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特集

日本映画監督協会 会員名鑑

エッセー

第13回 エッセー『出る・撮る』

立川志らく 「心で芝居をしましょう」

立川志楽_1.jpg 私は自主映画の監督を5本、演劇の演出を8本やってきました。そしてその全作品に役者として出演もしています。そのほとんどが主役級の役。
つまり自分でイメージした役は演ずることが出来ます。それは本業が落語なので、あらゆる人物を演じてきた経験による賜物なのです。
 ですから私の演出、芝居をつけるやり方はまず私がその役を演じて見せるところから始まります。役者は私の真似をすればよいのです。でも真似だけで終る役者は二度と使いません。私のイメージしたものの上をいってくれる役者が私にとって良い役者ということになるのです。
 作品全体も同じ。私は脚本も書くので、頭の中で出来上がりを想像します。その想像を超えた時、その作品は大成功となるわけです。もっとも映画ではその経験をしたことがありません。想像の半分にもいかずいつも落ち込みます。演劇はここ数本、常に上をいくようになりましたが。
 もうひとつ、芝居をつける上で大事なことは、段取りで芝居をしないこと。稽古の段階でわざと私は違う台詞を役者にぶつけてみます。段取りで芝居をしている奴はあたふたします。ちゃんと心で芝居をしいている人は見事に返してきます。段取り芝居ほど見ていて不愉快なものはありません。芝居とは嘘なのですから、その嘘を徹底的に隠す必要があります。段取りは嘘をついていることをばらしているようなものです。
 心で芝居をするということはどういうことか。それはその役のイメージをきちんと掴むことです。この人はどんな人生を歩んできたのか、どんな物が好きで、どんな癖があるのか、どんな思考をするのか云々。そのイメージが出来ていれば、あとは自然に任せて芝居をします。すると思いもよらなかった表情や動き、言葉の言い回しが出てきます。稽古はそれを試す空間だと思っています。
 私は役者達に、そして自分にこのことを徹底的にいいます。更に、上手くやろうとするなとも言います。客が「上手い」と思う時点でその芝居は嘘です。上手いなんて芝居の中では大したことではないのです。
 心で芝居が出来ない役者ほど、演出家にとっても客にとっても不要な存在ではないでしょうか。


立川 志らく(たてかわ しらく)


85日本大学芸術学部卒業前に立川談志に入門。
(V)97「異常暮色」で監督・脚本・音楽・主演。(DV)99「死神パラダイス」で再度、監督・脚本・音楽・主演。01「カメレオンの如き君なりき」(インターネット映画)監督・脚本・音楽・撮影。02「SF小町」監督・脚本・音楽。(賞)96・99キネマ旬報ベスト10読者賞受賞。(シネマ徒然草)