
塚本晋也
しかし自分はほとんどセルフプロデュースしかしてこなかった人間なので、そうじゃないものとの差がはっきりしなく、どの部分を切り取って語ったらいいのかよく分からない、というのが正直なところです。
どこを切ってもセルフプロデュースであり、またそれでしかない、と言えます。
中学のころ初めて8ミリカメラで映画を撮り始めたとき、当然周囲にはプロフェッショナルのスタッフはいません。母親や弟に出演してもらい、友達にカメラを回してもらいました。誰もが体験していることでしょう。僕の場合はそのころから自分が出演するのは欠かせないことでしたが(笑)。今もその時のモチベーションのまま映画を作っています。ただカメラが8ミリから16ミリ、ある時は35ミリに変わっただけです。
本来プロデューサーとの関わりにおいて一番難しいのは企画を通すことなのではないかと想像します。僕も劇場映画を撮り始めたときは何人かのプロデューサーと企画を練ったことがあります。しかしひとつも形になりませんでした。それどころか今だに自分が生み出した新しい企画が通ったことがありません。相当力を使った企画が潰れる話をよく聞き、自分もそのようなことがあってから、僕のセルフプロデュースの方向性は決定づけられたかも知れません。新しい試みをしようとすると必ずノーと言われるのです。今でもたまにこれはいけるかな、ということで他のプロデューサーと関わることがありますがすべて駄目です。でも完成後に少し喜ばれるのは、その新しい試みをした映画だけなのです。ですから、今でははっきり自分の企画は自分でお金を出してつくる、ということに決めています。これは中学生で初めて映画を作り始めた時、その大変さと明瞭なメリットをすでに感じていたことなのです。そのかわりすべて自分で責任を取ります。肉体的物理的には大変ですが、精神的には健全です。この方法ですと、脚本ができたらすぐ準備に入れます。
ですが、だからといって、他からのお話をいっさいお断りしているわけではありません。
むしろ新しい企画のお話を頂戴する時は、うきうきします。原作を買いに行って、映画の実現の可能性を練っている時はとても楽しいエキサイティングな時間です。今まででその方法で形になったのが、「ヒルコ/妖怪ハンター」と「双生児」です。
あと、セルフプロデュースということで述べられることは、配給でしょうか。
これも初めて作った8ミリを学校の図書室でイベント上映してから、やり方はひとつも変わっていません。上映する場所が劇場になれば、そのやり方にのっとって一つ一つ問題を解決していくだけです。映画のポスターやチラシを自分で考えるのも好きです。鉄男のころは自分で作ったチラシも撒いていました。今でこそほとんどの仕事を配給会社の方にお任せしていますが、宣伝のコンセプト作りには必ず参加させていただいています。雑誌などのインタビューにお答えするのも、自分が制作した映画を売るため、と割り切れるので、監督として、というよりも、監督のふりをした宣伝塔になって参加しています。そうでなければだんだんつらくなってきます。逆に監督さんで何度も同じ質問に答えて媒体に登場している方を見ると、大変だな、と感心してしまいます。思った映画を作り、宣伝に関わった末、観客の動きを見るのは、気持ちのいいことです。自給自足、という言葉が浮かんできます。
こうして書いていくと、それでしか方法がないのでそうしている、というのが僕にとってのセルフプロデユースかも知れません。メリットは、基礎知識がないから、その分レールからはみ出したことにも踏み込んでいける、ということでしょうか。
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塚本晋也(つかもと しんや)
1960年1月1日生 東京渋谷幼少期にTV番組「ウルトラQ」にのめり込み、14歳で初めて8ミリカメラで作品をつくる。日大芸術学部美術学科在学中は劇団を主宰する。85年「海獣シアター」を結成。89の『鉄男』でローマ国際ファンタスティック映画祭グランプリ。俳優としての出演作も多い。 95『東京フィスト』00『BULLET BALLET』03『六月の蛇』 他
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