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特集

日本映画監督協会 会員名鑑

エッセー

第15回 『映画監督の発想についての考察』

鎌田義孝 「映画監督の発想についての考察」

kamata.jpg今、「わたしが子どもだったころ」というNHKの仕事をやっている。 この番組はある人物の人間性、さらにその人物の子供時代を掘り下げるドキュメンタリーで、
斉藤由多加というゲーム作家を追いかけている。斉藤さんは人面魚が喋る「シーマン」やエレベーターの待ち時間をテーマにした「タワー」等、奇想天外なゲーム作品で知られる人だ。ゲームを発想する時のモチーフを聞くと、「違和感」や「怒り」だと言う。
「シーマン」で人面魚に喋らせようと思ったのは、飼い主が物言わぬペットにプライバシーを全て見せていることに違和感を感じた時、「タワー」では待受階設定に腹を立てた時だと。なるほど、斉藤さんは決してファンタジーな作家性ではなく、観察者の視点でゲームを発想しているのだ。その発想が子供時代とどうリンクしているのかは、まだわからないが。 
自分の場合はどうだろう?と考える。......映画。どうやって映画を発想しているのか?答えるのは難しい。それを明確に即答できる監督はきっと多作の人なのだろうと想像する。いや、本数の問題じゃないのか?即答できないからここ数日考えた。自分にとって映画は、いつもテレビやその他の映像の仕事の反動だった気がする。例えば、テレビ番組を演出する時、ある決められた条件下でストーリーを描き、わかり易く情報を提供しなければならない。こう撮りたいという思いもあるが、封印し、もう一つどう伝わるのが最善かを常に考えている自分がいる。欲求が溜まる。決められた条件やストーリーを壊し、好き勝手に撮りたくなる。全く無関係な妄想のような断片的なスチュエーションが浮かぶ。前に撮った映画も、根室にテレビ取材に行った時だった。流氷が見える場所で人を殺した少年が走っているような断片的なもの。それが発端で、ストーリーは大分経ってからだった。 
映画の発想についての考察なのだから、自問する必要もなかったのかもしれない。けど、今のところ、仕事の合間に出会った風景と、欲求不満の末の妄想が発想のモチーフとなっている。 
少し前に、今村昌平監督の「撮る」を読んだ。映画から離れテレビドキュメンタリーを撮っていた十年間。心に突き刺さった。映画の発想は様々な状況下から生まれるのだろうが、発想の原点が、どの時期なのか?どういった心情だったのか?それが映画を決定するのだと思う。



鎌田義孝

87法政大学卒。ウッドオフィスに所属。
テレビドラマ、情報ドキュメンタリー、Vシネマを演出。
97以降フリーランスとして活動。
98「若妻不倫の香り」で映画監督デビュー。
04「YUMENO」を発表。