第4回 『役者』
熊井 啓 「スターと役者」
最初、映画やテレビで名前のとおった俳優たちから探しはじめたが、彼らでは観客に新鮮な感動を与えることは出来そうになかった。それで劇団や俳優事務所の新人の顔写真を眺めながら何度か検討し、オーディションもした。しかし理想的な新人は一人もいなかった。そんなある日、スタッフの一人が、劇団「円」に有望な新人がいるという情報を伝えてきた。私は彼にさっそく会って見ることにした。
昭和六十年九月下旬の午後、渋谷の東武ホテルで待ち合わせた。私たちがレストランの椅子に座ると、すぐに彼が入ってきた。長身で足取りも軽やかであった。ある雰囲気を備えており、表情に若者らしい輝きがあった。それを見た瞬間、私は主役に決定した。彼と向かい合って話しているうちに、近い将来、必ず大物「スター」になる気がしてきた。――渡辺謙である。
私がそう思ったのには、それなりの理由があってのことだ。昭和三十一年ごろ、私は日活の助監督であった。ある日、撮影所の雑踏のなかを大股で闊歩している長身の若者の姿に、思わず目を見張った。無名の石原裕次郎であった。またある日、やはり無名だった二谷英明、宍戸錠、小林旭、そして赤木圭一郎をみてはっとした。
渡辺謙と出会った瞬間に私が感じたものは、こうしたスターの卵だけがもっている独特の雰囲気であり、人を引きつける魅力であった。これは女優の場合も同様である。日活で新人としてスタートした浅丘ルリ子、笹森礼子、吉永小百合、和泉雅子、山本陽子がそうであった。
石原裕次郎のデビューに関しては様々な伝説があるが、古川卓巳監督の話によると、キャメラマンの伊佐山三郎氏は「太陽の季節」の撮影のとき古川氏に、「ちょっとキャメラを覗いてごらん。あれは、とんでもない大物になる。阪妻さんの再来だ。僕は保証するね」と、言ったそうだ。田坂具隆監督も、いち早く裕次郎の才能を見ぬいて「乳母車」の主役に抜擢し、続いて三本撮った。
このように無名の新人がスターとなるためには、独特の魅力が必要である。それを華とかオーラと呼ぶ人もいる。
若い頃にスターであった人でも、年輪を重ね、ベテランともなると、いつしか「役者」と呼ばれるようになる。なかにはそう呼ばれることを誇りに思うスターもいる。本来、役者とは、舞台に上がって、どんな役でもこなせることを職業として習得した人の意だからだ。
「黒部の太陽」では、三船敏郎、石原裕次郎を中心に、超ベテランの「役者」たちをキャスティングしてみた。滝澤修、宇野重吉(新劇)、柳永二郎(新派)、辰巳柳太郎(新国劇)、志村喬、佐野周二、高峰三枝子――。撮影の現場は、彼らの戦いの場となって、火花が散った。
一例をあげると、「黒部の太陽」の箱根・石葉亭ロケの際に以下のようなことがあった。
キャメラをすえ、ライティングをすませ、柳永二郎、志村喬、佐野周二、山内明、三船敏郎といった大物「役者」たちが所定の位置につき、テストを始めようとしたところ、滝澤修氏だけがいくら待っても現われない。不審に思いながら一休みしていると、床山(役者・力士の髪を結ったり鬘(カツラ)をつけたりする人)が、蒼白な顔で入ってきた。
「すみません、滝澤先生の鬘を間違えてもってきてしまいました」
「ええッ」
一同、驚き、声をあげた。
「間違えたって......、どういうことだ」 と、助監督。すると床山氏は、
「鬘は、滝澤先生のご希望で二つ作りました。一つは、工事にかかる前のもの、A型(タイプ)。もう一つは、破砕帯で苦労して白髪がふえてきた時のもの、B型(タイプ)です。今日のシーンはB型でなければならないのに、A型を持ってきてしまいました。申しわけございません」
鬘がなければ仕事にならない。そこで東京に電話して至急持ってきてもらうことにした。ところが、四時間待っても、東京からの車が来ない。一同、口をきかずに、じっと座ったままである。次第に陽は落ち、蜩が鳴く声が聞えてきた。滝澤氏がどうしているかと思い、控えの間を覗くと、氏はアイマスクをつけ横になっていた。ただ寝ているだけなのに、鬼気せまるものがあり、私はそっと部屋を離れた。
夜になった。遠くの玄関の方で人声がすると、助監督が駈けこんできて車の到着を告げた。それから滝澤氏は支度にかかった。一時間ほどすると、部屋の入口の襖がソロソロと開き、氏は姿を現わすと一同に向かって手をつき、
「お待たせしました」
と、にこやかに笑っていった。撮影予定のシーンの最初のセリフである。この一言で、今までの重苦しい雰囲気が一ぺんに吹き払われた。
こうして撮影は無事終了した。その後、私たちはA型とB型の鬘を比較してみた。ところが殆んど変らないのである。B型は白髪がやや多いだけだ。これでは床山氏が間違えるのも無理はない。普通だったらA型で誤魔化して撮るところだ。滝澤氏のこだわりに、みな驚嘆した。
滝澤氏は、築地小劇場が生んだ役者の最後の一人だった。天才的なひらめき、彫りの深い顔立ち、張りのある声、努力に基づいた緻密な演技で日本のリアリズム演劇の最高を極めた方だ。「名人気質」の凝った役づくりは生涯変わらなかった。役者のなかの役者といえよう。

熊井 啓(くまい けい )
30・6・1生 長野県,/p>
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9旧制松本高校修了。53信州大学卒。54日活入社。田坂具隆に師事。(映)64「帝銀事件・死刑囚」65「日本列島」68「黒部の太陽」72「忍ぶ川」74「サンダカン八番娼館」80「天平の甍」86「海と毒薬」89「千利休」95「深い河」01「日本の黒い夏」02「海は見ていた」(賞)ベルリン映画祭功労賞、審査員特別賞・銀熊賞、ベネチア映画祭銀獅子賞・監督賞。