第14回 『映画を学ぶ/映画を教える』
木村威夫 「映画を学ぶ/映画を教える」
そして翌年一月十九日閉会となるのだが、その会場の展示物をどういう形で記録に残すか、といった会議の折「俳優を交えたら・・・」という案になった。「その監督はどなたですか」という私の質問に
「それはあなたですよ」と云われて、絶句した。色々と話しの筋が交錯したが、うかうかと引きうけてしまい、夜も眠れぬ程の悪夢となった。展示物中の夜の女の部屋や、古風な商家、葦の中の荒れたお堂、或いはガード下の空地と列車の中、舟の中、といったもので話しが出来上がっていった。
夜の女の衣裳がなかなか定まらず、アメリカ国旗で裸体を包んだ。此の衣裳のおかげで映画のスタイルが定まった。題して「夢幻彷徨」という三十分程の短篇となった。
これよりすぐに歌手、内海利勝さんの「街」を映像化したのである。十分程のものである。全篇左より右へという移動ショットの画像である。
若き日の私の詩が浮上して曲が付されて映像となったが、海辺の古塔の中のメルヘンともいうべきもので、深緑夏代さんのシャンソンが八十歳を越えたとは思えない若さで画面を引きしめてくれた。題して「オールド・サーモン 海をみつめて」である。赤い紐が主題となったもので、床屋の看板、ネジリン棒が重要なる意味を持つ。
四作目は「馬頭琴夜想曲」である。バトウキンという二弦琴の妙味に興味が湧き、それと同時にボーイソプラノの八才の少年が現れ、話しがおもしろく発展した。
ヨバネを演じた鈴木清順さんや山口小夜子さん扮するザロメの対面は非リアリズムの画面である。山口さんの遺影となってしまったが美しい表情である。五十分の中篇である。
劇場用長篇作品「瘤広場」は私の日常的世界をドラマとして拡大化したものである。
私の分身を長門裕之さんが演じ、車椅子上の妻を有馬稲子さんが好演してくれた。
戦後の闇市の安酒場のママと、瘤広場をスケッチしている女流画家の二役を美事に演じ分けてくれた宮沢りえさん。そして学生はオペラ歌手の井上芳雄さんが死と対局している病身を必死な想いで演じた。主人公の若き日の姿は永瀬正敏さん。その恋人は上原多香子さんで新鮮であった。
浅野忠信さんのドスのきいた特攻隊上がりの闇屋。そして坂口安吾、壇一雄、太宰治といった文士を葛山信吾、高橋和也、南原健朗、太宰と無理心中をした山崎をエリカといった諸兄姉が達者に演じてくれた。
桃井かおりさんの特別出演ともいうべき母親に脱帽すると共に、知覧で生き残った特攻隊員を演じてくれた観世栄夫氏は此の撮影が遺影となった。心より御冥福をお祈りする次第である。
以上が私の監督としての成り立ちであるが、本業の映画美術について附記する。
「火垂るの墓」(監督日向寺太郎、編集中)、「クローンは故郷をめざす」(監督中島莞爾、編集中)、そして「小森課長の優雅な日々」(監督片島一貴、撮影中)の撮影終了が十一月二十日と春より連続の仕事であった。此の夏休みは返上して、旅の連続であった。そして秋になり改めて若い人達の息吹にふれる。それは日活芸術学院の学院長という重荷が控えているからである。
具体的な事は若い先生達が指導してくれるが、私の講義は"映画美術思考"といったもので、その本質と裏側の思考についてである。
劇映画は登場する人物同志の対話イメージによって発展するが、その時折にあらぬ無機質な世界がある筈である。その事を語ると始めは判らぬような顔をしていた学生も、やがては判ってくれる。
無人の室。汚れた壁。畳の上にポツンと置き忘れられた冷暖房機のリモコンのスイッチ。先住の人はどういう人がいたのか。探偵が推理するような世界となる。壁の汚れは女のものか、男のものか、といった世界になるか。
興味津々ときいてくれる学生と居眠りをする学生と二分される。
学生にとってはそんなことより、どうしたらうまいデザインが出来るようになるか──といった即物的希望なれば、私の教える範囲は案外、学生の頭脳のワク外なのかも知れない。
という事から、その語りについて思いがけない質問があったりするが、それは若者らしい発想で、私は逆に啓発されたりする。その若さのエネルギーから、私は改めて自分自身について自問自答しつつ、自己発展へと進行するのである。がしかし、・・・。これからが問題である。
不安と絶望と興味津々。
はてさて、如何したものか。

木村 威夫(きむら たけお)
1918年4月1日生。
舞台美術監督・伊藤熹朔に師事した後、1941年日活入社。
1945年「海の呼ぶ声」(大映)で美術監督デビュー。鈴木清順、熊井啓、林海象監督らの作品を手がける。2008年公開「瘤広場」にて長編劇映画監督デビュー。