第13回 エッセー『出る・撮る』
鈴木清順 「撮る撮られる虚仮のうち」
やらせ放題やり放題、主役が気分よく芝居が出来るようお膳立てしてやるのが監督の仕事で、主役も充分自分の立場を心得て、恰好いい芝居を心掛けているようだったから、先づ先づ太平楽な現場だった。
脇役とちょい役は監督が選ぶが、これとて専属の役者と提携している某劇団の役者に限られ、こっちは多少芝居の達者な役者、面体をかしい役者等〃選んだ責任はこっちにあるからこれとて芝居をつける程のこともない。ただ傍迷惑なオーバーな芝居はダメ出しをした。
女優はアクション芝居では脇のようなもので、居ても居なくてもだが矢張り居なくては映画が成立しないから必要で、た々た々美女であれば可。女優が主役で新人の場合は、手とり足とりとまではゆかぬが、これとて美女を損ねたらオジャン。脇の女優の必要にして充分な条件は色気也。
独立プロの場合
役者選びは頭が痛い。役者についての情報が全くない。理由10年間映画の仕事無。当時個性派役者時代でこっちが打出す美男美女案は古い!と一蹴され、これじゃ芝居どころの話しじゃない。と、TVが役者押えをしている由。四面楚歌、成るようになれと臍を決めたら案外に、一癖二癖ある役者連がうまく持味を出して呉れた。高見の見物とはこのこと。踊らにゃ損々、役者は踊るよ。
役者と○×三日もやれば
こちらから売り込んだ覚えはないが、あちらからお声が掛る。無論こちらの芝居を当て込んでのお声ではなく、あちらさんに言わせれば存在感。もう少し分析すると齢相応の風貌姿態の恰好良さ、つまりルックスの良さなんだと鼻下長。だが最初のTVの役、一見みすぼらしい老人実は金持と来た。こんなもんなんだ向こうさんの見積りは。どっこいそうはゆかないぞ、少々芝居の工夫をしてみせるが無駄。TVは科白さえ間違いなく喋ればOK.じゃ仕様がありません、
カンニングしましょう。その言い方にカチンと来た。大垣から「薄墨の桜」のある樽見までの駅名羅列の科白があり、覚えられない、とこっちが降参したときの向うさんの出方だった。現場で小道具がJRの時刻表を持って来た。私は見向きもせず朗々と喋ってやったー。大垣横屋十九条美江寺(じ)眞桑モレラ岐阜糸貫本巣織部木知原(こちばら)谷汲口神海(こうみ)高科鍋原(なべら)日当(ひなた)高尾水鳥(みどり)樽見。
役者の見せ処は意地と見た。
何を隠そう、私の役者歴は古い。旧制弘前高等学校演劇部で戦后直ぐ小山内薫の"亭主"の三吉役と、ルドヰヒ・トオマ「一等車」の参事官をやっている。この時も江戸弁を喋ると言うことで引っ張り出された。
役者と○×の格言は永遠ですー

鈴木 清順
23・5・24生
48旧制弘前高等学校卒。松竹大船撮影所助監督、日活撮影所助監督部(野口博志監督に師事)。56「勝利を我が手に」で監督。67「殺しの烙印」後契約問題で対日活裁判。(映)80「ツイゴイネルワイゼン」91「夢二」01「ピストルオペラ」05「オペレッタ狸御殿」(著)「夢と祈祷師」他
(賞)81芸術選奨文部大臣賞、90紫綬褒章、96勲四等旭日小綬章。