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特集

日本映画監督協会 会員名鑑

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5年後の宿題

2016年04月05日

~東日本映画上映協議会活動終結に際して~
映職連幹事 茅場 和興

「自分の5年後ってのは、案外、明確に予想できるもんだ」

僕が20歳の頃、師事していた演出家の教えです。あの頃は、5年先どころか、明日の事さえ予想できませんでしたが......。

閑話休題。東日本大震災直後、赤十字を通して義援金を贈った監督協会。『映画人』として、被災された方々に何かできないか? 何かしなければいけないのではないか? という使命感は、監督だけではありませんでした。日本映像職能連合(以下、映職連)も、崔洋一会長の音頭で東日本映画上映協議会を立ち上げます。

例えば、被災された方々の空腹。それを映画で満たす事はできません。しかし、心の空洞なら、ほんの一時だけでも埋めるお手伝いができるのでは? 加えて、映職連にとっては、定期的な上映活動による映画鑑賞の習慣化と、その延長線上にある『映画振興のための大いなる布石』という意義もありました。こうして、被災地での映画の無料上映活動が始まったのです。

今年度は事業計画の最終年度。具体的にどれだけの成果を挙げたのかと問われると、少々自信がありません。公式結果は、事業完了後、映職連からの報告をお待ちください。

さて2011年3月11日。あの時、僕は都内のロケセットにいました。地震が起きたのは本番真っ只中。悲鳴を上げてしゃがみ込むキャスト。その頭上、大きく揺れるシャンデリア。落下すれば惨事。その瞬間が撮れれば、報道機関に売れるかも......。不謹慎にもそんな考えが過った僕は、若いキャメラマンに怒鳴ります。

「止めるな、廻せ!」

まさか、死傷者2万人余の大災害だったなど、露も思いませんでした。

偶然にもこの日は妻の誕生日。帰宅するや、幸福の象徴のようなバースディケーキを頬張りながら、ニュースの津波映像を面白半分にハシゴしていました。僕にとっては、全くの他人事だったのです。

震災から2か月後。被災地での上映活動に先立って、現地調査に赴く事になりました。太平洋に面した海岸線を車で5百キロ。衝撃でした。その後の上映活動にも参加するようになって5年。被災地に友人もできました。今では震災と復興は他人事ではありません。

今月末で協議会の被災地支援事業はひとまず終結します。しかし、復興はまだまだ途上。被災された方々に、どう寄り添っていくか? 団体として、個人として、その在り方は今後も問われ続けます。ボランティア活動による心身の負担は、軽視できない問題です。継続には揺るぎない心の拠り所と経済的なバックボーンが必要です。僕自身、被災地を初めて訪れた時の衝撃が薄れてきています。仕事を犠牲にして現地に赴く事も難しい環境になりました。復興支援事業が終結する事にも安堵を覚えている事に恥ずかしい思いです。自粛していた妻の誕生日ケーキも復活してしまいました。

「自分の5年後ってのは、案外、明確に予想できるもんだ」

師の教えの真意が、今にしてようやく分かった気がします。それは、人生をデザインして、その目標を達成するため努力する。これを5年スパンでやりなさい。己の未来を『想像』するものではなく『創造』するのだ。20歳の小僧にとっては有意義な人生訓かも知れません。しかし今の僕には、今さら理解できても手遅れのアドバイスです。

協会に入会以来、映画人の末席を汚す事に後ろめたさを覚えていました。5年後もそのイメージは払拭ができません。

『映画人』として何をすべきか?そして、現地調査の際に全身を貫いたあの衝撃を風化させない事。それが僕の次なる5年への宿題です。結びに、被災地の1日も早い復興を祈念します。

この記事は、監督協会会報「映画監督」2016年3月号からの転載です。
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