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日本映画監督協会 会員名鑑

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1995・阪神淡路大震災を巡って

2005年06月16日

 <1995・阪神淡路大震災を巡って>

 

中川敬・大森一樹 対談 

      

           (聞き手・佐藤真 会場仕切り・成田裕介)

 

 

 

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大森一樹(おおもりかずき)さん         プロフィール

52年大阪市生まれ。77年第三回城戸賞を『オレンジロード急行』で受賞し、翌年同作品にてメジャー映画監督デビュー。80年京都府立医科大学卒業。83年医師国家試験合格。86年『恋する女たち』にて文化庁優秀映画賞、第11回日本アカデミー賞優秀脚本賞・優秀監督賞、受賞。88年文部省芸術選奨新人賞受賞。96年『わが心の銀河鉄道~宮沢賢治物語』にて第20回日本アカデミー賞優秀監督賞、受賞。05年より大阪芸術大学芸術学部映像学科、同大学院、教授。兵庫県芦屋市在住。

(公式HP http://www.firstwood.com/ 

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中川敬(なかがわたかし)さん          プロフィール

ニューエストモデルを経て、93年にソウル・フラワー・ユニオンを結成。95年の阪神大震災を機に、労働歌・民謡等を演奏する別動チンドン・ユニット、ソウル・フラワー・モノノケ・サミットも活動開始、02年5月東ティモール独立記念式典イベント参加、三度の大規模なフランス・ツアーの他、北朝鮮、韓国、ベトナム、フィリピン、香港、台湾などでもライヴを敢行。

(公式HP http://www.breast.co.jp/soulflower/

※当サイト新作インタビューコーナーに登場している、ジャン・ユンカーマン監督作品『映画日本国憲法』の音楽も担当。(*『映画日本国憲法』部分で新作インタビューコーナーにリンク)ソウル・フラワーの公式HPでは中川さんの映画評コーナーもあります。

                              

full shot_edited.jpegのサムネール画像のサムネール画像       今回の対談はいつもと趣を変え、大阪のとあるホテルのラウンジで行われました。

       左から大森さん、中川さん、成田さん、佐藤さん。

   

 

1995年1月17日火曜日午前5時46分、兵庫県南部を中心にした阪神淡路地域をマグニチュード7.3の大地震が襲った。25万棟の住家が全壊或いは半壊し、6千4百人以上の死者、4万人以上の重軽傷者が出た。大森さんも中川さんもそのとき、関西にいた。

 

1995 1.17

大森「そのときに芦屋の家に居て良かったと思ったね。ある体験というか。東京に居てて知りませんでしたっていうのじゃなく。そのときはひどい目にあったなぁと思ったけど結果からいうと居て良かった」

佐藤「中川さんはどちらに?」

中川「自宅にいました。大阪で飲んでて、夜中の3時頃帰って、まだだらだら起きてましたね、家で引き続き飲んでて(笑)」

大森「僕も3時頃まで起きてたのかなぁ、それで寝て...一撃が凄かった」

中川「何事かわからなかったですよね」

大森「とにかく何事かわからなかった」

中川「1時間ぐらいの間、ラジオとかテレビつけても震源地がわからなくて、あぁこれはもう東海地方壊滅状態やなとか同居人と言ってて...」

大森「俺もそう思ったよ。ここでこんなに凄いんだから東京はもっと大変だろうと。...結構1995年っていうのは...2005年が列車事故で、その十年前が85年で御巣鷹山でしょ、御巣鷹山もこっちに帰る便だったから関西の人が多くて、俺の友だちも一人死んだんやけど、生き残った人が芦屋の近所の人だったりして、あの当時は本当に阪神芦屋駅の付近で喪服の人が大ぜい歩いてた覚えがあるなぁ。だから十年に一回関西地方にある不幸というかな、十年、十年という。今年の1月17日が10周年、10周年記念いうておかしな話やけど結構あぁ十年やなぁと...(中川さんに)震災のときは何かいろいろやりはったんですか?」

中川「バンドを。出前ライブですね。ロック的な形態でやってたのを、避難所でやる為にもうひとつバンドをつくろうということで、それがちんどん太鼓とかコリアのチャンゴを使って、いわゆるアコースティックな形態で民謡とか労働歌とか昔の壮士演歌とかそういうのを...。ソウル・フラワー・ユニオンってのは基本的にロックバンドで身軽さに欠ける。この"ソウル・フラワー・モノノケ・サミット"は完璧に被災地で演奏するためのものとして始めました。避難所とか仮設住宅とか、呼ばれればどこにでも行くという形で。まあヒマなミュージシャンやったっていう事もありますけど(笑)」

佐藤「それは面白いですね、だいぶ呼ばれたんじゃないですか?」

中川「95年のアタマの4ヶ月くらいは二日に一日は神戸に居るって感じでしたね、あらゆる場所に呼ばれては、やってましたから。初めは何だかよくわからない訳です、そういう場所で演奏するってどういうことか。初めは不安なメンバーもいたんですよ。でも行ってみるとどこに行っても盛り上がる。ようわからんけど、これは続けたらええんと違うかって。そんな感じでしたね初めの半年は」

大森「映画なんて無力ですよ。やっぱり音楽ってその場でやってわーっとなってカタルシスがあるけどなんていうか震災復興上映会なんてなんとなく、ね...」

中川「ただでもね、俺はやっぱり映画人たちがどうして神戸のドキュメンタリーをね、何でやらないのかって不満はずーっとありますよ、神戸にずっと関わってるとね。50本くらいあったっていいと思うんですよ。人の数だけ"ドラマ"はあると思うしこの十年間というものは...(大森さんに)これやりましょう!」

佐藤「大森さんの中では震災体験と自分の映画表現というところは?」

大森「なんかね、見るもん見るもん凄いものを見てるわけじゃない?ビルがひっくり返ったりさぁ、ウチの横が阪神高速倒れてたから、日常的に横通ってこれ凄いなと思う。何やろうね、カメラで映すとかそういうあれになれへんのよね意外に。だから外からドキュメンタリー撮りに来られたりして、あぁやっぱり外からだと撮れるんだなという感じはします。自分で撮るのが嫌やとかそんなものと違うて湧き上がらへんのよ、撮ろうという力が。見てるだけで充分いう...はあ凄いもん見てる、いう...あれは何やろうね」

中川「まあ俺らは余所者の...ミュージシャンって余所者でしょどこに行っても、その余所者の良さを生かせるかどうかって感じでしたね、神戸に行くっていうことは」

大森「何かそこらへんが報道と僕ら劇映画の人の違うところかな。結局ね、自分らが映像とか映画をつくってるのは自分たちが観たいからつくってるのやなっていう。見たものを人に伝えるのは報道。自分の観たいものを撮ってる者としてはもう見てるからええやんっていう、ホントのものを。そういうのに近いかな。怖くって(カメラを)回せないとかあまりにも身近過ぎて回せないとかそういうんじゃなくて...自分の観たいものがそこにあったらもう撮ることないっていうのかな...」

中川「わかりますね。俺らが神戸でやる"モノノケ・サミット"の形態でやるときは、いわゆるオリジナルの曲っていうのはあまりやらないんですよ。<満月の夕>一曲だけ勢いでできちゃって、あまりに皆が気に入ってくれたからそれだけはやるんですけどね。本当に民謡とか壮士演歌とか労働歌や革命歌そんなのがレパートリーで、オリジナルを被災地でやりたいとはあまり思わなかったですね」

大森「自分が聞きたいかって言ったらなぁ...」

中川「そこにいるお爺ちゃんやお婆ちゃんらといい時間を過ごすことをやろうということで。初めの頃は電気もなかったからメガホンとか使ってやってたんですけど、八十くらいのおばあちゃんが近づいてきて「お兄ちゃんホント懐かしかったわー!」とか言うんですよ。で俺は<カチューシャの歌>とか<アリラン>とかそういうじっくりとした歌のことを言うてるんかと思ったんですよ、でも話を聞いたら「毎日昔ねぇ<インターナショナル>歌ってたんよ」って(笑)そういうのあるんですよ、それが面白くってね」

佐藤「いい話だね(笑)」

中川「そこで自分のエゴの塊としてのオリジナル曲をがなる気は俺にはなかったですね。それからまあ神戸だけでなく寄せ場とか障害者のイベントとかでもやるようになって...オリジナルって何やろうかとか創作するって何やろうかって凄い考えさせられるようになった。なんで曲をつくるんやろ、新曲って何やろうってね。いまだにありますよ俺の中には。...まあ印税が入るってことですけどね」

(一同大笑)

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佐藤真(さとうまこと)さん プロフィール

57年青森県弘前市生まれ。東京大学文学部哲学科卒業。85年、各務洋一監督のもとで助監督。のちフリーとなってPR映画、テレビ番組を数多く手掛ける。88年から92年にかけてつくりあげた『阿賀に生きる』で、芸術選奨文部大臣新人賞他多数受賞。他に『まひるのほし』(98年)『SELF AND OTHERS』(01年)等。96年(有)カサマフィルム設立。映画美学校主任講師。京都造形芸術大学教授。

 

《何を見たか 何に出会ったか 何ができるか》

大森「何でもありやったもんな、あの頃」

中川「言い方は微妙やけどホントに治外法権的な空間があったんですよ、神戸は。アジールというか。路駐してて警官とか来てもみんなゼンゼン気にしない...ごちゃごちゃ言わんと早う向こう行けボケ!(笑)」

大森「警官が横にいても平気で50cc二人乗りして歩道走ってた」

(一同笑)

大森「報道と現場のギャップっていうのを感じてたね...それでギャップがあったときにどう考えるかだよね私たちは。ずいぶん違うことがいっぱいあった」

中川「神戸に初めて入ったのが2月10日なんです、それまでは連日寝る間も惜しんでテレビを凝視してました。隣町大阪に住んでて、どっかやっぱり他人事なんですよね。ウチの女性のメンバーの一人1月末頃に「だらだらテレビ見てへんと神戸に行かへん?」とか言い出したのが実はキッカケなんですけど。絶対避難所のオジイ・オバアには娯楽が必要になるからって。で2月10日。機材車のバンで行って。芦屋ぐらいまではメンバーも結構喋ってたんですよテンション上がって。今日はあの曲やろうかこの曲をやろうかって。でもだんだん口数が減ってきて...でコーヒーでも買おうかってコンビニで車を停めたときに横に瓦礫があって、そこにタイガースのメガホンが転がってたんですよ。お婆ちゃんが本当に悲しそうな顔をして家財を片付けてたんですよね。壊れたピアノもあって。...瓦礫の中のタイガースのメガホンを見た時に初めて現実感を伴って"震災"がきたって感じで。それまでの三週間、寝る時間も惜しんで震災のテレビを見てたけど...メガホンの一瞬ですよ、迫ってきたのは」

佐藤「テレビの映像はメガホンを撮ってないんですよね。もっと凄い瓦礫の山ばっかしをずっと繰り返し撮ってる」

中川「西灘の方の養護学校が避難所になってて、そこでその日に初めて演奏をしたんですけど、俺らはやっぱり緊張してたわけですよ。一応ロックバンド。それまでは人前でやってなかった民謡とかをやる訳やし、大丈夫かなって音楽的な緊張感もあったし、しかもいきなりそういう非常時の場所でやること自体にも緊張感があって。ところがやってみると、そこにいる生活が大変な人たちの言うギャグとかが凄くブラックだったりとか。何かトンでもないんですよね、おばちゃんとか子どもたち。サングラスかけてアコーディオン弾いてるウチのメンバーのところに子どもたちが寄って来て「お兄ちゃんお兄ちゃんサングラス取ってみて」って言うのでサングラス取ったら「やっぱりヘンな顔やなー」とかね(一同笑)ガキが元気でね、「おっさん古い歌ばっかりやらんと<リンダリンダ>やれー」とかって、俺も演奏終わった後に卍固めとかかけたりしてね(一同笑)ああいう非常事態の場所でそういう笑いがあったりするその感じっていうのは絶対に報道とかで流れないし、でも実は見落とせない重要な光景であったりもする。全てを見ていくのは不可能やけど、そういったものを見ていかないと結局本質がわからないと思うんですよね、そこで何が起こっているのかって。それは戦争的な現場であれ何であれそうやと思いますね」

佐藤「それはとってもよくわかるなぁ」

中川「長田の方でも俺が聞いたのは「火事広がったのは行政のヤツが火をつけて回ってるんや」とかね、そういうギャグを言うわけですよ、なんか(笑)「再開発したいヤツが火つけて回ってるんや」(一同笑)すごいブラックでしょ。そこにあるのは怒りです。でも多分映画とか音楽とか一緒やと思うんですよ。そういう部分をいかに拾い上げることが出来るかってことにかかってると思いますよ。ちょっとタブーに触れなければいけないっていう、そんな局面もありますよね」

 

《オウム×震災 そして 武士×農民》

中川「95年はオウムのサリン事件もあって。仕事上しょっちゅう東京に行くでしょ、ライブがあるから。とにかく皆オウムの話しかしないんですよね。こっちは震災でアタマがいっぱいになってるからテンションギンギンで震災の話をする心の準備で行ってるわけですよね、東京に。でも「あぁそー、タイヘンだね中川クン」みたいなね」

大森「まだ言うてるんですか、みたいな」

中川「どうも雰囲気はオウムなんですよ。あれは凄い奇妙でしたね、95年は。こっちはオウムって全然ピンとこなかったから」

大森「やっぱり首都なんよ。首都の事件の方がやっぱり凄いわけよ。大きいわけよ。大きさで言うたらって、まぁ変な話やけど、死んだ人間の数やったらこっちが大きい。でも東京が災害を受けたっていうことの方が凄いんよね。ずーっと地方は...大阪も地方やから(そういう感じを)抱き続けているのよ。そういう違和感っていうのは、東京中心の報道っていうかなぁ。じゃあ東京が地震に見舞われたらどないになるんやろうと思うよなぁ。っていうか終わりやな、もう、発信できなくなるし」

中川「それもあるし震災とオウムを比べるとね、為政者が使い易いネタはオウムですよ、やっぱり。強化できるわけですよね、管理を。震災はやっぱり、国家何をやっとるんじゃという内容やから、そんなにやりたくないですよね、それは凄くあると思いますね。オウム以降でしょ、有事の際の危機管理がどうのこうのという言い方が出て来たの。これ為政者にとって都合いいですよ、だからやられちゃった訳ですよ、完全に。俺はそういう感じですね。95年というのはマスコミ的には負けちゃった感じ。オウムに震災が。被災地では、国家なんて関係ないわい、関係ないというよりむしろ、邪魔をするな俺らが自分たちでやるわいっていう声が凄くあったでしょ。冷たくなって固くなったおにぎりを皆で分け合ってるっていうような瞬間がたくさんあったんですよね、神戸で。これはもうちょうど逆ですよ、オウムと震災とでは。相互不信を植え付けたオウムと、人間の良心が立ち上がってきた震災」

佐藤「凄くよくわかりますね。何か外から見てても、川で洗濯してたりとか映像で出てきたじゃないですか、何かすごくいいなぁって感じがするのね、震災の後ってね。川を発見したって感じがあるじゃないですか、震災後に。ああ川があるじゃないかって、そこで井戸端会議みたいな感じでおばあちゃん同士が喋る、今まではマンションで一人一人個室に住んでた年寄り同士とかおばちゃん同士が会話をしてるっていうのは何となくわかりましたよね。東京は逆ですもんね。そういうのを兎も角どんどんオウム以降排除してきた」

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           急遽会場セッティングで助っ人をお願いした成田常務理事。

           宝塚造形芸術大学教授。宝塚に向かうため、ほんの少しずれていたら

           尼崎のJR西日本列車事故に遭遇するところだった。

 

大森「俺なんかは地元民やったわけでさ、自分のマンションが潰れていろいろ取材に来るやん。来て本当にNHKの人なんかウチに上げたりとか、近所にテント張って居てたから寒いやろうってマンションの人なんかが時々メシ食わせたりとかしてて...東京から来てたそんな連中、ええ人たちやったけどやっぱり帰っていくんやな。『七人の侍』でいうと、初めて俺らは農民になったなあっていう感じやったなぁ」

(一同大笑)

佐藤「なるほど、今までは武士だったからね」

大森「撮影の作業っていうのはやっぱりサムライ側なんやな。初めて農民になって、武士が去っていくところでエンヤトットエンヤトットってこっちでやってるんだなって、ホントに感じたな」

中川「そう、だからこそヒャクショウの映画とか音楽とか必要なんですよ、日本に。サムライでやってきてるからダメなんやと思うけどね、映画も音楽も、俺は」

大森「東京っていう街って、そういう意味では、半分くらいの人に帰る所があるじゃない」

成田「まあ田舎モノの集まりだからね」

大森「いや田舎モンて言うたらいかん、武士の集まりなんよ。農民が居れへんのよ、東京には。そういう意味じゃ。江戸っ子って言われるあれだけが農民でさ。もう何百万人の侍が居る街。東京に震災が起こったら皆サーッとじゃあさよならって帰っていくんだろうなって感じがするね。実際東京農民が残ったときに、山手線の内側だけでどうなるんやろうっていう...」

佐藤「いま中川さんが音楽も武士だって仰ってたけど"モノノケ・サミット"とかで追及されてるのって農民の歌じゃないですか」

中川「農民の歌というか民の歌ですよね、著作権も関係ないし。その辺のおっちゃんおばちゃんからリクエストされると、そこで出てくるのは歌謡曲とかでもギリギリひばりちゃんとバタヤンなんですよ。ああいうときに聞きたい歌って何やねん、みたいな。あとやっぱり民謡ですよね。神戸は在日コリアンも多いし。<アリラン>ばっかり一日五回やらされたこともありますよ(笑)多分この100年間で日本列島で一番歌われた歌は間違いなく<アリラン>やと思うんですよ、延べの回数にしたら。でもNHKの『20世紀の100曲』にはそういう曲は入らない。世界規模では<インターナショナル>、関西地区に限定すれば<六甲おろし>やと思いますけどね(笑)一時<六甲おろし>と<インター>をメドレーでやってたんですよ、地球上でそれが出来るのは俺らだけやから」

(一同笑)

 

《芸能×アート そして 中川×大森》

中川「俺らにとってはいい経験でしたよ。勿論震災なんて起こらなかった方が良かった事ですけど。歌わないとわからないんですよ、演奏しないと。聞いてるだけやったら<アリラン>の本当の良さがわからなかったと思います。歌ってみるとわかるんですよ本当の<アリラン>の凄みが。みんな歌いたくなるわ、これはって。それまでとはあまりにでかい差ですね。それまでメジャーのレコード会社から出してて、やっぱりね、アーチストやったんですよ。何か、わかるヤツだけわかればいいみたいなね。もちろんそういう個人主義的なアートっていうもんも絶対大事やと思うし、今後も。でもね、世界中に世代を越えて共有できる歌があるんですよ。トラッドです。どこに行ってもあるんですよこれは。勿論どこでも世代間闘争はあります絶対、でも必ず一緒に歌える歌があるんですよ。それを失くしちゃってるんですよ、日本は。ポイントはそこやなぁと思いますね、俺は」

大森「世代を越えて言うてたけどね、この年になってくると、歴史を越えてっていうふうになってくるのよ。世代とは言わんようになってきたのよ。歴史的に歌われてるという...50年歌われたらもう歴史ですよ」

中川「だからそういう曲から学びたいなあって変わりましたね、意識が」

佐藤「それはやはり"モノノケ・サミット"を震災後にやったことが大きかったのですか」

中川「いやもう相当にデカイですよ。完全に音楽観が変わっちゃったから、神戸で。アートなのか、芸能なのか、みたいなことで。俺の中ではパンクみたいなことから始まってるから、芸能という言葉はダメなものやという事から始まってるでしょ、芸能界という言葉があるくらいやから。神戸でやるようになって、俺がやりたいのはアートじゃなくって芸能やなぁと思ったんですよ。だから芸能って言葉が形骸化してダメになってるとしたら俺が作る、作り直す、みたいなね、そんなことをギャグでよく言ってたんですけど、95年頃」

佐藤「それは僕も自分でドキュメンタリーをつくっていて、アートだなあって思ってるんだけども、いやわかる人にわかればいいって思ってるところがどっかであるんだけども、大森さんなんかは今、芸能じゃないですか?」

大森「うーん...境地としては、ね」

(一同大笑)

中川「おもろい芸能をやった方がええですね、やっぱり表現者は」

大森「音楽はええのよ」

中川「いや一緒ですよ」

大森「あのねぇ、身体で感じるとか、音楽はそういう体感の部分があるからいいんだけど映画ってやっぱりお脳を通過するじゃない、そうするとバカなヤツばっかりになってくると、もういいやっていう感じになるのよね。最近の悩みですね、映画っていうのは体感じゃないからなぁ。だから音楽って羨ましいと思いますよ」

成田「でも70年前後の映画館ってかなり熱気があったよ。健さんが最後に池部良と向かい合ったりしてる中で「健さん危ない後ろだ!」とかってコヤの中で叫ぶオヤジもいたりしたからね。素直に体感できる部分もかろうじてあの時代はあったような気がするんだよね」

大森「だからそういう時代やないんや、映画が」

中川「いやいやそう言わずに(笑)でもDVDっていうのもアリやと思いますよ。俺はよく「映画館で観てくれよ」とか豊田(利晃さん)なんかに言われるんですよ。「いや俺は面倒くさいから家で観んのや」とか言うんやけど(笑)」

大森「俺もどっちかっていうとその方が昔の映画館に近い感じがあるんとちゃうかなあって思うね。ワーッとか言えるし平気で」

中川「やっぱりビールでも飲みながらタバコも喫いながら観たいわけです、ライブでも映画でも何でもね。俺がDVDで家で映画観るっていうのは凄い自由な空間なんですよ」

佐藤「僕なんかはドキュメンタリーをやってて自主上映なんてのをやってたんですね昔。頼まれもしないのに自分で16ミリ持って回るわけですよ。水俣の映画、助監督の時に1年くらい東北、北海道を回ったんです。そういうときに、泊めてもらった家でね、やることないじゃない?(笑)泊めてもらってもこっちが持ってる芸は一本の映画しかないわけですよ、でその家の襖かなんかに上映する(笑)お客さんっていったらそこのばあちゃんと孫しかいなくってさあ。佐渡の人が九州の水俣病の話なんか観たくないですよ。芸能の対極にある映画。だけどお客が誰もいないから、しょうがないから観る。観てもらったらね、インタビューとかで喋ってるじゃないですか画面の中で、その人に向かっていちいち頷いてるんですよね、そこんちのばあちゃんが。あんたたいへんだったねぇ、とか言って対話してるわけ。それ見てね、映画って面白いもんだなあって思って。それから僕は実は本当にドキュメンタリーをやろうかなって思ったのね。映画って力があるんだなあって思ってね」

大森「ライブとかに来て欲しいって思うじゃない、音楽は。家でCDとか聞かれるより。逆に最近映画はDVDで見てもらった方がええいう感じがあるけどね、俺は。そういうこと言うとなんかすごい映画の敵みたいに言われるけど(笑)」

中川「CDでも良い訳です。誰も彼もがライブハウス的空間に合うとは限らないし。障害者の人もいて、なかなかライブでは見にくいとかいう話があったりとか。だからCDでもええよって思います。映画館でなければいけないなら映画館をホントに誰でも来れるような面白い空間にしないと」

佐藤「物を食ったり酒を飲んだりできるような映画館ってのも必要なんだよね」

中川「映画館でもコンサートホールでも子どもが騒いだりするとシーッて言うのがこの国の文化状況でしょ」

佐藤「アートになっちゃってるのね」

中川「うん、アートになっちゃってる、立派な」

大森「マジメなんやね皆、人様が一生懸命につくったもんをそういう格好で観たらいかんいう」

中川「俺らは自分でライブをやってるときに、静かな曲で子どもが騒いだりしたらええと思いますよ、もっと騒げと思います。子どもの方がわかってるのちゃうかなと思う。俺の音楽を。そういうふうに受け止められます」

大森「酒を飲みながらDVD観てたら最近覚えてないことが多いなぁ」

(一同大笑)

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中川「映画の製作ってよくわからないんですけど、どうしてもスターから選ぶじゃないですか、主人公は。俺、日本映画の不満はそれなんですけどね。CMタレントが出てくる(笑)俺はもう観る気がしなくなる。その辺のシロウトの人間を使うのは難しいですか、映画って? 今回(大森さんの映画を)3作観せて貰って、有名人が出てくる訳ですよ。で生活観のない顔をしとる訳ですよ。批判してるみたいやけど、まあ俺の感想ね。観ててちょっとしらけちゃうんですよね。で、もっとその辺のヤツらを一作一作オーディションしてね、毎回違うシロウトを主人公で使うとか...」

大森「どっかさ、映画ってのは、もう、お金がかかる訳じゃない」

中川「集客のことを考えてスターを使うということですか」

大森「こっちが集客っていう言い方するんじゃなくて投資する方。投資してもらう訳やんか、映画に」

中川「配役はプロデューサーが決めるみたいな?」

大森「いや投資するときの見せ金ですよね。やっぱりこの人が出てるってことでないと投資してくれないというのはあるよ」

成田「ハリウッドのスターシステムなんかはね、スターだからこれだけ稼げるはずだってところから映画がスタートしちゃってる訳だから」

中川「ハリウッドはだからギャグにしかならないですね。俺ら映画好きにしてみたら全部ギャグですよ、あんなのは」

大森「俺らの不満なのは、現実この人が出たからっていってハリウッドのスターと違う訳やんか。ハリウッドはホントに来るからね、客が。そりゃお金を取ってもいいと思うよ。世界中でやる訳やし。日本の映画ってこの人が出たからってことだけでは客来いひんやないか。それで投資の基準になるんや...いうのが凄いあるね」

中川「だから大森さんくらいの売れっ子の監督やったらもっと出来るんちゃうかなと思うんですよ。スター使わへんとか。その辺はどうなんですか」

大森「いや監督に投資するということはあり得ない訳ですよ、日本で。この監督がやりますからっていって、じゃあ1億円出そうなんてあり得ない」

中川「1億かかりますか、映画をつくるのに。何とか500万くらいでできませんか、俺らのアルバムみたいに(笑)」

成田「そのぐらいでつくっている人もいます」

中川「1億円あったら10枚名盤つくれますね(笑)羨ましい」

大森「10億円集まったら10本作りたい」

中川「映画の現場は、俺は監督ってものがすべて決めてるってイメージがあるんですよ。映画ってどうしても。監督の名前がボーンと最初に来るから」

 

《映画、ホントに好きやから》

中川「顔が奇麗過ぎますよ日本の俳優さんは。顔が奇麗過ぎ。俺がなぜ映画を観るかと言えばいろんな顔、カッコよく言ったらいろんな文化ですよね、いろんな顔が見たくって俺は映画を観てるんですよ、きっと。いろんな人生が刻み込まれたヘンな顔が見たいんです(笑)そのいろんな顔が見れないから、多分俺は日本の映画をあまり観ないんですよ」

大森「いまホントに情けないのは、本当に面白い脚本、本当に面白い企画って誰もわかれへんのやないか...ホントに客の入る俳優ってのもこれもわからへんから困ったもんでな。実は誰もわからへんのよ。それらが全部わかっているプロデューサーにつけばホントに従いますよ。よく監督がキャスティングしないんですかって言われるけど、本当にいいプロデューサーが来たらプロデューサーがキャスティングをやった方がいいよ。映画全体がわかってて。ホントに信頼する人だったら聞くけどさぁ...」

中川「音楽の話と似てますけどね。以前民謡とかやり始めた頃、ロック業界としては、もっとロックをやれ中川、ロックをやれという話になるんですよ。そういうボーダーがありましたよ。俺はまぁどうでもいいんです世、ある種自分のやってるのこそが面白いロックやと思ってるから。でもメジャーのレコード会社と契約するかどうかということは、お金を出してくれるプロデューサーがいるかいないかって話でしょ。だから契約できる会社がなくなりましたよね、99年ぐらいから。で、そっからインディペンデントでやってるんですけどね」

佐藤「自主レーベルなんですか」

中川「自主レーベルです。ゼンゼン健全ですよ、こっちの方が。制作費は5分の1になりましたけどね(笑)」

佐藤「いま、自分たちの身辺的なドキュメンタリーを撮ってる連中が増えてるんです。特にまったくワタクシ的な問題ね、引きこもりの事とか過食症・拒食症、自傷、自殺サークルとか今の抱えているさまざまな問題についてすごくプライベートな感じでビデオ1台で撮ってる連中は増えてきてる。そこにはね、多分中川さんが見たいといういろんな顔がありますよ」

中川「ただ劇映画で観たいんですよ。そういうもので泣いたりしたいんですよ、感動したり(笑)」

佐藤「ああ...まさに芸能...」

大森「それもこれもね、映画って金がかかり過ぎるのやなあ。何でこんなにかかるんかと思うくらいにかかるんや」

中川「いつか映画が撮りたいです。映画、ホントに好きやから」

 

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当サイトでは初めて今回、「監督」以外のゲストに加わっていただいた対談になりました。しかも対談のテーマに関わる大阪での初対面(お二人とも現在も関西在住です)。中川さん、大森さん、お忙しいところありがとうございました。中川さん、映画を撮られたときは是非監督協会にご参加下さい。お待ちしております。

 

  ソウル・フラワー・ユニオン公式サイトへのリンク

 http://www.breast.co.jp/soulflower/

  (中川敬さん独自の視点による映画論も展開されてたりします!ぜひ!)

 

  大森一樹公式サイトへのリンク

     http://www.firstwood.com/

       (文責・福岡芳穂)