第12回 『映画監督って何だ!』に巻き込まれた人々
成田裕介(あっぱれ!男弁士役) 「巻き込まれた人々(タイトルは本当にこれでいいのですか?)」
何しろ「ツィゴイネルワイゼン」の大ヒットの後である。当時としても相当な規模で製作された作品であり、周囲の期待はふくらむばかりであった。果たして「陽炎座」は色んな意味で拡げ過ぎたこともあり、"二匹目のドジョウ"とはならなかったのだが、作品的には非常に繊細で個人的には好きな作品であった。
ところで、この「陽炎座」のカメラマンは永塚一栄さんであった。永塚さんと鈴木監督との関係は永い。鈴木監督が助監督のころからの付き合いだと伺っている。当然、鈴木監督が"清太郎"の本名で監督した初期の作品も撮影を担当されている。もちろん、あの「殺しの烙印」も永塚さんの撮影による作品である。
さて、このころカメラマンで巨匠といえば、西の宮川一夫さん、東の宮島義勇さんと言われていた。もちろん永塚さんとて戦前から活躍されていた大カメラマンであることに異論はない。僕自身、宮島さんと二度ほど作品でご一緒させていただいたことがあった。そんなこともあって永塚さんに宮島さんのことを伺ったことがある。永塚さん曰く、「宮島クンは確かPCLでフィルムを洗っていたが、元気にしてるだろうか」。煙に巻かれたのか惚けられたのかは今となっては判然としないが、とにかくこの世界の関係図の不可思議を思った記憶がある。その永塚さんに、これまた大ベテランの姫田真佐久さんが日活の食堂で「ご無沙汰しております」と直立不動で最敬礼していた。映画界の縦割り構造は終生続くものだと肝に銘じたものである。余談だが先の宮島さんは、「最近、日活の姫田という若いのが頑張っているらしいな」と、のたまうたそうだ。
僕がこの世界で初めてついた現場は高橋伴明氏である。以来20数年この世界でなんとか生きながらえている。現理事長の崔洋一氏ともほぼ同等の永さになる。最初は崔氏がチーフ助監督、僕が製作主任の関係だった。
春の理事会で70周年記念事業の提案があったとき、議案に反対した理事は僕を含めたった2名だった。反対の理由はこの際どうでもいいことである。当然のごとく70周年記念事業は可決され実行委員会が組織されることになった。ご存知のように実行委員長は高橋伴明氏である。高橋氏が出した承諾の条件は僕と福岡氏が副委員長ならばということだった。映画界の縦割り構造に倣えば、僕と福岡氏に断る余地はない。結果、実行委員会は動き出した。僕は映画の主役出演というオマケまでついた。80周年はどうなるのだろうか?あの時の姫田さんの姿が目蓋によみがえる。誰かが言ってたっけ、この世界"滅私奉公"だと。ホンマカイナ? 極めてキワメテ私的なボヤキである。

成田 裕介(なりた ゆうすけ)
秋田生まれ。76、若松プロダクションに参加、若松孝二、高橋伴明に師事。87にテレビの『あぶない刑事』で監督デビュー。以降映画作品に89『バカヤロー!2』『六本木バナナボーイズ』98『あぶない刑FOREVER』00『実録・夜桜銀次』ほか。ビデオ作品として90『凶悪の紋章』91『死神の使者』95『ビーバップハイスクール』97『アナザーダブルエックス』等。その間、99大島渚監督作品『御法度』では望まれて監督補も努めた。現在、日本映画監督協会常務理事。今回の映画では、小泉今日子さんと並ぶ主役の「男弁士」を怪演!