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特集

日本映画監督協会 会員名鑑

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5年後の宿題

2016年04月05日

被災地を撮ること
山田 あかね

2011年3月の東日本大震災の後、たくさんのボランティアやメディアが被災地へ向かった。私もその一人だった。初めて行ったのは、4月21日、翌日から福島原発20キロ圏内は立ち入り禁止になるという、緊迫した日だった。友人のテレビディレクターたちと被災動物のボランティアとして、福島に向かった。たどり着いたのは、原発20キロ圏内から救われた犬と猫のためのシェルターだった。だだ広い畑の隅にテントが並び、40頭ほどの犬と猫が収容されていた。

この時、私はビデオカメラを持って行った。なにかあれば撮るつもりだった。あとからわかったことだが、他の2名のディレクターもカメラを持ってきていた。が、私たち3人のうち、誰も撮影をしなかった。ディレクターがなりわいであることも証さず、一ボランティアとして、黙々と犬の世話をした。

なぜ、この日、カメラを取り出すことができなかったのだろう、と今でも思う。ひとつは怖かった。カメラを取りだした途端、保護活動の人達から、「マスコミ、帰れ!」と言われるのではないかと恐れたのだ。そして、もう一つは、「撮っている場合じゃない。目の前の命を救うべきだ」と思ったからだ。どちらかといえば、こっちのほうが強い。目の前の命のために働くほうが撮るより大事だと思った。

福島で一日、犬のボランティアをした帰り道、仲間の一人が言った。

「俺、カメラ持ってきたけど、今日も撮れなかった」

フリーの映像ディレクターで20代の半ばくらいの男だった。ツイッターの呼びかけで参加した、その日初めて会う人だった。

「今日も撮れなかったって、今までも被災地に撮影に行ったの?」

彼は話し始めた。震災の数日後、撮影するつもりで、機材一式を乗せて車で出発した。向かったのは被害がひどいと報道された地域。行ってみると想像を絶する世界が広がっていた。そこら中に遺体があった。建物はほとんど崩壊していた。生きているものの姿は見当たらなかった。出発前はスクープ映像を撮るぞと意気揚々としていたが、カメラを取り出すことができなかった。

「"撮る"って"取る"ってことだと思ったんです。これ以上、この人達からなにかを取っちゃいけない。だから、何も撮影せずに帰って来たんです」

「撮る」とは「取る」ということ。その言葉にはっとした。カメラを向けることは時に暴力的な行為になる。私もドキュメンタリーを撮っていると、「本当に撮っていいのか?」と思う瞬間がある。それでも撮影しなければ、なにかを伝えることができないし、恐れを克服して、撮ることの暴力性を引き受ける覚悟も必要だ。撮ることは加害者になること。それを自覚してカメラをむけること。

「俺って、ディレクターとしてダメですよね」

その人は、悲惨なものにカメラを向けられなかった自分を責めた。が、そんなことはないと思った。その自覚があってこそ、撮り始めることができるんじゃないか。

私はその後、犬の命をテーマに殺処分の現場や福島の原発20キロ圏内を撮った。撮りながら思ったのは、どんな悲惨な場所でも、希望に焦点をあてていこうということだった。そういう撮り方もあるはずだと。

被災地を撮ることで私が学んだのは、撮ることの暴力性とその先にある希望の見つけ方だった。撮る=取るという言葉は今も心に強く残っている。

この記事は、監督協会会報「映画監督」2016年3月号からの転載です。
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