
降旗康男監督 インタビュー
聞き手 勝 利一
手伝ってくれた人 監督協会理事 茅場和興
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同郷である高倉健さんの大ファンである私は、健さんが主演している降旗監督の映画を、新網走番外地シリーズを含め全て観ていることに気づきました。そうしたら、どうしても健さんの映画がどのように創られているのか知りたくなったのでした。それで、健さんの映画を中心に降旗監督がどのような発想で映画創りをされているのかお聞きすることができました。
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"戦争のときに出会ったことを映画に"
勝:最初に降旗監督が撮りたい映画ってありますか。
降旗:いや、撮りたいんですけど、おそらく撮れないだろうという映画はあります。『ホタル』っていう特攻隊の映画のときに、一緒に天皇の話も撮りたかったんですけど、それで、そういう脚本を書いてもらったら、抵抗がものすごく多かったので、その部分を朝鮮出身の特攻隊員の話しに換えて作ったんですけど・・・。子供時代の思い出で、天皇って何してたんだって、ずっと残ってたもんですから・・・。それはやり残したなって、気にはなってます。
勝:じゃあ、戦争に絡んだ話しなんでしょうか。
降旗:そうですね。僕らが小学校一年生のときに大東亜戦争っていうのが始まって、五年生のとき敗戦でしたので、原体験ということなんじゃないかなって思います。
勝:降旗監督の映画で戦争絡みの映画ってあまりありませんけど。
降旗:そうですよね。僕は映画は好きだったんですけど、映画を作る人になるという自覚はない方で、なんとなく映画会社に入って、映画会社に入ったので、監督になんなきゃいけないのかなって話しで・・・。でも、ジャン・リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』を観て、こんな映画を作る人がいたんじゃしょうがないなって思ったんですけど・・・。丁度その時、組合と会社がね角突き合ってたときで、今辞めちゃうと、負けて、尻尾巻いて逃げることになるなという感じがしたもんですから、もうちょっと頑張ろって。それで、『勝手にしやがれ』にはかなわないから、普通の娯楽映画の監督だったらなれるかもしれないなってつもりで続けたもんですから、自分の中に残っていた戦争っていうようなもの、戦争のときに出会ったことを映画にするって考えてなかったですね。でも、そろそろ・・・。たまたま、特攻隊の映画を作ったらどうだろうかって言われたとき、もしかしたら、ずっーと抱いていた子供の頃のことが映画にすることができるのかなって、あまく考えて、試みたら、全部は実現しませんでしたけど、ある部分は実現させてもらえたのかなって気はしてますけど。
勝:東映に入社されたときは、どんな仕事をされていたんでしょうか。
降旗:ええっとですね。事務職、芸術職、技術職って募集されまして、一応、芸術職で入ったんですよね。で、現場の仕事を全部覚えた方がいいっていうんで、最初はお茶くみから始まったという話しです。
勝:それで、監督になられるんですが。
降旗:まあっ、助監督やってれば、ところてん式に監督が回ってくるような時代だったんで。だから、今みたいな時代だったら、僕は尻尾巻いて逃げ出したと思いますけど。
勝:最初の映画は『非行少女ヨーコ』ですが、このとき、こういう映画にしようとか、何かありましたか。
降旗:そうですね。『非行少女ヨーコ』っていうのは、僕の先輩が用意してた企画なもんですから、それがポッと振られてきてやったもんですから、まあ、主人公がフランスへ行く話しなんですけど、どうしてフランスへ行かなきゃならないんだって、ようなこともあったんですけど・・・。それをやるときに、丁度、日本映画はカラーになりシネマスコープになった時代で・・・。これはナイト・シーンがものすごく多い話しだったもんですから、一緒に組んでくださった仲沢半次郎さんっていうキャメラマンと、新宿の夜をスタンダードの白黒で撮って、もう一回、白黒映画のよさっていうのをみせてやろうよって。そんなのが出始めの意気込みだったかなあって思います。
その白黒映画にすると、フィルムが安い分予算が削られるので、会社はOKしたんですけど、スタンダードということに関しては上映館が一本づつレンズを換えるような仕事はできないということで断られちゃって。何だよ一番大事なことが断られちゃったよって話しで、ちょっと頭にきちゃって、ナイト・シーンを全部、夜明けのシーンに直して、毎朝、3時出発するというようなことになりましたけど。出だしは、新宿の夜をスタンダードの白黒で撮ることで、若者たちの気持ちを出せたらなって、そのようなことが出発でしたね。
"失敗したとか負けた人とか、そういった人たちを描くのが僕の映画"
勝:それから、東映のプログラム・ピクチャーをお撮りになるんですけど、その中では、ご自分のやり
たい事を入れることができたのでしょうか。
降旗:いや。丁度、やくざ映画が始まる頃だったんですが、僕は会社が買ってくれたのか、やくざ映画を撮れない奴と思われたのか、鹿島建設の創業を描く映画を監督しろよって話しになったんですよね。その頃のバジェットでいうと普通の作品の4、5倍の予算の作品で、じゃあ、やらせてもらいましょうかって言ったら、監督は僕なんですけど、監修にね先輩の監督がつくって話しになって、で、ちょっとカチンときて、監修するんだったら自分で監督してくださいよって思ったんですけど、そうは言えないので、何とか辞退しなきゃいけないと思って「あのう、大会社の創業者みたいな偉い人を描くのは、僕の作る映画じゃないと思うし、僕はやっぱり、失敗したとか負けた人とか、そういった人たちを描くのが僕の映画だと思ってるんで・・・」と辞退したんですよ。
そしたら、しばらくして、お前が言っているのは、やくざはアウトローだから丁度いいんじゃないかということで、そう言われればそうかもしれないなというね。それで、二本目は自分が関わった企画なんですけど、三本目のが、そういうことで作るようになった次第ですね。そのとき、苦し紛れで言ったことが本音だったのかなって思います。失敗した人とか負けた人とか、あえて負けを選んでいくような、そういう人が僕の映画の主人公で、成功した人とか、立派な人は描こうとは思いません。それだけは、何となく、自分で守りたいと・・・。でも、破ったこともありますけど、守りたいと思って、ずっと続けてきました。
勝:それが降旗映画のテーマみたいなものですか。
降旗:そうじゃないかなと思います。
勝:で、新網走番外地シリーズになりますけど、石井輝男監督が作られた網走番外地を継承するような形になったんですけど・・・。
降旗:石井さんは十本作ってるんですけども、プロデューサー、監督、主演俳優がうまくいかなくなっちゃってストップしたんですよね。で、会社は作ればお客さんが来るから作りたいんですけど・・・。その頃、撮影所に監督会ってのがあって、僕も石井さんも、その監督会に所属してたんで、そういう状況で監督を外して、網走番外地の監督になるのはできないぞっていうようなことがありまして、一年半ぐらい、そのままの状態が続いていたんですよ。それで、どうしてもドル箱だからということで、プロデューサーの俊藤さんに委ねられて、マキノ雅弘さんで一本やったんです。まあ、それがお祓いってことになって、僕が二本目をやったんですけど。
勝:健さんは当時、昭和残侠伝とか日本侠客伝とかで忙しかったと思うんですが、スケジュールがなくて、脚本もないまま北海道に行って、撮影をしたって聞いたことがあるんですけど。
降旗:いや、だからね、それ以降、脚本がつまらないからご辞退申し上げますって言えなくなっ ちゃったんですね。脚本がないのに撮影に入ってるんですから。あの、シナリオ・ライターは来てるんですけど、毎晩、麻雀ばかりやってて何もしないんでね。まあ、こっちも、あまり頼りにしないで、現場行って、その、大体こんなもので、話しのスジは分からないんだけどさって、アドリブ大会ですね。南利明さんとか、ああいう方たちのアドリブがたくさん出てきて、健さんも大変ユーモアがある人なので、それを余計におもしろく換える。それを見て、もうひとつ何とかっていう風に作ったんですよね。
勝:その時の撮影って、繋がりとか、どのように進められたんでしょうか。話しが前後しちゃうと 思うんですが。
降旗:ええっ、プロデューサーの俊藤さんの策略でもあって、とにかくロケ地に出るわけですね。
二三日は麻雀やったりしてる。それで、しょうがねえなってことになって、健さん何かやらないと間に合わないらしいから、何か始めようかってことで、今日は南利明さんと由利徹さんがいるから、このシーンをやろうということから始まって、まあ、ロケーションですと場所とかお天気とかがシナリオ・ライターみたいなもんですね。それで二週間やって、そのバラバラに撮ったシーンを繋げるセットを僕とか助監督さんが全部描いて、こういうセットがいるって、脚本がないもんですからセットがいくつ必要か分からないですよね。僕らが帰るときには、わがままなんですけどステージを全部空けといてもらって、それで、セットをどんどん作っていって、後の十日間ぐらいで撮影するという、実に、今の撮影システムではできない、撮影所ってのがあって、そこにスタッフがいくらでもいたっていう状況の中でしか出来なかったことだと思うんですけどね。
勝:例えば、その時のアドリブ合戦っていうのは長回しで撮ったんですか。
降旗:カット割りは、当時ツー・キャメとかなかったですから、一回あるサイズでずっと撮って、それから、あそこんとこ、このサイズでっていうように撮っていく形だったと思います。で、必ず出てくる最後の立ち回りは、撮影所にあるだけのキャメラを、サイレント・アリでもなんでも動員して、ひどいときはアイモもね。まあ、4、5分のシーンですから、普通に撮ってると一日じゃあ終わらな。そんなようなことで一日で終わらせて、やってましたね。
勝:立ち回りは、最初から最後まで段取りを決めてやったのですか。
降旗:そうですね。まあ、セットの中をどういう風に行くかって段取りだけですね。後は、健さんと気心が知れた相手と絡んで・・・。
勝:じゃあ、実際に始まったら、もう、成り行きみたいな感じですか。
降旗:そうですね、成り行きですね。
"お姉ちゃんが出たいって言ってるからお姉ちゃんにして"
勝:『冬の華』で再び健さんと組まれましたけど・・・。
降旗:そうですね。
勝:『冬の華』って、それまでの降旗監督の作品とちょっと違うような気がするんですけど。
降旗:そうですか。まあ、二作目の『地獄の掟に明日はない』の主人公はやくざなんですけど、東映のやくざ映画とは、ちょっと違うなと自分では思ってるんですけどね。台本は東映のやくざ映画と同じように直されちゃったけど。後は東映のやくざ路線だったと思います。それで、『冬の華』ってのは、東映のやくざ路線とは関係ない倉本聰さんが書いたもんですから、その点では、全く変わってたと思いますね。
勝:全体的なカラーがブルーっぽい感じだなって印象があるんですけど・・・。
降旗:はい。僕の一本目を一緒にやった仲沢半次郎さんにお願いしてやったんですけどね。ま あ、仲沢さんも体をこわして、しばらく休んでて、再起の映画だったんです。僕も映画は久しぶりだったんで、何となく二人とも、ちょっと頑張ろうっていう感じの作品でしたね。
ですから、色んなことで楽しいっていいますか、思い出のある映画ですね。
勝:結構、印象に残るシーンが多かったんですけど、ひらめきというか、こういうことをやってみ たい、とかいうことはあったんでしょうか。
降旗:そういうことは幾つかあったんですけど、今、思い出せるのは、健さんも東映をしばらく離れてて、シリーズものじゃないし、お金はかけられなかったんですけど、それで、キャスト費が結構かかってしまって、その音楽予算がないというね。その予算会議というのがありまして、いつまで経っても終わらないもんですから、じゃあ、クロード・チアリさんに頼んで、自分で演奏してもらったら音楽費は安くあがるだろうって、僕がそう言ったんです。それで、音楽録るとき、二人でダビングルームに入って、大体、どの曲もギターを三回重ねなきゃならないんですが、クロード・チアリさんは簡単に終わるもんだと思って来て、夕方から京都で演奏会を約束してたんですよ。それで、しょうがないから演奏会が終わってからまたやって、さすがに腕が張ってきて氷嚢を充てながらやったのを思い出しますけどね。
勝:音楽はすごく良かったですよね。
降旗:そうですね。チャイコフスキーのピアノコンチェルトは倉本さんの脚本にあったものなんですけど、あとはチアリさんのギターがうまく絡んでいたと思いますね。
勝:その次の『本日ただいま誕生』はどんな映画なんでしょうか。
降旗:それはね、満州から引き上げてきたお坊さんの話で、偉い人を撮らないっていった僕が、どうしてもって独立プロの人に頼まれて撮影したんです。それが二本続いてるんです。『わが青春のイレブン』っていうのも、家城巳代治監督の奥さんが、二人で書いたシナリオをどうしても実現したいっていうので・・・。
勝:私は『駅STATION』が好きなんですけど、これはかなり大作というか、それぞれの役者さんが良かったですね。
降旗:そうですね。みなさん、高倉健さんもそうですけど・・・。倍賞千恵子さんがやった役は、最初『冬の華』に出てもらった倍賞美津子さんに、これどうって持っていったんですよね。そしたら、しばらくたって、「お姉ちゃんが出たいって言ってるからお姉ちゃんにして」って話しになって。「ええっ!」って言ったら、お姉ちゃんが脚本読んで「私、これで賞を取るから、どうしても代わって」って言ってるから。それじゃあって、倍賞千恵子さんにお願いしたんです。
そんな風にみなさん、脚本がおもしろかったってことなんだろうと思います。ですから、それぞれの役者さんが思い思いに参加してくれたのが良かったのかなと思いますね。僕がこだわったのは犯人役ですね。室田日出男さんと根津甚八さんと・・・。あとは、どんな役者さんが出ても脚本読んでのってくれるだろうという気がしてたんですよね。
勝:ワンシーンしか出てこないいしだあゆみさんとかすごい印象に残りますよね。
降旗:実はいしだあゆみさんは、もう一回、台本では出てきまして、映画でも撮影したんです。夜明けの札幌駅で、一回でうまくいかなくて、二三回来てもらってやったんですけどもね。まあ、色々な説がありまして、最後は、じゃあ、ラストを二種類作ろうってことになって、実際作るつもりでいたんですよ。でも、フィルムのサウンド・トラックが、東宝ではこの作品の前後の作品だけが光学じゃなくて磁気なんです。少々オーバーしても入るだろうって思っていたら、磁気の厚みで入らなくなっちゃた。そしたら、ロール換えでダビングを全部やり直さなくっちゃいけないってことになりまして諦めたんです。それでこの間、新たにDVDを出すっていうんで、じゃあ、DVDで、そのとき作った終わりのロールをサービスでもう一枚のDVDにラストの方だけ入れようってことになったらしいんですが、その使わなかったフィルムは棄てられていたという、残念なことでしたけど・・・。
勝:それから、一連の『居酒屋兆治』とか『夜叉』、『あ・うん』と続くんですけど、ご自分がやりた かった企画ができたという感じなんでしょうか。
降旗:そうですね。『駅STATION』以降は、東宝で三本やったんですけど、東宝は何でも持ってきてください、やりますよって話しだったんですけど、まあ、高倉健をのせるのに時間がかかって、十年間で四本ですか・・・。
勝:健さんはやはり難しいですか。
降旗:いや、まあ、引っ張り出すまでは。引っ張り出しちゃえば、あとはあれなんですけど・・・。
勝:健さんと仕事をされるときは、健さんが、こういう芝居がしたいっていうことなんでしょうか。
降旗:勘所はってとこは色々と相談されますけど、あとは、大体、了解のついた所は・・・。現場の雰囲気は、健さんや他の出演者の人に合うようにスタッフに作ってもらうってことが一番の手腕かなと思ってますけど。
勝:健さんと絡む役者さんは緊張されると思うんですけど。
降旗:それは、まあ、緊張するのかな・・・。演技をするっていうより、人物を自分の中に引き入れちゃうって人ですからね、相手する人は健さん自身の心を動かさねばってことになりますよね。だから健さんは、ある意味、役者じゃないのかなって思うんですけどね。でも、それが魅力なんです。
勝:私のような健さんファンとしては、健さんの映画がどのようにして作られているのか大変興 味があるんです。
降旗:ですから、三台のキャメラで足りないときは二回やるからねって念押ししないと、やって、カットって言ったら、ストンと落ちちゃうんですよね。まあ、スタッフが準備しているときに来てずっといますから、その間に自分が段々ためていって、テストやって本番やって、そうするとストンと落ちちゃう。
そしたら、また同じことやんないと、五分後に本番いきますって言っても駄目なんですよ。だから大変は大変だなと思うんですけどね。で、あの『単騎千里を走る』のとき、チャン・イーモウさんに聞かれたんですけどね、どうやって撮ってるんだって。僕らは、本番一回でOKですって言ったら、それは困る、どうしたらいいんだろうって、彼の映画は素人が多いからトラック30なんてのは朝飯前だというんですよね。それは健さんだって知ってるだろう、だから健さんには、それをちゃんと言わないと駄目だよって、相手が素人だから何回やるか分からないので、すみませんけど付き合ってくださいって・・・。すごく遠慮してやってたようですけどね。
勝:ご自身の映画で好きな映画ってなんでしょう。
降旗:その時の僕の状況で変わっちゃいますよね。あの、僕は東映を辞めて四年間ね大映テレビを主にして『赤いシリーズ』などテレビ映画を撮ってましたから、その後、『冬の華』でしたから、『冬の華』は思い出がありますね。いい映画とか、好きな映画っていうよりは、何か忘れがたい映画ではありますよね。あとは、先ほど話したようなことで『ホタル』って映画は、やっぱし思い出のある映画ですね。
"雪の中の駅に灯りが灯っているのを見て、あっ、この駅にテネシーワルツかな"
勝:好きな映画監督や映画ってありますか。
降旗:僕が映画好きになったきっかけは、みんな知らないよって言われるんだけど、フランスの監督で一番バカにされていたジュリアン・デビビエって監督。ルネ・クレールとかジャック・フェデーとかルノワールとか、フランス映画の芸術監督なんですけど、ジュリアン・デビビエさんだけは通俗作家というハンコを押された人なんです。『舞踏会の手帳』は何回も観ましたね。僕は浮き沈みみたいなところが好きだったっていうか・・・。やっぱし映画を好きになったのは、あの人のせいかなっていうような気がします。
勝:最初、モノクロにこだわったのは、その影響があったんですか。
降旗:ああ、そうですね。それと、僕は映画のこと何も知らないで撮影所で働いてて、映画ってこういうもんで、こういう風に撮るんだって教えてくれたのは宮島義勇さんっていうキャメラマンですね。そのとき、ラッシュ見て、今日のラッシュはフランス映画みたいだなって言ったんですよ。そしたら、何でだって言うから、木の葉が風でキラキラしてたってようなことを言ったら、どうしたらそうなるか教えてやろうかって。えっ、理由があるんですかって言ったら。ロケーションに出たら絞りを16にするんだって、16以上にしたら、風で木の葉がキラキラするっていうようなことを教えてくれたんです。この方との出逢いが、映画界に入って一番思い出が多いですね。
勝:助監督のとき、一番多くつかれた監督さんはどなたでしょうか。
降旗:東映っていうのは順繰り制だったんですよ。今井正さんとか内田吐夢さんとかは半年とか一年かかるので決まった人がついていたんですけど、僕もそういう形で家城巳代治さんて監督が多かったですね。それまでの監督さんは、台本に全部筋入れたり絵コンテ作ってきたりして、まあ、やたらとカット数が多い会社でしたから、午前中に100カットとかね。で、家城巳代治さんのときは、リハーサルを二三回して、それでカット割りを決めて、こういう映画の作り方もあるんだって・・・。
勝:降旗監督のやり方っていうのは、リハーサルをしてカット割りを決めるって感じですか。
降旗:そうですね。でも、健さんになるとそれもなくなっちゃって。三台のキャメラをどういう風に据えたら一回でいけるかなって、ようなことになっちゃいますよね。
勝:複数キャメラはいつからですか。
降旗:『駅STATION』からですね。木村大作さんとやったのは全部そうです。あの、キャメラマンでもね、助手さんが勝手に撮るの嫌がる人もいますからね。僕らは健さんと『ホタル』で韓国に行ったときは五台持っていったんですよ。覗くのいないから、小道具さんに覗いてもらって・・・。
勝:『鉄道員』の健さんも良かったですけど、音楽は江利チエミさんのテネシーワルツを使われ ましたけど・・・。
降旗:あの小説は全部夜なんですよね。でも、ナイト・シーンだけじゃ撮れないんで、デイ・シーンにして、どこでナイト・シーンの感じを出そうかって考えていたとき、ロケセットの出来具合を見に行って、こう、雪の中の駅に灯りが灯っているのを見て、あっ、この駅にテネシーワルツかなって思ったもんですからね、健さんにテネシーワルツどうって言ったら、そんな個人的なのはまずいんじゃないんですかって言うからね。もういいじゃないですか先は短いし、死んじゃうんだから、個人的でいいじゃないですかって。「ええっ!」って言ってたんですけど、それで通しちゃったんですけど。
勝:すごくいいですよね。
降旗:なんか、そういうのありませんか。何かひとつ画ができないと映画全体がね、一カ所何かあると、そこから、頭の方にも終わりの方にも、血管がすっーと拡がっていくような感じが・・・。『鉄道員』のときは駅の夜景だったような気がします。それを、これがいいなって思ったときに、何から始まって、どうすりゃいいんだろうというようなことが、何となく固まったのかなと思ってます。
勝:ご自分の発想で、こんなときに何かが浮かんでくるってことがありますか。
降旗:『鉄道員』の駅舎みたいなのはありますが、頭の中だけでは中々出てきませんよね。だから、ロケハンも大事だろうし、ポケッと景色見てて、あっ、こうなったらって、ようなことが浮かんでくるといいですよね。
勝:雪のシーンが多いですけど・・・。
降旗:そうですね。雪って何でも語ってくれる。非常に我々にとってずるいことと思うんですけど ね。
勝:雪で創造をかき立てられるとか・・・。
降旗:そうですね。動きがあるし、かつ、雪が積もるとゴチャゴチャしたものがなくなっちゃうって ことがあって・・・。
勝:ぜひ、また健さんの映画を撮ってください。
降旗:はい。もう、中々。いつも歳のせいにしちゃうんですけどね。お歳の主人公の話が難しいですね・・・。
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降旗監督の風貌からして、怖そうな監督さんだなって思っていましたが、実際にお会いすると、全くそうではなく、初対面の私のぶしつけな質問にも気さくに答えてくださいました。
インタビューは、監督協会の事務所で行ったのですが、事務局の方と私たちにケーキの差し入れをくださり、それをおいしくいただいてからインタビューを開始することになりました。ありがとうございました。
まだまだ、高倉健さんの映画を観たいので、是非、撮って欲しいと思います。
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