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特集

日本映画監督協会 会員名鑑

エッセー

第4回 『役者』

堀江 慶 「役者」について思うこと

堀江慶.jpg 私は今、ある舞台の稽古に参加している。役者として、しかも初主演だ。監督協会員で映画に友情出演する人はいても舞台に出演する人は稀なのかな、なんて考えてみる。
僕のキャリアは俳優からのスタートだった。でも、いわゆる異業種監督というやつで俳優としてのキャリアを積み上げて華々しく監督デビューしたわけでもなく、仲間内の自主映画で俳優をたまたまやっていて、何となく俳優を続けているわけでもない。監督の仕事も、俳優の仕事も分け隔てなくプロとしてやっている。とにかく日芸の卒業製作を35ミリで撮ってから、俳優、監督の二足の草鞋生活が始まった。


 だからか分からないが、人からよく「器用だね」と言われる。でも、僕にとっては全てが当たり前だった。忙しくなってきて、俳優を辞めて監督一本でやって行こうと思った時期もあった。諸先輩方も皆そっちの道を勧めてくれた。しかし、最近俳優をやっている利点の方が多い事に気付いて、このまま忙しく生きていこうと決めた。どっちも不安定なら両方やってないと食べていけないのも一理ある(笑)さて、その利点とは当たり前だけど、僕にとっては盲点だったことである。それは『映画も演劇だということ』に他ならない。

 今、専門学校で週に一回講師としても教えているが、この当たり前の事をあまり知らない生徒が多い。役者は誰でも癖があるし、常に演劇は生物で変化する。とにかく奇麗ごとではすまされない泥臭い世界なのだ。それを作り込んで切り取るのだという事にあまり意識がない。ビデオで手軽にきれいな風景や、何となく人物を映しているがそこにほとんど感情は見えなくなってきてしまった感がある。感情を掴み取る力が不足しているのではないか?また、役者のほうも「ナチュラル」という武器を手に、とにかく鍛錬を怠っているのではないか?そんな疑問に陥る。年配の商業演劇を経験された世代の役者と、若い自主映画系の役者の芝居の差はそこにある気がする。演じる感性が違うのだ。どちらがいいとは、ここでは言い切れないがそこはやはり人間関係の基本である、会って話すというコミュニケーションの不足が根底にあるのではないだろうか。

 それは監督と俳優の関係についても当てはまる気がする。ちゃんと演技を分解して一から説明する監督もいれば、俳優の出してきた物を信頼して切り取る事に専念する監督もいる。これもどちらがいいなんて一概には言えないが、ただ明らかに間違っている芝居、間違ってないのだが鼻につく芝居、ナチュラルすぎてもっと感情表現が必要な芝居など微妙な演劇的能力を必要とする場で、「違う」と言うだけでなく、「ここをこうすれば直るよ」と言ってあげて、もしくはやって見せてあげることが必要な気がする。僕は口よりも、まず自分で芝居をやって見せてしまう事が多い。そのほうが役者も分かり易いと言ってくれる。だから、役者が悩んでいる時、自分が役者だからこそ、何が言えないのか?何が言いたくないのか?緊張で動きがぎこちないのか?テストを重ねる事が辛いと思っているのか?などが手に取るように分かるのだ。


 演劇、そして役者はとても泥臭い世界だ。どっぷり漬かるとものすごい疲れる。若い映画人代表として、最近の映画の持っているスマートなイメージが崩壊するぐらい、映画は演劇なのだということを声を大にして言いたいと思う。それと立ち向かい、僕もまた自ら演劇に毎日どっぷりと漬かっている。



堀江 慶(ほりえ けい)


俳優、映画監督。2001年日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。劇団東京乾電池を経て、在学中 から俳優としてテレビや映画、舞台と数々の作品に出演。東映系作品「百獣戦隊ガオ レンジャー」でガオイエロー、鷲尾岳役を好演。注目を浴びる。また、監督しては35 ミリ長編初監督作品「グローウィン グローウィン」は、日芸の卒業制作としては異 例の規模で制作公開され、バンクーバー国際映画祭でスペシャルメンションを受賞。 主な監督作品に加藤紀子主演CX「ハローランド~ハッピーゴーゴー」、中澤裕子主 演CX「ハローランド~東京美人~」、桜井翔主演CX「演技者。~蝿取り紙~」。 最新作は2本立てホラー「渋谷怪談」、「渋谷怪談2」、高野八誠、市川実和子主演 の「月夜美戀」がある。