
小林聖太郎監督インタビュー
【『かぞくのひけつ』小林聖太郎監督インタビュー】
聞き手:緒方 明
★小林聖太郎(こばやししょうたろう)プロフィール★
71年、大阪生まれ。関西大学法学部政治学科卒業後、ジャーナリスト今井一の助手を努め『阪神大震災の被災者にラジオ報道は何ができたか』『大震災100人の瞬間』『大事なことは国民投票で決めよう』などの取材、執筆に協力する。95年、原一男監督が開いた「CINEMA塾」に第一期生として参加。96~98年にかけて同監督のTVドキュメンタリー『映画監督 浦山桐郎の肖像』の助監督を務める。その後、劇映画の演出部として『ナビィの恋』(98)『ホテルハイビスカス』(02)(中江裕司監督)『閉じる日』(00)『えんがわの犬』(00)(行定勲監督)『ぷりてぃウーマン』(02・渡邊孝好監督)『ゲロッパ!』(02)『パッチギ!』(04)(井筒和幸監督)『ニワトリはハダシだ』(03・森﨑東監督)『69 sixtynine』(03・李相日監督 )『リンダリンダリンダ』(04・山下敦弘監督)『雪に願うこと』(05・根岸吉太郎監督)など多くの映画製作に関わる。(カッコ内は撮影年度)
【ビン・ラディンと十三!?】
緒方:監督協会新人賞おめでとうございます。受賞が決まった時の気分はどうでした?
小林:いやー、正直に言うとびっくりしたっていうか、戸惑ったっていうか「いいのかなあ、大丈夫?」って感じでした。内容に関しても先鋭な主張をしてたりする映画じゃないですし、こっちも大それた気持ちで作ってないんで。
緒方:今回の企画はそもそも...?
小林:一昨年、2005年の年の暮れに、『ニワトリはハダシだ』(03・森﨑東監督)で一緒にやったプロデューサーの志摩敏樹さんから連絡があったんですよ。大阪・十三の第七藝術劇場(※註1)が、一回夏に休館してたんだけど年末から再オープンすることになってその経営に加わることになったと。で、志摩さんが加わる以上せっかくだから記念として映画を作りたいと。ついては新たに映画館を立ち上げるってことで監督も大阪出身の新人がいいということなんだけど...やらないかっていう話なんですよ。で、「ちょっと考えさせて下さい」と(笑)。
緒方:ちょっと腰が引けてた?
小林:そうですねえ。「町おこし映画」とか言われてもなあ...、最近そういうの多いしなあってネガティブな思いがありましたね。それで面白く出来るのかどうか果たしてわかんない。しかも予算1000万で撮れと。「それは配給・宣伝費も含めてですか?」って聞いたら「ようわからんけど全部や」「あー全部ですかあ、どこまで全部なんやろ、ま、いいか。じゃあ現場に700万とかそんなもんかあ。できることはしれてるよなあ」って思って。で、ちょっとしばらく考えさせてくれって言ったんです。それと内容に関しても大阪の人情商店街とかそういうのもなあって。あんまりそういうのでデビュー作っていうのもどうなんだろうって思いもあって。その時やりかけてた企画もあって取材もやってたんでそっちにも義理を通さないといけないしちょっと待ってくださいと。
緒方:じゃあ引き受けるまでかなり悩んだんですね?
小林:ええ。1ヶ月近く考えて、いろんな人に相談して自分でもどうしようかと思って...。ただ、考えてみたら自分で監督したものって劇映画、ドラマ、自主映画も含めてやったことなかったんですね。確かその時は公開もナナゲイ(※註2)では決まってたけど、なんかイベントの招待上映みたいなので一回やるかとかそんなアイディアがあったくらいで別に全国公開ってことでもない。そうやって考えるうちにこれはちょっといい肩慣らしじゃないかと思うようになりました。一回ちょっと投げてみようかと。そう言えばブルペンでも投げたことないよなあってことで。

緒方:ひょっとしたら負け戦になるかもしれないと思いませんでした?
小林:その可能性はすごくあると思ってました。というのはその時点では8月にイベントでの公開が決まっていて。ということは仕上げは梅雨の時期で撮影は5月にやらなければならない。これが1月末の段階で脚本もプロットも何もない。(※註3)決まってるのは商店街モノ、人情話。うーん...これからホン作る時間あるのだろうかと。
緒方:そういう意味ではかつての撮影所で新人監督がプログラムピクチャーでデビューするような感じだったんですね。
小林:そうそう。だからその時自分のモチベーションを作るために思ったのが「これはSPだ。シスターピクチャーだ」と。(※註4)1時間ちょっと。70分。ロマンポルノ枠くらいだと考えました。人情モノっていうより松竹に5、60年代にあったような併映作なんだと。それなら自分に出来るかなと気持ちを持っていってとりかかったんです。
緒方:原作があるわけでもなし、ゼロからのスタートですよね。一人で始めたんですか?
小林:助監督を9年くらいやっててなかなか一人じゃ書けないこともわかってたんで先輩助監督の中村有孝さんって人に相談に乗ってもらっていました。その後ズルズル引っ張り込んで結局現場プロデューサーまでやってもらうんですけど。最初は中村さんと喫茶店で話して「とりあえずなんか映画観ようか」ってことで高校映研みたいに始まった(笑)。
緒方:その時になんか自分がやる上でのとっかかりみたいなのはありました?
小林:うーん...。ぼく大阪で生まれ育ったんですけど「人情の町」とかいうのが嫌いで...。
緒方:へぇ~(意外)
小林:「嘘やろ?みんな本音で人情溢れる人たち、って。そんなわけないやろう?」って思いがあって。だから「町おこし」「人情に厚い」「ほのぼの」は絶対やりたくないなと。でも予算は限られててその中で出来ることは限られてる。しかも初めは映画好きの高校生が主人公ってしばりまであった(笑)。それは特集上映のために十三の映画館が舞台で高校生の映画祭とかからめてやりたいってことだったんですけどね。でも映画好きの高校生なんて主人公にしたくもない、そんな奴ら皆殺しにしたいなあとか言うてました(笑)。そういうことではなくてなんかドタバタ、ハチャメチャなことを短い尺でコンパクトに出来ないかって中村さんと二人で主に古い映画を観ましたね。
緒方:どんな映画を?
小林:キートンから始まって。『セブン・チャンス』(25)とか。(急に声を潜め恥ずかしそうに)もともとやりたいことって今村昌平さんの『豚と軍艦』(61・今村昌平監督)だったり、ルビッチの『生きるべきか死ぬべきか』(42)だったりするんで...(照笑)。喜劇だけど社会性もあってっていうのをずっとやりたかったんですよ。だから、観たのはキートン、ルビッチ、ワイルダー...。(※註5)「ひと月でこんなホン書けないよねえ」って言いながら(笑)。
緒方:その後脚本作りは順調に...?
小林:これも二転三転ありまして...。大まかに言うと3種類あるんですよ。最初のホンはあまり派手にしないで登場人物も少なく高校生が他人と初めて向き合う...まとめていうと失恋話みたいなことを書いたんですよ。で、とりあえずプロットでこういうの出来ましたってプロデューサーの志摩さんに出したんですけど...自分でもなんかノッてない。自主映画にもよくあるパターンでこんなこと観てもしょうがないなと。そしたら志摩さんに「うん、小さい話だけどいいんじゃない?」と言われてその途端「いやいやいや!ちょっともう一回考え直します!」って(笑)。このままいくとヤバイなって思いました。結局、肩ならしなんていう気分で映画は作れないんだ、とあらためて感じまして、もともとオリジナルで考えてた親世代の話を、出し惜しみしないで回想形式で入れることにして。さらにいくら規模がちっちゃくても視点というか全体を俯瞰する大きい何かが欲しいなと。なんかしたい、なんかしたい。何かわからないけど...って言いながらまた中村さんとダベリタイムが始まったんです。それで次に考えたのが......、アルカイーダのメンバーが新潟に潜伏していたっていうニュースが3年ぐらい前にあったじゃないですか...。
緒方:はい!?(突然の飛躍に驚く)
小林:それを十三にしようと。十三ってゴチャゴチャしてるからビンラディンがいてもおかしくないなみたいなことをちょっと思って(笑)。それぐらいブッ飛んだのをやりたくなった。「十三やったらスチーブン・セガールもおったしラディンくらいおるやろう!」(笑)みたいなことを思いまして、ラディンを追い掛け回して商店街中が賞金狩りでみんな血まなこになって走り回って、警官とアラブ人と大阪の商店街のおばちゃんが風俗街でドタバタになる。ああこれならやりたいなって書き出したんですけど...今度はまとめかたがわかんなくなった(笑)。ドタバタまではよかったんですけど捕まった後、そいつが本物か偽者かわかんないけど何を言えるんだ?そいつの心の叫びとして何を語るのか?...ってのがあってですね。でも、とりあえず書くかってことになって書いたんですよ。ラストは実はそいつは偽者で「別にイスラム教徒だから全員がテロリストってわけじゃない」って教科書みたいなことを台詞で言わせて。で、プロットにして志摩さんに見せたらまた「うん、いいんじゃない」って言われて(笑)。「いやいやいや!ちょっと待ってください。これはプロットだから成り立ってるけどシナリオにして映画になった時、最後に台詞でこんな演説聞きたくないですよ!無理じゃないかなー!?」...っていうのが3月の終わりごろですよ。撮影は5月にしないといけない。ラディン似のアラブ人が見つからなければ僕自身がやれ、というような話も出てきて、こらヤバいな、と...。で、相当悩んで「ラディンやめましょう」。自分で言い出しといて自分でやめました(笑)。
緒方:やめる時は「次の一手」は考えてたんですか?
小林:いや考えてないですよ。たださっきも言ったように、子供同士の男女関係と親の男女関係とを対比させて描くという...つまり「男と女」っていうキーワードはいれてたんですね。だけどそれだけでは『こたえてちょーだい』の再現ドラマみたいな浮気の話を映画で観てもきついよなーとも思ってまた暗黒の一週間になって。そうすると今度は...ネットで見たのかな「とんでもニュース」みたいなので。『ナイジェリアでペニスパニックが起こった』って(笑)。それは男が女を殺したんですよ。なんで殺したかというとこいつは魔女だと。魔女がおれのちんちんを呪いでとってしまった、だから殺したと(笑)。「21世紀で魔女とか呪いとかちんちんがなくなるってどういうことなんだ!?」って思って調べだすとなんかナイジェリアでそういう事件は90年代にも2、3回起こってて、インドネシアや中国でも何回か起きてる。「へー、そうなんや」と思いました。でも呪いってのは飛びすぎにしてもそれぐらい日常でありえないことがないときついなあと思って...ちんちんなくなるってのは下ネタやけど浮気話のオチとしてギリギリありかなと。そこで怪しげな漢方薬だったらほんとにギリギリ成り立たないかなーって思ってたらテントさんを思い出してですね。
緒方:あ、そこでテントさんが出てくるんだ。(※註6)
小林:あんな人やったらウソとホントのギリギリ境目で行けないかなーって思って。
で、あの歌はテントさんの持ちネタとしてずっと歌ってるんですよ。レコードも出てます。「そうだ確か若者の唄があったなあ、それを絡められないかな」って思って「一回書いてみます」ってことになった。そのころには中村さんともちょっと距離が近くなりすぎたんで違う意見が欲しくなってきたんです。女の人誰かいないかって思って、で、今回一緒に書いてくれた吉川(きっかわ)菜美さんが入ってくれて。で、ホンのカタチにしてくれて。
緒方:脚本作りを振り返ってみてどうですか。反省とかあります?
小林:ありますねえ。クランクイン前に思ったのは...まあ大感動作を作るつもりはないんだけどこのままだと何かひとつ高まるとこが足りない、それは絶対必要だ、でも今のところない、どうしたらいいんだろうって。で、撮影直前まで色々考えたんですけど結局これやってのはなくて「いやーこれで本当にいいのか」って思いながら撮影を始めたんですよ。それは...完成した作品で言うと主人公と父親の愛人と二人で親父を探し回るとこなんですけどね...。あの二人の関係っていうのはちゃんと見せきれてないと思うんですよ。今になってももうちょっと出来たんじゃないかと反省があります。
註1...『第七藝術劇場』 大阪、十三にあるいわゆる「単館系」映画館。こだわりの作品プログラムで映画ファンに人気。『いつか読書する日』『映画監督って何だ!』もここでやりました。感謝!
註2...『ナナゲイ』 第七藝術劇場の通称。
註3...『プロット』 映画の物語のあらすじ
註4...『SP』 シスターピクチャーの略。昭和30年代、邦画が量産され二本立てで上映されていたころ添え物の低予算作品で1時間前後の中篇作品をこう呼んだ。撮影所に所属していた監督たちはSPでデビューすることも多かった。
註5...『キートン、ルビッチ、ワイルダー』 バスター・キートン。エルンスト・ルビッチ。ビリー・ワイルダー。いずれも往年の喜劇映画の傑作を多く撮った巨匠監督たち。
註6...『テントさん』 テント...大阪を中心に活躍する「伝説の」「幻の」(?)芸人。年間50日ほどしか働かず、滅多に顔を出さないことから「ツチノコ芸人」の仇名を持つ。「かぞくのひけつ」では怪しげな薬局店主を怪演。かなり印象に残る劇中歌も唄っている。

【補助輪ついてます!?】
緒方:キャスティングに関してはどうですか?主演の久野雅弘君は『ごめん』(02・冨樫森監督)に続いてちんちん話ですけど(笑)(※註7)
小林:そうなんですよねー...。ホンと並行してオーディションを始めたんですよ。で、女の子に関しては早めに決まったんですよ。谷村美月は。ああ面白いなって思った。ところが主人公の男の子に関してはなかなかいなくて...。で、久野君ですけど...存在はもちろん知ってましたし『ニワトリはハダシだ』の時もオーディションに参加してたらしいんですよ。だけどその時立ち会った先輩助監督から「彼はあまり自分から能動的にアピールしたりしない」ってことは聞いてたんですよ。しかもこの話しで久野君使うとどうしても『ごめん』と似てるって言われちゃうって思いもあってちょっと避けてたんですよ。でも今、選択肢が何もないしインも迫ってたんで一回久野君呼んでみようってことになった。で、会ったらまさに先輩が言ったとおりで...。「あ、どうも...」って言うたきり何も喋らないという感じで。「なんか最近面白いことない?」「いや別に...」「じゃ一回ホン読んでみようか?」「(ぼそぼそぼそ)」一回保険で会っとこうかって思ったけど、これでは保険にもならんのか!?やばーってなって(笑)。で、あわてて『ごめん』の時のチーフ助監督に電話して「どうなんですか久野君は!?冨樫監督はすごく苦労したんですか!?」って(笑)。そしたら「いやいや、確かにオーディションの時は自分を出さないけどちゃんと彼は考えてるし、きちんとやる奴だよ」「ほんとに...?」ってやりとりがありまして(笑)じゃ、もう一回呼ぼうってことになって。何人かと一緒に来てもらったんですよ。で、わざと素人扱いして、「お前らやる気あんのか?」って感じでやってみたんですよ。そしたら久野君がやっと「そんな...こんな奴と一緒にされても...」って雰囲気をちょっとだけは出してきた。読み合わせも何時間かやってるとこの間とはだいぶ違うようになってきて「おれはやるぞ...!」てのは見えたんで、じゃあ久野君で行こうと。で、この際『ごめん』は忘れましょうってことになって(笑)。そこは気にしてられへん、言われてもしょうがないって腹をくくりました。
緒方:秋野暢子さんと桂雀々さんは...?
小林:秋野さんも...ぼくはやっぱり印象として『岸和田少年愚連隊』(井筒和幸監督・96)のイメージを引きずってて。(※註8)
『ごめん』があって『岸和田』だとなんか借り物ばっかりでどうなんだって思いながらも悩んだんですけどちょっと待てよと。こんな規模の映画に出てくれるかどうかもわからんし、こっちで勝手に悩んでてもしょうがないかと(笑)。まずは打診してみようってことになったんです。で、一応ホン読んでもらったら、やりましょうと乗ってきてくださったんで。じゃあお願いしますとなったんです。雀々さんに関してはある意味賭けだったんですよ。ぼくは落語も聞いてたし噺家さんだけでやる舞台も見てたんですけど映画の芝居ってことでいうと未知数でドラマも一回出たことあるくらいなんでクドーい『噺家芝居』になったらどうしようとも思ったんですけど...。でも普段の雀々さんも知ってたんで感触としていけるんじゃないかなっていう勝手な読みはあったんです。しかも規模が大きくなると、なかなか新鮮味のあるキャスティングって出来ないことが多いじゃないですか。せめてそこだけはやりたかったんですよ。結果としてはあの二人が引っ張ってくれて。特に秋野さんは第二演出部みたいな感じで、芝居という意味だけでなく現場って意味でも助けられました。
緒方:撮影の前にリハーサルはやったんですか?
小林:ちょっと長め、2週間くらいやりました。大阪のスタジオを借りて高校生二人と他の若手中心に。谷村もこれる時は来て愛人役のちすんも途中から合流して、雀々さんも最後の何回かは一緒に。お母さん役は代役でしたけど。
緒方:小林さんは助監督経験も豊富でいろんな監督についてますけど芝居をつける時に手本とした監督みたいな人いますか?
小林:うーん...。芝居って何なんですかねえ、本当にわかんないんですよ。一本やってますますわかんなくなっちゃったなあって思って。まあ井筒和幸監督のスタッフも含めたあの動かし方ってのはすごいなーと思いながら...でもとてもマネは出来ないんですけど。ただ「例え」っていうのかな、俳優に対して指示を出すとき具体例の比喩、言い換えみたいなことを言って伝えるのは...意識的というか無意識にというか井筒さんに似たとこがちょっとあるのかなあと。
緒方:撮影現場の雰囲気はどうでしたか?
小林:今回は制作部、演出部ともにスケジュールの関係で自分の周りのスタッフたちが誰も空いてなかったんですよ。予算的にも東京から連れて行けないって言われて。で、プロデューサー仕切りで自主映画チームが来たんですが、「うーん...これは何ともしがたいぞ」って壁がたくさんありました(笑)。例えばロケハン行って初日がですね。「監督。ここが電話です」と。ガレージの横に公衆電話があるんですよ。「は?電話?別に電話はどこでもいいし携帯でもいいよねえ。それよりまず不動産屋とかメインのロケセット見いひん?」「はあ。どんなとこがいいんですか?」「え!?ロケハン初日なのに候補地何もないの!?芝居が出来るとこやったらいいよ!だってオレンジの屋根がいいとか言っても無理でしょ!?セット組むわけやないんやから」「だからどういうとこがいいんすか?」「えー...ホンによりますとですねえ。まずはチェーン店ではないよねえ。アパマン館とかではないです」からその場で始めて。そしたら「あーなるほど」。なるほどじゃないよ!ホンに書いてあるよ、島村不動産だよ!!で、後から聞いたら陰で「監督にはイメージがない」って言われてたらしくて(笑)もう準備からそういう調子だったんですよ。現場に入ってもいきなり「えええええっ!?」ことがたくさんありました。「次のカット寄ってるから時計映るよ。秒針動かそうか」って言ったら「えっ!?」ってなって30分動かないみたいな(爆笑)。電池くらいあるだろおおお!って。だから演出っていうよりか...すごい現場でした。

緒方:そういう時はどうするの?怒るの?
小林:初めは現場の雰囲気もあるし「うんわかった。そこにね。ローソンという店があるから電池を買ってこようか!『単三』っていう電池が売ってるから。それを2本買ってきたらたぶんその時計は動くと思うよ!!」ってことで半分ギャグにしてやってたんですけどね(笑)。そういえばクランクアップの時、秋野さんが「あたしね、芸歴が35年あるんですよ。で、今回は今までで最低の現場でした」(大爆笑)。「すいません...」って言ったら「ううん、あんたは謝らなくていいのよ。逆にこういうとこでやったらどこでも出来ると思う。よう頑張ったね」って。誉めてるのかイヤミなのかが微妙で...。まあ衣装合わせからそういうことが続出でして。しかも撮る量は初日から15シーンくらいあるし(笑)。
緒方:井筒さんだったら怒鳴るでしょう。
小林:そうでしょうねえ。ただ怒鳴ったり止めたりしてやり直す余裕があればいいんですけど、本当に時間がないのであんまり怒鳴らないようにしようって意識はあったんですけど...。で、結局そういう体制じゃやばいんで先輩助監督、武正晴さんに来てもらったんですよ。ロケハンがなかなか進まずリハーサルとスケジュールがもろかぶりになってきて、武さんにリハーサルのほう、高校生たちに「下仕込み」みたいなのしてもらえないかなって頼んだんですよ。そしたら「下仕込み」どころか「中仕込み」ぐらいまでやってくれて細かく芝居つけてるんですよ。リハーサルで結構仕上げてきた。人の楽しみをとりやがってとか思いました(笑)。でも別に悪くはないんですよ。現場で俳優が「武さんとリハでこういう風にやりました」「えっ?そうか。ちょっと待って。(急に小声で早口になって)えーと動線がこうなって...うんまあ悪くないか。まあ動きはそれでいいや。じゃあそれを向きだけ変えようか」とか言ったりして。だから映画の中に「武さん演出」ってのが残ってるんですよ。「武さん演出部」ってのと「秋野演出部」てのもあって(笑)、だからそういうのもあって「新人賞大丈夫?」というのがあるんですよ。「まだ補助輪ついてますよ」みたいなね。
緒方:じゃあ現場ではかなりお尻に火がついた状態で...
小林:全カット追いまくられてやってました。だからこの間、贈呈式の上映会の時久々に観たら「く。くくくく......!(苦悶の表情)」ってなりましたね。慌てて撮ってるなあってのが自分でわかって...くくくって...。
緒方:撮影日数は?
小林:日数でいうと16日はあったんですけど、桂雀々さんと秋野さんが忙しくて前半3日、後半3日しか合う日がなくて。しかも中間試験があって高校生たちは午前中これませんってのもあって。
緒方:じゃあ「デビュー作を撮ってるぞ!」みたいな昂揚した気分は持てなかった?
小林:ちょっとねえ...。この作品の意義とかっていうより「明日大丈夫?大丈夫?時計は来てんの?」みたいなね(笑)。そのエピソードを話し出すと6日くらいかかるくらいびっくりすることが一杯ありました。
緒方:でもなんとか撮り終えたわけでしょ?
小林:なんとか、なんとかですよ。
緒方:そういう時の自分ってどうでした?助監督の時とは違うわけでしょ?
小林:助監督やってないとたぶん出来てなかったとは思いますよね。カット割りなんかにしても現場でいろんな状況になった時仮想してたものとは全く違うものになるわけじゃないですか。芝居をこうつけてどれが見やすいかっていうよりあと何時間で十何カット撮らないといけないっていう現実ね。スクリプターもいないしカットが抜け落ちてないかどうか自分でやらないといけないし。だからところどころ意図として長回ししてるんではなくてどう処理すればこれが埋まるかみたいな瞬発力で撮ってます。そういう意味で言うと「助監督やってて良かった」というよりは「やってないと撮りきれなかったんじゃないかな」という思いがありますね
緒方:カメラマンとはどうだったんですか?すごくオーソドックスな感じがしたんだけど。
小林:カメラマンは山下敦弘監督と一緒にやってる近藤(龍人)君っていう若い人でぼくは「リンダリンダリンダ」についてたので人柄はよく知ってました。彼と話したのは芝居がいちばん見えるようにと。後はデジタル撮影でちっちゃいカメラだからって手持ちで気軽に撮るのはやめようと。ちゃんと撮ろうと。手軽に動けるからといって動くんじゃなくてちゃんとフィックスで撮ろうという話しはしました。
緒方:ぼくが観て感じたのは秋野さんと雀々さんの芝居に関してよく抑えたなあと。
小林:さっき言いましたけど前半の3日間が不動産屋のシーンだったんですよ。その初日の昼ごはん後かな。雀々さんと秋野さんが、それこそ松竹新喜劇っていうかね。新橋演舞場で観る商業演劇をさらに濃くしたようなアドリブを提示してこられたんですよ。その時「うーん...確かにここで見てこの場では確かに面白いんですけど...やめましょう」って言いましたねえ...。
緒方:そしたら秋野さん何て言いました?
小林:「(秋野さんの口マネで)あ、そう?面白いと思うのにねえ?いやなん?」とか言われながら(笑)。「いやいや、面白いんですけど...つないだ時に...結局切っちゃうと思うし...そこはやはりホンのとおり...」とか言いながら。でも10コに1コぐらい「それはまあ...じゃ、やりましょうか」「あっ!?これはええの!?」とかね。初めの1~2日はブレーキを踏み続けないと...気を許すとどんどんいっちゃうって言うか。それはいい部分と悪い部分があって、二人の息が合っていくという意味では助かったってとこもありましたし、単純に役ってことを越えて二人の人間としての有り様ってのは生かせたとは思いますけど...。ただ小ネタのギャグで遊んでもしょうがないっていうのは思ってたんでそこは気をつけました。
緒方:ただどうなんでしょう。固定概念かもしれないけどいわゆる小ネタやアドリブっていうのは大阪っていうのをひとつ象徴してるって気もするんですね。
小林:うんうん(深くうなずく)。
緒方:小林さんとしてはそういうのは否定したかったのかな?
小林:あのー...。この間のパーティーでも大森一樹さんに「これじゃ吉本新喜劇だ」って言われて...そこだけはちょっと違うぞって思いはあるんですよ。吉本をやりたいわけじゃ全然なくて...。別に笑ってしまうってのは歓迎なんですけど、笑わせることが最終的な目的ではないんですよ。何ていうのかな...。うーん...(急に小声で)一応映画でありたいっていうのかな。及ばないかもかもしれないけど、それを通じて何かを見せたいわけだから...。どこまで出来たかはわからないですけど。
緒方:これまでにも関西出身の監督はたくさんいますよね。大森さんもそうだし、阪本順治さん、井筒さん...。監督協会のパーティーの時にも「久々に関西から新人賞が生まれました」って言われてましたけどそれに関してはどう思いますか?

小林:なんでしょうね。ぼくは大阪にいるときから...回りに対しては違和感があったんで...。うーん...。大阪の人たちも今流行ってるから「大阪はこうだ」というステレオタイプを受け入れてるだけのような気がして...。たまたま喋る言葉が大阪弁っていうだけであって、大阪だろうがプノンペンだろうがどこでもいいんじゃないかなとは思いますね。郷土愛とか母校に対する愛校心とか愛国心とかゼロなんですね。
緒方:映画が完成して思ったことってありますか?
小林:なんでしょうね...。これから小手先になっちゃいけないなあってことかな。下手するとそっちに逃げちゃうかもしれないのでそれはまずいかなと。
緒方:それはこんなにキツイ現場でも自分が撮れるんだってことがわかったってことかな?
小林:部分的にはそうですね。あとは...ホンの時にヤバイっておもったとこは出来上がってもヤバイよなってことを痛感しました。もちろんわかってたつもりなんですけどね。改めて強く思いました。あとは...やっぱりフィルムでやりたいってことかな(笑)。
註7...『ちんちん話』 久野雅弘君が主演の映画『ごめん』は思春期の男女のそれぞれの思いを描いた映画。物語は久野君演じる主人公の精通から始まる。
註8...『岸和田少年愚連隊』で秋野暢子さんは主人公チュンバ(ナイナイの矢部浩之)のしたたかな母親役を好演。

【『活動屋』にひかれて】
緒方:小林さんの映画体験について聞きたいんですけど...。
小林:もともと映画マニアってわけではなかったんですよ。ただ世代的にギリギリ映画館に行く世代ではあったんですよね。『ジョーズ』(75)とか『東映まんがまつり』とか3~4歳から観てはいたんですよ。家族で観たり小学生の頃から友達と一緒に行ったりはしてました。高校の時は普通にデートで観たり先行オールナイトに行ったりしてましたね。
緒方:どんな映画を?
小林:いやごくごく普通です。スピルバーグさんとかねえ。『ターミネーター』(84)とか。どっちかというと洋画が多かったかな。ただぼくらの時代はちょうどレンタルビデオが出始めたときでもあって日本映画の古い作品、黒澤さんとかはビデオで観てました。あとはチャップリンとかフリッツラングとかヒッチコックとかもクラシックコーナーで見つけて観てましたけど、映画ファンからしたらビックリするようなものを観てなかったりします。で、高校大学と勉強もせずに普通に運動してて...で、今井一さんっていうジャーナリストと出会うんですよ。その頃は...うーんちょっと青臭いっていうか...社会を良くしたいなあって漠然と思ってて...。で、今井さんの取材を手伝ったり『週刊金曜日』に書いてみたり『アエラ』の下書きをしてみたり。そのうち、原一男さんが映画塾をやるって今井さんから聞いたときに「それは行きたい」って思いましたね。なんでそんなこと思ったのか今では覚えてないですけど。ただそのアジビラみたいなのがあって「今、活動屋がいなくなってる。活動屋を育てるために私塾をやる」っていう文があってそこにひっかかったんですよ。ただドキュメンタリーをやりたいってわけではなかった。「活動屋」って言葉に惹かれたのかもしれないですけど。で、『CINEMA塾』という塾に入って、東京に出てきまして。原監督が撮った浦山桐郎さんのドキュメンタリーについたんですよ。それで斉藤武市さんとか鈴木清順さんとか日活撮影所の黄金時代の方々にインタビューして...。もちろん皆さん浦山さんのこと話されるんですけど最初に「いやかつて撮影所ってとこはね...」から始まるんですよ。そこがすごい面白くて...。それもあって劇映画の助監督をやりたいと思いまして、作品が完成した後に疾走プロ(原一男監督の独立プロ)を出ることにしました。そしたら関西テレビのプロデューサーが心配してくれてオフィスシロウズを紹介してくれたんですよ。ま、すぐ助監督ってわけではなく最初はシロウズでプロット書いたりしてました。
緒方:助監督としてすごくたくさんの監督についてますよね。
小林:まずは助監督としてプロにならないといけないって原さんに叩き込まれてたんで。でも最初の1年くらいは辛かったですね。26くらいだったのかな。上司なのに年下のセカンドにカチンコのことでダメだとか言われるじゃないですか。なんでこんなカチンコぐらいでって思ったときもあったけど...そうは言ってもやらなきゃしょうがないっていう1~2年があって。でも基本的にチームプレイ嫌いじゃないんだと思うんですよ。人の作品のために何かをやるってのはそんなにイヤじゃなかったです。俺が俺がって言うよりも。
緒方:監督協会の新人賞も助監督出身の人って2003年度の佐々部清さん3年ぶりなんですけど、自分の助監督時代を振り返ってどう思いますか?
小林:助監督っていい作品につけて自分のやるべき事が出来たって時いい気持ちになりますよね。「ああこの作品のこの部分は自分がいたから出来たんだ」って思うとうれしいですよ。ただこのまま10年以上も助監督やってるわけにもいかないんで、何かホン書かないとヤバイなあとはいつも思ってました。よし、この作品終わったら一本書こうって思うんだけど終わったら「とりあえずシンドいから2週間ぐらい休もう」ってなって(笑)。立てないくらい疲れきってますから。そしたらまた次の仕事の電話が入ってきて「うーん面白そうですねえ」と。で、結局書けないってのが5年ぐらい続きました。「なんだこれは。さぼりすぎだよなあ」って思ってたんで今回はいろんな意味でいいきっかけを与えてもらえたんでありがたかったですね。本当は自分から企画売り込んでみたいなみんながやってることをやんなきゃいけなかったんでしょうけどね。
緒方:どんなタイプの監督になりたいとかビジョンはあるんですか?
小林:え?そういうこと言うんですか?うーん...。(かなり長い間熟考して)誰もが楽しめるけど考えられもする映画を...ちゃんとやっていきたいとは思います。出来ればオリジナルでやりたいですよね。
緒方:自分でホンも書いて?
小林:共作ですね。いや一人では書けないですよ。万が一書けたとしてもそれじゃ面白くないと思うんです。脚本で一回他人とやって撮影でカメラマンと役者っていう他人とやり、で、また編集でも編集マンという他人とやって3回ほどフィルターをこすることで映画ってうまく削られていくような気がして...そこは欠かせない気がします。
緒方:最後に新人賞贈呈のあいさつで「ほんまにええんかなって思ってます」とおっしゃってましたけど...。あれ本音ですか?
小林:もちろん。いや、いまだに思ってますよ。「監督協会ほんまに大丈夫ですかあ?」みたいな(笑)。まあ、だから『前借り』したと思ってますよ。今後十年かけて返す。そして、おお先見の明があったんやと言われるようにならんとなあ。
緒方:それは誰に借りて誰に返すんだろう(笑)。監督協会に返してもらってもしょうがないような気もするなあ。
小林:誰に借りたんでしょうね?世間かなあ。
(2007・7・18監督協会事務局にて)

★対談を終えて 緒方 明
「インタビュアー泣かせ」という言葉があるが小林聖太郎さんの場合はその逆。「インタビュアー喜ばせ」でした。表情豊かに次から次へと現場での抱腹絶倒エピソードを見事な「しゃべくり」と「間」でくりだすその姿にぼくもスチール担当の高原秀和監督も終始、お腹がよじれるほど笑いっぱなし。対談の文章中に(笑)の文字が多いですがこれでも減らしたほうなのです。できれば採録の文章ではなく動画で見せたいと本気で思ったくらい。だからそんなサービス精神旺盛な関西人の「小ネタ、アドリブはおさえた」「笑ってもらうために作ってるのではない」「大阪に違和感がある」等等の発言には驚きました。で、改めてプロフィールをよく見るとかつてジャーナリストの助手として社会に対して何かを訴えようとした時期がある。その後は数多くの作品に助監督として就いた経歴。なんとなく納得。そうか。現実と虚構。硬と軟。実直と軽薄のハザマでこの人はこれからも映画を作ろうとしていくのだろうと感じました。そういえば一見コテコテのコメディに見える「かぞくのひけつ」の中にもよく見ると「反骨」の姿勢が浮き出てくるような気が...。新人賞の選考委員たちはそこを見抜いて評価したのではないか、そんなことを考えました。一筋縄ではいかない、笑いというオブラートで気骨のある活動屋精神をくるんだあなどれない新人監督の登場に背筋が伸びる思いです。小林さん、おめでとう。
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