第2回 『セルフプロデュース』
檀 雄二 「絵描きが絵を描くように」
身近にあるものは、すべてそのまま「キャンバス」になる。それに向かい、すぐさま最初の一筆を描き入れる・・・。
むかし画学生だったころ、そんなふうにして自由に絵を描いていた。
「絵を描きたいと思い立った時」が、すなわち「絵を描く時」だった。
絵を描きたいという「思い」と、絵を描くという「行為」が、幸福な形で直結していた。 それに比べ、同じ「表現」でありながら、映画というものの、なんと不自由なことだろう。絵描きが自らの内に湧きあがった表現への衝動をただちにキャンバスにぶつけるその乗りで、どうして映画をつくることができないのだろう。つくりたい映画があり、つくることへの「思い」がありながら、それを形にすることの、実際に映画をつくるという「行
為」にたどり着くことの、なんと困難なことだろう。さまざまな映像に従事しつつ、「自分の映画」をつくろうとシナリオを書いては映画製作会社をまわり続けながら、つねに頭にあったのは、そのことだった。
「ウチで預からせてくれ」「検討してるから」「うまくいきそうだ」との「プロデューサー」の甘い言葉を信じて延々一年近く待たされたあげく「やっぱり、これ、ウチじゃ無理だな」とあっさり放り出された日には、せっかくの「旬の企画」が、また一から始めるとなると、もう旬ではなくなってしまうことになる、などという目には、もう二度とあいたくない。映画をつくりたいのだ。バカの相手をしている時間はない。
そこで行き着いたのは、「自分で撮る」という結論だった。どうせ、地味で、受けない、儲からない、小粒な企画と言われてきた。なにもエンターテイメントをやろうというわけではない。ならば、自分でできる範囲でやれるのではないか。思えば独立プロ運動のむかしから現在に至るまで、先輩諸兄はそうして映画をつくってこられた。やってやれないはずはない。そして、書きたいように書き、撮りたいように撮ろう。
今、とても気持ちがいい。絵描きが絵を描く自由さで、遅まきながらのデビュー作、長篇劇映画「少年」(仮題)に取り組んでいる。


檀 雄二(だん ゆうじ)
52・3・24生 大阪市 75武蔵野美術大学卒。ピンク映画および日活ロマン・ポルノ外注作品で助監督を務めた後、81からCM、企業ビデオなど映像全般に従事する。97「寺山修司は生きている」(賞)85城戸賞(オリジナル・シナリオ「助監督」) 94ACC奨励賞。98「烈 ~津軽三味線師・高橋竹山~」(「河合塾」CM)98HVC特別賞(短篇ドキュメンタリー「烈」)