なんてわからないし、みんなフットワークが軽いんで、大体シナリオを書いて、まず現場でああだこうだやってみて、足りない分は撮り足していこうみたいな感じでした。

瀧本 じゃあ習作を積み重ねてシナリオの腕を磨いたというより、実作の中からシナリオを勉強したということですかね。

向井 そうですね。

山下 向井は卒業シナリオっていうのを書いてるんですけど、作るという前提があって書くことが多かったですね。そういうのがないとなかなか書かなかったりもしますから。『どんてん生活』も、卒業単位っていうのがまずあって、「ああ俺らもそういう時期に来たか」と思って初めて考え始めましたから。

【俺の武器はシナリオだ!】

山下さんの次回作は今夏公開の『天然コケッコー』。脚本は『ジョゼと虎と魚たち』『メゾン・ド・ヒミコ』の渡辺あやさん。向井さんと離れた初めての映画です。一方の向井さんも現在公開中の萩生田宏治監督の『神童』で初めての単独脚本に取り組んでいます。

瀧本 渡辺さんとはどうでした?

山下 難しかったですね。元々原作のテイストを変えずに書くという決まりがあって、渡辺あやさんの脚本があったんですけど、向井とやっている時は、僕が書かなくても散々話しながらやってるからセリフの乗りもわかっているし。ト書きも僕にとってはやりやすい脚本なんです。でもやっぱり初めてやる脚本家だと、ト書きとかが「これどうやってやりゃいいんだろ?」っていうのが凄くありましたね。向井だったら言えば書いてくれるからいいんですけど(笑)。「これは俺が考えろってことかな?」とか、すごく考えちゃいましたね。そういうのを埋め合わせるのに、一年くらい話し合ってお互いをなじませていったというか。だから結局2年ぐらいかかっちゃいました。

瀧本 結構かかりましたね。

山下 結局最後に信用できるのはシナリオだったりするんで。自分で決断できない時はシナリオに書いてあることが正解だし。自分が自信を持っているシナリオだとスタッフともしっかり話をして、プラスアルファをどうしようっていうことができますから。『松ヶ根乱射事件』の時は本当にそうで、キャストも僕の枠を超えた方々だったので、とにかく「俺の武器はシナリオだ!」と思って演出していました。それは不思議とできるんですよ。でも、撮影が終わるとシナリオがないから、三浦友和さんなんかと会うと緊張しちゃって(笑)。僕の場合、とにかくシナリオになじむまでに時間がかかるっていうのがありますね。なじまないと、現場で不安になっちゃうし、なじむと、逆に現場でシナリオに頼らなくなるっていうか。長い時間関って、ようやくシナリオが自分のものになるんです。

瀧本 脚本家としては期間が長くなるのはどうなんですか?

向井 僕も書くのが遅い方なので、時間はあればあるだけいいなって感じなんですけどね。まあ、あればあるだけ完成しないんで、締め切りは必要なんですけど。でもそれ相応の時間は必要ですね。あとは書くだけじゃ不安なので、役者が決まってリハーサルをやった時に「ああこのセリフで間違ってなかったな」とか、「これってまずかったな」とか確認できるのが、自分の中では大きいですね。役者に自分の書いたセリフをどう言われるかですよね。ダメなら書き直したいなと思うし。山下とやる時はそういう時間を尊重してやってくれるんですよ。それはありがたいなというのはあります。

瀧本 即興感覚の演出なのかなという印象を持っていたんですけど、リハーサルは結構やるんですか?

山下 そうですね。『リンダ』の時なんかは、本番飽きちゃってますからね(笑)。やりすぎたなと思っちゃったくらい。でも、それで初めてああいう映画ができていると思います。中にはリハーサルの最初が一番よかったなっていう時もあったりするんで、いい悪いは一概には言えないんですけど。でも、『松ヶ根』の時もやっちゃったし、今度の『天然コケッコー』の時もやりまくっちゃいました。

向井 そういうことをさせてくれるかくれないかって、自分にとっても大きいんですよ。僕、この間テレビの小さな作品をやったんですけど、そういうのがないからすごく不安で。このセリフ、役者にどういう言われ方しちゃうんだろうとかって。「ホントに納得してくれちゃってるの?」っていう間に進んでいっちゃいますからね。

筆者はテレビドラマの助監督経験も多数あり、何本かドラマのシナリオを書いております。勿論、丁寧に作り込まれているドラマもありますが、その多くは時間との戦いで、流れ作業で作られているという事実は否めないように思います......

瀧本 山下作品は作家性が強いと評されていて、作家と呼ばれる監督って、自分で書いている場合が多いじゃないですか。向井さんと上手くいくっていうのはこれまで話を聞いていてよくわかるんですけど、渡辺さんとやってみて、今後、向井さん以外のシナリオライターとやってみたいという気分ってあります?

山下 渡辺あやさんは作品を見て面白いと思ったので、一度やってみたいっていうのはあったんです。だから、今後もそういうことはあるかなとは思うんですけど。ただ、大変だろうなっていうのはあります。やるとしたら時間がかかると思うので、時間に余裕をもたせてくれるプロデューサーがいたらやりたいですよね。僕、シナリオをまだ本当にわかっていないところがあるので、ホント、シナリオ読めない監督だなっていう気がするんですよ。向井のホンしか知らなかったんで。

瀧本 向井さんは照明をやっていて、現場のことよく知ってますよね。監督しようとは思わないんですか?

向井 あんまり思わないですね。なんでだろう?

瀧本 話が来たら考えてもいい?

向井 どうかなぁ。

山下 そういう時は人のホンの方がいいよね。

向井 それはそうかもしれない。自分で書いたら大変かもしれないなあ。でも、人の書いたものでやるにしても、全部変えそうな気がするけど(笑)。

山下 僕も短編なんかは一人で書いたりしましたけど、単純にできあがったのが面白くないんですよね。

向井 自分が考えたのって、飽きちゃったりしません?

瀧本 飽きます(苦笑)。僕も自分一人で書くのはどうもなあというのがあって。そんなところからこういう企画になったんですけど......

この後も、居酒屋に場所を変えて話し込みました。長く濃い付き合いならではの二人のやり取りには絶妙の間合いがあり、とても愉快な酒の肴になりました。山下さん、向井さん、長時間お付き合いいただき、本当に有難うございました。
『山下ワールド』と評されるあの独特の世界観が、何度も煮詰まりながらもしつこくシナリオを練り上げることから出来上がっていたのだと思うと、何だか勇気が湧いて来ました。僕も相当シナリオに時間がかかり、方々に迷惑をかけてばかりいるものですから。

                  平成十九年五月一日 監督協会にて    DV撮影 檀雄二