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特集

日本映画監督協会 会員名鑑

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映画監督の発想についての考察

2008年04月02日



阿木燿子監督インタビュー

降旗康男監督インタビュー



阿木燿子プロフィール
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横浜市出身。作詞家。宇崎竜童と結婚後、彼のバンド"ダウン・タウン・ブギウギ・バンド"のために書いた曲『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』で作詞家デビュー。その後、宇崎と共に山口百恵の曲の作詞・作曲を手がけ、山口百恵の黄金時代を支える。近年はライフワークとして、近松門左衛門の『曽根崎心中』とフラメンコを融合させたステージ『FLAMENCO曽根崎心中』の公演をプロデュースし、上演を重ねている。2004年3月にはスペイン・ヘレスにて、日本人初のフラメンコ・フェスティバルにも公演参加。また、2006年、『TANNKA短歌』で初の映画監督に挑戦。小説やエッセイ等で幅広い活動を続けている。2006年、紫綬褒章を受章。

 

 

降旗康男プロフィール
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1934年(昭和9年)長野県松本市出身。57年(昭和32年)東京大学文学部卒業後、東映東京撮影所に入社。66年、『非行少女ヨーコ』で監督デビュー。菅原文太の『現代やくざ』シリーズや高倉健の『新網走番外地』シリーズなどを監督。74年、フリーとなり『冬の華』『駅・STATION』や文芸作品なども手がける。06年、チャン・イーモウ監督の『単騎・千里を走る』の日本監督も務める。他に、『居酒屋兆治』『夜叉』『極道の妻たち・三代目姐』『将軍家光の乱心・激突』『寒椿』『赤い月』、最新作『憑神』など。『あ・うん』て゜アジア太平洋映画祭最優秀作品賞、『鉄道員』で日本アカデミー賞、監督賞、脚本賞、『ホタル』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

 

 

勝 利一(本名:添田克敏)プロフィール
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1954年(昭和29年)福岡県直方市生まれ。父親が炭坑夫だったため筑豊を転々とする。北九州市の香月で高倉健さんと同じ小学校に入学するが、炭坑事故のため福岡市内に転居。77年、日活芸術学院・創作科、第一期卒業。日活撮影所などで働く傍ら8ミリで自主映画を製作(監督・脚本・撮影・録音・編集)。78年『天使の烙印』、80年『ろくでなしブルース』、82年『幕末エレジー』、84年には16ミリ映画『ジョニーの物語』を製作。その後、成人映画『女囚房・獣のように激しく』など十数本、ビデオ映画、07年『女囚611・獣牝たちの館』など十数本の監督、脚本(ペンネーム国見岳士)をする。代表作はドキュメンタリー『零戦・世界最強の伝説』。

 

 

    編集長  勝 利一  最近、自分が作った作品に対して、あそこのところを、ああすれば良かった、こうすれば良かったなどと思うことが多く、また、企画書や脚本を創っても、これでいいのだろうかという疑念がよぎってしまうことがあります。そこで、創作の根本である発想について考えてみることにしました。  かのサム・ペキンパーは、かつて、キネマ旬報の取材で、黒澤明を尊敬し、その映画から、随分と盗ませてもらった。と答えていました。真似したのではなく、そこから、自分なりに発想を膨らませて自分のものにしたのだと思います。  私も一番影響を受けたというか尊敬するのはやはり黒澤明監督です。最近の若い人は全く違うようですが、私はやはり、黒澤、小津、溝口の映画はすごいと思います。彼らの映画には創意工夫があり、イマジネーションをかきたれられることがあります。  ちなみに、私の発想は、風呂に入っているときに思い浮かぶことがよくあります。脚本などで行き詰まったりしたときに、風呂に入ってボーッとしていると、あっ!あそこは、ああすればうまくいくとか、こんな話しにすればいいとかいったようなことが浮かんできます。それを忘れないように書き留めるのです。  一本の映画がどのようにして作られていくのか、それを解いていくと色々な偶然や突発的なことから発想されたり、様々な出来事の中で映画が出来上がっていくことか分ります。  今回の特集では、多方面で才能を発揮されている新人監督、阿木燿子さんが初監督された映画『TANNKA短歌』をどのようにして作ったのか。そして、私が大ファンである高倉健さんの映画を数多く撮られているベテランの降旗康男監督に撮影秘話などのお話をお伺いすることができました。