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特集

日本映画監督協会 会員名鑑

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映画監督になる方法

2008年04月01日

映画監督になる方法
私はこうして監督になりました

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今の時代、映画監督になるには道はひとつではない。かつては、助監督から経験を積んで上りつめていく...というのが一般的だったと思う。が、今はなんでもありだ。
テレビ出身、CM出身、自主映画出身、このほかにも、俳優、タレント、脚本家、小説家、舞台演出家...とにかく、ある意味、誰でもが監督になれる時代になった。これがいいことか悪いことかはわからない。門戸が開かれたという意味ではよいことだろうけれども、確実な方法が失われたとも言えて、真剣に監督を目指すひとにとっては、悩ましい問題なのではないだろうか。
そこで、さまざまな出自を持つ監督に集まっていただき、どのようにして監督になったか、また、それぞれの分野出身ゆえの苦労やメリットがあったかなどを伺った。
監督を目指すひとたちの参考になれば幸いである。
私自身、長くテレビのディレクターをやってきたが、近々、自分の小説を原作として映画を撮ろうと企てている。自分自身の映画の参考になれば...という下心もあったことを告白しておく。(文責・山田あかね)




08yama01.jpg座談会は、4月1日、渋谷のレンタルルームで、なごやかなうちに始まった。
(同席者:緒方明、高原秀和)


【出席者プロフィール】

隅田 靖 08yama02.jpg  

1959年 東京生まれ。大学卒業後、企業VPの制作会社を経て、『ビーバップハイスクール高校与太郎行進曲』(87)で、助監督を務め、その後、主に、長谷部安春、澤井信一郎監督に師事。『あぶない刑事』シリーズ、『いこかもどろか』(88)『ふたり』(91)『時雨の記』(98)『凶気の桜』(02)など数々の作品の助監督につく。『ワルボロ』(07)が初監督作品となる。








吉田大八 08yama03.jpg  

早稲田大学第一文学部卒業。
1987年、CM制作会社「ティー・ワイ・オー」入社。以来ディレクターとして、数百本のCMを演出。国内外の受賞歴多数。2007年、『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』で劇場長編映画デビュー。
 









山下敦弘

08yama04.jpg1976年 愛知県生まれ。大阪芸術大学映像学科在学中から映画を撮り始める。1999年、卒業制作として初の長編『どんてん生活』を監督。2000年ゆうばりファンタスティック映画祭のオフシアター部門のグランプリを受賞。主な監督作品に、『ばかのハコ船』(02)、『リアリズムの宿』(03)、『リンダ リンダ リンダ』(05)『天然コケッコー』『松ヶ根乱射事件』(07)。







山田あかね 

東京生まれ。テレビ制作会社勤務を経て、フリーのテレビディレクターになる。ドキュメンタリー、ドラマなどの演出・脚本を数多く手がける。近年は、小説も書く。演出作としては「やっぱり猫が好き」「コスメの魔法」など。脚本として「時効警察」映画「闘茶」など。
小説作品に「ベイビーシャワー」(03年小学館文庫小説賞)「すべては海になる」「しまうたGTS」(以上小学館)、エッセイ「女の武士道」(PHP文庫)、石田衣良、角田光代らとの共著「オトナの片思い」(角川春樹事務所)など。
現在、自著「すべては海になる」の映画化準備中。


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【なぜ、映画監督になったか?】

山田 それぞれ、何故、映画監督になろうと思ったのかを、お話していただけますか?
隅田 僕は大学では、映画学科でも自主映画をやっていたわけでもないんです。80年代の始まりで、学生運動の残り香もあったりして、あまり授業に出なかったんですね。映画三本立て行ったり、ロック喫茶やジャズ喫茶行ったりしていました。いわゆるノンポリってやつでしたね。
系統立てて映画を見てはいたんですけど、「じゃあ映画監督になろう」とは夢にも思わなかった。それで、大学出て一年間サラリーマンやったんですけど「向いてないな」と思ってやめました。6歳上の兄貴がたまたま映画界にいて、羨ましいなと思って、頼み込んだんですけど「映画監督なんか無理だ。やめとけ」って言われた。それで、当時、企業ビデオが盛んだったんで、ビデオ会社に就職したんです。でも、しっかりした脚本のあるもの撮りたいなと憧れました。それで27歳の時に映画界に入ったんです。でも映画監督になろうというよりは、日々の仕事に追われる毎日でした。
最初は那須博之監督の「ビーバップハイスクール高校与太郎行進曲」(87)の5th、見習いですね。監督の椅子運びとかお茶を出しては、「隅田 のコーヒーはうまいな」とか言われて喜んでたりね。そのときの4thが中田秀夫さん。だから彼とは仲良くて。那須組といったらしんどかったんですけど、それで「映画ってこんなにしんどいのか」って日々の労働に一生懸命になっちゃって。およそ20年間、助監督をやりました。助監督は、いろいろな監督、作品につけたし、さまざまな俳優とプロデューサー、スタッフと接することができて楽しかったです。
10年くらいたってチーフになったとき、「自分はどんなことやっていこうか」って考えるようになりました。監督との接し方とか脚本との接し方とか。その監督の色に染まろうとして助監督ってやるじゃないですか。でも、そういうことの為だけに助監督をやっていると「これでいいのか」って精神的に参った時期がありまして。それで澤井信一郎監督や長谷部安春監督に出会って、「そろそろやったらどうか」って言われると、「じゃあ何をやったらいいんだろ」って。それで色々企画を出すようになりました。40歳くらいの時かな。
山田 どうしても映画監督になろうって感じではなかったんですね?
隅田 というか、映画監督になるのって大変だなって感じですね。上の助監督はいっぱいいたし。主に、東映やセントラルアーツって会社で仕事していましたが、成田裕介さん一倉治雄さんもいれば、ベテランの、長谷部さん、澤田幸弘さん、村川透さんもいた。いろいろな監督と接してると、おこがましいって気がしました。
でも、助監督の上の人達、例えば2ndの人が現場仕切ったり、チーフがいきなりやってきてモブシーンを仕切ったりなどを見ていると、格好いいなって思ったし、それに昔はスタッフロールにチーフしか名前でなかったから、「名前載りたいな」って単純に思っててました。実際に自分がチーフになってみて、「そろそろ何かやらないと」と思うようになったんです。
山田 吉田さんは何故映画監督になろうと思ったんですか?
吉田 僕は高校生くらいから音楽が好きで、バンドの真似ごとをやってたんですけど全然楽器とかも下手でした。でも高校生でバカだから、東京にさえ行けばチャンスもあるんじゃないかと密かに考えて浪人の時に上京して、ちょうどその頃、好きなミュージシャンがいっぱい出ているというだけの理由で映画「爆裂都市」(82)を見に行ったんですよ。それまで映画館に行く習慣があまりなくて、むしろコンサートに行くくらいのつもりで行ったんです。その映画を作っている人がミュージシャンじゃないってことくらいは解りました。ミュージシャンと一緒に仕事ができて、モノが作れる仕事ってあるんだなっていうことを知ったんです。そういう映画が特殊だって知るのはあとの事なんですけど。それで、映画を作るという事に興味が湧いて、大学で自主映画のサークルに入って、くわしい先輩たちから教えて貰っていろんな映画を見るようになったんです。でも、"映画史に"価値のある映画を押さえていくというよりは「ビリィ★ザ★キッドの新しい夜明け」(86)とか「星くず兄弟の伝説」(85)とか、当時好きだった小劇場とかサブカルのスターたちとミュージシャンが遊んでいるような映画を観ながら「こうゆうことで暮らしていけたら楽しいだろうな」とうわついた事ばっかり考えているうちに時間切れで就職が迫ってきて。それでCMの制作会社に入りました。
山田 助監督や自主映画でやっていこうみたいな選択肢はなかったんですか?
吉田 助監督ってどうやったらなれるのかわからなかったんですよ。
隅田  ...(笑)。
吉田 撮影所で求人があったけじゃないし。当時、ディレクターズカンパニーとか憧れだったんですけど、何かのイベントで長谷川和彦監督が自分の8ミリ映画を観てくれるチャンスがあって。「助監督やる気ある?」って声をかけてもらえたんです。「え?ほんとに?」って、大ファンだから舞い上がるじゃないですか 。分厚い資料を渡されて、企画の打ち合わせにも呼ばれたりして。「俺、将来決まったかも」って思ってたんですけど、そこでの振る舞いがダメだったらしく、三回くらいで呼ばれなくなった(笑)。それで自分の中でひと区切りついたという感じはありました。

 

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山田 山下さんは、もういきなり監督ですよね?何故、映画監督になろうって思ったんですか?
山下 えーっと、高校くらいの時にオヤジがビデオカメラ買って、周りの友達とカメラ使って遊びだしたのがきっかけなんです。周りのやつよりも僕が少し映画詳しかったんで、なんとなく監督らしきことをやりつつ、役者もやったりなんかして遊んでたんですよね。それで作ったやつを友達に見せたら、結構楽しんでくれて、人が集まるようになって。で、集めちゃった手前、仕切らなくちゃならないってのが最初かな。
山田 高校生の時に早くも監督に。
山下 遊びか暇つぶしだったんですけどね。カメラ内編集で適当に繋げて、あとは友達と煙草吸ってるみたいなことを高校二年生くらいからちょこちょこやってたんです。進路を考えていなかったんですが、先生が「映画を教える大学がある」って言ったので、そのまま大阪芸大に入ったんです。
山田 大学に入る時点で「映画監督になろう」っていう野心はありましたか?
山下 朧気な野心はありましたけど、多分、映像学科に入ってきた奴はみんなそうなんですよね、映像っていっても監督しか知らないから。だからみんなスタートラインは一緒だったんですけど、僕はたまたま高校時代に撮ったアホみたいなビデオがあったんで、「あ、お前、高校からやってたんだ」ってことで、一歩リードしていた感じだったんです。(全然アホみたいなビデオなんですけど)。それで周りがバンドやり始めたり、イベント立ち上げたり色々始めていく中で、僕も最初の一年は、色々やろうとしたんですど、できなくて。残ってるのは映画だなって思って。芸大なんで何かやってないと不安なんですよね。周りに目立ったことやってる奴がいっぱいいるんで。とりあえず映画やりだそうって。向井康介と二人だけでスタートして。僕、演出しかできないんで、脚本と照明と編集、全部向井がやって、僕は役者と演出だけやって。それで、二本目三本目とちょっとずつスタッフが広がっていった感じですね。
山田 大学を卒業するとき、就職するのかしないのかって別れ道に行くと思いますが、そのときはどういう考えだったんですか?
山下 当時、芸大の映像学科で就職するってやつあんまいなかったんですよ。就職する奴がいるとしても、京都の東映とかに先生のツテで行くくらいで。僕の先輩に熊切さんがいて、そういう人見てると「どうにかなるんじゃないか」って思いました(笑)。熊切さんも賞を獲っていながらも大阪の田舎でブラブラしていたんで。大阪芸大映像学科の人ってのは卒業しても何となくあの辺住んで、バイトしながら自主映画撮るってのが決まりで(笑)。学生でも社会人でもない一年間くらいってのがあるんですよ。見てて麻痺して来ちゃって。当時、卒業制作で「どんてん生活」(99)を作っていたので、3月に卒業して7月にそれを自分たちで上映しようって動いていたので、就職するって選択肢がないままきちゃったんですよね。
山田 世代の差なんでしょうか。自分たちの頃って就職しなきゃみたいな。大多数の人達はしてたと思うんですけど。
吉田 それ芸大だからじゃないかな?
山田 芸大だからか。
吉田 僕は早稲田の演劇専修だけど、就職するのは半分くらいでした。環境じゃないですか?
隅田 日本映画学校にしてもね。
山田 じゃあ、そのまま監督になるのは割と自然な流れだったということですか?
山下 うーん...。
山田 自分が思うより前になってしまったってことでしょうか?世の中が認めてくれた。
山下 なんすかね。でも監督って言われ出したのは東京でてきてから。それまではスタッフが全員友達とかで名前で呼び合ってるみたいな関係だったんですけど、東京にきて他のプロの方とやるようになってから監督って呼ばれるようになって、そこでの意識の違いはありましたけど。
山田 東京に来てからはこの道で行こうって気持ちになったんですか?
山下 そうですね。仲間もみんな東京に出て来ていたので。でも、この道でっていうよりは、最初はENBUゼミナールの講師の依頼があったんで安定するかなって。あと、あまり大阪に映画の仕事がなかったんです。
山田 東京に出てきたのは、何歳の時ですか?
山下 27歳くらいですね。
山田 大学を卒業してからの5年間は自主映画を撮っていたということですね?
山下 自主...というか一応予算のでた映画は一本あったんですけど。

【監督への道・具体的な方法】

山田 隅田さんは助監督をやられていて自分の企画で動き始めたのは、30代後半くらいでしょうか。
隅田 もちろん、それまでも考えてはいたんですけどね。前はテレビドラマが局制作ではなかった部分が数多くあって、俺もじきに撮れるかなと漠然と思ってたんですけど、他にもVシネマブームがあって、「じゃあ俺もいずれ...」って思っていたら、そのブームも下火になってきた。それで、デビューする土壌がなくなったかなあと...。「じゃあ自分で映画を企画するしかないな」って思うようになりました。助監督の仕事は生活し、食えるくらいはやってたんですけど、やっぱやり監督をやりたいなって。
山田 具体的には監督をやるためにどういう動きをされたんですか?
隅田 とにかく、新刊本や古本屋を著者名別にア行から全部チェックして、面白かったら読んで、企画書を書く。それをまず、セントラルアーツの黒澤満さんのところへ持って行きました。お世話になっていたんで。ずっと助監督やっていたところで、仁義通したいと思って。
山田 デビュー作となった「ワルボロ」までは期間はどれくらいあったんですか?
隅田 どうですかね。5年とかもっとあったのかなぁ。
山田 ワルボロもご自身が選んだんですか?
隅田 はい。朝日新聞に「青春土石流小説」とかって幻冬舎の小説の宣伝が載っていて、仕事の合間に読んで「これは面白い」って思いました。その時、たまたま東映ビデオの若いプロデューサーに「面白い本ないですかね」って言われて紹介して企画が立ち上がり、進行していきました。
山田 原作選びの時点で、自分で監督しようって思ってましたか?
隅田 そうですね。ワルボロは東映っぽいと思ったし。ホントは山下さんみたいに「天然コケッコー」(07)みたいなものをやりたかったんですけど(笑)。
山田 全然違うじゃないですか(笑)。
隅田 似てるじゃないですか(笑)。田舎とか。
山田 田舎しか一緒じゃないじゃないですか(笑)。
隅田 というか田舎を出て行く話。アメリカングラフィティにしてもラストショーにしても、そういう青春モノがやりたかった。ただ、「ワルボロ」はケンカの話ですけど、自分のなかでは、青春ドラマというか青春恋愛というふうに捉えている部分もあります。
山田 それは青春恋愛ものがやりたかったってことですか?
隅田 うん、胸キュンというかね。「天然コケッコー」にしてもね、そういうのが好きなんで。僕は中学・高校とそんなケンカとかしてないし。
山田 あ、そっちじゃないんですね(笑)
隅田 「国道20号線」の監督だって違うでしょ(笑)?
山田 「ワルボロ」は胸キュンだったんですね。
ところで、吉田監督はCM業界に入られ、山ほど賞を獲られ、その世界で、充分名前もありますよね。それがどうして映画に?
吉田 何年か前にショートフィルムのブームがあって、CMディレクターにもそういう仕事が増えたんです。僕も何本か監督するチャンスがあったんですけど、CMの演出って基本的に「もっと速くセリフを読んでください」「速く動いてください」とかが多いですからね。映画だとストップウォッチで0.5秒まで計らなくていいんだって。それだけで自由な感じがしました。で、周りからも「次は(長編)映画でしょ?」って半分冗談で言われてたんですけど、正直そんなやりたいって感じでもなかったんですね。
ところが、ある日、たまたま読んだばかりの小説の続編が載っていたので買ってみた文芸誌に、今回監督することになった、本谷有希子さんの小説「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」が載っていたんです。読んでいるうちに、それが映画になった時のイメージがなぜか浮かんできて。答えが解ったような気がしたから、手を挙げてみたというか。
山田 それまで本谷さんを知らなかった?
吉田 劇団をやっているのは知っていてHPがあるのも知っていました。それで、読み終わってすぐに問い合わせのメールを送りました。
山田 それで、原作権をとったんですか?
吉田 まだ決まってないということだったので、以前からCMやショートフィルムで付き合いのあったモンスターフィルムスの柿本プロデューサーに読ませて、丁度、二週間くらい時間があいたんで、シナリオを書いたんですよ。それで、本谷さんのところへ持って行って、それからかな、会社同士で契約したのは。
山田 長いシナリオを書いたのは久しぶりでしたか?
吉田 ほとんど、学生の時以来でした。でも、原作の感じが自分の体質に近かったからすんなり書けたのかも知れないですね。
山田 文芸誌に載っていたってことは...。
吉田 単行本になる前ですね。それが運が良かった。単行本が出た後は映画化のオファーも相当あったらしくて。
山田 「腑抜け...」は原作を読んでから実現するまでどれくらいのスパンだったんですか?
吉田 読んだのが2004年の暮れだから、公開までは二年半ですね。別に、途中でストップしているって感じはなかったですけど。夏の話だったんですが、シナリオが出来たのが2005年の2月頃で、さすがにその年の夏は間に合わなくて、2006年の夏に撮影して。
山田 2007年に上映、だから割と順調ですよね?
吉田 でも、CMしか知らなかったから、すごく長い時間に感じましたけどね。
山田 その間もCMの仕事はやってたんですか?
吉田 はい、ある程度はやってました。撮影の前後は勿論やらなかったですけど。
山田 会社的には映画を撮ることは問題なかったんですか?
吉田 それはなかったですね。
緒方 吉田さんは会社員なんですか?
山田 取締役かなんかですよね?
吉田 いや、平社員ですよ(笑)。
隅田 「嫌われ松子の一生」(06)の監督も会社員ですよね?
吉田 いや、中島哲也さんは会社員じゃないんですよ。中島さんとはかつて事務所の先輩後輩で。
山田 山下さんは、皆さんのような時期もなくストレートに監督業ということなんでしょうか?
山下 東京に来るきっかけはENBUゼミの講師ってことだったんですけど、その時に「リンダリンダリンダ」(05)の企画と「くりいむレモン」(04)の企画はあったんで。最初に撮った「くりぃむレモン」の時はドキドキしてたんですけど、蓋開けてみたらスタッフが殆ど大阪芸大のメンバーで、カメラも照明も編集も、音楽も赤犬だったし。だからやりたいようにやらせてもらって。ガラっと変わったのは「リンダリンダリンダ」からです。
山田 ちなみに東京にいらして、映画監督のお仕事だけでご飯は食べられたんでしょうか?
山下 大阪の時はバイトしてたんですけど、東京来てからはバイトしなくては良くなりました。でも、最初の一年はENBUゼミが大きかったですね。「リンダリンダリンダ」も一年かけて撮って、月で割ると10万ないって感じだったんで。それ考えると、ENBUゼミとかが一番安定してましたね。
山田 当時20代前半で、バイトしなくても生活していけたのはラッキーですよね。
山下 僕の場合、周りの環境が同じような奴ばっかりなんで、何か麻痺してるとこあるんじゃないかって思います。地元の友達と話すと、貯金とか結構あったりしてすごいなって思うんですけど、映画やってる友達ととつるんでるあまり不安はないですよね。
山田 それはラッキーなことですね。
山下 ラッキー...かな?でも本当一番ラッキーだったのは当時は気付かなかったですが、「どんてん」で東京国際映画祭の助成金制度で1000万円いただいたんですよ。それで二本目撮れるなってなって。予算のある自主映画として撮って、東京でもレイトショー公開していただいて。あの当時は「そういうことってあるんだなぁ」としか思ってなかったんですけど、あれが撮れてなかったら今頃、大阪で悶々としてたのかなぁって今になって思います。
山田 同級生で映画監督を目指していたような人は、大部分そうはいかないわけじゃないですか。そういう人達は今は、どうしているんでしょう?
山下 どうしているでしょう。でも、近しい人間は現場入ってます。スタッフや監督やってるやつらも、順調にやっている気がしますね。

 

08yama06.jpg【それぞれの分野出身のメリット・デメリット】

山田 これで、皆さんがどうやって監督になったかわかったんですが、それぞれみんな出自がちがいますよね。助監督出身だと、沢山の監督を見てきた良い点もあるだろうし、逆にマイナスな点もあるんじゃないかなと思うんですけど、隅田さんはいかがですか?
隅田 助監督やってたことのメリットは、助監督やっているうちに身に付くことはありますよね。できちゃうんですよ、現場的な方法論とか、脚本を読む力だったり。
山田 自分の場合をお話すると、私はテレビの出身でADも三年くらいしかやらずに、ドラマも撮るようになりました。これまで70本近く撮りましたけど、監督をやっていて思うのは、引き出しが少ないということなんです。他の監督がどうやってるのかわからないんです。それに、最初の頃は、助監督の方が、年上で怒られたりして、まず怖いんですよ。だから助監督出身の人に対するコンプレックスみたいなものは常々持っています。隅田さんのように、助監督を20年近くやってらっしゃると、いろんな監督を見ていますよね。ヘンテコリンな役者さんが来ても、どう対処するかとか。でも引き出しが少ないと、トラブルがあったこときに、ヘコみやすいんです。
隅田 それは一緒ですよ。監督と助監督って違うから。助監督っていわばアマチュアみたいなんですよ。作品に対する責任がないわけだから。例えば、僕が山下さんや吉田さんの助監督をやっても、できるだけ自分の引き出しを出し、監督の意図をつかみとろうとしてやるけど、ある意味責任はないわけですよ。よく言いますが、優秀な助監督が優秀な監督になるわけじゃないし、その逆もあるってこと。だから一概には言えないですよ。でも、色々見てきていることはメリットとは言えます。ただ、全然違うんだな、監督と助監督は。
山田 何が一番違うと思いますか?
隅田 責任感でしょうね、全てにおいて。で、助監督の時にはできたことが監督になったときに出来ないことだってあるんですよ。
山田 例えば?
隅田 例えば俳優を動かした時にね、どうやってカット割りしようかなとか思って悩んでしまうとか。助監督の時は監督に「こうやってやればいいじゃないですか」って出来ちゃうんですけど、いざ監督になったら「どうやってやろうか」って迷ってしまうこともあります。
山田 なんでだろう?
隅田 なんでですかね?
山田 わかるような気もしますが...。テレビドラマで、私が悩んでると「こうすればいいじゃないですか!」って助監督の人が言って、「何で私より先にあんたが解るのよ!」って思うこともありました。...でもそういう人だからといって監督をした時にできるって訳でもないんですね。
隅田 そうなんでしょうね、完璧なものなんかないですから、きっと。
山田 不思議ですね。
隅田 不思議です。突拍子もないアイディアがでることはありますよね、スタッフからね。
山田 他にメリットとして、業界に知り合いが多くなりますよね、カメラマンにしろ役者にしろ。それはいかがですか?
隅田 それは決して良いとは思わないけどね、なぁなぁになっちゃたりするから。
山田 そうですか。でもやっぱ仲良しのカメラマンとか出来て、一緒にやろうってことになりませんか?
隅田 それは勿論思いますよ。でも、映画って内容や規模により、様々な性格を持つモノですからね。
山田 私、ベテランの助監督の方の心の中を覗いてみたいと思っていたから。すいません個人的で興味でした。
隅田 いやいや(笑)。でも、「松ヶ根乱射事件」見てても、助監督で石川って出てると、あぁ石川くん、知ってるなぁって。石川くんは崔さんの「月はどっちにでている」についてたなぁ、とかそういうネットワークはできますよね。あまり意味はないですけど。
山田 それはプラスじゃないですか?スタッフが初めての人で、会って見て「うわっ」ってことがなくて良いですよね。
隅田 うん...。というかちょっとやるとその人の技量がわかるよね。
山田 それはやはり20年の蓄積があるからじゃないですか?ないと技量を計れない。
隅田 そうだね、あと好き嫌いとかね。こいつ嫌だなとかね。


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吉田 すごく人を見てる。映画の助監督って人を見る力があるんだと思いますよ。
山下 そうですね、見られてる感じしますね。
吉田 見られてる感じがする!だからさっきのカット割りパッと思いついたという話も、常に見て考えてるんですよ、助監督の人って。CMって割と一本で演出を任されるのが、早いんです。会社入って二年目とかで撮れる。でも、やるのと見るのとでは違っていて、自分は見る力が弱いなって思いましたね。
山田 吉田さん、CMやってたメリットとデメリットは?
吉田 メリットっていうのは...。デメリットのほうかもしれませんが、CMの現場でも、一応監督って呼ばれますけど、クライアントがいて広告代理店もいるから、「OK」って言う前に何となく背後の気配をうかがうみたいな習慣があります。「これで満足かな?」って空気を読む技術に妙に長けちゃうんです。それだと普段映画やってる役者さんたちからは「こいつホントに監督なのか?」って思われちゃうし、困るんですけど。
山田 背後を気にするのが、癖になっている?
吉田 CMの場合、僕がOKと思っても、何となく後ろがザワザワっとしてるなって思うと、やっぱり「すいません、もう一回」って事に大体なるんですよ。そのほか、色々と撮る癖ができてます。編集の時に、クライアントの偉い人が突然登場して、想像もしなかった注文が出てメチャクチャになることもあるから、とりあえずいろいろと撮っておいて、いくつかのパターンができるようにしておくのが癖になってます。でも、映画の時に助監督から「監督、本番ってのは一回だけだから本番っていうんですよ」って言われて、もちろんそれは原則論としてだろうけど。映画をやって一番心に残った言葉です。確かに、テイクワンでOKだとすごく、現場全体がピシっとしますよね。CMだとテイクワンでOKなんて殆ど出したことないんで。映画で全部のカット7〜8個ずつ撮っていくと、ダラダラっとするんだなって思いました。
隅田 どうせダメだなって。
吉田 そこはすごく勉強になった。そういう意味で、演出部が一番怖かった。
隅田 わかりますよ、それは僕だってそうですもん。いくら知ってる奴でも。
吉田 そうなんですか?とにかくまず、異業種としては、負けないようにと。
隅田 それは良いんじゃないですか?
吉田 演出部はシナリオもコンテも僕よりボロボロになるくらい読みこんできます。僕が忘れてることを「監督、こう言ってたじゃないですか」「あ、そうでした...」っていうのが続くわけですよ。カット割りにしても「監督、ここ、おかしいですよ」「あ、ホントだ」とか(笑)。そういうことが、しばしばありました。
山田 演出部はチーフもセカンドも映画の人で?CMの人は呼んでこなかった?
吉田 CMって演出部はないんですよ。助監督っていないですから。
山田 あ、いないんですか。じゃあ監督の下はADなんですか?
吉田 ADもいないんですよ。
山田 助監督やADの仕事はどなたがするんですか?
吉田 助監督的なことは、制作進行、プロダクションマネージャーが両方兼ねるんですよ。制作部は、弁当発注しながらカチンコも叩きます。
山田 テレビのシステムとも、違ってますね。
吉田 だからCMのプロダクションマネージャーは今、やること多すぎてボロボロですよ。
山田 そうなんだ。じゃあCMはプロダクションマネージャーから監督に上がる?
吉田 いや、プロダクションマネージャーはほぼ、プロデューサーに上がる。
山田 監督はどっから来るんですか?
吉田 監督...。監督はまずCMの企画をするんですよ。たまに現場に手伝いに行ったりしますけど。で、勿論、勉強になるじゃないですか。で、僕らの時はもう二年目くらいから「やってみれば」って。
山田 じゃあ、誰にも演出の手法を習うことなく、いきなり演出、みたいな?
吉田 あ、ちょっと習うけど...でも習うなんてものじゃないですね。現場に行ってスクリプトとる真似したり。
山田 演出は、ある種、独学なんでしょうか?やりながら身につけた?
吉田 独学...。そうかもしれないですね...。
山田 そういう細かい、どうやって、演出を覚えるか...っていうのは意外と知らないじゃないですか、他の業界のことは。
吉田 そうですね。CMって、広告を作っているのか映像を作っているのかが微妙になる時があって。昔はCM業界全体に、広告を作っているという意識があったんですよ。ただ、今はクリエイティブの主導は広告代理店にあって、僕はプロダクションの人間として、どちらかというと広告的に考えられた「何を」を15秒、30秒で「どういう」形に仕上げるかっていうことを要求されてるかな。
山田 「現場」っぽいってことですか?
吉田 そうですね。だから今は、映像を目指す意識と、広告業界に入るという意識は別になってきてると思います。もちろん広告映像をつくっているわけですけど、「広告」そのものはもっと文章とかコンセプトとかそういうので出来上がっている。
山田 映画とCM作るのでは、何が違ってました?
吉田 何が違うんだろうなぁ...。ショートフィルムの時は、そんな変わらなかったんです。CMのやり方でも15分ならなんとかできた。でもさすがに映画は全然。CMのやり方は映画じゃ通用しない、くらいの気持ちで行かないとダメだと思いました。
山田 それは、映画を撮りながら学んだんですね?
吉田 そうですね。もうちょっと若ければ、ツッパったかもしれないですけど...もう「僕、何もわかりません」ってスタンスになりました。「段取り」とか...現場入って初めて意味わかったんですよ。
山田 あ、CMって「段取り」ってないんですか?
吉田 ないんですよ。みんながやっていることを見ながら「あ、これが段取りか。リハーサルとは何が違うんだろう」ってレベルでしたからね。最初の何日間かものすごいアウェー感で「自分のやり方でやりたい」なんてとてもじゃないけど言えない感じで。もう正直に「何にも知らないんで教えてください」って感じに--。
山田 方針を変えた?
吉田 変えたってか自然にそうせざるを得なかった。「段取りってのはここまでやればいいんですか?」って。
隅田 カット割りはしたんですか?
吉田 コンテを描きました。決定稿あがったあとコンテを描いてるうちに、シナリオそのものも細かいところが随分変わりました。やっぱり普段コンテで把握する癖がついちゃってるから、コンテにしてみないとわからないんですね。
山田 コンテ通りに撮れましたか?
吉田 もちろんいろいろ変わりましたが、現場ではずっとコンテ持ってました。台詞の確認だけ台本でしたけど。コンテでもう20年くらいやってきたから。
山田 その辺はCMで培った能力が生かされたと言えるのでは?
吉田 能力っていうか...(苦笑)。まぁ、コンテなかったら、カット割れなかったと思いますね。自分で何やってるかわからなくなっただろうし。
山田 なるほど。という話を受けてですね、山下さんはいきなり監督というか、助監督とか下積みがないわけじゃないですか。その辺はいかがですか?
山下 自主映画やってる時から助監督とか演出部って認識がなかったから、東京出てきたときは演出部とか...怖かったですね。全員年上ってのも...。
山田 「リンダリンダリンダ」の時は助監督はプロの方だったんですか?
山下 プロですね。でもさすがにプロデューサーの方が不安がって監督補をつけようってことで、監督デビュー一歩手前の方が通訳のように間に入ってくれて、引っ張っていってくれました。監督補を通して演出部が何をしているかわかったっていうか...。僕、セカンドとかサードとかが何やるかもわかんなかったんです...。
隅田 タケがついてたの?
山下 いや大崎さんっていう...とにかくその人が全部やってくれた感じで。
山田 通訳が必要なほど、プロ映画業界のシステムがわからなかったってことですよね。
山下 そうですね。それまでは照明もカメラマンも同級生だったんですけど、それが一気に変わっちゃったんで。だから大崎さんが、共同監督に近いくらいの感じでつきっきりでやってくれました。それで、その次の作品からは、わかったつもりだったんですけど、やっぱ人が変わると雰囲気も全然変わるから、未だに演出部ってのが、わからないですね。でも、同じ人とばっかりやるってのも怖いなって気もするので、いろんな人とやりたいなって思ってます。合う合わないは勿論あるとは思うんですけど。全く、違う感覚の人がいたほうが実は掛け算になるような気がします。
山田 みんな知り合いっていうよりは、プロの人が入ったほうがいいってことですか?
山下 いや、僕...知り合いとそんなに頻繁にやってる感じでもないですよ。脚本の向井とかはずっと一緒にやってたりしますけど、現場は結構違う人と。それは意図的にそうしようと思ってやってます。東京に、ずっとコンプレックスがあったんです。大阪で自主映画やってた時に、脚本の向井は照明とかやってて、近藤龍人も撮影で東京の現場行って、日に焼けて帰ってきて、どんどんみるみるうちに技術力がアップしていくんですよ。何か見たことのない道具が腰についてたり、専門用語とか使っちゃたりして(笑)。すっごい悔しくて。俺、演出部とか呼ばれないし、全然わかんないなみたいなのがあったんで。で、酒飲むと「山下も、そろそろ違うカメラマンとやったほうがいいんじゃないの?」とか言われて本当、悔しかったんで。それで、東京来てから、とにかく経験がなかったんで、いろんな人とやろうと思って。それでも、プロデューサーの方は僕みたいなやつでも一緒にやりやすい方を呼んでくれていたとは思うんですけど、でも、いろんなクセがあって。一本一本、経験積んでいる感じですね。
山田 自主映画出身のメリットデメリットみたいな視点で見ると、どうでしょう?
山下 どうなんですかねー...。
山田 メリットは「幸せだ」って。苦労知らずっていう。
山下 いや、苦労っていうか...ないものねだりかもしれないですけど、やっぱコンプレックスはある(苦笑)。
山田 コンプレックスってどんな?
山下 現場ではいつもビクビクしてますけどね。チーフが、後ろで見ていると「下手なカット割りできねぇな」とか。
山田 思うんですか?
山下 はい。
山田 チーフってみんな怖いですね。
山下 怖いんですけど、でも見ててくれなきゃとは思ってるんで。そういう人は威圧感を与えようとしているわけじゃなくて、見てるだけだとは思うんですけど(笑)。でもやっぱり、演出部って常に今回の演出部はどうやるのがベストなのかとか考えてやってるし。
隅田 それは素晴らしいですよ。
山下 そうですね。だから、わかんないですよね。助監督経験ないことは、今後もコンプレックスとして残っていくとは思います。
緒方 隅田さんもチーフとか怖いと思うときありますよね?
隅田 ありますよ。散々こきつかってた助監督だったりするんですけど、やっぱ吉田さんがおっしゃってたみたいに「演出で負けちゃいけない」ってのはありますよ。
山田 それは出自に関係なく現場の緊張感として、チーフなりカメラマンなりに「負けないぞ」ってのは、みなさんある?
隅田 あの、チーフの中でも助監督の中でもプロデューサー寄りとか監督寄りとかそういうバランスがあるんですよ。だからその中で、今回はどうしたらいいんだろうかって新しい発見というのは毎回毎回あるんじゃないですかね?
山田 なるほど。
吉田 絶対に「自分だったらこうするのにな」ってのを持っているだろうし。こっちにも「そっちの方がいいかも」って怯えもあるんですよ。常に自信もってやってるわけじゃないから。特に「俺、今間違ったこと言ったかな」って時に、やっぱりまず助監督の顔は見ました。
山田 助監督やっておけば良かったって思いますか?
吉田 この先思い知るかもしれないけど、今は思いません。
山下 今からやるデメリットの方がね(笑)。
山田 前にね、テレビドラマの時に「私、助監督やったことないんで」って言ったら、「じゃあ今からやりゃあいいじゃないすか」って言われたことありますよ。
一同 あぁ、それはキツい。
山田 それを理由にするなって、怒られました。ところで、山下さんは、大学の頃から一緒にやってきたスタッフがいらして、それはいかがですか。
山下 それが少しデメリットかもしれません。撮影の近藤とかも大学でずっと一緒にやってた奴です。意識的には、現場では、監督とカメラマン。普段は「ノブ」とか「たっちゃん」とか言ってるんですけど、現場では彼は僕のことを「監督」って呼ぼうとするんで、違和感もあったりする。二人で打ち合わせすると、昔から知ってる者同士だから、逆に進まなかったりするんですよね。意地の張り合いみたくなっちゃったり。それをスタッフが待っていなくちゃならない状況になってくると、僕も頭ではわかってるんですけど、張り合ったりなんかして...。まぁ結果的に良い画が撮れてればいいんですけど、友達の延長みたいな感情が現場にあると周りに迷惑かけてるなって瞬間がありました。「リアリズムの宿」やったときも実は、僕とカメラの近藤君と照明が向井だったんですけど、その三人が完全に孤立しちゃったんですよね。初めての人だったら打ち合わせをするんですけど、三人ともテンパっちゃってて打ち合わせするのも恥ずかしいみたいな。そんな変なプライドで孤立しちゃって、周りが気を使うみたいなことがありました。
吉田 三人対周囲ってことですか?
山下 そうです、それで、完成した後、制作部に飲み会で怒られて(笑)。僕一人なら気づくんですよ、「これ悪くなってるな」って。僕ら三人でそうなっちゃうと、飯も食わず、腹も減ってるんだけど意地の張り合いみたいなことになっちゃうから、それでスタッフがバタバタ倒れて...(苦笑)。すっごい怒られましたね。怒られてちょっとずつ改善はしていきつつ、今もたまにですけど、友達っぽい意地の張り合いとか、結局それは「レベルの高いことしよう」って意識の表れなんですけど。でもデメリットというか、特殊な空気になっちゃうときはあるなって思います。
山田 そういうのって外からはわからないですよね。客観的には昔の仲間でやっているんだから幸せそうに見えちゃうじゃないですか、仲良しでいいなって。
山下 はいはい。でも逆に意識しますよね。だから、知り合いがいないほうが好き勝手にできたり。でもそれがいいかって話もありますよね。
山田 私がみなさんに聞いてきましたけど、三人同士の中で聞き合いたい事は、あります?
吉田 一番聞きたかったのは、隅田さんも助監督のこと意識するんですかってことを聞きたかったんで、それはもう聞けちゃったので。
隅田 やっぱり意識しますよね。 よく、チーフの時にセカンドとかサードとか蹴っ飛ばしてたりしてたんだけど、監督になるとできませんよね、雰囲気悪くなりますよね(笑)。だから、なるべく任せてましたね。
吉田 あ、僕さっき怖いって言い方をしましたけど、人柄が怖いって意味じゃないですよ(笑)。見る力がある人がこっちを見てる、そういう人が近くにいるだけで勝手にこちらが怖がっちゃうんですよね。僕は、作るのはもちろん見るという意味でも映画をあまり知らないというコンプレックスもあるから、そういう人たちと一緒に仕事をすること自体が、もしかしたら逆に一番映画を作るモチベーションになってたのかなって今なら言えるような。セカンドの助監督が初号試写に来て、直接話せなかったけど、親指立てて帰ってったって聞いてものすごく嬉しかったですよ。
山田 映画はCMより楽しかった?
吉田 そうですね。でもそれは「映画がうまくいったからだよ」って言われました。「思い通りにできなかったら地獄だよ」って。だから今回は運がよかったのかもしれません。
隅田 でも初めての監督と思えないほどうまくいってましたよね。キャスティングもハマってたし。
緒方 本当に。CMの人が撮った中で一番面白かった。
吉田 あ、そういう流れ、あるじゃないですか(笑)。「CMにしては頑張ったね」という。「CMあがりだって負けないぞ」って自分で自分を盛り上げて、そうすることで立ってられたってのはありました。
山田 わかります。自分も何かって言うとテレビ上がりだって、テレビ屋風情って思われてないかって心配になりますもん。
吉田 でもそれはちょっとズルいんですよ。自分をわざと微妙な立場において、それを足場にしているってことだから。そうでもしないとやっていけなかったというのはある。だから「CM出身の人の撮った映画と思えなかった」とか「映画っぽかった」って言われると、ちょっと複雑な気もします。

 

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【分野によって、演出法に違いはあるのか】

山田 役者さんの演出ってどうですか?やっぱ映画とCMと違う?
吉田 違うでしょうね。人によるとは思いますけど、CMって尺の関係もあって「振付け」に近い。このカットではこの商品をこの角度で見せつつ、このテンポで喋るみたいな。それに比べて、映画はまず大きい話から入るじゃないですか。役作りとか。それは単純に面白かったです。
山田 細かく演出プランを役者さんと話しましたか?
吉田 話したつもりにはなってたけど、実際話せてなかったとは思いますね。特にリハーサルってどうやったらいいかわからなかったんですよ。特に本読みとか。
山下 うんうん。
吉田 本読みってなんか恥ずかしくなっちゃって。CMって事前のリハーサルってないんですよ。ほとんどの場合は衣装合わせの時に一回会って、あとは当日に台詞渡してやってもらうだけですから。だから会議室でみんなで本読みとか恥ずかしくて恥ずかしくて。
山田 でも本読みしないと、その人が現場でどう動くかとかわかんないじゃないですか?
吉田 だから僕もやらなきゃと思って、佐藤江梨子さんとは「月イチで会おう!」とか言って、僕が相手役やって本読みとかもやったんだけど、二回目くらいから恥ずかしくなって「何やってんだろ...」って(笑)。
山田 自分から提案したのに?
吉田 そういうのが監督として「俺は君と映画作りたいんだ」ってアピールになるのかなとか。映画監督アピールみたいなことを無理してたんです。本人も「呼ばれたから来たけど、こないだと逆のこと言ってますよ」って感じだったかも(笑)。彼女は僕が言ったこと逐一台本にメモしてるわけです。でも僕はメモしてないから「そこはこうして」とか言っても「こないだと違いますよ」って...で「もうやめよ」って(笑)。
山下 次はもうやんないですか?そのやり方は?
吉田 どうだろ...。でもリハーサルをどっか会議室とか借りて完璧にやってから現場に臨むってやり方をとられる監督さんて...いますよね?何か演劇的なというか、そういうのに憧れがあって。
山田 隅田さんと山下さんは、リハーサルはやりましたか?
隅田 やりました。
山下 僕もやりました
吉田 あ、やるんだ。僕は会議室の一回の本読みで、もう...。
山下 本読みが恥ずかしいことはありますよね。それで何を判断すればいいのかなってわからない時があって。
山田 座ってるだけだからね。
山下 うん、「だったら机取っ払って動きません?」みたいな。
山田 山下さんは演劇的にやってますか?リハーサルは
山下 僕は毎回やってます。「天然コケッコー」は子供達がピンキリだったんで、合わせようってことで結構。
吉田 「今日はこのシーン」とかってやるんですか?
山下 「リンダリンダリンダ」のときに大崎さんに教わったんですけど、シナリオにないシーンをやったりしました。エチュードみたいに。30分とかボーっと見てるんですよ。毎回やれるわけではないですけど、若い人たちには結構練習になります。
隅田 若い人は現場でいきなりワーってシーンをやってもできないんですよ。だから「ワルボロ」で僕は結構やりましたよ。
山下 リハってカメラとか関係なく役者の近くに寄れるからいいなって思いますね。カメラとか照明とか入ると恐縮しちゃって、縮こまって見たりするんで。
山田 じゃあリハは必ずやる?
山下 リハも全部やればいいってもんでもないなって最近は思います。一発でやった方がいいとこも。僕、これまではとにかく全部リハしなきゃ気が済まなかったんで。「リンダリンダリンダ」のとき、ペ・ドゥナが韓国人で何やるかわかんなかったから、リハで全部やっちゃって。そうすると本番で「リハのが良かったな」って瞬間があって、それを目指しちゃうからどんどんドツボにはまったりとか。だからやりすぎるのも...。
山田 やりすぎるマイナスもあるんですね。瞬発力がなくなったり?
山下 シーンによって、初めてやる瞬間を生かした方がいいシーンもありますよね。それは脚本を見て見極めなきゃいけない。
隅田 人によって向く向かないってあるんですよね。澤井さんや相米慎二さんみたいに、延々やり続けて、そこまでやってもまだ新しいものを引き出すって監督の粘りがあればいいんだけど、今はそれができる状況でもないし。それができるなら俺もやりたいんだけど。
山田 それはリハで?
隅田 いやテスト。もう延々やり続けて、そこから出てくるものを撮りたいとは思いますよ。でもそこまで行く気概が今の状況じゃ難しいなって思います。でもここが見せ所だなって思ったらやんなきゃいけないなとは思います。まぁ一発でやったほうがいいシーンもありますけどね。
山下 でもテストで出ちゃう時ってありますよね。「あーミスった、テスト一個多かった」って。
隅田 ありますよね。
山下 そういう時って本番行っていいのかなって思うんですよ。現場的には良いの出てるから「次、本番ですよね?」って感じなんだけど「今、出ちゃってるからなー...」って頭抱えちゃう。
隅田 山下さんの映画はワンシーン・ワンカットとか多いから、みんな緊張してやってるのかなって思いましたね。
山下 テイク重ねてドツボにハマる時ってのは、役者も俺も正解がわからなくなっちゃってるときです。テイク8くらいで俺は「3つ前くらいのが限界だったかな」って感じでOKだすと役者って嫌がるじゃないですか。女の子とかで「もう一回やらなくていいんですか」とかって言われると胃にキューっときちゃって。でもそういう時ってラッシュ見ると、大体どのテイクも成立してるんですよね。
吉田 俺は「今ので良いんですか」って言われる時は早くそこから脱出したくてOKだしちゃう(笑)。
隅田 僕は、俳優部に手紙を書いたりもしました。
山田 手紙ですか?
隅田 役に対して自分はこう思うんだってことを手紙にして。
山田 目の前にいるのに手紙にして渡すんですか?
隅田 そうそう。そういうことって演出のひとつの技術かなって。
緒方 それって誰かに学んだんですか?
隅田 きっと誰かに聞いたんですね。大林宣彦さんもやってたかな、「ふたり」の時、石田ひかりか誰かにね。
山田 直接言うんじゃなくて、手紙なんですね。
隅田 直接言うには言いますよ。でもブレないように手紙にする。
山田 でもそれじゃ、後で違うかもって思っても、手紙返してっていうわけにはいかないですよね。
隅田 それは...(笑)。
吉田 でも後で違うかもって思うことって多くないですか?僕の場合、例えば永作博美さんの役は、前半はもっと抑えた感じでいいかなって思ってたんですよ。本読みで素っ頓狂な感じでやるから「いつ注意しようかな」って思ってたんですけど、段々「こっちのが面白いかな」って。でも、もし、最初に手紙とかで残しちゃうとそこに拘っちゃいませんか?
隅田 でも僕はコピーしてないから忘れちゃいますもん(笑)。
緒方 俳優に手紙って効きますよ、阪本順治監督もやってる。ぼくも地方ロケとかだと、ホテルの部屋に手紙おいておく。
山田 なんて書いてあるんですか?
緒方 「一生懸命撮ります」みたいな。あと女優には花束と一緒に贈るときもあります。別にそんな「あなたの芝居がどうのこうの」とか大層なことは書かない。短くてもいい。それって演出ですよね。
吉田 それに自分だって貰ったら嬉しいじゃないですか。大事にされてる感じがする。
緒方 出演交渉の時「出ない」って言った役者が監督の手紙で「じゃあ出ます」ってこともある。
山田 でも、演出に対して固定される不安があるじゃないですか。さっきおっしゃてたように。
緒方 そのときは正直に言えばいいんですよ。すいませんって。この前言ったこと間違ってましたって。それでいいと思うんですよね。
山下 手紙かぁ...。
緒方 でもこれ載せたら監督がみんな手紙書いちゃうかな。
山下 効き目なくなる(笑) 。

【監督を目指すひとへ...】

山田 最後に、映画監督を目指す人に、ご自身の経験も踏まえて、アドバイス、いただけますか?
隅田 僕が思うのは、助監督を目指すのであれば、昔は監督と寝食をともにして色々吸収してたけど、今はそういう撮影所のようなシステムはない。でも、僕は恵まれているのか澤井さんたちに影響を受けて、小さな撮影所システムという感じの環境でした。だから若い人で助監督になりたいという人がいたら、早めに「この人と趣味や嗜好のスタイルが合うな」って人を見つけて食いついていくこと。あと脚本を書くこと、読む力をつける。やっぱり映画は脚本が一番大事だから。そのために文学、小説を読む必要があると思う。特に今、誰でも映画監督になれちゃうから。前に、大学で映画の授業のお手伝いに行ったときに、そこの大学生に名刺とDVD貰ったんだけど、その名刺に「映画監督」って書いてあって「お前、映画監督かよ!?」って。そういう時代なんで、ちゃんと映画監督目指すなら助監督やるのもいいことだと思う。監督じゃなくてチーフとかについていってもいいし、早く自分が目標、指針とする人を見つけることでしょうか。

 

08yama09.jpg吉田 僕はまだ一本撮っただけですし、原作との出会いも含めていろいろ運が良かったって実感があるから、自分の経験からアドバイスとかおこがましくてできないですけど。でもひとつだけ前から思ってるのは隅田さんと一緒になっちゃいますけど面白いシナリオってのは武器になるとは思いますね。それと、無駄な動きも含めてたくさん動けばどっかにひっかることもあるんじゃないかなって。シナリオもたくさん書けば、可能性のある人なら段々面白いのが書けるんじゃないか。

 
山下 僕は、本当、運がいいって思っているところがあるんですけど。とにかく、大学入って変な奴らが集まっているとこに入って、面白い人が回りにいたんで、その人に映画にでてもらったりっていう自然な流れの中で、その中にはバンドの人もいて音楽頼んだりとか、そういうのが一番今の自分に直結している気がしているんで...。だからといって大阪芸大に入れって言ってるわけじゃないんですけど(笑)。自分と価値観の違うやつらの中に首突っ込んで自分のやりたいことがわかってくるってことはあるんじゃないかなって思います。あとは面白い人を見つけろってことかな。そういう人についていくのもいいし、そういう人を使って映画撮るのもいいし。面白い人が見つかりそうなとこに首突っ込めってことですね。「腑抜けども...」の姉ちゃんみたいな(笑)。機材も安くなってきてるし、面白い人見つけたら自然と撮りたくなっちゃうんじゃないかな。僕は山本浩司さんて先輩だったんですけど、そういう出会いを大切にしたほうが良いんじゃないかと思います。

山田 今日は、ありがとうございました。次回作を楽しみにしております。

 

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    実は、自分がいずれ映画を撮れるようになるなどとは、全く思っていなかった。大学時代、吉田大八氏と同じ自主映画のサークルで8ミリで映画を作っていたが、それはあくまで遊びだった。当時は、女性が映画監督になるなんて夢のまた夢だったのである。 あれから20年近い歳月が流れ、自分は今、自分の原作・脚本で映画を撮る準備を進めている。いい時代になったと思う。本気で望めば、映画を撮ることがそれほど難しい時代ではなくなったのだ。今回の座談会を通して感じたことは、映画監督になりたかったら、「とにかく、一歩を踏み出してみろ」ということだった。 自主映画を撮り続けた山下監督にしろ、助監督を続けた隅田監督にしろ、まずは映画の世界に飛び込み、自分でできることから始めたのである。そして、CMディレクターだった吉田監督も、魅力的な原作に出会ったところから、一歩を踏み出したのだ。そして、道は開ける。 映画は今、とても自由な場所にあると思う。(誰でもが監督になれるデメリットもあるかもしれないけど、この際、それには目をつぶり)、この自由を満喫したいと思う。どうぞ、あなたも。                       2008/5/20  山田あかね