第12回 『映画監督って何だ!』に巻き込まれた人々
小栗康平(時代劇パートの菅徳右衛門役) 「ここで不義理の罪滅ぼしを・・・」
伊藤監督、うーん、作品もお名前も存じ上げているけれど、お目にかかったことはない。どうして私がという思いは消えない。遊びのつもりでならと答えたものの、本心はここで不義理の罪滅ぼしを、であった。
私のパートは時代劇ということもあって、一人前に衣装合わせ、ヅラ合わせまであった。演じるということがどう大変なのか、本番当日まで、私はなにも考えないことにした。考えると臆するし面倒になる。それを友人、知人たちがはたで面白がる。これまで役者にいいたいことをいってきたのだから、これがいい薬、そう思っているに違いなかった。
現場で助監督さんが「監督」と声をかける。伊藤監督だけではなく、私を含めて大勢の役者たちがいっせいに振り向くからおかしい。私は管 徳右衛門と名乗る傘貼り浪人で、私の撮影のファースト・カットは、壁を破って登場するという仕掛けもの、である。 壁はつくりもので、飛び込めばすぐに壊れるように出来ているとはいえ、飛び込むときには前は見えない。つくりものの予備はないので一発勝負。映画の内容からいえば、ここでこけては、協会の浮沈にかかわる大事なカットだった。
カメラ前で伊藤監督が「いいですか」という。よくはないけれど私は「はい、どうぞ」という。助走をつけて飛び込んだ。してやったり、無事に壁を抜け、なんとか六方も踏んで見栄もきれた。ところがである。その見栄が決まった瞬間、なんと鼻水がすうーっと垂れてきた。そのままの態勢で私は、ああ、馬鹿者、アホと、自分に叫ぶ。O・Kという声がかかる。なんてこった。 ところがである。飛び出たあとで、ヅラの一部が取れてしまっていたのだ。N・G。ビデオで確認すると、カットを割れば使えるという。心配することはない。なにがあろうが、O・KもN・Gも監督が決めることである。私ではない。そう思ったら、なんだか度胸がついた気持ちにもなった。

小栗 康平(おぐり こうへい)
45・10・29生 群馬県
68早稲田大学第二文学部卒。フリーの助監督として浦山桐郎監督らにつく。81「泥 の河」で監督。
(映)84「伽耶子のために」90「死の棘」96「眠る男」05「埋もれ木」。
著書に「哀切と痛切」「見ること、在ること」「映画を見る眼」 (賞)84ジョルジュ・サドゥール賞。90グランプリカンヌ。96モントリオール映画祭、審査員特別大賞。毎日芸術賞。