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特集

日本映画監督協会 会員名鑑

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THE・職人

2008年03月31日

【THE・職人】

カチンコ時代、どの監督の面構えもやけに恐ろしく映りました。次々と押し寄せる難題を知恵と胆力で乗り切り、何事もなかったかのように傑作を作り上げる。監督とは映画を知り尽くした職人なのだ。当時の僕は勝手にそう信じていました。それがただの幻想だということにも、程なく気付くのですが......
時代の趨勢に合わせるように、映像業界でも「作家」や「クリエーター」といった言葉ばかりがもてはやされ、「職人」という呼称はいかにも分が悪く、耳にする機会も少なくなりました。個人的には、それがどうにも歯がゆくて。そんな訳で、今号は「THE・職人」というテーマで、三人の監督による座談会をお届けします。メンバーは栗山富夫監督、鹿島勤監督、今井夏木監督。世代もフィールドも違う三人の監督たちのバトルロワイヤル的な職人論をご堪能ください。

編集長 瀧本智行
撮影  権野元
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【出席者プロフィール】

栗山富夫
1965 年ICU卒業後、松竹入社。1983年「いとしのラハイナ」で映画監督デビュー。
1985年「祝辞」で芸術選奨文部大臣新人賞を受賞。「釣りバカ日誌」シリーズ11本の他に「ハラスのいた日々」「ホーム・スイート・ホーム」等多数の監督作がある。

鹿島勤
1977年東放学園卒業後、フリーの助監督として澤井信一郎、長谷部安春監督に師事。
1989年テレビシリーズ「勝手にしやがれ、ヘイ!ブラザー」で監督デビュー。
主な監督作品に「静かなるドン」シリーズ、「今日から俺は!」シリーズや「いちご同盟」「ズッコケ三人組・怪盗X物語」「メトレス」「黄龍」等多数。

今井夏木
1994早稲田大学卒業後TBSに入社。1998年からディレクターとして20本以上の連続ドラマの演出を手がける。主な作品に「3年B組金八先生」「LOVEストーリー」「ヤンキー母校に帰る」「タイヨウのうた」等。
2007年「恋空」で映画監督デビューを果たす。
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【撮影所、フリーの助監督、テレビ局、それぞれの出自】

瀧本:栗山さんは1965年に松竹に入社されていますね。

栗山:うん。その頃、もう松竹って右肩下がりだったんだけど、なぜか6年振りに、演出助手若干名募集いたしますってなったの。撮影所にいる演出助手会が、会社の人事課をオブザーバーにして試験問題を作り、助手会が選んだ若干名の中から監督会がこれとこれを採るという風に選んだ。会社はひどいもんでね、そこでとった人間を認めるだけ。そういうディレクターズシステムを城戸(四郎)社長は容認してたなあ。

瀧本:じゃあ、松竹という会社に入社するというより、松竹の監督コースに進むという感じだったんですね。その当時の一番偉い監督って誰だったんですか?

栗山:木下恵介さんだね。木下さんがいて、大庭秀雄さんがいて、野村芳太郎さんがいて、中村登さんがいる。面接には800人くらい受けに来たのかな。それを20人にしぼって登さんや大庭さんが面接をしたの。

瀧本:松竹ヌーベルバーグが1960年くらいに始まって。

栗山:そうそう、だから大島(渚)さんは辞めて2年くらい経ってる。まだ篠田(正浩)さんはいたよ。彼は僕らに向かって「君たち、まずは絶望したまえ!」って言ってさ。絶望っていう状況はつまり、採用試験やってるくせに、京都撮影所が閉鎖でね、京撮の演出部が30人か40人くらい大船にやって来た。大船の演出部と京都の演出部が合体しちゃったから、えらい人数になっちゃった。そんな中にまた5人も入っちゃったもんだからね(笑)。で、先輩に「監督には年に何人くらいなれるんですか?」って聞いたら、「ここ数年誰か監督になったか?」って (笑)。入った途端に、新聞の求人欄を真面目に見るようになりましたよ(笑)。

鹿島:山根成之さんなんかは同じくらいですか?

栗山:もっと上だよ。7、8年上だな。僕らが、そういうへんてこりんな試験の最後じゃないかな。その後は会社も頭に来て、ろくでもないのばっかり入れて、ろくな監督にならないからってんで、会社が人事権を持って行っちゃった。

瀧本:監督になるまでの過程を大雑把にお伺いしたいんですけど......

栗山:五年位経った頃から、もうずっと辞めようと思ってたのね。上はつっかえてるしね、こりゃもうたまらんと。子供もふたりいるし......1977年のことですよ。僕が辞めたがってるって聞いた本社の制作本部長が、「辞めるのもなんだから、これでも見てみろよ」と。当時文化庁というのができて、文化界の才能のある人材を、国費で一年間留学させるっていうのができて、その試験要綱を持ってきたのね。中村登さんはアカデミー外国語映画賞にノミネートされたこともあるし(智恵子抄1967)、顔が効くと思って登さんのところに行ったの。そしたら「推薦状書いてくれたらサインするよ」って言われて、自分で推薦状書いて、サインしてもらったの。それを持って文化庁の試験に行ったんだけど、その時の試験官は、当時の批評家とか、今生きてる人で品田雄吉さんかな? 「英語喋れるみたいだし、いいんじゃないか」という軽いのりでね。ただ、実は俺しか応募がなかったということが後からわかったわけだけど(笑)。

一同:(爆笑)。

栗山:それで、女房も面白がって家族で行くことになって、子供たちは小学校3年生と1年生で、全部連れて行って結構大変だったんだけれども。会社はさ、行くんだったら、プロデューサーにしてもいいんじゃないか、その代わり、給料も半分やると。まあ、恵まれてたよね。そしたら今度野村芳太郎さんが来て、「お前帰って来い」って言うんだよね。で、「なんでですか?」って聞いたら、「アメリカとの合作を考えてるから」って。それ以前に僕は、霧プロで野村さんと(松本)清張さんの書生をやってたもんだから。それで、清張さんと野村さんがルーカスプロを訪ねる時について行ったりね、清張さんがディズニーランドに行きたいっていうからお伴したりしてね(笑)。それが済んだと思ったら、今度、山田洋次さんと朝間義隆さんが来たの。「幸せの黄色いハンカチ」のアメリカ版を作りたいというのでね。そんなことで、二つの企画に関わったから、帰らざるを得なくなった。結局、二つともまとまらなかったけどね。使った監督たちも、悪いと思ったんじゃないですか?「幸福の黄色いハンカチ」のテレビ版、1時間もので5話やれってわけ。それがデビューですよ。
菅原文太、泉ピン子という配役で撮った。

鹿島:えっ?栗山さんてデビューはテレビなんですか?

栗山 そうですよ。セットひとつ以外は45日オールロケでね。今考えるとかなり贅沢だったのかもしれないね。

今井:すごい贅沢ですよ。

栗山:低視聴率だったんだけど、気に入ってくれた人がいて、そいじゃ映画も撮らしてやろうってことになったみたい。

瀧本:それで、『いとしのラハイナ』(1983)をお撮りになって。

栗山 ノースター。オールハワイロケ。ロケは得意そうだって勝手に決められて。僕にとっては慙愧の念に耐えないデビュー作でありますが。内容は僕ももう覚えてない(笑)。

一同:(爆笑)。

瀧本:鹿島さんはどういう経緯で?東放学園のご出身なんですよね。

鹿島: うん。本当はオーディオが好きでさ、オーディオ関係に行きたかったんだよ。でも理工系落ちてさ、浪人するんだったら放送系の学校もちょっと面白いかなと思ってさ。で、たまたま学校の先輩がテレビの現場に行ってて、人手が足りないからアルバイトに来ないかって誘われて。入って2、3カ月経った頃かな。昼ドラの現場だった。栗山さんはご存知かもしれないけど、松竹の大槻義一さんっていう監督がいて。

栗山: 僕が撮影所に入って最初についた監督が大槻さんですよ。タイトルは忘れちゃったけど、主役は田村正和くんだった。(注:「昨日のあいつ今日のおれ」)

鹿島: 山本陽子、藤岡琢也、山村聰、秋吉久美子さんなんかが出てたな。その連ドラの現場に行ったの。

瀧本:助監督として?

鹿島:小道具で。何をやるかも聞かずに行って、行ったらみんな映画界の人なんだよ。小道具は神田さんって、元大映の人で。俺も映画が好きだったから、「お、映画の人じゃん!」って。神田さん飲むの好きで、終わると飲み屋に連れて行かれるの。俺は飲めないのに。飲みながらいろんな話を聞いて、この人すごい人だなと思ってさ。増村保造の曽根崎心中と、大島渚の戦メリに行くからお前も来いって誘われたけど、自分に美術的センスがあると思えないのに、小道具をやっててもな、と思って。で、当時助監督が威張りくさってるわけですよ。「これだったら助監督になった方がいいかな」と思って、円谷プロに潜り込んで何本かやって。当時1976、7年だけど、映画界がどん底でさ、仕事終わって原宿とか行っても、テレビっていうとモテるんだけど、映画なんて全然モテないわけよ(笑)。悲しいの淋しいの。

栗山:僕の最後の助監督の仕事ってのが『幸せの黄色いハンカチ』(77)だった。もうこの商売辞めようと思ってて、それで1977年の10月にアメリカに行ったの。確かに日本の映画界はどん底だったな。

鹿島:俺が助監督になった時に、先輩に最初に言われたのがね、「君、実家か?」って。実家じゃないと喰っていけねえだろって。俺はテレビ好きじゃなかったから、「テレビやんない」なんて言って。生意気だったからさ。でも、当時フリーの助監督の仕事ってテレビばっかりだったんだよ。だから確かに仕事はなかったよ。

瀧本:でも、助監督としての出世は早かったんですよね?

鹿島:うん。たまたま江崎実生さんについた時にカチンコだったんだけどさ、江崎さんって監督は5秒にワンカット撮るんだよ、それでカチンコを書き直すのが間に合わなくて、間に合わないと怒鳴りちらす、そんな監督だったの。現場で10分待たせると、「俺を10分待たせるとは何事だ!」って30分ぐらい怒るんだよ。

一同:(爆笑)。

鹿島:あんまり怒鳴られるもんだから、セカンドが胃壊しちゃって入院しちゃってさ。それでサードは2カ月くらいしかやってないのに急遽セカンドになって。セカンドできちゃったもんだから、もうそのままでいいじゃないかってなって。チーフになったのは23歳だった。

瀧本:早過ぎです(笑)。

鹿島:その後チーフはつまらないから、自主的にセカンドに逆戻りしたの、そしたらたまたま澤井信一郎さんの『Wの悲劇』(1984)のセカンドやらないかって電話が東映からかかってきてさ、結局それから澤井組がずっと続いた。澤井さんは当時年2本くらいずつ撮ってて。26歳で澤井さんに会ったんだけど31歳までの五年間に、澤井組以外って、『ビーバップ・ハイスクール』と『新宿純愛物語』(二作とも那須博之監督)、あと『ぼくらの七日間戦争』(菅原浩志監督)くらいしかやってないかな。

瀧本:撮影所はすべて東映ですよね。

鹿島:純愛とビーバップは日活だよ。ビーバップの時は東映の人間だと勘違いされててさ。目の敵にされたよ。東映システムで俺はやってたから。

瀧本:東映システムってどういうことですか?

鹿島:スタッフルームのスケジュールボードにスケジュールを作るだけで、紙の総合スケジュールを書かない。「書かないんですか?」って言われると、「東映のやり方はこうだ!」って言ってた。あと、澤井さんに初めの頃言われたんだけど、「俺を5分待たせるな」と。東映ってのは、制作部と演出部が監督に向かって段取りで待ってくれっていうのはあり得ない。ロケーションはスタッフが先発して、メインスタッフは一時間くらい後発で。メインが着いた頃には段取りが全部できてて、そのチェックが終わると、役者を入れてすぐに始まるんだよ。途中からは、みんながロケでも開始時間聞きに来て、支度が間に合うように各パートが勝手に時間決めて出発してたなー。

今井:へえー(驚嘆)。

栗山:そりゃすごいな。

鹿島:俺はいいと思ってたんだけど。東映システムって。澤井組システムだったのかなー?

栗山:僕は本当に羨ましいね。

瀧本:鹿島さんも監督デビューはテレビなんですね。

鹿島:うん。『あぶない刑事』で長谷部安春さんについたら「君、監督にならないのか」って。32歳だったから、まだ監督になれるなんて夢にも想ってなくて、長谷部さんが「なれる時にならないとダメだ」って。長谷部さんと澤井さんが仲良かったから、プロデューサーの黒澤満さんに二人が推薦してくれて、テレビの『勝手にしやがれ ヘイ!ブラザー』(1989)というシリーズで監督になれたの。20何話かあるうち、7、8話くらいで監督になったのかな。映画は『バカヤロー3』(1990)が最初だった。

瀧本:今井さんに来てもらったのは、栗山さんとか鹿島さんのお話は、僕ら先輩から結構聞く機会があるんですけど、テレビ局の監督たちとほとんど交流がなくて、これは是非、テレビの人も交えて話をしようっていうことになったんです。

鹿島:みんなこっちの話の方が聞きたいんじゃないの?(笑)

栗山:そりゃそうだよ。

今井:お二人のお話、私にはすごく面白いんですけど。

瀧本:今井さんは、大学を出てTBSに入社して。それはやっぱりドラマがやりたいと?

今井:いえ、全く。そもそも私はテレビを持ってなかったくらいテレビを全然見ない人だったんですよ。私の時代は映画を撮りたくても就職する先がなかったんですよね。せめて映画に関わりたいと思いながらも、どこに行っていいかわからなくて。当初は雑誌を作りたいと思っていて、でも入りたかった会社には書類で落ちてしまったんですね。それで、とにかく手当たり次第に受けてしまおうと思って、たまたま一番最初に受かったのがTBSだったんで、就職活動が面倒くさかったので入っちゃったっていうだけの話で。入ったら、一応早稲田で演劇をやってたので、そういう意味ではドラマしかやれることが自分にはないなと。ということでドラマに希望を出して、二年目からずっとドラマをやってるんですけど。

瀧本:最初はやっぱりADなんですか?

今井:そうですね。

瀧本:ADって、映画の助監督とは少し違いますか?

今井:一本映画を撮っただけなのでよく分からないんですけど。基本的にはそんなに違わないと思うんですけど。どうなんですか?助監督ってセクションみたいなのがちゃんと区切られてるんですかね。

鹿島:俺らの頃はね。だから、靴を汚さない。手も靴も汚さない。台本しか持ってないっていうのが助監督って、教えられたし、教えたね。

瀧本:鹿島さんは特別なんじゃないですか?僕らはもうとにかく駆けずり回って、泥だらけになってという感じでしたよ。チーフ、セカンド、サードっていうのはあるんですか?

今井:あります、フォースまでですね。サードが美術担当。セカンドが役者周り、チーフがスケジュール。

瀧本:3年でADからディレクターになられてますよね。

今井:私の場合、社員だっていうのもあるんですけど、テレビだとそのくらいが普通です。その頃はそうでした。私は比較的早めですけど、そんなに無茶苦茶早いということではなかったですね。

栗山:3年経つと進路を決めろってことかな?

今井:いえ、上の人が見ていて、「お前やってみろよ」という感じですね。私はだから、チーフADってそれこそ一本しかやってないんですよ。上がチーフADを一度やったら撮らせようと思ってたみたいで。

瀧本:AD時代に能力はある程度わかりますよね。「ダメだな」ってことで弾かれる人もいるんですか?

今井:外される人はいますね。同期でも営業に飛ばされた人もいるし。会社が実力を見ていて、やっぱり適材適所ということになって。

栗山:それは先輩達が決めるわけだ。

今井:そうですね。

栗山:倍率ってどのくらいなんですか?

今井:そもそも人数自体そんなに多くはないんですけど、飛ばされる人より、自分から降りていく人の方が結構多いんですよね。

栗山:ディレクターになってからも安泰なわけじゃないですよね。

今井:ええ。

瀧本:それは、例えば視聴率だったりとかそういうことなんですか?

今井:意外に思われるかもしれませんけど、視聴率が全てということではないんです。中身だったり、どういうディレクターワークができるかということの方が重要だと思います。

瀧本:それも映画の世界と変わりませんね。当たらないと次が撮れないということになれば、今映画監督はほとんどいなくなっちゃう(笑)。

栗山:じゃあディレクターの中でも差がついてくる?

今井:プロデューサーが企画を立ち上げて、いい人材を持っていっちゃうんで、局のディレクターだから仕事があるわけじゃないんです。人によってものすごく稼働率が違いますよね。

瀧本:今井さんの経歴を見てみると、年2クールくらい撮られることが多いんですが。

今井:それが理想ですよね。3カ月で1クール撮って、次の3ヶ月準備をして、また1クール撮って、という風にしていくのが理想的なスケジュールではありますね。

瀧本:じゃあずっと10年ぐらい理想的なスケジュールですか?

今井 いえいえ、とんでもない。一年中撮っていたこともありましたし、半年間、間が開いたこともありましたし。チーフディレクターになると企画の立ち上げから付き合いますけど、セカンドやサードのディレクターだと、撮ろうと思えば一年中撮るのは可能ですから。

【職人監督ってどういう人?】

瀧本:一応、今日のテーマは"職人"なんですけど。僕の先輩のとある監督は、職人の定義を「早い安いうまい」だって言い切るんですが。まず、今井さんから伺いたいんですが、テレビ界の職人みたいな人って、やっぱりいらっしゃるんですか?

今井:難しいんですけど、今仰った定義というのは、私の身の回りの現状とはちょっと違うとは思うんですね。というのは、安く早く撮ったからと言って、それが評価されるというのはあまりないんですね。ちょっと言いにくいんですけど、結局会社なので、赤字を出しても......私以前すごく視聴率を取れなかったことがあって、制作会社の社長に私が座っている椅子を蹴とばされたことがあるんですけど、まあ、極端に言ってそのくらいしかないんですよ、悪い状況として自分に降りかかって来るというのは。ちゃんと給料もらえるし。だから、あんまりお金のことは考えてないんです。それより、どんと腰を据えて、粘って、いかに後々「あれはいいね」って言われるようなものを撮るかっていうところが勝負で。私はそれでいいのかなって思ってるところもあるんですよね。TBSは今、業績はよくないし、ブランド力もないし。前のクール全部のドラマが平均視聴率一桁ですよ。

鹿島:テレビ離れってことなんじゃないの?

今井:確かにそれもありますけど、うちは今特によくないんです。

栗山:ドラマのTBSだと思ってたけどね。

今井:昔の話です。今はとても......。

栗山:でも、あなたはさ、あの面妖な携帯小説を映画にしたじゃない。

瀧本:面妖って(笑)。

栗山:映画は観よう観ようと思って観逃して、原作を読んだんだけど。あれを映画にしたなんてすごいよ。

瀧本:栗山さんが『恋空』を読んでるっていうのも相当凄いと思いますけど(笑)。

栗山:あれはあなたの企画なの?

今井:違います、自分ではとても映画にしようとは思いません。あれはTBS系で原作権を取ったんで、局のディレクターを監督にということになって、私に依頼が来たんです。

栗山:もう、これは絶対ヒットだと思って?

今井:思いません、思いません、誰一人ヒットするなんて思ってなかったですよ(笑)。

栗山:小説を読んだらね、なぜか、ヒットの要件に満ちてるぞと思った。

今井:本当ですか(笑)?

瀧本:そのヒットの要件っていうのはなんなんですか?

栗山:うーん、そう改まって聞かれるとねえ(笑)。掴みができてるっていうのかな。ああ、こういう風に自己中心的に生きてるっていうのが、今の高校生くらいの漂流している世代に響くっていうのかな。面白いと思ったのは、極端に視野が狭いんだよね。ファミリーの陰も形もない。今の若い子はこうなんだなというのが興味深かった。だから距離感のない、違和感の持たない若い今井さんがやるのが当然だな。

今井:十二分に違和感ありましたよ。

栗山:あなたも違和感あったの?

今井:もちろんですよ。

瀧本:今井さんは『恋空』の大ヒットをどう受け止めていらっしゃるんですか?

今井:一番はやっぱり新垣結衣ですよ。彼女はテクニックを使って芝居するんじゃなくて、本当に苦しんで辛いを思いをして芝居をしてたので。彼女自身がボロボロになってやってたんですよ。その青春の輝きがフィルムに焼きついてるからだと思います。

瀧本:新垣さんなんかは原作の世界観に対しては違和感を感じないんですか?

今井:彼女自身も違和感を感じてました。「こんなことできるのか?」って、ものすごい不安な顔をしていましたから。だから、「その不安なままでいいから、そのままやって」って言ったんです。それが何物にも変えがたい魅力になってますよね。話自体は辻褄合わないしものすごい速さでいろんなことが起こるし、「ええっ!」っていう感じなんですけど、それを彼女自身が凌駕しちゃってるっていうか、ただそこで新垣結衣が生きてるってことがみんなの心を捉えたってんだと思います。

瀧本:監督するってなった時に、原作をどうしようと思いました?

今井:シナリオ作るまでにいろいろ抗ったんですけど、でも結局この世界を私が作り替えて、それこそ私の生理に合うようにしてやろうっていうのは無理だなって、いろいろやってわかったので。原作を読んで1600万人が共感するんであれば、そこを忠実にやるしかないなと、どこかで諦めたんですね。監督として結衣ちゃんの気持ちを最後までどう繋げていけるかということを、それこそ職人としてやるしかないなと思いました。

瀧本:テレビに話を戻しますけど、傍から見てると連ドラって徹底したプロデューサシステムっていうか、監督が企画に入りこむ余地がないのかなという感じがしてるんですけど。

今井:あります、あります。いろんなケースがありますけど、プロデューサーと監督がなんかやろうっていって企画を立ち上げることもありますし、それぞれですよ。

瀧本:セカンドとかサードディレクターの時は......自分のやりたくないものをやらなきゃいけないこともあるんじゃないですか?

今井:確かに苦手だったりいやだったりっていうのはありますよね。でも、それこそプロなんで、どうにかしないといけないし、むしろそれをやることで見えることが絶対あると思ってるんで。どこで自分がそれを面白がれるかっていうことだと思います。苦手なことはあんまりやりたくないんですけど、そういう時は「勉強だ、練習だ」と思ってやっています。恵まれていると思うんです。ドラマは、やっぱり数撮れるじゃないですか。それは確実に力になると思いますから。

瀧本:今プログラムピクチャーってほとんどないんですよね。Vシネマもなくなってきたし、一本駄目ならそれまでだから、なかなか冒険できなくなって。

栗山:そういうところも、保守的な傾向に拍車をかけてるのかな。

瀧本:プログラムがあるテレビは羨ましいんですよね。プログラムから育つ才能って絶対あると思うんです。

今井:でも、テレビも保守的になってると思いますよ。プロデューサーの仕事って、いかにキャッチーな原作を早く抑えるかっていう風になってきてるんですよね。

瀧本:すごいなと思ったんですけど、実は、鹿島さんは『静かなるドン』を91年から2001年まで『ザ・ムービー』1本とVシネ11本、合わせて12本ですよね。毎年一本以上撮られてる。栗山さんも『釣りバカ日誌』を88年から99年まで、12年間で11本撮られてますよね。10年以上ひとつの作品を作りつづけるのってすごいなって思うんですよ。本数もすごいなって思うんですけど、その年月もすごいなって思ったんですよ。

栗山:僕はもう、慙愧の念に耐えんのですよ。まあ、勇気がなかったんだよね。つまり、職人の技としてはさ、10年かけて同じ木に鉋をかけてた思いもある。もっと自虐的に言えばね、映画ってシンフォニーと似てるでしょ。人騒がせで、沢山の人を集めなきゃいけない。ベートーベンは9作で終わりなんだよ、シンフォニーは。僕も9作で終わっとけば、言い訳できたんだけど(笑)。でも9作撮って気づいてみると、結局それで食ってる人もいっぱいいるわけでね。

瀧本:10年同じものを作っていくメリットもありますよね。

栗山:僕は毎回違ったものを作ってたんですよ。あんなバラバラなシリーズはない。毎回毎回これでなんとかなるんじゃないかってやってたら、あれだけの数になっちゃった。

瀧本:一本一本、違う作品として取り組んでいく積み重ねだったと。

栗山:僕は山田さんみたいな忍耐力はないから。同じことをくり返す辛さ。役者もそうだし、スタッフもそうだよ。「男はつらいよ」はすごいと思うんだよ、同じことやってるんだもん。同じパターンで。もちろん山田さんは微細に、違うことを芝居に付与してるんだけどね。それはすごいことですよ。

瀧本:鹿島さんはどうですか?

鹿島:そうだなあ......主人公が成長していく話だったからさ、徐々に成長させていってたから、自分でも気づいてなかったんだけど、最初と最後ですごいトーンが違っててさ。あんまりシリーズものっていう意識もなかったんだよね。それと、間に別のをやってたからさ、だから持ったっていうのはあるよね。ずっとあれだけをやってたら、持たなかったかもしれない。

瀧本:鹿島さんは職人監督って誰だと思いますか?やっぱり澤井さんには大きな影響を受けられてますよね。

鹿島:そりゃそうだよね、助監督経験の殆どは澤井さんの下だからね。澤井さんは凄い勉強家で、木下恵介やマキノ雅弘さんの作品をよく研究してた。だから、こういう場合こういう風にするんだっていう手法が明確に確立されてるんだよ。前もって芝居が決まってるわけ。ロケハンで撮り方を決めて、俺らが代役やって、全部決めちゃうの。本番もその通りにやる。下手すると俺たちが役者が見てる前で見本演技とかさせられるわけよ。俺たちが正確にやって、それをそのまま役者さんがやる。監督自身もよく模範演技やってたよ。

瀧本:森崎東さんもそうでしたね。

鹿島:自分の型を持ってる監督が職人ってことになるのかな。あと澤井さんが言ったので名言だなって思ったのは、予算以上のものに見せるようにするってこと。3億の映画なら5億に見える、5億の映画なら7億に見える。そういう豊かな映像を作らなくちゃいけないと。

栗山:うん。まずスタッフって最初の観客でしょう? そのスタッフが台本を読んであるイメージを膨らませるわけだ。監督がもし職人であるとすれば、その50人なら50人のスタッフたちが思い描く映画、ベタにそれだったら意味がないね。この台本がなんでこうなっちゃうんだっていう驚きがないと。僕が感心した監督ってのはみんなそうだ。悪戦苦闘して、台本より遥かによくなる。

瀧本:例えばどんな監督になるんですか?

栗山:山田洋次さんはそうです。森崎東さんもそのクチです。やや台本のまんまは、野村芳太郎さん。木下さんは天才だから、圧倒的。なるほど、台本ってのはこう読まなきゃいけないんだって教えられる。

鹿島:昔の監督はさ、総合スケジュールを撮り残すってのがあんまりなかったね。予算に関わるからさ。細かい予算までは知らないと思うんだけど、こっちが組んだスケジュール通り撮ればいいんだろうって。俺らの頃は、撮り順っていうのは真剣に演出部と制作部で話し合うんだよね。この間澤井さんと会った時に、「早春物語の時に総合スケジュールで苦労したんだよ」って話になってさ。要するに、原田知世っていう少女を、頭で潰すか?真ん中で潰すか?っていうことなんだよ。少女が一皮剥ける話だからさ、がつんといかなきゃいけない。この物語をやるには頭で潰さないとだめだろう、でも頭で失敗したらどうしようもない映画になっちゃう。相談の結果、頭3分の1のところで仕掛けよう、と。そういうスケジュールを監督に見せたら「これでいこう!」って。スケジュールだって演出なんだよ。でも、そういう職人もいなくなっちゃった。助手の職人もいなくなっちゃったんだよね。

栗山:そうだな。末期だねえ。山田洋次という監督は、尊敬せざるを得ないんだけど、俳優とバチバチ行くわけ。そういう時に、監督がどういう日本語を発するかにかかってるんだよ。そういう時の一言で、彼の場合窮地を脱するんだな。その時の山田さんの言葉に、「これだよ、監督の仕事は」と思うんだ。

鹿島:俺も、澤井さんについててすごいなと思ったのは、いつのまにか、みんなが「これ当たり前じゃねえか」と思うように持っていくんだよね。だから役者もスタッフもみんな文句を言えなくなっちゃうんだけど。でも、後で冷静に考えたら「そうかー?」って。

栗山:それがディレクションなんだよね。

今井:うーん、なるほど。

【継承すべき技術って......】

瀧本:実は僕、セカンドになりたての頃に鹿島組についたことがありまして。助監督生活12年の中で唯一登校拒否になりかけた現場でして(笑)。もう、毎日怒鳴られる怒鳴られる。

鹿島:(苦笑)。

栗山 瀧本さんでもそうかい。

瀧本:本当に毎日胃が痛くなるくらい。

栗山 でもね、俺はやらないけども、怒鳴る人間って怒鳴っても大丈夫なのはどれかな、と決めるんだよ。すごい貴重な人材なの。

瀧本:鹿島組で勉強になったのは、とにかくエキストラの動かし方をすごく厳しく言われたんです。「てめえ一日新宿駅の前に立ってろ! 人間はただ歩いてるだけじゃねえんだ!」と。自分が監督になって同じことを助監督に言うんですけど。

鹿島:澤井組で散々エキストラ動かしてたからな。自信があったんだよね。『Wの悲劇』の後、澤井さんにさ、評論家の山田宏一さんがエキストラのシーンを褒めてたぞ。『早春物語』では山根貞男さんがエキストラがいいって言ってたぞ。って澤井さんに言われちゃ「次の映画やるか?」って。下手だったら俺は首切られてたんですよ(苦笑)。

栗山:俺は実を言うと、山田組ってのはちゃんとケツまでやったのは、2、3本しかないんだな。ところが、エキストラが30人以上になると呼ばれるの。エキストラ会社が連れてくるのはいつも同じ面子でさ。「まったくもう」って思うじゃない。しょうがないからある時から、見学者にお願いして出てもらうようにしたの。そしたらそれがね、カメラマンと監督が気に入りやがって。

鹿島:エキストラつけるのは、芝居つける練習になるでしょう?

瀧本:まさにその通りで。それまでは現場の忙しさにかまけて適当に右に左に動かしてたんですけど、エキストラもそれぞれ人間なんだっていう当たり前のことを、その時初めて学んだんですよね。

鹿島:俺も先週26年経って澤井さんに言われたけどさ、「鹿島のよかったところは目的を持ってないエキストラは誰一人通んなかったよな」って。それは現場に余裕があったからだけど......今エキストラコンテなんて、描かないだろう?

瀧本:聞いたこともないです。

今井:聞いたこともない。

栗山:そんなことやってたとしたら、異例の組だよ。

鹿島:俺も誰に教わったか忘れちゃったけど、事前に鳥瞰図書いてどういう風にエキストラ動かすか決めて、前日に演出部に説明して、分担決めて。

今井:へえー、すごい。

鹿島 :録音技師は橋本文雄さんが多かったのね。あの人、その場で全部録っちゃうの。だから、エキストラのセリフもさ、作っとかないと。科白書いた紙をエキストラに配ってやらないとさ。「鹿島、後ろのアベックおかしな事喋ってるがな」、俺には聞こえてないけど、橋本さんはマイクの音聞いてるからさ。メインスタッフに育てられたってのもありますよね。

今井:今ほんっとにエキストラつけるの下手ですよ、みんな。

鹿島:経験がないんじゃないの。あれは経験だからね。

今井:要するに間を、絵を埋めてるだけで。何が一番時間かかるって、エキストラつけるのが一番時間かかるんですよ。だからそれ待ちになるんですよ。役者の芝居はできてるのにエキストラができないことが多い。

栗山:そういう職人も育てないとダメってことか。

鹿島:エキストラって多い方が簡単なんだけどな。

栗山:そうだよな。

今井:いや、多かったらもう大騒ぎですよ。ものすっごい時間がかかる。

鹿島:300人とか500人とかの方が簡単なんだもの。

今井:ホントですか!?

鹿島:ホントだよ。エキストラ一番面白かったけどな。

今井:それこそ、楽しんでやってる子なんか一人もいないんですよ。あんたたち演出補でしょって言うんだけど、ただ単に進行役なんですよね。芝居をつける喜びを感じてないんですよね。私、エキストラって芝居をつけることなんだって初めて感じたのが、『ケイゾク』ってドラマをやった時に、初めて外の、今迄関わったことのないチームが来て、そこのチーフ助監督が麻生学さんだったんですね。「誕生日が何月の人はどういう気持ちで」とか、「10月の人はこれをする」とか。そうすると時間もかからないし、動きが適度にばらけるし、すごいなと。

瀧本:それ、モブシーンを仕切るときの定番なんですよ。僕もカチンコの時に習いました。

鹿島:血液型とかね。

瀧本:それこそ澤井さんが『がんばれ!ベアーズ』というハリウッド映画が日本でロケした時に応援の助監督でついて、向こうの助監督がやってるのを見て真似し始めたらしいです。

今井 そうだったんですか。私はその時初めて聞いて、「そうか、こうやれば早くできるんだ」って初めて知って。

栗山:伝承されてないんだよ。先輩がやってれば繋がるじゃない。鹿島組だって繋がるし、瀧本君もやれば繋がるし。テレビはスタンダードサイズの美意識のない画面でずっと作ってたわけだから、そういう意識は育たないかもしれないけど、シネスコなりビスタなりで世界が裁断されるという中でやれば、ちゃんとやんないと困るわけだよ。

今井:そうですね。

鹿島: 澤井さんは絶対に盗み撮りをやらない。映ってる人間は全部仕込む。盗みでやらないっていうのは、それは役者がその作品の世界観に入らないと芝居ができないだろうってことなの。新宿だって、リアルな新宿じゃなくて、澤井さんが考える新宿の中でやるし、空港だって、外人を増やすとかすれば普段と雰囲気が変わったりするじゃない? そういうものを感じながら役者さんも演じるわけじゃない? 成田空港にもクレーン入れて、航空会社に衣装借りて何百人のエキストラ動かしてさ、全員がヨーイスタートでやる撮影って、緊張もするし、プレッシャーがさ。自分が失敗したら全員失敗っていうのはすごいプレッシャーなんだけど、それもいい意味で画面に出るんだよな。『Wの悲劇』の時、井の頭線で撮影したんだけどさ、薬師丸ひろ子がセリフを言い終わってから電車に乗るっていうシーンがあって、俺は電車の中のダイヤ係で、携帯なんかないし、トランシーバーも性能悪いから繋がらない。で、秒単位で時間計ってさ。でも、科白言い終わって、乗り込むまで何秒か間があいちゃって。そしたら、澤井さんに怒鳴られる怒鳴られる。「てめぇ、待ったじゃねえか!」と。車掌さんに「君は大変だね、あんなに怒鳴られて。次は君の合図で電車止まってなくても開けてあげるって」同情されちゃってさ。まー撮影のために仕立てた列車だから出来た事だけどね。

瀧本:撮影所時代って、画面って作る物ですよね。建物の中にしろ、オープンにしろ、セットを作る。

栗山:リアルな作り物を目指すわけですよね。で、それがどんどんリアルになっていくのはいいんだけれども。誰だったかな。「ああ、それは確かにリアルだよ。リアルだけど面白くねえな」というわけよ。

鹿島:映画の中のリアルってありますよね。

瀧本:たぶんこれは世代論もあると思うんですけど、僕らは段々作り物の画面にリアルさを感じなくなった気がします。

鹿島:だけど今のハリウッドだってさ、ものすごい作り物になってるじゃない。

瀧本:二極化が進んでいる気がするんです。作り物を目指すか、リアルさを追及していくか。リアルさというのは感性でどうにかなるかもしれないけど、作り物には確たる技術が必要だと思うんですよね。

鹿島:俺自身は映画は誰が撮ってもいいと思うの、今の時代。お客さんもそれでいいっていう時代になってる気がするよね。それで、「なんだこれ結構面白いじゃないか」ってなればいい。俺は映画の職人さんが作った映画らしい映画だけが面白いって思ってるわけじゃない。だから「お客さんは本当に職人技を必要としてるのかな?」っていう気がするよね。さっきのエキストラの話でも、主役がいて画面がスカスカでもお客さんは主役がよければいいって思うかもしれないし。じゃあ職人って何って感じだけど(苦笑)。

栗山 でも、絵にしても何にしても、基準はあるわけじゃない? 美しいか美しくないかの明らかな基準はある。映画にもあるんだよ、必ず。

瀧本:僕はやはりきっちりとした背景を作ることは重要だと思います。例えば、ぽっと出のアイドルを主役に使わなきゃいけないというような事情はよくありますけど、そんな子でもきっちりとした舞台に連れ出せばどうにか見られるようになるし。その、舞台を作れるっていうのが職人ってことなのかなって思うんですけど。

栗山:その舞台を作れるっていうのは......ワンカットワンカット、自分ひとりで作ってるんじゃないよね。

瀧本:もちろんスタッフという職人に支えられている。

栗山:それに、やっぱり、先人の仕事を見てきたからできる。

瀧本:ええ。脈々と受け継がれるものがあって。

鹿島:あとはなんていうのかな、自分が目指す映画って言うのがさ、背景もちゃんと作った映画を作りたいんだって信じるから勉強するわけじゃん。さっきも言ったみたいに、勉強してない人が撮ってもいいと思うのよ。でも、やっぱり自分が信じる道を行くしかないよね。映画って昔からそうなんじゃないですか。

栗山:そうだよね。言い忘れてたけど、僕もアメリカでただ遊んでたわけじゃないの(笑)。その頃の松竹とかの映画をもう、止めようと思ってたわけ。それで、その頃エクスペリメントフィルムって呼ばれる作品群があってね。8ミリとか16ミリのものね、そのライブラリーがカリフォルニア大学のバークレー校にあって、一番充実したフィルムストックを持ってたわけ。で、勉強のために週3回通ったんだよ、女房とね。そしたらそのうち飽きてね。95%はジャンクでしたよ。でも、後の5%は、とんでもないものがあるわけ。今のシステムでは撮れないような作品が。

鹿島:映画ってさ、いろんな形があってさ、俺、『いちご白書』を中学の頃に見てすごく影響を受けたの。『いちご白書』は確かに映画としてはそんなに出来のいい映画じゃないわけ。それこそ職人の仕事じゃない、カメラ振り回してるだけなんだけど。でも、ジェネレーションでさ、あの時代にあの作品を見たってことで影響を受けたっていうのが確かにあるわけ。映画ってさ、そこが難しいし面白いよね。

栗山:例えばシドニー・ルメットっていう大職人が死んでしまった。この間ちょっと学生さんに話をするのに見返したんだけど『Running of empty』って、邦題は『旅立ちの時』っていう、死んじゃったリヴァー・フェニックスが出ている作品ね。ルメットって人は60歳になってからその作品を撮ってて、今もなんら古くない、もう涙出ちゃう。つまり『いちご白書』が出た後のアメリカの青春。アメリカの連合赤軍みたいな話なの。

鹿島:それは職人が撮ってるから今の人が見てもいいんじゃないの? でも『いちご白書』は素人が撮ったから、今の人が見ても外側から見ちゃう感じになるんじゃないかな。『いちご白書』を若い奴に見てみろとは言わないけど、『汚れた顔の天使』とか『東京物語』の原典になった『明日は来らず』とかさ、モノクロの古い映画でも、「これ観た方がいいよ」って思うもんね。だから、そこの違いかね、職人か職人じゃないかって。

瀧本:古びないってことですか。

栗山:普遍があるってことでしょう。今一度、アメリカ時代の不毛な生活を思い返すとね、あるメキシカンアメリカンの詩人がいて、エクスペリメントフィルムのことをジャンクだっていうんだ。「あいつらがやってることは、ものすごく偉そうに、《this is real》を追っ掛けてる。ハリウッド以下いわゆる商業映画っていうのは《fake》って思ってやってる。でもハリウッドのバカどもだってリアルを追いかけてる。《this is life》を。ところがハリウッドは時々天才が現れて、《more then life》をやる。それがすごいんだ。それが作っている職人たちの、ある到達点。たぶん祈りみたいなものなんだよ」と。それなんだよ。僕がいた当時っていうのは、『スターウォーズ』が現れて、『未知との遭遇』が出てきた。純粋映画の批評家たちはバカみたいなお子ちゃま映画だって言ったがとんでもない。彼らがジャンクフィルムを作ったって、とんでもないものを作る。彼らには、とんでもない技術の裏付けがあり、映像の歴史がよく分かってるんだ。

瀧本:不躾な質問ですが、今井さんはやっぱりエンターテイメント作品を作りたいと思ってるんですか?

今井:私はエンターテイメントじゃないと見てもらえないと思っているので。本来映画っていうのは、監督が自分の表現したいオリジナルな世界を自分で書いて撮るものだと思うんです。でもそういう作品って今なかなか観てもらえないっていう気がするんですよね。みんな観たいと思ってるんだろうかって。

瀧本:観客が変わってきているってこと?

今井:観客が明らかに変わってきているし、そうなると需要と供給だと思うので。

瀧本:でも、今井さんって確かビクトル・エリセが好きなんですよね。

今井:ええ。

瀧本:『ミツバチのささやき』とか『エル・スール』とか。

栗山:ああ、『ミツバチのささやき』はいい映画だよね。

今井:エリセのように誰にも真似できないオリジナルな世界を表現できる人が、本当の映画監督だと思います。でも一方で、自分が直面している現実を考えると、昔、自分の好きだった映画って今も必要とされているんだろうかとも感じるんですよ。鴨下一郎さんがディレクターマガジンに書かれていたんですけど、自分たちが描きたい、表現したい世界を作る場が本当になくなってきたと。それこそ観客を喜ばせることがエンターテインなんですけど、相当毒が回ってきてるっていう感じがしています。

瀧本:職人と作家って相反する言葉みたいですけど、実は職人の中にも作家性は当然あるわけで、作家と言われる人たちにも、自分の作家性を表現するためにある種の職人性というものが必要なんじゃないかと思います。

今井:私もそう思います。

瀧本:職人って必要なんでしょうかね。

今井:やっぱり必要ですよ。視聴者や観客に合わせるだけじゃ、自分で自分の首を絞めることになるっていうか。職人の技術っていうのは、絶対にちゃんと見てくれる人がいるし。はっきり言って時代の主流じゃないと思うんですけど......。

鹿島:まあ難しいテーマだよ。ひとことで言い切れるものじゃない。

今井:そうですよね。

栗山:でも、僕は職人っていう言葉が好きだよ。映画の職人以外に僕には立つ瀬がないしね。響きがいいじゃない(笑)。

鹿島:映像作家なんて言葉が出てきてから、おかしくなってきたんじゃないの。

瀧本:カッコイイものみたいに思われるのがどうも......。結局映画作るのって、頭の中も、心の中も、肉体も、泥まみれになるじゃないですか。ものすごく悩むし、心がグラグラ来ることもあるし。誰かをものすごく傷つけることになっても、それでもがむしゃらに撮るしかない。そんな商売のことを「クリエイター」とかって、カッコよさげな言葉で括られちゃうと、なんかムカツク (笑)。

栗山:妙だよね。映画監督が芸術家だっていうのも、馴染まないんじゃないの?

鹿島:宮本さんっていう記録さんがいるんですよ、東映にね。もう80過ぎたのかな。映画芸術みたいなことを話した時、「内田吐夢さんも今井正さんも、芸術なんて言葉を使ったことはないし、どういう風に撮ればお客さんは面白く見てくれるだろうかってことをものすごい悩んで撮ってた」って言うんだよね。「芸術だからこれはワンカットでいいんだ、お客さんが多少退屈してもいいんだって言うのは聞いたことがない」と。「芸術って言い出してから映画がつまらなくなった」って宮本さん言ってたよ。

栗山:思わない? 僕たちが職人でしかあり得ないのはさ、編集で「これ、トロいよな、ここ切っちゃおう」っていうのはさ、お客さんを想定してるよね。

鹿島:「これいいんだけど、切っちゃおう」っていうのはありますもんね。

栗山:つまりさ、映画作るのがお客さんとの共同作業なんだよね、でも彼らにおもねることは決してない。

瀧本:自分と他者との間ぐらいのことをいつも考えている気がしますね。編集もそうだし、脚本もそうだし、映画を作る過程の最初から最後まで、自分と他者との距離を考えながら、これはOKなのかNGなのかっていうのを探っている感じがします。

栗山:相手があって共同で作り上げる。観客が何考えてるのかなんてよくわからないけど、映画が自分ひとりで作り上げるものじゃないことは、はっきりしてる。僕は墓石以上のものを作りたいの。自分の作品が自分にとっては墓石なんだな。でも、まだ墓石以上のものを作ってないの。まあ、次がそうなるように頑張りますよ。

瀧本:実は、今井さんは今から(夜の八時過ぎなんですが......)撮影中の連ドラのロケハンに行かないといけないらしくて。この辺で終わりにしたいと思います。

栗山:ああ、そうかい。一杯行きたかったけど。

今井:ごめんなさい(笑)!

鹿島:まあ、職人は忙しいから。

瀧本:本日はお忙しい中、有難うございました。

 

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    【編集後記に代えて】 前略 原田昌樹監督 2008年2月28日午前10時……原田さん、死んじゃったんですね。 俺、本当に、助監督時代から原田さんのこと尊敬してたんですよ。いつもニコニコと笑い飄々としてるくせに、現場が修羅場になるや、鬼のような顔で俺らに指示を出して完璧に仕切ってたじゃないですか。格好良かったですよ。俺、憧れてたんですから。スケジュールの組み方も上手かったですよね。和泉聖治監督の面倒臭い性格とか、扱いづらい役者のことまで全部考慮に入れた見事なスケジュールでした。演出されたスケジュールでした。随分と勉強させてもらいました。 原田さんが監督になってからは、俺、結局Vシネマの『喧嘩ラーメン』一本しかつけませんでした。最後のモブシーン、120カットを一日で撮り切りましたよね。シーン抜きで撮ってたから、役者たちは原田さんの言うとおり右向いたり左向いたりしてるだけでした。俺はセカンドだったけど、正直、今何を撮っているのか、さっぱりわからなくなることがありました。でも、編集すると、当たり前だけど繋がるんですよね。いざとなれば、役者の感情なんか関係なくて、編集だけで芝居が表現できるんだって、あの時初めて教わりましたよ。 原田さん、一月に撮影していた『審理』完成してたんですってね。ちゃんと完成させてから死ぬなんて、本当に律儀で、らしいですよ。俺の方は、明日3月4日に三本目の監督作『イキガミ』がクランクインします。必ず現場に遊びに行くからって言ってたのに。残念ですよ、本当に。 明日は夕方には撮影が終わるはずだから、通夜には顔が出せそうです。それにしても、不肖の弟子がクランクインする日に通夜なんて、見事なスケジュールです。演出じゃないですか、それ。俺、この映画必死に頑張らなきゃしょうがなくなっちゃったじゃないですか。現場に来れないなら、そっちからいつものニコニコした笑顔で見守っていてくださいね。たまには、あの鬼のような顔で指示してもらってもかまいませんよ。 原田さん、あなたは映画の職人でした。 俺もいつかそう呼ばれるようになりたいです。映画の職人になりたいです。 有難うございました。安らかにお眠り下さい。 草々                           2008年3月3日   瀧本智行 -------------------------------------------------------- 原田昌樹 1955年3月9日生。  1973年長野県立屋代高校卒。東映東京撮影所を中心にフリーの助監督として活動する。1992年テレビ「裏刑事」でデビュー。「最後の馬券師」「喧嘩ラーメン」等多数のVシネマ。「ウルトラマンシリーズ ティガ・ダイナ・ガイア・コスモス36本」等テレビドラマや教育映画、PR映画も。1999年「万引きはダメ!」で教育映像祭・文部大臣賞受賞。2006年映画「旅の贈り物0:00発」。今年パート2を撮る予定だった。最新作は裁判員制度を描いた最高裁製作の映画「審理」。3月25日に最高裁で試写会が開催される。