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特集

日本映画監督協会 会員名鑑

エッセー

第9回 『カット』

廣木隆一 「CUTの連続」

廣木隆一.jpg「カット」と言うと、編集段階で泣く泣く落としたシーンが頭に浮かぶのは最新作の編集が終わったばかりで、今回はゆうに2時間を越えてしまったからしょうがないのだが。


 「カット」と言うのは一つのフイルムの「カット」の長さだったり、撮影時に現場で言う「カット!!」だったりと、なんと多くの「カット」という単語を発してることにあらためて気付き驚いてしまう。

 編集の時の「カット」はそもそも、時間が長かったり、必要のないシーン(?)と言うか余分な説明のシーンを切る事にあるのだろうし、そんな時でも、完成した作品を後で見るとカットした方が良かったりもするから不思議だ。まさに切ると言う意味合いだ。

 映画はカットとカットの繋ぎで成立している。最初のカットが決まればその次のカットが生まれ、そして次のカットが決まって来る。カットの連続が観てる人の記憶や想像を膨らませる。前のカットの残像を引っ張りつつ、ストーリーが語られて行く。カットがない映画はない、ワンカットだけの映画もその最初のカットがある。ある箇所を切ると次のカットが違う色合いになる。まさに「カット」するという意味合いがそれにはあるような気がする。

 また、風景や芝居を「切り取る」という意味でもある訳だが。切り取る事はまさに「断片」である。映画は断片の繰り返し。あたかも人生の断片を切り取ってひとつの映画に見せているだけなような気がする。勿論、その断片の切り取り方によって映画の個性になるし監督の作風にもなってくる。

 一つのカットが長い俺の場合は、一つのカットの持つ意味合いが微妙に違うように思う。次のカットの繋ぎであると同時に一つのカットの中の感情をいかに連続させられるかと言う意味合いもあり長くなる。その分、緊張感も生まれるし、想像してなかった事も起こりうるような気がする。映画の中でいかに自分が刺激になるような断片に立ち会いたいという欲望が映画を撮らせているように思う。

 また最近、撮影の現場で悩み、舞台挨拶や、取材を受けている俺はリアルな自分ではなく、映画監督と言う役回りを演じてるように思ってしまう。まさに、「カット」のように一つの断片の連続の中でいろんな役回りをしているような奇妙な錯覚に陥る。それは、これじゃやばいんじゃないって言う断片を迎えてるとも言える気がする。



廣木隆一(ひろき りゅういち)


54・01・01生
出身地:福島県
主に中村幻児監督の助監督につく。82「性虐!女を暴く」で監督。ピンク映画、ロマンポルノを数本監督する。(V)93「魔王街」(映)94「夢魔」「800・TwoLapRunners」96「MIDORI」00「不貞の季節」「東京ゴミ女」等。(賞)94文部大臣芸術選奨新人監督賞、日本映画批評家大賞最優秀監督。