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日本映画監督協会 会員名鑑

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特集・暑い熱いッ!あの作品の夏ゲンバ

2016年08月17日

『帰らざる日々』帰らざるあの熱い夏の日々
堀内靖博

パキさんこと、藤田敏八監督作品「帰らざる日々」の長野県飯田市長期ロケに出発したのは、公開の一ヶ月半程前、1978年の夏だった。

チーフ助監督上垣保郎、セカンド根岸吉太郎、サード堀内靖博、フォース瀬川正仁の布陣で、飯田ロケは、まず新宿発飯田行きの電車を使った撮影から始まった。予定では飯田に到着するまでに車内シーンは全て撮り終わる筈であったが、撮り切れず、折り返しの新宿行きを利用して甲府あたりでやっと撮り終わり、初日の撮影は終了。宿に着き、やっと休めると思った途端、翌日の撮影に必要な小道具を忘れた事に気付き、慌てて、撮影所まで戻り、食事する暇も無いまま、宿に戻ったのは、深夜だった。劇中、「あの夏は、いろんな事があったよな」という帰省途中の車中で偶然再会した丹波義隆が永嶋敏行に言うセリフがあるが、実際のロケ現場も実に色々な事があった。それを予感させる初日の出来事だった。

本格的に撮影が始まると、まずスタッフに襲い掛かったのは、暑さ。この年、飯田は数十年ぶりの猛暑で、最高気温が33、4℃という日が続いていた。そんな中、校内マラソンのシーンの撮影が行われた。ここで問題になったのが、「したたる汗」。汗をかきながら走る永嶋敏行と江藤潤を寄り目で撮る際、通常、メイクさんの持つ霧吹きで顔に汗を滴らせるのだが、暑さの為、テストやカメラ、照明の微調整の間にたちまち乾いてしまう。その度にやり直しになり、徒に時間が取られてしまった。その時、霧吹きの水補充に行っていた瀬川正仁がバケツに水を入れて戻って来た。「こうすればいいんじゃないの」スタッフの一人が私にバケツの水を頭からぶっかけた。それだ!前田米造カメラマンが叫んだ。以来、外での撮影時には、助監督(主に私)は、水の入ったバケツを絶えず携行する事になった。しかしこれは意外な重労働で、私の顔からは汗が滴り落ちるのだった。又、小料理屋の二階の一室での撮影では、照明のライトを当てると室内温度は42、3℃まで跳ね上がり、二回ほどテストする内には、テーブルに並べられた刺身が干上がってしまうという現象も起こった。この暑さの中、藤田組の撮影は、定時で終る事など皆無。いつも22時、23時に及んだ。そればかりか、野外撮影で、夕景のシーンを深夜の3時までやった事もあった。それは、O高校側にある公園で、永嶋敏行と江藤潤が喧嘩するシーン。江藤に突き飛ばされた永嶋がフレームアウトでカットがかかる。ここで江藤はTV出演の為に一時東京へ。予算とスケジュールの関係で他日の夕方に撮る訳にはいかない。とんぼ返りしてもらって撮影するしかない状況だった。そして、戻って来た24時に撮影再開。撮り上げた。もうヘトヘトである。しかし凄いのはその後。宿に帰って深夜食を食べ、それから毎晩恒例の宴会がその夜(もう朝?)も始まった。6時頃まで飲んで、7時30分にはもうロケに出発である。スタッフの脅威のスタミナには、ただただ感心するばかりであった。

後日、編集したフィルムを見たら、確かに突き飛ばされるまでは夕景。直結のカットは深夜である。しかし何故かそれが違和感無く見られたのだ。不思議な事だった。

撮影は中盤に入り、天竜舟下りのシーン。永嶋と江藤が舟の積み下ろしのアルバイトをする。その作業風景の撮影。これが過酷だった。通常クレーンで吊り上げて、積み下ろしするのだが、それだと画にならないといことで、手動ジャッキを使用するという設定にした。舟の重さは400キロもある。無論、手動ジャッキの動きに合わせてクレーンを操作して持ち上げるのだが、手動ジャッキを一回転させるのも凄く重いし、吊り上げた舟をフレームの良いポジションに持って行く為には補助(主として私)が必要で、それがとてつもなくきつかった。腕にかかる負荷は半端でなく、手も豆だらけになった。疲労度が増していた時だったので、これは辛かった。

恒例の宴会は毎晩続いてはいたものの、さすがに出席する人数は、一人減り、二人減りしていった。

撮影終盤。飯田市全面協力の元夏祭りが再現された。出来るだけ自然に撮りたいという事で、撮影場所や時間は一般市民には内緒にし、ゲリラ撮影をする。街は人で溢れた。その中に役者入れ、エキストラが欲しい場面では、その場で街の人に頼み込んで出てもらった。これはうまくいき、狙い通りの画が撮れたと思う。

愈々撮影も残す所後2日となったある朝。食堂に行って見ると誰もいない。誰も朝食に手を付けていないのだ。さすがの猛者達も疲労困憊状態だった。勿論私も食欲はゼロ。足を引き摺るようにしてロケバスに乗り込んだ。出発時間になっても監督の姿が見えない。「疲れて寝てるんじゃないのか」とスタッフが言う。部屋に行ってみたが、いない。何処に行ったのか、探して・・・!驚いた。なんと監督は食堂で美味そうに朝食を食べていたのだ。それも丼飯である。タフでなければ監督は出来ない。その時私は深く胸に留めたのだった。

閑話休題。

過酷な撮影もようやく終わり、飯田市商工会議所が慰労会を開いてくれた。有名な飯田芸者総揚げしてくれるというので、楽しみに出席した。生粋の飯田芸者は5人だけしか残っておらず、踊りや歌はさすがに練られた芸でした。しかし、五人の中の一番若いお姐さんがなんと76歳。最年長は84歳でした。私の隣はその84歳が座り、「お一つどうぞ」とお酌してくれるのですが、全く酔えません。見ると、メインスタッフの席には若いコンパニオンがズラッと座っているではないか。「お兄さん。飲んで」と84歳のお姐さんがしなだれかかって来る。コンパニオン達の明るい笑い声を聞きながら、「何でやねん」と思わず関西弁で呟いた。

今回、この原稿を書く為に、久しぶりに「帰らざる日々」を見たが、当時の記憶が色々と蘇り、映画は素敵なタイムマシーンでもあるんだなと感じた。

この作品に助監督として参加した事で、私は様々な事を学び、映画監督としての基礎を教えられたと思う。ただがむしゃらに走り回ったあの熱い夏の日々。「帰らざる日々」は、私にとって生涯忘れられない一本です。

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