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特集

日本映画監督協会 会員名鑑

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トークセッション「日本映画の未来」

日本映画の未来、という抽象的なテーマで何か語ってもらいたい。

そう考えたときにまず思い浮かんだのは足立正生さんだった。長く日本を離れ様々な経験をしてきた映画監督・足立正生は、この国の映画の未来をどう見ているのか。それを聞きたくてご連絡したところ、快諾してくださった。

もう一人は、若手を呼びたかった。僕と同世代で、大先輩に対して、誇りを持って引き合わせられるような、そんな若手監督。すぐに、坪川さんのことが思い浮かんだ。日本映画の未来を担うにふさわしい人物。

そんなお二人と、トークセッションを行いました。
ぜひ最後までお読みください!

ゲスト:足立正生、坪川拓史
ホスト:福島拓哉
協力:檀雄二

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福島:今回『日本映画の未来』という大げさテーマなんですけど、いろんなことを話しつつ話題が広がっていけばいいな、と思っています。
お二人に来ていただいたのは、僕が今回の特集を思い立ったのは以前に足立さんとお話ししたときの言葉がインスピレーションであるのと、足立さんと同じ経歴の人ってのはまずいないので(笑)、そういう特殊な経歴の人に聞きたいということ。坪川さんも足立さんとは違った意味で非常に特殊な経歴なので、来ていただきました。
まず、お二人とも簡単な経歴というか、何を思って映画監督になって活動してきたか、というのをお聞かせください。坪川さんから。

坪川:僕は、映画館も無いような北海道の小さな町で生まれ育ったので、映画館で映画を観たって記憶がほとんどないんですよ、18歳まで。そのあと、田舎を飛び出す形で東京に出てきたんですけど、初めは洗足池公園でホームレス生活をしてまして(笑)、そんな時に、ある劇団の芝居を観て感銘を受けて。オンシアター自由劇場という劇団なんですけど。他の劇団と毛色が違ったんですね。音楽の使い方とかも含めて色々な事が。それで入団オーディション受けたら受かってしまって。

福島:つまり最初は役者で(業界に)入ったの?

坪川:まぁ、そう...ですね。オンシアター自由劇場は俳優が楽器も演奏するので、「アコーディオン弾けます!」って嘘ついたら受かっちゃった。

福島:え、そん時は弾けなかったの?(坪川さんは楽団「くものすカルテット」でアコーディオン奏者としても活躍している)

坪川:そう、見たこともなかった(笑)。あのとき「ティンパニー叩けます!」って言ってたら、今頃ティンパニーやってたかも。

福島:すげえ(笑)。



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坪川:劇団の稽古場が六本木にあって、その裏に小さな映画学校があったんですよ。で、ひょんな事から、そこの学生の映画に何本か出たんです。その時に、何も知らないのに「こういうシーン撮れば?」とか「こっちから撮れば?」とか偉そうに意見を出してたら生徒さん達が怒って「だったらお前が撮れよ!」「じゃ撮るよ!だから手伝ってね」...で始まったんです。その時撮ったのは『十二月の三輪車』という8ミリの無声映画で、今でも自分のバンドで生演奏と生活弁をつけて上映してるんだけど。その次の年に、僕が生まれ育った町に在った閉鎖されたままの映画館が取り壊されることになって、せめてフィルムに残したいなぁと思って撮ったのが『美式天然』。完成まで9年かかっちゃったけど。

福島:その9年間って、撮影してない間は何してたんですか?

坪川:バイトですね。総制作費は2000万円。半分借金、半分バイト。その『美式天然』がイタリアの映画祭で賞を貰って、それを知ったある方が「次を一緒にやりましょう」ということで、去年2本目の『アリア』を撮って、来春3本目に入るんですけど...そういう、勝手に自分で撮ってる形なんで、まだ日本では公開してないんです。

福島:そこポイントだなあと思っていて。なんで公開してないんですか?

坪川:P&Aということを何も考えずに撮ってしまったんですよ。

足立:なに、P&Aって?

福島:簡単に言うと宣伝費です。

坪川:最近知ったんですけど僕も(笑)。

福島:(笑)でも、映画1本が2000万かかったとしても、ちっちゃいとこででも上映しようと思ったらP&Aなんて30万くらいでも何とかなるじゃないですか?

坪川:ええ。でも無償で300人が9年付き合ってくれたので、ヘタな出し方はしたくないな、と。

福島:ああ、なるほど。

足立:自分で上映して回ったりする考えとかはないの?

坪川:当初はその予定だったんです。全国の映画館のない村とかを演奏会付きで巡ろうと計画を立てて。でも、その相談をしていた方が亡くなられてしまって...。完成の前年だったんですけど。それで、劇場公開を考えていたら、「次の映画にだったらお金を出す」という方が現れて、その2本目の予算にはP&A費も含まれてたんですよ。だから2本目の『アリア』が完成したら『美式天然』も合わせて公開!と思ってたんですが...。結果的に『アリア』で僕、だまされちゃったんで。

福島:だまされた?

坪川:うん。○○円かぶせられちゃったんです。

福島:えー!

坪川:だから僕いま借金○○○円!(笑)

福島:それって、個人で返せる額じゃないですよね。それで結局公開してないのか。活動をしていく上では、公開はしたいんですよね?

坪川:そうですね。したいんですけど。全国をキャラバン組んで巡ったりもしたいんだけど、それにもやっぱり、お金が(笑)。

福島:でも、キャラバンで回るってのはまさに『美式天然』のまんまで素晴らしいですね。

足立:映画への愛情に満ち溢れているね。

福島:それでは、足立さんにも簡単な経歴というか、何を思って映画を作るようになったかというのをお聞きしたいんですが。

足立:坪川さんの話を聞いたら非常に特異な映画経歴の人なので惚れ惚れと聞いてたけど、よく考えてみたら私もまともな映画監督の経歴があるわけじゃないから(笑)、
私は元々、高校生の時に演劇をやっててね、東京出てきたのも演劇をやろうと思ってだ。早稲田を受けてすべって1年浪人するんですけど、それが運の尽きというか、1年間映画を観まくっていて、俺がやりたいのは演劇じゃないんじゃないかと考え出した。もっと自由な表現が出来る映画の方がどうも身に合ってる気がしてきた。もともと、その頃一番ガーンと頭打たれたのは、シュルレアリスムなんです。特に「シュルレアリスム宣言」を読んでハマっていた。そこから全部見るというか、自分がブルトンになった気がするくらい馬鹿なやつでさ(笑)。
で、演劇勉強ではなく、唯一の映画学校だった日大芸術学部の映画学科に行った。そうすると、映画について勉強するつもりで行くと、確かに理論学習はあったけど、そういうのは2、3回授業に出ると大体わかる。当時の日大芸術学部には、システムや機材や現像所が揃っていたから撮影所に見做して、授業はほとんど出ないで自分たちの好きな作品を作る方向に向かった。同時に、当時は60年の反安保闘争の時代で、作品作りの間に1年くらい闘争をやってたんですね。



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福島:なるほど。
足立:俺たちの上級生が、「映画研究会」で自治会予算を使って非常に実験的な映画を数本作っていた。だけど、その作品が学校のカリキュラムに反するものばかりなので「映画研究会」に解散命令が出た。私たちは、じゃあしょうがない、と「新」をつけて「新映画研究会」を名乗った(笑)。
そこで、『椀』とか『鎖陰』というのを「共同制作システム」で作った。だけど、当時の日大は右翼の巣窟学校と言われていて、「日大有志」という旗を立てて安保闘争のデモに行くオルガナイザーだったりしたので、大いに睨まれていた。それで『椀』に続いて『鎖陰』を作ったら、学部側は公開はダメって言って来たんだよね。で、「これはサークル活動で作った」、しかし「学校の機材使い、現像も学校でやってるじゃないか」。「現像液は自分たちで買ってやった」、しかし「全機材とシステムは学部のものだ」というやり取りがあって、学部に封印されそうになった。
だから坪川さんがみんなで稼いだ金で映画作るということ言ったけど、俺たちのこの2作品とも自主制作なんですよ。
『椀』のほうは16ミリだから学校側から大して問題にされなかったけれども、所詮「学生映画だ」と扱われた。俺たちは、学生だけど俺ら普通の映画作ってるつもりだから、次の『鎖陰』は35ミリで作って見返してやろうと決めて実行した。それが運の尽きで、制作費がかかる規模が違う。16ミリに比べてバカバカ掛かる。だから、最初50人くらいいたスタッフも、3ヶ月くらい何人かアルバイトで稼いだ金を出し合うと結構優雅な予算でスタート出来たんだけれど、撮影を続けるうちに予算が切れ。みんなで稼ぎ続けるうちに、映画製作してるのかただただ稼ぎだけをやってんのかわかんなくなって...。

坪川・福島:(笑)

足立:俺が威張って監督ヅラするし、金稼ぎは辛いしというのでメンバーがバンバンやめてって(笑)、最後は10人くらいになった。

福島:仲間側のスタッフが、ということですよね。

足立:そう。最後っ屁をやろうと言うので、当時始まっていた「ハプニング」というイヴェント形式の上映会を京都でやったり、東京では当時アートシアターがあったからレイトショーで上映したんだね。そうしたら楽しい上映スタイルというか、お祭り騒ぎするような上映スタイルがその頃はなかったので、みんなお祭り気分で観に来て大入り満員になっちゃった(笑)。例えば、当時ピンク映画の黒澤明と言われていた若松孝二なんか、ロケの帰りに通りかかったらアートシアターの周りを人が取り囲んでる。それ見た若松が「学生映画に何であんなに入るのか」って(足立のことを)覚えてて、いずれ出会ったらいじめてやろうと思って待ってたみたい(笑)。そうやって自分たちの映画を作っていて、ふと気が付いたら、就職とか全然考えていなかった(笑)。



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福島:作るの夢中になってたんですね(笑)。
足立:そう。おい、これを終わった後どうするって(笑)。そういう状態だったので、何で映画をやるのかと言われたら、やりたいからやるって感じだった。今でもそう。それで、職業としての映画というのはもちろん思ってたんだけど、とにかく自分たちの作りたい映画を作るんだと思い込んでいた。ハッキリとは自覚してなかったけど、どうせ俺たちの作りたい映画の内容や方法は、普通の映画会社では作れないってのを承知していた。だから就職しなかった。

福島:今のお話は、作りたいものを自分たちで作る、というのは今の時代の自主映画の人たちとあまり変わらないというか映画を作る活動ですよね。その中で、安保闘争があり政治的活動があったわけですよね。そこがほとんど出てこないというかあまり結びつかないようにも聞こえるんですが。

足立:いや、そこはあまり政治的に発言しなかったから。実際には、真剣に取り組んだ反安保闘争に負けて、がっくりきた。もう田舎に帰ろうと思っていた。その頃、大島渚監督の『日本の夜と霧』を見て、安保についての大筋はこれでいいなと思った。俺たちはいよいよやることが無くなったなと一度は思っていた。しかし、よく考えると、それは大島の安保闘争へのメッセージであって、俺たちの意見には関係ないし、安保闘争後の挫折感や閉鎖状態を考えると、そこから俺たち自身のメッセージを形にしようと思い直した。それで田舎に帰るのを止めて、作り続けたのが『鎖陰』なんですよ。
60年安保で、俺たちは党派には入ってなかった。日本が米国の属国になったら駄目になるという正義感だけでやっていた。そのスローガンで絶対に勝てると思ってた。ところが、一方では日本の代議制民主主義だとか国会では民意に関係なく勝手に「安保承認」を決めちゃうし、他方では左翼と新左翼の分裂、新左翼内の分裂の連続が党派の乱立へと続き、政治の擬制性が全部現れてしまっていた。完璧に政治不信になるけれども、この政治不信を俺たちの言葉で描こう、あるいは俺たちの閉塞感を直接的な表現で描いていこうというところで、自分たちのテーマがハッキリ決まり、まとめたのが『鎖陰』だった。

福島:自分で何かモノを作るときに、その時代の状況というか、今のお言葉だと閉塞感という言葉ですけども、創作とか表現をするときにその場のそういった感覚は当然入ってくるものだと思うし、結果そういうテーマの映画を作っていくということだと思うんですけども、なんて言えばいいのかな。
あくまで今の時代の感覚で考えてってことになるんですけど、その、演劇をやっていたりだとか、映画作ろうと思って上京したりだとか、最初から何かを作ろうと思っていたというか表現者としての強い欲求があって、そこにたまたま時代の流れがあったから興味を持って重なっていったということなのか、つまり、足立さんは最初っから表現者であった、というように感じるんです。



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足立:まあ、そういう側面もあった。だけど、当時の芸術学部の学生には芸大や早大などと両方に通っていたりする奴がいたりした。それはどういうことかって言うと、今あなたが言ったようにアーティストとしての自分のエネルギーをどういう方法でどういう具合に表現をするかというのを、二つの大学に行って真剣に模索していたからなんだ。その点は時代が変わっても、若い人には同じかもしれない。でも同時に、安保の時代でしょ。アートを志す者というか創造活動を目指す人間の主体性論が問われ、作家の主体性論が論争され始めていた。あるいは、もっとハッキリ言うと、そういう日本の近代における芸術の位置ってのは何なんだ、と追求していたし、それを突き詰めると、俺たちには、政治と芸術ってのはピッタリ一体のものだと感じられたんだ。
つまり安保反対という意思表示、この表現を政治的に主張し続ける。同時に、これをアートとして表現するという考えだった。これは、政治主張を映画作りにほとんどそのままあがいているくらいに考えて、極めて充実していたわけですよ。
だから、表現者という立場が最初にあったのも事実だし、そういう60年安保の政治経験を描くことに表現の問題を重ねて、俺たちの政治も芸術もないぞ、と言い切る経験が『鎖陰』だった。バチっと政治的な挫折を味わって。今でも、それが俺たちの原点にはなってる。

福島:なるほど。ただその頃って、結果的に時代の影響を受けたりはしていても、政治的にそういうのとまったく関係ない娯楽映画もいっぱい作られてるじゃないですか。

足立:すごく一杯あって、青春映画の花盛りだったね。

福島:そういうのに興味はなかったんですか?

足立:日活の裕次郎の青春映画とかあって、それと対比的に、政治的な青春映画も多かった。俺たちは、裕次郎映画観る気がなかったけれど、仲間に「批判するなら、1回観といた方がいい」と映画館の前まで連れて行かれたけど、映画館で映画を観る金がなくて入れないから、金を出し合って6人のうち3人が見ることになった(笑)。すると、切符を買おうとしてそんな俺たちを見ていた裕次郎映画のファンで飲み屋の姉ちゃんが、「じゃあ1人ぶん足す!」とか言って(笑)、それで結局全員観れたりすることもありましたけど。

坪川・福島:(笑)

足立:娯楽映画であり青春映画であるけれども、その若者の生き様というテーマは石原裕次郎であれ何であれ、真剣に扱っていたわけだよ。だから、それをまず観る。それを映画としてどうなのかと見た後で話し合った。先ずは「お前らああいう映画作る気はある?」と設問すると全員が「ない」と言うわけでしょ(笑)。だけど、更に裕次郎も人物像がいいかどうかと言ったら「うん、ああいう人間がいたら、安保ももう少し変わったんじゃないか」という側に問題が変わるわけだよ(笑)。

福島:(爆笑)...映画ファンであれそうでない人であれ、足立さんのことを考える際に、政治活動と表現ってのを分けて考えて認識してる人って多いと思うんですよ。

足立:それは言われますね。私自身は今言ったように表現という問題は、芸術も政治も一繋がりとして考えている。ゲリラをやりに行ったことも映画と一繋がりで考えてる。そこが、未だうまく表現できてないけれども、全部が全部そうなんだよ。だから、35年ぶりに日本で映画作ったけれど、本人の俺は昨日の続きでまた映画撮ってるつもりです。あるいはゲリラやりながら、このシーンは大島や若松ならこう撮るかな、絶対こういう具合だなと思いながらゲリラやってるわけだから、メチャクチャと言えばメチャクチャなんだけど(笑)。
要は、俺にとってはどこまでいっても一繋がりです。映画作るのもスタッフ・キャストみんなで集団になって運動的な作業でやるという発想で始めるから、作家個人の作品を作るって言うより、映画の存在そのものは運動的に作られた結果があるんだという具合に思ってるわけですよ。また、その作品上映も運動と考えたらいい、と。

福島:なるほど、運動の結果か。さて、今回は未来を考える座談会なので、そのためにお二人に今現在の日本映画界をどう思ってるかというのをお聞きしたいのですが。

坪川:僕まだね、一度も劇場公開っていうのを経験したことがないので...

足立:それはそれで凄みだよな。

坪川:(笑)。でも今、「3本目の制作費を出す!」って言う方が現れたので、3本揃ったら公開を考えようかなと思ってます。



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福島:それ全部オリジナルでやれてるということですよね?

坪川:そうですね。

福島:それがすごいなと思う。映画業界と関係ないところから出資を受けている?

坪川:そうなんです。「映画の事はよくわからないが、他のことは任せとけ!」と言う方に会ったんですよ。

福島:紹介して欲しいよ、そういう人(笑)。

足立:映画監督やプロデューサーはみんなそう言うよ(笑)。

坪川:なので、「今の日本映画界は?」って聞かれると困ってしまうんです。まだ僕は脇から「こんな感じかな?」と見てるだけなので。
でも、足立さんのお話を伺っていると、軽々しく言ってはいけないけど、やっぱりうらやましいなって思うんですよね、60年代70年代の勢いって。その頃だって娯楽映画もたくさんあったけど、「映画表現としてこういう主張があるんだ!」って作ってる人も大勢いて、それは、映画界だけに限らずに。政治家も含めてそれぞれ皆、根っこがしっかりしてる人達が沢山いたんですよね。良くも悪くも。
でも今って、ビジネスの話が抜きん出て先行している感じがします。

福島:どうしても現状の問題を考えるとなったら、映画産業という話から逃れられないというか。

坪川:昔からあったとは思うんですよ。でも今それが、ちょっと肥大化しすぎていて、そうじゃないもの(商売性の低いもの)は存在しないって扱いで、しかも皆どんどん根っこが細くなっていて。

福島:今のテレビ局主導の映画みたいに、その頃もビジネス優先の娯楽映画っていっぱいあったと思うんですよ。でも今問題なのは、インディペンデントで作るときに、昔より作りにくくなってる気がする。デジタルとかの面では作りやすくなったんだけど、例えば『新宿泥棒日記』という映画があって僕は大好きなんだけど、今ってあんな映画に誰もOK出さないですよ、企画書の段階で(笑)。僕がなんであの映画が好きかと言うと、足立さんはよくご存知だと思うけど、そういう当時のいろんなことが映ってるとかもあるけど、そういうことですらなくて、どのショットを切り取っても、アートでしかない!っていうか。強烈な表現なんですよね。えらいかっこいい熱があるというか。

坪川:今、技術も情報も多様化してるけど、人が追いついていってない気がします。



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福島:そう思う。で、昔はああいうのに予算が下りて、作ってるわけですよね。
足立:そう。アートシアター側が500万、実際に製作する側が500万、計1000万の小さな枠組みだったが、作りたいもの作っていいという方向だった。まあいずれにしても、いま福島さんが言ったように、俺たちが職業として映画ビジネスをしようとしてた時代から映画産業は斜陽産業になって行き、"娯楽文化の世界"として成立していた映画が、グジュグジュと壊れ始めた。つまり映画が唯一の娯楽文化ではなくなっていく。もう一つは映像情報網としてテレビが登場したことが大きく影響した。つまり、新しい世界、新しい人間像などの新しい情報を含めて、新しい文化というか、新しいスターの登場をさせたり、流行を作ったり追いかけたりするのを含めて、巷への情報提供者の位置にあった映画が後退していった。

福島:カルチャー?

足立:そう、映画は社会的なカルチャーそのものだったんだよね。それが高度経済成長期でレジャーブームがバーっと花開いて、もっともっといろんな娯楽スタイル、ビジネススタイル、そして情報提供者が多様化し始めて、映画は斜陽になってった。
そんな、映画の位置が失われ始めたのは60年代からだし、それ以前からも映画の位置の変容はあったろうけれども、延々とそれが変形して現在に至っている。何かしら、画期的に新しいことが起こったから映画のビジネスシステムが変わってしまったわけじゃないと思う。映画のビジネススタイルは、昔から、日本あるいは世界の産業構造にマッチさせながら変わって来ただけと言える。それに、元々映画は娯楽作品であり、映画館の観客に見てもらう商品でしかないものだから、産業や経済のビジネススタイルの変化に大きな影響を受けるのは当然ですよね。映画を上映するのは家電などの消費財を売るのと、基本的に変わらないんだからね。
そういう中で、新しい文化的情報を出すのは映画よりもテレビがいい、あるいはインターネットがいいという時代になってるわけでしょ。だから文化としての映画という規定はあるんだけど、じゃそれが何を発信し、何を人々に提供するのかっていう問題は、映画を作る側がもう一回考え直さないといけないところに来てる。

福島:そうそうそう。



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足立:私事になるけど、先日、映画雑誌で、新藤兼人監督と対談させてもらった。新藤さんは本当に映画を愛し映画を知り尽くして、あれだけの敬愛する巨匠でありながら、今でも初心が一歩も動かないでいると分かった。これはすごいなと思った。映画監督って誰に聞いたって、本当はみんなそうだけど、絶対、それぞれが初心を持ってるんだよね。

坪川・福島:(頷く)

足立:新藤さんは、文化としての映画表現の初心についての機軸を、全然動いてない。ということは、俺たち映画監督というのはやろうと思ったら全員、新藤さん風にやれるわけよ。日本映画監督協会は600人くらいいるけれど、その全員がやれるはずだし、やっているんだよ。だから、それぞれの映画作りがそれなりに楽しくできないと嘘だし、監督協会ももっと楽しくならないと嘘だというのはあるんじゃないですか(笑)。
それでね、結論言ってしまうとね、ビジネスシステムの変遷や肥大化は続くだろうけれども、映画の未来は、そんな中で右往左往し続け、何かが決定的に変わったりせず、スクリーンじゃなくてそのへんのデジタルパネルで観ることが多くなったりして、大多数で映画の受け止め方が変わるかもしれないけれども、それでいい。そうなっても、映画は映画だと思う。ただし、映画館で観る楽しさというのがもう一回来るだろうとも思うけどね。
だからそういう意味で、俺は、日本や世界の映画の未来が、暗いものになると思ったことは一度もない。結論言っちゃったけど(笑)。

福島:僕もそう思っていて、まだまだ全然映画いけるじゃん、て気持ちがいつもあるんですよね。ただ、今の問題として、原作ものの映画が嫌いとかそういうことじゃなくて、映画作ろうとして金集めようと思ったら原作ものじゃないと集まらない、オリジナル作品には出資されないという、よくわからない現状がある。

足立:確かに、ビジネスシステムはそうなってる。それはそれでほったらかしとけばいいんだって(笑)。

福島:今、原作ものじゃないとビジネスモデルが組めない流れになっているときに、映画監督だったり脚本家のね、オリジナルな発想っていうのが使われないというか、このモデルでやったら誰が撮ってもいいから、みたいなのをどうしても感じてしまう。そうじゃなくてやっぱり、我々は監督係ではなくて監督なんだってのを思いたいので、オリジナルストーリーで、バーンと新しい映画作れたっていいじゃないかって思うんですよね。

足立:うん。そう思って自分の考える映画作る以外にない。俺はね、シネコンだろうが原作ものブームだろうが、あったっていいと思っている。だって、そういうのは面白くないという俺はいるけれども、それを作りたい観たいって人がいるんだったら、それはそれでいいわけよ。その中でね、現在の映画が提供している文化的なファクターは漫画のコピーだったりしてるわけでしょ。だから僕はそういうのは、シネコンなどの映画ビジネスの肥大化の一現象であり、映画の文化的な内容のどんどん溶けていくプロセスで嘆かわしいと片一方で思いつつ、もう一方では、映画はそうだ、それは当たり前だと思っている。
その溶解過程を睨んで、まじめな映画監督は初心を溜めて歯軋りしてる場合も多いだろうけれど、新藤さんが言っていたけれど、根性入れて、泥棒してでも映画撮る人もいるだろう(笑)。

福島:意志の強さというか行動ですね。

足立:そう。直接映画作りに限るかどうかは別にして、行動していく側に怒りの歯軋りを溜めていけば、いろいろ楽しくやれるだろうし、バランスになって行くと思ってる。だから日本映画全体の総論としてどうかと言うと、そういうことでよろしい、と。映画というのは文化として溶けるだけ溶けて行けばいい。そして、その果てに来るものは何が必要かというのを、引き受けて準備して映画作り続ければいい、と思う。



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福島:なるほど。お二人とも近い将来、10年後くらいでいいんですけど、日本映画界はどうなってると思います?

足立:映画産業のビジネスシステムは、今後も産業構造の変化に一番遅れてついていく仕方を取るでしょう。映画っていうのは、いつもそうなんだよね。非常に保守的なビジネススタイルの中で外の分野に追いつきながらやっていくというのが基本になっている。だから、10年後はもっと溶けてるだろうと思うし、映画会社の大手が著作権を握って新しい映画を作ったりしながらやってるだろうけれども、それらの全体がもっと溶解して、プロダクションシステムにどんどんなってるだろうと思う。ハリウッド方式はハリウッド方式で収斂して共闘したり合併合戦をしたりしながら、全部残ってるかどうかはわからないけど、統合したりしちゃっているだろう。

福島:じゃあ独立プロというかインディペンデントのプロダクションが...

足立:どんどん出てくるだろう、という具合に僕は見てるね。だから映画監督協会が、歯軋りしてる監督たちに歯軋り以外の力の出し方を見つける場になってやっていければ、そういう具合に仕向けることができれば、もう少し楽しいことになるかなあと思ってる。

坪川:そのビジネスシステムというのは、次々と新しいシステムを見つけながら続いていくのでしょうけど、やっぱり、そうじゃないものも、もっと元気に、ってことは思います。

足立:元気になんないといけないよね。それは前提だね。

福島:この前、横浜で黄金町映画祭というのがあって、坪川さんの作品も上映されたし僕が出演してるのもやったんですけど、そのメインプログラムというのが海外で評価されたけど日本ではそんなに有名じゃない映画特集、みたいな感じだったんですね。そうやって集まった映画がどれも面白くて、しかもほとんどがインディペンデント作品だった。でもなぜか日本でそんなに上映の機会がないものだったりする。だから、インディペンデントに関してだと、作品単体で考えたらすごく元気だ、っていうのは思うんですよね。ただ、ビジネスのことで考えるとなかなか、という状況なんだけど、そういうのってなんか市場原理主義に侵されまくり、みたいな気がして。もちろん僕なんかも、自主制作で作っても制作費回収しなきゃってんで自主配給ででも劇場公開して必ず回収して黒字にしますけど、そういうビジネスとかじゃないところで作品ってあっていいじゃん、ってどうしても思うんですよ。どうも市場のために映画がある、みたいな、現状はそうなってるから、足立さんが言われるようにどんどん溶けていって欲しい。

足立:溶けていくよ。資本の要求に沿って作っている以上は、そうでしかないから。別に資本に楯突いているわけじゃなくて、最初から資本ていうものをもっと個別化して、資本総体のパワーなんていうものを問題にしないやり方でやっていくのも面白い。市場原理主義が全体をカバーしようとしても、それに関わりなく作れるわけだ。それが元気になっていく、っていうのは当たり前だからね。

坪川:お客さんは、馬鹿じゃないからね(笑)。

福島:そうそうそう。

足立:そういうことだよね。

坪川:お客さんを馬鹿にしてんのか?って作品、あるじゃないですか。でも、ただただ楽しいって映画もあれば、100人いたら100通り感じ方が違う映画もある。だから(映画って)いろいろあるんだよね、っていう。

福島:いろんなのがあって当たり前で。

坪川:もう一度、いろんなのがある、10年後になっていたらいいなと思います。



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福島:では最後の質問をしたいんですけど、今回この座談会と別にアンケートもやってるんですが、それと同じ質問です。すごくダイレクトで答えづらいかもしれないのですが、「あなたにとって映画とは何ですか?」
この抽象的な質問に、答えていただきたい。今回僕は『日本映画の未来』というテーマで特集を組みましたが、結局これが聞きたいだけなんです、たぶん。聞かれた側が困る質問だってのはわかってるんですけど、映画に携わる人に一番聞きたい質問って、いつもこれなんですね。なので、お答えいただければありがたいです。

足立:僕は簡単。そんな質問に困りもしないし、嫌でもない。俺自身が生きてることも含めて、映画を愛してるとかそういうレベルに留まらず、映画でしかものを考えられないし、発言ができないところがある。だからそういう意味で言えば、「自己発信する唯一の方法」だろうなと思ってる。それに尽きるかな。

福島:ありがとうございます。坪川さんは?

坪川:う~ん、自分にとって映画とは?って考えたことなかったなあ。

足立:そのくらい、どっぷり全身全霊が映画なんですよ。

坪川:そうですかね。でも本当に、自分の脚本で監督して編集やって音楽もやって、今の自分の全てなんだけど、それを自分の発信って言い切るところまではまだ到達できていないので、色々な事を思いつつも、言い淀んじゃいますね、まだ。まだ探してますね。

福島:答えを、探している。

坪川:うん、映画って何だろうって思いながらやってますね。

足立:「映画を、探してる」。

坪川:じゃ、そんな感じで美しく書いておいて下さい(笑)。

福島:わかりました(笑)。ありがとうございました。




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以上、終始なごやかなムードで、お二人とも気さくにいろんな話をしてくださいました。
ここには書けないびっくりネタや爆笑ネタもたくさんあったのだけど、諸事情でカットせざるを得なかったことをご了承ください。

今回のトークセッションを終えて一つだけ言えること。 
日本映画の未来が、楽しみになった。
そう感じた人はきっと僕だけではないと、信じています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
(文責 福島拓哉)

 

 

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