このページの先頭です

特集

日本映画監督協会 会員名鑑

特集

オウムと映画座談会

2005年06月30日

【オウムと映画座談会】

 

           「塩田明彦×瀬々敬久×森達也」

                                       oumu1.jpeg

 

大丈夫か?オウムのことなんかほとんど知らないし、何を聞いていいかも分からない。それでもあの頃1995年に映画監督が何を考えていたか知りたいと思って、こんな無謀な企画を言い出してしまった。

「オウム」をネタに映画をつくった監督たち、塩田明彦監督・瀬々敬久監督・森達也監督に色々話をして貰った。

                  (聞き手 いまおかしんじ  取材 天野裕充・檀雄二) 

 

 

siota1.jpegのサムネール画像塩田明彦(しおた・あきひこ)

映画監督。脚本家。

1961911日、京都府舞鶴市生まれ。立教大学在学中より黒沢清監督らと自主映画の製作を始める。83年『ファララ』で「ぴあフィルムフェスティバル」に入選。その後、故・大和屋竺のもとで脚本を学び、91年脚本家として独立。96年にはビデオ映画『露出狂の女』を監督。

『月光の囁き』劇場デビュー作(1998)、『どこまでもいこう』(1999)、『ギプス』(2001/デジタルビデオ作品)『害虫』(2002『黄泉がえり』(2002)、『カナリア』(2004)、『この胸いっぱいの愛を』(2005

 

zeze1.jpegのサムネール画像瀬々敬久(ぜぜ・たかひさ)

映画監督

1960年生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。

自主制作映画『ギャングよ、向こうは晴れているか』等で高い評価を受け、ピンク映画に助監督として参加する。1989年『課外授業・暴行』で商業映画デビュー。以後≪ピンク四天王≫の一人として活躍、圧倒的な支持を受ける。1997年『KOKKURI こっくりさん』『雷魚』で、一般映画に進出。『冷血の罠』('98)『HYSTERIC』『RUSH!』('00)『トーキョー×エロティカ』('01)等、作品を発表し国内外で高い評価を受けている。

 

mori1.jpegのサムネール画像森 達也(もり・たつや)

映画監督/ドキュメンタリー作家

1956年生まれ。ディレクターとして、テレビ、ドキュメンタリー作品を多く制作。

1998年オウム真理教の荒木浩を主人公とするドキュメンタリー映画『A』を公開、ベルリン・プサン・香港・バンクーバーなど各国映画祭に出品し、海外でも高い評価を受ける。

2001年『A2』を完成。 最近は米国同時多発テロ問題について雑誌・新聞などでの発言が頻出しており、近著に『ベトナムから来たもう一人のラストエンペラー』(角川書店)がある。

 

 

いまおか:今回、私が夏号の編集長になってしまい、テーマとして無理くり「1995年」を選

んだのは、95年が私の監督デビューした年で、その年大きな事件がたくさんあったにもかかわらず、結局、自分の身近な人の死ですとか彼女と別れたこをネタにした映画を撮って、以降10年そのままのやりかたで撮ってきたんですが、そろそろネタも尽きてきて、今後どうやっていったらいいかなぁ?というところで、95年当時の事件を、それも特に「オウム」をそれぞれの映画に取り入れておられた皆さんに話をうかがって、今後、個人的に役立てたいと思いまして。

瀬々:君のためにやるんだ? 

いまおか:はい。そういうことができるのが編集長の特権らしいので。

 

「きっかけ」

 

いまおか:まず、それぞれオウムを映画の中で扱われていますが、そのきっかけを。

森 :当時僕はテレビドキュメンタリーの仕事をやっていました。95年当時はテレビで、オウ

ム以外の企画がほとんど成立しない状況が続きました。毎日のように朝から晩まで、特番体制でオウム漬けの日々でしたから。とにかく食ってく為には、オウムをやらざるを得ないって状況になってて。だから、ぼくの場合はあんまり興味は無かったんですよ。宗教も嫌いでしたしオウムも気持ち悪かったし、できればあんなもの触れたくないと思ってたんですけど、当時フリーでしたので、オウムをやらないことには干上がっちゃうという状況で。っていうことで、オウムの信者を被写体にしたドキュメンタリーって企画を立て、局に持ち込んで通って、で、撮ってるうちに「オウムを絶対悪として描け」と強要されて、「そう思ったらそうするけれど、まだわからないから約束できない」って答えたら、テレビ業界から放り出されちゃったんで、じゃあもう映画にするしかないなって。それがきっかけですね。

だから、すごく受動的というかね、使命感があったとか何らかのテーマがあったとか、そんなのは全然なくて、なんか翻弄されてるうちに映画になっちゃったっていう感じですね。

瀬々:企画提出は、森さん発だったんですよね。

森 :もちろんそうだけど、オウムやらないことには仕事にならない状況だったんで。

瀬々:ああ、状況的にね。

森 :もうちょっと詳しく言うと、当時荒木さんがオウム広報の窓口でしたから、彼に連絡をと

って「あなたたちを被写体にして撮りたいんだ」って話をしたわけですよね。それはぼくの中では当たり前のことで、例えば、病院を撮るんだったら病院のスタッフに撮っていいですか?と聞いて被写体にするわけだし、学校だったら教員に聞いてカメラを持ち込むわけだし。だからオウムを撮るんであればオウムの信者にOKを貰ってオウムの中に入っていくっていうのが、ぼくの中では当たり前だったんですけど、それがテレビのなかでは、何故かだれもやってなかったんですよね。彼らの生活とかそういったものを、撮っちゃいけないという訳ではなかったけど、なんとなく誰も撮らないって、そういう状況があったんです。さらにTBSの事件が起きたんです、クランクインして2日目に。坂本弁護士さん一家が殺された事件のきっかけは、TBSがオウムの信者に放送前のインタビュー・テープを見せていたことだってことが発覚して、で、あれで全メディアが萎縮したんですよ、オウムっていうのは取扱注意だと。僕も上層部に呼ばれて念を押されたわけですね、くれぐれも、オウムっていうのはヤバイ存在だから、こういう風に描けだとか、反オウムのジャーナリストをレポーターにしろだとか。具体的には江川紹子さんとか有田芳生さんとか。でも、ぼくはレポーター付きのドキュメンタリーはやったこと無いんで、それは出来ませんと。で、オウムが悪かどうかっていうは、僕もまだよく分かんないから、これからそう思ったらそうするけど、まだ判りません。と、自分としては別に反骨でも何でもない、当たり前の返事をしたつもりだったんですけど、あいつは問題だってことになって、やっと契約したばかりの制作会社から契約を解除されてしまうんですよね。

いまおか:荒木さんを追うっていう発想は?

森 :一つには、彼が広報窓口ですから、まず彼に話をしなければいけない訳ですよね。

だったらついでに彼を被写体にしちゃえばいちばん話が早いっていうのもあったけれど、もう一つは、ちょうど上祐さんが逮捕されて急に荒木さんがテレビに出てきたでしょ、で、彼をすごく面白いと思ったんですよ、テレビ見ながらね。何が面白いかって、彼は能弁じゃないんですよね。非常に話も下手だし滑舌も悪いし、しょっちゅう考えてるんですよ、喋りながら。なんかあれが面白いなって思ってね。上祐さんには全然興味持てなかったんですよね、でも荒木さんは、もしかしたら被写体として寄り添える部分が有るんじゃないかなぁって、直感がちょっとあった。

塩田:TBSの事件以前にも、オウムの内側に入って取材をしようって考える人がいなか

ってっていうのは、何なんですかね?

森 :何でしょうね。それはよく聞かれるけど、でもそれは僕じゃなくて、発想しなかった人に聞かないとわからないよね。

塩田:一言で言えば、すごく怖かったってことなんですかね?

森 :どうかなあ。現場の人間は恐らくあの頃だって、一人ひとりのオウム信者はそんに怖くな

いっていうことは、分かってたと思うんですよね。だからやっぱり、中に入っちゃうと彼らの人間的な部分に触れざるを得なくって、けどそれはやっぱりメディアではタブーなんだろうと。たぶんそういった感覚が働いたんだと思うな。

塩田:例えばそれ以前に、劇場型犯罪っていうのがいろいろあって、それはオウムが劇場型って

事ではないですけど、三浦和義の事件とかあったわけじゃないですか。そうするとこう、要するに白か黒か分かんないけど容疑者と目されてる人がいて、その人がマスコミに向かって発言するってことはあったわけですよね、以前にも。そうして密着取材するとか、他にも保険金殺人の話だと取材陣を自分の店に呼んで金取って会見するとかね、そういう最終的には犯人となった人達っていうのがいるわけですよね。だから、通常のマスコミの感覚からいえば、本来は密着っていう発想が普通にあるんですよ。それが、オウムの時は無かったんですよね。やっぱり質の違いなんですかね?

森 :いやたぶんね、質の違いもあるし、やっぱり圧倒的な、まあ何だろう「絶対悪」っていう

イメージのすり込みがあったっていうのもあるし、あとやっぱり、例えば典型的なのがオウムの時に一時テレビは、逮捕前の幹部信者たちを頻繁にインタビューなんかしていたんですよね。それを突然ぷっつり止めちゃったんだけど、それは要するに、彼らが喋る内容をオンエアすると、視聴者がマインドコントロールされるかもしれないとの論理でね、そういう理由でオウムの信者は出すなって話になったわけ。で、これは例えばペルーの公邸事件がありましたよね、チュパクアマルっていう現地のゲリラがペルーの日本公邸を占拠して。その時、テレ朝の子会社のディレクターが、中に入ってゲリラのインタビューを撮ったんですよ、まだ人質が解放される前に。でも放送されなかった。で、その理由は、ゲリラのプロパガンダになるって言うんだけど、この辺から、メディアの迷走みたいなのは始まってるなと思ったけれど、オウムもたぶんその一環でしょうね。メディアについて言えば。

塩田:悪しきイデオロギーを発する者に荷担してしまってはいけないという正義感

森 :そうそう。で、その「悪しき」を誰が決めるのかって話になるわけだよね。それをお前ら

が決めちゃ駄目だよ、勝手にメディアなんかが。それは、僕らが決めることなのに、メディアの方ももしかしたら政治的な圧力もあったりするんだろうけれども、その辺でコントロールされ始めてるっていう、非常に嫌な傾向がその辺から始まりつつあったなっていう気はしますけどね。最近もそうですよ、NHKETVの事件にしてもね、あれも要するに安部とか中川などの二世三世議員が、公正にやって下さいってNHKにプレッシャーをかけたわけで、ある方向に対して公正にやれってことは、要するに違う方向にしろっていうバイアスですからね。こんなときのために憲法21条と放送法第三条があるのだけど、メディアはその自由に耐えられないんです。だからNHKみたいに、揉み手しながら如何でしょうかなんて聞きに行くわけですよね。聞かれたら政治家は答えますよ。権威欲の塊みたいな人ばかりなんだから。で、公正っていうバイアス、これもくせ者なんですよね。何を持って公正かなんてだれも判断出来ないわけで、だからもう、こんな稚拙な論理が、メディアという領域では当たり前になってしまっている。・・・(瀬々の方を振り返り)ね?

瀬々:ふふふふふ

 

morizeze1.jpegのサムネール画像

            聞く瀬々監督 もう止まらない森監督 

 

いまおか:瀬々さんはどういうきっかけで『東京エロティカ』に? 

瀬々:僕はべつに、(オウムは)あの作品では背景でしか扱ってないですね。背景でしか使ってないし、そんなに、中に入ってオウムそのものを撮ろうっていう感じではなかったと思う。だだ、それまで例えば95年だとちょうど、年に2本くらいピンク映画を作り続けてた頃で、自分の中から題材を探すっていうことよりは、社会的な環境から題材を探してた時期で、たぶんオウムの2年ぐらい前にも、四国の徳島かどっかで女子高生2人が私たちはソウルメイトだよって言って飛び降り自殺したのがあって、それを映画にしたんですけど、その頃ちょうど雑誌のムーとかに、「私の前世は○○です。ご記憶の方はいませんか?」みたいな文通をするようなコーナーがあって、前世とかハルマゲドンとかが、オウム以前にオウム以外の部分でも非常に話題になったりしていた。ムーって言う雑誌は麻原の空中浮遊とかが載った雑誌なんですけど、そういう状況には自分なりに興味はあったことはあったんですよね。阪神大震災より以前にも、浅草舞台で震災ものみたいなのを撮ったりしたこともあったんですけど、そういう、世の中は世紀末に流れていく風潮とか、そういう世界観に自分が生きているということを含めて日本の若い人達の考え方というところには非常に興味があったし、それを題材にしていたと思うんですね。ただ、あの事件があった時はその事件そのものは、ちょっと撮れないなっていうのは自分の中でありましたよ、やっぱり。それが、ちょうど2000年とか終わって、それまで世紀末とか言ってたのが、あたかも連続性がないようにふっと変わったじゃないですか、時代が。あの頃は大変なことが起こるぜっていう感覚に対するものの考え方みたいなことをやってたんだけど、結局そういうことは起こらないんだみたいなことで、あと前世紀にあったことが何も無かったようにぱっと時代が変わってきて、なんかフワフワフワとしたような世の中になってきちゃったときに、なんかそれも違うなって思って、それで背景としてですけど、こういう事があったんじゃないの的なところで、で、それをどう考えるのかって事で題材として入れたっていうのはありますけど。だから、自分の中ではかなり引いてるんですよ、立場は。

森 :当時、これは映画にしづらいっていう雰囲気はあったんですか?

瀬々:やっぱりああいう顛末をむかえるときに、それに立ち向かう根拠っていうか、そ

  の思想性をどこに持っていくかっていうのが、皆目見当がつかなかったんだとは思

  いますよ。

塩田:それはありますね。

森 :思想性を、自分の立ち位置をどこに置けばいいのか解らないっていう?

瀬々:ああ、そうですね。立ち位置ですね、はっきり言って。

塩田:それは瀬々さんなんか、本当の本当を言えば向こう側の立ち位置で考えると、ものごと解

りやすいなっていうのは無かったですか? 例えばですよ、ある一人の男がいてその男がヨガ道場を開くわけですよ。そこに若い衆が集まって、みんなで神秘の石を探索する旅に出たりするわけですよ。それをやってるうちに意外に金も儲かる。この時代に強い信念を打ち出すと、人がいかに簡単に付いてくるか分かってくるっていうね、それで尚かつ、これは単なる理論じゃないんだ、理論はあるけどそれは身体的な実践によって裏付けられますって。クンダリニー・ヨーガをやると覚醒する、背骨に炎が立ち上がってくるっていうのが実際に起こるっていうのを実体験させると、もうコロっと人はついてくる、それは東大理工学部であろうとコロっと付いてくるっていう現実が起きてしまう。じゃあここで、僕らの活動の拠点となるもっと大きな土地を買って、そこに理想の国を建設しましょうってなると、買えちゃうし建てられちゃう。それもDIYですよ、「Do it your self」で自分たちでやるって事ができちゃうっていうね。それは面白いだろうと。もちろんその辺から既存の共同体とぶつかり合うんだけど、そのことで活動はより活発化するし、仮想敵が現れることで教団なり信者個人としての自己正当化も容易になるわけでしょ。それは最高にスリリングだし、面白い体験ではないのかっていう。95年に至る、経済的にはバブルの崩壊した後の日本に於いてね。これは、描きたいよなって思いますよね。

 だけど、僕も思ったんだけど、映画によって最終的にオウム事件そのものをなぞることをやって、それをやることの意味は何だろうってことはすごい考えちゃうし、こんなに面白いことなんだってことを実証することが本当は一番過激なんだと思うけど、すごい面白いことなんだってね・・・でもそれをやろうと思ってたときに初めて、これはいろんな意味でタブーに触れるなっていう。なんていうか、これをやったらものすごいバッシングっていうか、大変なことが起こるだろうなっていう意識は、確かに後々芽生えてはきましたよね。

 

siota2.jpegのサムネール画像

                        塩田監督独演会

 

森 :後々っていうのは、事件の後しばらく経って、その企画を考え始めた時に?

塩田:そうですね。事件が起こってからずっと考えてましたけど。

森 :釜山で会ったじゃない。あれ何年だっけ、2001年くらい? あのときはじ

ゃあ、自分の中でのフィクショナイズの構想があったわけでしょ? オウムの。

塩田:ありましたよ。

森 :どうでした? 『A』 を見てブレーキになったのかアクセルになったのか?

塩田:森さんに会ったり、『A』とか『A2』を見てる時点では、もう彼らのやったことをそのまま

描くっていうのは無いなっていう意識になってましてね。それはまず、異常に長い映画になるっていうのもありましたし、それになんか、そういう正面きったやり方だと、本当にある意味オウム礼賛に近いものになるっていうかね、その気は無くても。で、そうではないと。そうではないものをやらなきゃいけないっていう。ただ、オリジナルでストーリー作るにしても、色々考えたんですけど、オウムのやったことのリアリティーとの接点の中で、嘘の世界に飛ぶその仕掛けのありようが見いだせないまま、時が過ぎてったって感じでしたよね。

森 :あの頃はじゃあ、オウムの子供みたいな発想は?

塩田:あの頃、既にオウムの子供について考え始めてたんです。それで実は、釜山のホ

テルの朝食の席で森さんに、オウムの子供たち今どうなってんですかって聞いたんですけど

森 :覚えてないなあ

塩田:森さんは、「何やってんだろうね?」って、あんまり知らなかった。

森 :興味無かったんだ。

塩田:でも、やっぱりそうだと思いますよ。オウム問題1つとっても、切り口は100あるわけ

ですから。単に「オウム」が「問題」だとか、誰もが考えなくちゃいけない問題だなんてことは正直、誰でも云うことができるわけでしょ。でもそれじゃあ、具体的にオウムの「何」が「どう」問題なのよと。現時点で、それなりに語り尽くされてきた「オウム」「問題」に対して、どのような「問いかけ」なり「設問」なりを新たに構築するのよと。現実をフィクショナライズするっていうのは、単に「現実」の「問題」に「答え」を出す事じゃない。むしろいかにしてそこから新たな「問題」を見つけ出すのか、その「切り口」を見いだすことで、物事をそれまでとは違った角度からみつめてみせるのかっていう。本当はそれが一番大事なことなわけですよね。森さんの作品が衝撃的だったのも、要するに他に誰も取り組まなかった切り口をみつけて、そこに切り込んだことにあったわけですよね? だけど世の中にはそういう切り口がまだ100あるんだってことだと思うんですよ。それでまあ僕は、僕なりに他人がやってない切り口を自分の中で見つけた感じがあったんで、それを映画にしたってことなんですけどね。「カナリア」の場合は。

 

「皮膚感覚」

 

塩田:たとえばオウムを描くときに自分の中での思想的な立ち位置が見えてこなかったって、さ

っきおっしゃってたじゃないですか。そのときにね、その思想っていうのが非常に簡略化されていくと正義になるわけですよ。思想的立ち位置っていうのは実際にはとても複雑なものなんだけど、それを簡略化していくと、正義はどこにあるっていう話になっていくわけですよ。そうすると、映画が例えば身障者を描きますってなったときに、身障者を描くことの正義って何かっていうと、身障者であることは苦ではないってことを描くっていう民意の共有が、イデオロギーがあるわけですよ。ところでこの民意というのが本当にくせ者なわけで、民意っていうのはそれは総意ではないにも関わらず、あくまで公的な場での情緒的な(非論理的な)反論の難しさによってあたかも総意であるかのように機能してしまう、一種の言論弾圧システムみたいなものでもあるわけですよね。かつて身障者であることの苦しみ悲しみを映画は描きましたと、だけど今は、人として何かが欠けているっていうことでは無いんだ、身障者だって言い方をするのも良くない、それはひとつの個性なんだって。腕が1本在りませんってことじゃなくて、1本の腕が在りますってことなんだと、そういうことになってくる。そういうことに対して健常者である作者が「いやそんなことはないはずだ、身体障害があるってのは辛いし、苦しいことのはずだ」とは公的には主張しにくい。そして誰もが心から賛成しているわけではないけど、公的には「身体障害」は「個性である」という説を消極的にではあれ受け入れざるをえなくなるっていう。それは要するに何かって云うとポリティカルコレクトネス、いわゆるPCですよね。で、そのこととフィクションがどう闘うかっていうことが、それは闘うことに意義があるのかってことも含めて、問題になってきてるのは、オウム以降の顕著な傾向ですよ。

例えばかつて、小人プロレスっていうのがありましたけども、そういうのがエンターテイメントの世界で無くなっていくわけですよ、どんどんね。ほんとにそれがいいことなのかどうなのかっていう、その再検討っていうのが、今求められてるはずなんですよね、本当は。本当の本当は、民意の影に隠されている人なり物なりの声なき声をすくい上げて、そこに表現を与えるってのが映画の大きな役割かもしれないのに。どうなんですか、その辺は? 瀬々さん。

瀬々:んー。そういうとこには行かざるを得ないと思うんですけど、例えば同潤会アパートのド

キュメンタリーを撮ったことがあるんですけど、そこでは、アパートを 壊す派と守る派がはっきり別れてるわけですよ。で、その中で撮るとなると、もう、自分の視点でしか撮れない、撮らざるを得ない、どっちに付くわけにはいかないっていうか、付いた瞬間にこれは番組としてもある種ヤバくなるわけですよね、どっちかが撮れなくなるとか。その場合はもう、「無」と言ったらおかしいですけど、ただ突き進むだけ、こっちが個人の視点で考えるだけしかないっていうか、はっきりした賛成とか反対とか、同潤会的なものとはまた違うとこへ行かざるを得ない瞬間ってあると思うんですよ。題材はこうなんだけど、ベクトルは違う視点で見てしまわざるを得ないし、テーマ自体も当初考えたものとはずれていくというか、それでこれを見てしまうというやり方、そこでのやり方はあるんだと思うんですよ。その場合なんていうかな、これはドキュメンタリーの場合ですけど、正義って言うよりは肌触りとか皮膚感覚的なところで動かざるを得なくなってしまう瞬間っていうのは、その時は感じましたけどね。結局人間的な部分になちゃうっていうか、イデオロギーっていう問題じゃなくなってくる。

塩田:イデオロギーでは済まないと

瀬々:そう、人間対人間。こっちの学者さんにもすごい魅力的なキャラもいるし、住ん

でる側の人にも魅力的なキャラはいる。住んでる人で俺は闘いたいって言ってる人の非常に強い想いっていうのもあるし。まあ、そこでの人に対しての出会い方みたいなとこでしかないっていうか、それは例えば『A』や『A2』にしても同じような気はしましたけど。出発点はオウムだったかもしれないけど、そこで出会った人々の人生にどう触れていくか、みたいなとこだったと思いますけどね。森さんの映画って。

森 :そうですね。やっぱりまあ基本的にドキュメンタリーやればそれは絶対人が被写

体になるわけだし、そうするとこちらも人ですから、撮ってるうちに色々な感覚も共有しますし、情が移ったりあるいは嫌いになったりするわけで、で、かつてのテレビ的な作法からいったらそれをオミットする、自分の感情みたいなものをね。もしくはそれをオミットした振りをするってのが当たり前だったんだけど、それは違うだろうってことは僕もだんだん気付いてきたっていうか、絶対変わるんですよこっちも。撮ってるうちに色んな想いが漂着したり遊離したりしますからね。むしろその過程を出すことの方が大事なんじゃないかって、それがドキュメンタリーの一番面白いところでもあるし、作る意味でもあるしっていう気が、僕はしてきたんだけど、そこがやっぱりテレビではなかなか相容れない部分であるしね。

 

oumu2.jpegのサムネール画像

                 この辺ちょっと感動してます

 

「シンパシー」

 

塩田:彼らがいるってことはすごくリアリティーがありますよね、誰でもね。これは是枝さんと

かもよく発言してたようですけども、僕も事と次第によっては自分は向こう側にいたんだっていうリアリティーが持てる相手だっていうことなんですよね。それは世代的には僕なんか下の方なんですけど。今の30代前半位より後は、全くそういう感覚は無いらしいから。

森 :塩田さんもそれは感じるの? もしかしたら俺はあっちにいたかもって。

塩田:感じますね。

森 :庵野さんも前同じようなこと言ってたな。僕はそれが全く無いんだよね。宗教はやってな

いだろうって思う。

瀬々:でも、あるシンパシーは感じましたよ、僕も。

森 :そう。 ・・・まあシンパシーはあったかもしれないけど、じゃあ俺も一緒に修

行しちゃおうかなっていうのは無いなあ。

瀬々:まあそこまでは無いですけども、何ていうか空気感が、むっちゃ語弊がありますけど「わ

かるな」っていう雰囲気はどっかあったような気はするんですよ。

森 :それは、今の日本社会に対しての違和感の表明とか、そういった部分で?

塩田:それは後付だと思うんですよ。オウムってのはサークルから始まってるってのはご存じだ

と思うんですけど、僕らはサークルの時代・・・森さんもそうじゃないですか? 大学っていうものの中で、政治闘争がひとつ整理された後に出てきた文化はサークル文化ですよね。それは僕らの80年代当初はテニスサークルだなんだが全盛で、『なんとなくクリスタル』かなんか知らないそういう世界に入っていくわけなんですけど、一方に色んな文系サークル、音楽サークルとか映画サークルがあって、映画サークルっていうものが最も隆盛したのも70年代の終わりから80年代じゃないですか。で、麻原彰晃っていうのは森さんとか黒沢さんの世代で、その下の村井とか上祐っていうのが僕とか瀬々さんの世代だと思うんですよ。そのオウム神仙の会の頃の話なんかを読むと、本当にサークルですよあれは。たまたま、その時点で選んだものが違ったというだけの話で。当時ね、僕が『ムー』愛読者でニューサイエンス的な神秘主義に熱中して中沢新一の『虹の階梯』読んでって、そうやっていく中ですっと向こうに入ってくってのは、意外に簡単だっただろうっていうリアリティーがあるんですよ。

森 :そういう神秘的なものに対しては、ぼくも興味は結構あったんだけど、かといって、ね、

足を踏み入れようとは思わなかったけど。瀬々さんは、スプーン曲げもすごい興味があるとかって・・・

瀬々:いや、ありますよ。

いまおか:森さんも結構スプーン曲げに興味を持ってらっしゃいますよね。それは似てるんです

か? オウムと

森 :やっぱりそれはね、世代的に僕らは子供のときにテレビでユリ・ゲラーとかをさんざん見

てたし、試しにやってみようみたいなこともやったりしてましたからね。だからその体験は共通してあるんじゃないかな。けっこうね、あの時代クラスに40人位いたから、翌朝、曲がったって奴がいるんですよね。

塩田:いますよね。

森 :うん、いたいた。だから割と、メディアの中ではこれは全部うそだみたいなカタチであっ

さり片付けられたりしちゃって、何かわだかまりっていうかね、何だったんだろうあれは? みたいに引きずっちゃってる部分があって、今ね、マンガがけっこうそういうマンガが多いよね。浦沢さんとか

瀬々:『20世紀少年』とかそうですよね。だからまさしく、そういうことが全部解決されずに

進んきたじゃないですか、僕らの世代っていうのはおかしいかもしれないけど、ユリ・ゲラー問題にしてもどっか怪しいってとこで終わって。それはオウムにしても、喜劇なのか悲劇なのかその終結をみんな把握できなかった。僕たちの生きてきた時代感に対する、ある落とし前の付け方が全くされてこなかったときに、それはどうだっただろうかっていうところはあると思うんですよ。例えば『カナリア』なんかも、次世代へ繋ぐみたいなふうにしているけれども、それに対するある落とし前の付け方みたいなものは、発想にあったわけじゃないんですか? 物語的なこととゆうか、自分たちの生きてきた時代というか。

塩田:僕らの世代がすごくオウムに親近感を持つのは、これは本当に後付けの理屈でしかないん

ですけども、70年代に至るまでの左翼闘争っていうのは一言で言うと「今ここを良くしよう」っていうことに尽きるんだと思うんですよ。で、オウムが発したイデオロギーっていうのは「今ここから離脱しよう」っていう。「今ここを良くしよう」っていうのがあってそれが無くなりました、敗北に終わりました。物事はなるように進んでいくのですっていうときに、「嫌だよねこの日本」「嫌だよねこの学校」「嫌だよね今の生活」「嫌だよね今の自分」でも、変えようって何をどう変えるの、何がいい世界なのって、時代は89年に向かって左翼闘争は世界的に崩壊して共産主義国家崩壊に向かっていく流れの中で、かといって右翼ってことで考えても戦後50年の決算が近づいてきて天皇制も変わり、平成って年号になってっていうとこで・・・。しらけ世代ってやつですよ、何やっても無駄だよって、でもここは嫌だよねって言ってる人たちが、ここではない世界があるっていうことを提示される。で、ここではない何かっていうのが僕なんかはたまたま映画だったんですよ。政治とも何とも関係なく表現でやるんだって、表現によって自分を救ってくっていうことだったんだろうと。で、それは案外簡単に「あの世」に置き替わると思いますし、何が悪で何が善かとか何が幸福で何が不幸かっていう価値観の民意の統一性が失せたら、全ては個々人の意識に還元されちゃうわけじゃないですか。その人がどう思うかでしか無いんだよねって、フィクションとしてもね。あらゆる価値観が曖昧化していったときに、最後に残ってくる軸は生死の軸しかないんですよ。今、『黄泉がえり』を含めたああいうファンタジー系の作品が当たるのは、結局ドラマがここにしか構築できないっていう、オウム以降の「今ここを良くしよう」が駄目で「ここじゃない処へ」っていうのも崩壊した後の迷走の過程で、でも時代は続いてるわけですよね、そこからずっと。その中で今人々が強くドラマを感じるポイントっていうのは、でも相変わらす生死なんだっていう。麻原の言葉じゃないけど「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対に死ぬ」っていう。世の中がどれだけ変わろうとこの一線だけは不滅だっていう。

森 :その離脱しようっていうのはある意味、終末思想ハルマゲドンから繋がってるってことは

さ、オウムが自爆したことでそういった欲求みたいなものが全部未消化で終わっちゃってるわけですよね。すると、より一層その衝動が強まってるって考えられるよね。

塩田:ただそれが、運動として結ばれないで個的な場所でプカプカ噴出してるって状況なんじゃ

ないですかね、今は。

 

siota3.jpegのサムネール画像

                      塩田監督独演会2

 

「興行」

 

森 :塩田さんに聞きたいのはね、やっぱりオウムってダメですか? 興行としては。

塩田:うーん・・・やっぱり、難しいなと思いましたね。

森 :何でかな? さっきの話だったら、まだみんなが燻ってるんであれば、むしろオウムに対

して違う角度からフィクショナライズした作品に対して、みんなが興味を示して当たり前だと思うけど。ただ、たぶん塩田さんも興行を通して感じたと思うけど、嫌悪感の方が強いでしょ、民意としては。

塩田:もうオウムから10年経って、例えばカナリアに出演していた13・4歳の男の子女の子

たちは、自分が生まれた頃の話でよく知らないけどそういうことがあったらしいですねっていうことですよね。まあ、これから学習していくんだと思いますけど、彼らは歴史を。どうなんでしょうね。オウムってことをそのまま題材にしても引きつけないですよね。

森 :単純に、やっぱり消費されすぎちゃったからかな、もう飽きたからとか。

塩田:っていうのは大きいでしょうし、やっぱりみんなが答え答えって言うのは、本当はよく解

るんですが

瀬々:それは、実際に言われたんですか?

塩田:言われます。本当はよく解るなって思うのは、彼らはオウムっていうのはものすごく重要

だって意識はあるんですけど知らない。テレビで放映されたことぐらいしか知らないんですよ。

森 :彼らっていうのは、若い人?

塩田:ええ。それに僕と同世代のある種の批評家達もそうですね。オウムは大問題だといいなが

ら、おそらく基礎文献すら読んでいない。オウムについて基礎的な事すら知らないのだから、それについてどう考えるべきなのかも判らない。でも意識としてはオウムは大問題なんだって。若い人にしてもそうですね。知ってるのは「大問題」なんだってことだけ。で、結局のところそういう人たちを相手に映画を作るとしたら、どういうものが受けたんだろうって考えたんだけど、要するにね、今オウムを見るんだったら自分が知らなかったオウムの主犯たちの、テレビで見たりしてても知らなかった部分を知りたいって、そういうことなんだよな結局、って思うんですけどね。批評家はともかく若いお客さんとかはそうなのかなって。

森 :いわゆる犯罪の裏側みたいなものを?

塩田:そうですね。

森 :たぶん無いんだよね、そんなもの。

ぼく最近拘置所によく行くんですけど、それはそもそも岡崎一明さんの面会から始まったんだけど、彼は死刑判決が確定しちゃったからもう会えなくて、その流れで早川紀代秀・広瀬健一・林泰男さん、みんなにあって、たまに手紙書いたりしてるのだけど、一番最初早川さんがチョコレート好きだって聞いてたんで、岡崎さんからチョコレート差し入れしたら喜ぶかも知れませんよって言われたから、まずチョコレートを差し入れしたんです、こっちの住所を書いて。そしたらすぐに礼状が返ってきて、それがなんか便せんにチョコレートのイラストが描いてある便せんなんです。で、それが僕が送ったのと同じチョコレートのイラストで、こんな便せんあるのかなと思ってよくよく見たら手書きなんだよ、自分で描いてるわけ。で、早川紀代秀さんはこうやって、チョコレートの絵を便せんの片隅に緻密に描いて、ありがとうって気持ちを込めてるんだなって。とっても大事なことだと僕は思うんだけど、それは伝わらないよね。メディアという流通機構では、絶対に隙間から零れ落ちちゃう。そういうところがね、本当は犯罪の裏側なんかよりも大事なことだと思うんだけど、そういうの出したって、オウムを擁護するなとか、答えになってないじゃないかって批判されるわけだよね。

 

mori3.jpegのサムネール画像

                 聞く瀬々監督 語る森監督 

 

「今後」

 

いまおか:95年から10年。この10年映画撮ってこられた実感と、今後各々どう映画と関わ

っていくかみたいなのを。どう思われますか?

瀬々:まあ、本数だけは撮ってる身として言うなら、そうですね、やっぱり、十年前の頃は時代

に影響されて世紀末っぽいことは考えてやってたけど、たぶんこう、なんていうのか2000年以降わりとポジティブ路線に進んだんですよ。ポジティブに生きること、決して希望は捨てるなとか生きろとか。ベタに言うとね。世の中は悲惨でも生きろみたいなことを言わんとしてましたよ。『東京エロティカ』なんかも必然的にはそうだったと思うし、そういうことをやってきたんだけど、また最近はちょっと雰囲気が変わって、もう一回もっと前の感じ、世紀末以前の、あえて言えば世紀とか、そんなあるゆる概念もご破算の時、果たして僕たちの生きている世界はどんなだろうみたいな、初めて産み落とされた子供が世の中をみるような感じはどういうことなんだろうっていうふうなことを、最近はやってるような気がしますね、自分としては。なんかそれが、今、今をみるんだってことが、それは勘なんですけど今撮るべきことのような気は、若干してる・・・僕は『カナリア』を見ても、なんかそういうとこがあったような気がするんですけど。オウムを経て、外へ飛び出した子供たちが旅の中ではじめて世の中に触れていくわけですよね。

塩田:そうですね、言われてみればね。 ・・・僕なんかは、常に考えることが映画と結びつか

ないんですよ、結びつかないけど影響関係はあると思うんですよね。いつも映画を撮るとき、こんな時代だからこの題材を選ぶっていうのは直感でしかないんですけど、で『カナリア』は直感外したのかもしれないんですけど。こういう時代だから、例えばオウムの時代だからオウムを選ぶっていうんじゃなくて、オウムが蔓延した時代とかオウムですらすでに忘れ去られてる時代とかに、何を投げかけたら面白いかってことを考えるんだけど、それはその都度の直感なんで自分が次に何選ぶのか分かんなくて、ただ、その何を選ぶのかってこととは無関係にいつも考えてることってのは、例えば最近だと、それは『カナリア』の影響から抜けてないのかもしれないんだけど、ネットで宗教勧誘は可能なのかってことを考えてるんですよ。テクノロジーの発達によって宗教の勧誘のスタイルなり教化スタイルっていうのが変わってくるって考えたときに、ネットっていうのが現にあるわけですよね。で、人間は宇宙人から生まれたっていう宗教なんかもあったりするじゃないですか。でも、ネットっていうのはこっちからアクセスしない限り・・・いや、向こうからもあるのか? スパムとか。いや、ちょっと考えてるだけで、だからどうこうじゃないんですけど

森 :僕は、さっき冒頭で言ったようにほとんど偶発的にオウムの映画を撮っちゃったわけで、

だからそもそもそんなに社会派でも何でもないわけでね。でもなんか社会派に位置しちゃったなっていうのがあって、だからすごく自分の中で反作用ってのがあるんですよ。『A』っていうのは、そういった意味では本当にモチベーションない中で作っちゃったんですよね。で、『A2』はちょっぴりモチベーションとちょっぴり野心が、要するに『A2』は僕は当たると思ってたんですよ、でも当たらなかったんで。そういう意味ではまあ、もう当たらないのは分かってるけど『A3』 は作らなきゃいけないって、それはもう生理的な義務感というか使命感というか、そんな感覚が自分の中にありますよ、今じゃないけどいずれ作らなきゃいけないって。そういうのと同時にオウムについてはもうそれくらいにして、あとは、もし映像をやるんだったら思いっきり恋愛映画とかね、『黄昏流星群』みたいなのを映画にできないかなって

塩田:監督主演で?

森 :(笑)。ああいう中年の老いらくの恋をね。そういった映画を作りたいですね。去年もテレ

ビで天皇のドキュメンタリーを企画して結局中止になっちゃったんですよ、で、もうテレビは2度とできないかなって。僕もやりたくないし、もうテレビの方も僕には声かけないないでしょうし。だったら後は、たぶん書く方が主にはなると思うけど、やっぱり映像はね、ずっとどっかで片足突っ込んでいたいし、いずれチャンスがあれば、全然社会派とは全く関係のない、たまに瀬々さんもやるみたいなそういう映画を作りたいなと思うけどね。

 

oumu3.jpegのサムネール画像

                 皆様ありがとうございました

 

圧倒されました。映画監督は、いろんなこと考え(こんなに考えて!)映画を撮ってるんだなあと打ちのめされました。感謝です!皆さんお忙しい中ありがとうございました。・・・わたし、ほとんど発言できなかったです。聞くので精一杯でした。

 

         (2005年6月7日 監督協会事務局にて  文責・いまおかしんじ)