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特集

日本映画監督協会 会員名鑑

エッセー

第8回 『インターナショナル』

佐藤 真 「インターナショナル」 

佐藤真.jpg世界を股にかけて活躍する映画監督はたしかに多い。英語だけでなく、いくつもの言語を流暢に操り、国境を跨いで異国の撮影所やロケ地で平然と映画を撮り続ける豪腕なコスモポリタンたち。
確かに映画界とそのスタッフには最早ボーダーはなく、インターナショナルな映画人のネットワークこそが新しい映画の可能性を切り開く。そんなことは分かっているつもりではあるが、私はからきし海外が苦手である。映画祭などでいくら紹介されても、元来の引っ込み思案も手伝ってまともな会話にならない。文化庁の在外研修で渡英した時も、イギリスの映画人とはほとんど没交渉のまま、ロンドンの映画館の暗闇に一人紛れて居眠りばかりを繰り返す毎日であった。さすれば私は、極めてドメスティックな映画監督といえる。その私が何の因果か、今年になって急に中東諸国を撮影で頻繁に旅することになった。

 2003年9月に亡くなったパレスチナの思想家、エドワード・サイードの記憶と痕跡を辿るドキュメンタリー映画を製作している。そのためには、まず観光旅行のつもりで中東諸国を旅してみる必要があるんじゃない?そんなプロデューサーの気軽な口車にホイホイ乗って、シリア、レバノン、ヨルダン、カイロと2004年の3月に2週間ほど廻った。その8月には4週間ほどシリア、レバノンの難民キャンプを中心に本格的なロケを組んで様々なパレスチナ人の流浪の物語を聞いた。するとアラブ側からは冷徹な軍事国家にしか見えないイスラエルの実相をどうしても見てみたくなった。9月7日にイスタンブール経由で帰国して、イスラム圏の国々の入国スタンプの跡が残るパスポートを切り替えて、1週間あまりで9月15日にイスラエルへ旅立った。だが、根っからの小心者である私は、イスラエル兵の無数にある検問所のどれも、ただ眺めているだけでちっともカメラを回pない。パレスチナ自治区でも、イスラエル軍の威嚇のための音響爆弾の音を、安全なビジターセンターの金網の中で窓越しに聞いているばかりである。それでもこうして中東諸国を旅していると、アラブ世界のめくるめき多様性にすっかり嵌って調子に乗っている自分にハタと気づいて恥ずかしくなる。

 尊敬するドキュメンタリー映画界の先達、土本典昭のフィルモグラフィー展のシンポジウムに参加したときのことである。韓国のドキュメンタリーの牽引者、キム・ドンウォンと土本とともに、私も壇上の末席を汚す羽目になった。日本ドキュメンタリーの戦後の歩みから、アジア各国のドキュメンタリーとどうクロスするかに話が展開する時に、土本はやおらキリリと会場を睨んで、ドキュメンタリー作家の倫理の核心をドキリと突く発言を始めた。

 「日本の作家は日本の問題を、韓国の作家は韓国の問題を撮るべきであって、ドキュメンタリー監督にとって外国の問題を取り上げる場合、果たして自分にはその資格があるのかを私の場合は常に問い返すことにしている。」

 この発言は、土本の自作「シベリア人の世界」(1968年)での体験に触れて、作家とテーマとの関係を真摯に問い直す文脈の結語になされたものである。雪と氷に閉ざされたシベリアの大地で、スターリン主義の亡霊に怯える無辜の人々と出会いながら、土本は「日本人の私ではなく、ロシア人の作家の手でなければ、この大地に横たわる問題の十全な奥行きは描きようがない」という疑問に苛まれ続けたという。たとえこの大地の奥地の村々にカメラ取材が入るのは初めてのことだとしても、それは所詮特ダネを珍重するジャーナリストの勝手な都合でしかない。土本がここで問うたことは、対象が国内の見知った問題であろうが、外国の見知らぬテーマであろうが、「自分にはその問題を背負う資格があるのか」という疑問と、いかに真摯に向き合うかを問わない限りドキュメンタリーは撮れないということである。

 最初のロケハンから含めると9週間あまり、イスラエルを含む中東世界を旅してきた私は、この間だけでも随分と多くの人々と出会って様々な流浪と漂白の物語を聞きためてきた。それでも飽きたらずに、年末の12月と年明けの1月にイスラエル、シリア・レバノンとそれぞれ2週間ずつのロケを予定している。海外が苦手で引っ込み思案の性格には少しも変わりがないものの、サイードの関係者やアラブ・イスラエル双方の知識人・文化人だけでも、ざっと30人を越えるインタビューをこなしてきた。その一方で、シリア・レバノンのパレスチナ難民キャンプ、イスラエルのキブツや入植地、ゴラン高原に取り残されたドゥルーズ教の村などで数え切れないほどのそれぞれの物語を聞いてきた。アラビア語もヘブライ語も全く分からない特権で、無邪気にカメラを回してきたものの、編集室で翻訳作業に入ると、それぞれの物語の核に潜む鉛のような鈍い重みが、ボディーブローのように体を軋ませる。果たして君にはこの物語を切り刻む資格があるのかーーーと。

 国境を股にかけるコスモポリタンにも二つのタイプがある。敢えて自らの自由と必要から生まれ育った故国を離れる人々と、政治的・経済的な様々な理由で故国を追われた人々。私が中東諸国で出会った人のほとんどは、難民と呼ばれる後者の人々である。また、映画の中心となるエドワード・サイードも、父親の事業の関係でカイロの英国租界で豪奢な暮らしを続けてきたとはいえ、故国を追われた人々の側に属することだけは確かなことである。ここには、インターナショナルであることを強いられた人々の苦闘と故郷への尽きせぬ追憶がある。その無数に切り裂かれた亀裂の実体を、極東の島国の情けないくらいにドメスティックな私ごときが、いったい何の資格で切り刻むことが出来るのか。その疑問にきちんと向き合わない限り、所詮は旅行者の物見遊山の旅日記にしかならないのであろう。

 中東諸国をロケで廻っても、イギリスに1年滞在したときも、しきりに日本のことばかり考えさせられた。単に里心がついたとか、望郷の念にかられたわけではない。自分が日本というドメスティックな視点しか持っていないことを自己省察させられる場面に出くわすことが多かったのだ。だが、自分の足元も見つめられずに、何が国際化かという開き直りもある。余所者にしか見えないこともあることはある。それだけを唯一の心の支えに、またぞろイスラエルとパレスチナのボーダー界隈を彷徨い廻るつもりである。



佐藤 真(さとう まこと)


1957・9・12 青森県生

PR映画、テレビ番組を多数手がけた後、 92「阿賀に生きる」で監督。98「まひるのほし」00「SELFAND OTHERS」01「花子」04「阿賀の記憶」。ニヨン映画祭銀賞、芸術選奨新人賞を授賞している。