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特集

日本映画監督協会 会員名鑑

エッセー

第10回 『10年』

荒戸源次郎 「不思議な10年」

荒戸源次郎.jpg余り考えた事もなかったんですが、『ファザーファッカー』を監督したのがちょうど10年前の1995年だったんですね。
そう言われれば阪神大震災やオウム事件の年ですが、私にとって見ると物凄い渇水の年という記憶の方が強いんです。『ファザーファッカー』は一言でいうと水の映画、それなのに数十年来の水不足の年で水がない!苦い思い出です。本来はキャッチャーなのにマウンドに立ってピッチャーをやった、その天罰が下りたっていう所ですか・・・。トウが立った新人監督でしたが散々で、その時のいろんな思いや意地もあって足かけ6年、『赤目四十八瀧心中未遂』の監督をしました。好きで好きで岡惚れしていたら飽きてしまったかも知れないけれど、どうしてなのかなぁ、何故引っかかるのだろうという感じで飽きなくて、今度は必死になって肩を作って・・・。完投はしたけれどもう壊れてしまいました。 

10年間という一括りで言うと大半を監督として費やしてきたけれど、最後の9年目10年目で『ゲルマニウムの夜』のプロデューサーとして本来のキャッチャーに戻る、その為の10年間だったという感じです。生理的にはキャッチャーです。キャッチャーの方が好きなんです。若い人で撮りたい人、監督をしたい人は沢山居るでしょうから、その邪魔はしない。むしろキャッチャー不足だから観客にとっても映画にとっても私がキャッチャーをやった方が為になります。そこに辿り着く為の10年だった気がします。 

ふた回りも年が違い親子のような鈴木清順監督の反則すれすれの変化球を受け止め、ひと回り年下の阪本順治監督の豪速球を新人監督の時から4本続けて受け、今度はその阪本君よりひと回り下の新人監督大森立嗣の球を受けている訳で、私を間に挟んで実に半世紀の流れがあります。本来のキャッチャーとしてやってみたら、新人投手は受けがいがあります。大森立嗣は一本目から映画が作れました。仕上げをベタでやりましたが、面白くて元気が出て楽しい。
ひとくくりで監督としての10年、最後の年になって本業に戻った10年、・・・不思議な10年でした。



荒戸 源次郎(あらと げんじろう)


1980年に鈴木清順監督「ツィゴイネルワイゼン」を製作。映画と映画館を同時に立ち上げる〔産直方式〕を提唱、エアドーム式映画館シネマ・プラセットは邦画単館上映の先駆けとなった。その後、鈴木清順監督「陽炎座」(81)「夢二」(91)、阪本順二監督「どついたるねん」(89)「鉄拳」(90)「王手」(91)、坂東玉三郎監督「外科室」(91)を製作。2003年、自ら監督した「赤目四十八瀧心中未遂」で、毎日映画コンクール日本映画大賞、ブルーリボン賞作品賞など30以上の映画賞を受賞。また、1年2ヶ月という異例のロングロングランを成し遂げたことでも話題となった。

2005年、大森立嗣監督「ゲルマニウムの夜」では製作総指揮を行う。10月下旬公開時には、人々の度肝を抜く予定である。