第10回 『10年』
井坂 聡 「十年」
が、師匠の瀬川昌治監督の薦めで入会することとなり、それが運を呼んだのか、結果的には95年が助監督として過ごした最後の年となった。
この年、私は二つの劇映画にチーフ助監督として参加した。出目昌伸監督の『きけ、わだつみの声』と東陽一監督の『絵の中のぼくの村』である。
前年の9月にメインスタッフが招集された終戦50周年企画『きけ、わだつみの声』は、名前と裏腹に遅筆を通り越したサボタージュとしか思えない脚本家のせいで、クランクインが大幅に遅れていた。その準備中に起こったのが阪神淡路大震災であった。その本物の被害の映像に、これから我々が作り出す戦争の惨状が脳裏にオーバーラップしていった。そしてさらに3月のフィリピンロケ中に起こったのが地下鉄サリン事件。パラワン島という、オペレーターを通じてしか国際電話の掛けられない島にいたので、情報源は俳優が日本から持ってくる新聞と、東京からのファックスだけ。5と10のつく日に犯行が行われるというまことしやかな噂が乱れ飛び、帰国予定日が4月10日だったので戦々恐々としていたことが思い出される。ちなみにこの年公開された他の終戦企画映画は『ひめゆりの塔』と『君を忘れない』。10年後の今年公開される作品群と比べると、戦争や軍隊に対する時代の空気の移ろいを感じるのは、私だけではないだろう。
さてもう一つの『絵の中のぼくの村』は終戦直後の高知を舞台にした、双子の少年の物語。画家で絵本作家の田島征三さんが、双子の兄で同じく画家で絵本作家の征彦さんとの子ども時代の思い出を綴った同名のエッセイが原案である。『わだつみ』とは予算も日数も比べ物にならないくらい厳しい状況の中、高知の山奥の宿で合宿生活のような一月を過ごしたのが懐かしい。この映画は企画から実現まで三年越しとなっていたが、それを陰で支えてくれていたのが、地元高知の沢山のボランティア精神あふれる人々だった。後に、
ベルリン国際映画祭で銀熊賞を受賞した時、少しは恩返しできたかなと思ったものである。
『絵の中のぼくの村』は派手なエピソードや大がかりな特撮はないが、人間の体温や息づかいを間近に感じることの出来る、温もりのある映画である。双子の子どもたちのユーモラスな芝居が観客の興味を惹きつけたことは間違いないが、それだけでなく生きるたくましさのようなものが映画全体から滲み出ていたことが評価につながったのだと思う。
この十年間で世の中は確実に殺伐となった。儲けの多寡がそのまま全ての評価につながる単純化された尺度に薄気味悪さを感じてしまう。しかし嘆いていても始まらない。こんな時代だからこそ、手作りの嬉しさを味わえるような作品を世に出したい。それが今の私のささやかな願いだ。

井坂 聡(いさか さとし)
100本以上の映画・テレビドラマに参加し'92ドラマドス「悶々シネマクラブ」で初監督。'96「[FOCUS]」で藤本賞、毎日映画コンクール新人賞を受賞。
'00「破線のマリス」'02「ミスタールーキー」'03「マナに抱かれて」「g@me」