このページの先頭です


特集

日本映画監督協会 会員名鑑

エッセー

第1回 『私の処女作』

中田秀夫  私の処女作『ジョセフ・ロージー:四つの名を持つ男』

中田秀夫.jpg私の劇映画一作目は、「女優霊」という映画撮影所を舞台にしたホラーなのだが、実はその前に英国で着手した映画があり、それがこのロージーについてのドキュメンタリーだった。 約十年前、文化庁の海外研修で英国に留学中だった私は、英映画界の無風状態に嫌気が差していた。そのときロンドンのフィルム・アーカイブの個人試写室で「発見」したのが、大半が日本未公開の「ジョセフ・ロージーの知られざる50年代」の映画だった。特に彼がイギリスで最初に監督した、「眠れる虎」(54年、ダーク・ボガード主演)は、最初のクレジットで、「製作・監督ヴィクター・ハンブリー」とあり、同題名の別の映画かとがっかりしていると、その名は、イギリスの製作会社がアメリカでも配給できるように、(当時マッカーシイズムから逃れるため亡命した)ロージーの名を伏せさせたのだと分かった。恥ずかしながらこの時までロージーがヨーロッパで3つもの変名を使いながら、50年代にヨーロッパで映画を作り続けていたことを私は知らなかった。ここから俄然彼への強い興味が湧いてきた。また、イギリスでの「映画研究」ではなく「映画製作」を勧めてくれる知人の後押しもあり、ロージーについてのドキュメンタリーを撮ろうと思い立った。さらにその矢先に、所属していたにっかつの倒産のニュースが飛び込んできて、「これは日本に帰っても仕事がない。ここで一旗揚げねば」と元来単純な私はそう決めこんだ。まずは、ロージー作品の出演俳優、スタッフ、家族などにつてを辿って手紙を出した。ここで助けられたのがイギリス人が筆マメだということだった。ダーク・ボガードやエドワード・フォックスから返事を貰えたし、また英国に居る彼の家族には全員会うことはできた。スタッフも、ロージーの死後10年がたっても彼との協働作業を愉しく語ってくれた。ドキュメンタリーの下調べ作業は順調だった。しかし、自主映画企画として、資金的にはまったく目処が立たない。もはやこれしかないと、小学校時代の友人、学校の恩師、果ては先輩映画監督まで、約100名の方から「出資金」を募った。その「浄財」で英国編の撮影は何とかやったものの、仕上げをやる資金がつき、今度は自分が日本で何か仕事をしてそのギャラで映画を完成させるしかないと考え、「とにかくプロデューサー受けしそうな企画を」という不純な動機で思いついたのが「女優霊」の基本アイディアだった。それが「リング」につながり、「ホラー映画監督」と呼ばれる契機になったのだが、今日まで映画を続けてこられたのも、ロージーと出会えたおかげだと思う。また、50年前に彼が脱出し、その後二度と戻ることの無かったハリウッド映画界に、現在の私が挑戦しているのも奇縁だと思う。


nakata01.gifnakata02.gif

中田秀夫(なかた ひでお)


61・7・19生 岡山県

85東京大学卒。日活撮影所に入社。 (T)92「本当にあった怖い話」で監督。93文化庁在外研修員として渡欧。 (映)96「女優霊」98「リング」「ジョセフ・ロージー四つの名を持つ男」99「リング2」00「ガラスの脳」「カオス」(賞)ブリュッセル国際ファンタスティック映画祭金賞、シッチェス映画祭最優秀作品(リング)