このページの先頭です


特集

日本映画監督協会 会員名鑑

エッセー

第3回 『表現の自由』

高橋伴明  「在日」のともだちに

高橋伴明.jpg韓国政府が9月中にも日本大衆文化の第4次開放措置を発表するらしい。立前としては一般映画は既に全面開放されていて、国と国との壁はゆったりと崩れていくようで結構なことと言わねばなるまい。
そうした流れの中で私にはもっと早く崩して欲しい壁がある。日本国内の映画製作における、在日韓国・朝鮮人と日本人との壁である。尤も私だけが見えてしまっている壁かも知れないが。

先般、私は「日本映画監督協会新人賞」の選考委員をさせて頂いたが、キムさんが選ばれたことは、皆さん既にご存知のことと思う。私にとっても一推しの人で「しゃんしゃん」ではあったのだが、またぞろ、その壁が目の前に現れたのだった。

キムさんだからこそ、この『夜を賭けて』が映画化できたのではないだろうか、と。それは、日本人監督によるものであったなら映画はできなかったのでは、という思いと同じ意味だ。

なぜ、できなかったと思うのか。プロデューサーはきっと言う、『なぜ、日本人の君が「在日」の世界をやりたいのか、やらねばならんのか、メンドウなことはやめようよ』 「在日」の人たちはきっと言う『日本人に自分たちのことを、あんなふうに描かれたくないよ』

もっといっぱい理由はあるが、要するに、日本人には「在日」のコトはわからんのだ、ましてその上に『悲しみの』とか『怒りの』と付けばなおのこと、という前提を「在日」の人も「日本」の人も共に持っているということだ。そして面白いことに「在日」には日本のコトはわからんのだ、という逆の前提は無い。かくして「在日」の「在日」による「誰か」のための映画ができあがる。

広報委員の福岡さんから『表現の自由』について書けと言われ、それは『表現の不自由』を書けということであろうと、こんなことを書いてみたが、ここまできて正直どうでもよくなってしまった。壁だと思うなら、誰かがそうしてきたように穴を空けるなり、よじ登ればいいことなんだと。

小学6年の時、「在日」のハルちゃんに恋をした。ハルちゃんには、チンス、ブンス、カンスという兄弟がいた。私は彼らにフクロにされた。なんでこんな目に合うのか、チン、ブン、カンだった。それも、どうでもいいこと。


03-301.jpg 03-302.jpg 03-303.jpg

高橋伴明


49・5・10生 奈良県

69早稲田大学に入学するが、第二次早稲田闘争に参加。学籍抹消。72「婦女暴行脱走犯」で監督デビュー。以後50数本のピンク映画を監督。(映)82「TATTOO(刺青)あり」91「獅子王たちの夏」93「獅子王たちの最后」94「愛の新世界」95「セラフィムの夜」96「迅雷」98「大いなる完」01「光の雨」(V)「ネオチンピラ鉄砲玉ピュー」