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特集

日本映画監督協会 会員名鑑

エッセー

第8回 『インターナショナル』

原田眞人 「遥かなる大正の呼び声」 

原田真人.jpgのサムネール画像関東大震災をはさんで、大正時代のほぼ四年間に渡る恋模様を描く「自由戀愛」を作った


 基本的に、明治大正モノは映画の企画としては成立しにくい。モダニズムあふれる時代劇ということで空間設定がむずかしい。幕末以前や昭和以降に比べて、成功例も極めて少ない。殊に大正は、ひどい。学校教育でも徹底的に無視される。まるで、大正時代に愛情をもたせないようにする陰謀じみたシステムがこの国に存在するかのようだ。

 自分でも、意識的に大正モノを忌避していたところがある。「ラスト・サムライ」に出て、それが少し変わった。大村参議の衣装やらステッキやらを通して、明治のモダンボーイが見え、その借り物の西洋化を半世紀進化させた大正モダニズムの「へそ」に目が行くようになった。


 へそ、とは例えばフランク・ロイド・ライトと帝国ホテルであり、ゴルフ事始めであり、ヒロインに妻の妹で愛人のミス葉山を起用した谷崎の映画「アマチュア倶楽部」であり、18世紀イギリスの女性蔑視の言葉、ブルー・ストッキングスを「青鞜」という女性の戦いの合言葉に立ち上げた平塚らいてうのセンスであり、マシンガン・トークのドイツ表現主義演劇「海戦」でもある。「自由戀愛」の背景には、こういった西洋と東洋の蜜月が気宇壮大に奏でられていたのである。


08-5_02a.gif 空間としては、ライトとその弟子たちが日本に作り上げた建築物も、数は少ないが現存する。しかも、そんなライトのレガシーをアメリカ人の友人がドキュメンタリーにまとめあげ、そのナレーションを務めることになって、大正期への傾斜に拍車がかかった。「自由戀愛」の企画がまだ形にもならない段階でのことだ。結果として、明治村にある帝国ホテル・ロビーをクライマックスに組み込んだのみならず、ライトの弟子であったレイモンドの手になる中禅寺湖湖畔の旧イタリア大使館別邸も、モダニズムあふれる時代劇の空間として使うこともできた。そうやって見て行くと、面の確保は不可能ではあっても、建物はまだまだ日本全国に散らばっているのだから、佇まいの中にある大正の空気をつかむことは可能なのだ。


 「ラスト・サムライ」で祖父の名前を借りて「大村松江」を演じて以来、祖父が多感な時期を過ごした大正時代が、ぼくを呼び寄せたような気がしないでもない。映画ができる環境が、ぼくの回りにいい形で組まれていったのだ。だれかひとりの功績というよりは、巡り合わせとでも言うかのように揃ってしまった。映画監督の常識では、製作費8千万強で大正時代モノなど狂気の沙汰だとは思いながら、気付いてみれば、20日間で12万フィートも廻す素材豊富な映画を撮っていた。国際感覚あふれる「大正時代のへそ」を今、しっかりと握りしめて、世界へ解き放つ。



原田眞人(はらだ まさと)


79年、「さらば映画の友よ」で監督デビュー。その後渡米し、「スターウオーズ」シリーズの日本語字幕の演出などを手掛ける。代表作は95「KAMIKAZETAXI」96「栄光と狂気」97「バウンスkoGALS」99「金融腐蝕列島・呪縛」00「狗神」02「突入せよ!あさま山荘事件」など。報知映画賞、ブルーリボン賞、キネマ旬報映画賞、日本アカデミー賞を受賞。ハリウッド映画「ラスト・サムライ」では俳優に。