第12回 『映画監督って何だ!』に巻き込まれた人々
神野太(時代劇パートの長屋の住人役) 「遥か昔、学生時代の修学旅行のような・・・」
御多分に漏れず協会の末端に籍を置かせていただいているチンピラ監督の自分にも、演出部担当の茅場和興さんと制作部担当の山本起也さんから電話があった。
「時代劇部分の長屋の町人役で出演してもらえないだろうか?」と、茅場さんのご丁寧な出演依頼。「時代劇部分?何で俺なんだ?」と、訝る自分に、「監督(伊藤さん)に神野さんの写真を見せたところ、是非にと言うことなんで宜しく!」茅場さんの中では自分の出演は既に決定事項のようである。「まあ、スケジュールが合えば」と、適当な返事をしておいた。当時の自分は結構忙しかったのだ。何せ超低予算のHなVシネやAVばかり撮っているチンピラ監督である。こういった仕事はとにかく数をこなさなければならないし、その制作期間も非常に短いのだ。「どうせスケジュールが合うわけないしな」自分はタカを括っていた。
案の定、撮影日の前日と前々日に自分の仕事が入ってきた。「てな理由(わけ)で、一寸無理みたいです」と、体よく断りの電話を入れる。参加する他の皆さん(これが凄い面子ばかりである)は前日から先乗りすると聞いていた。「ああ、助かった」自分は胸を撫で下ろしていた。だが茅場さんと山本さんは違っていた。「前日の深夜でも当日の朝でも構わない。何なら東京まで迎えにいくから!」さすがに、お二人にここまで言われては断われない。「分かりました。仕事が終わり次第、日光へ向かいます」こうして、日本映画監督協会70周年記念映画という、とても場違いな処へのチンピラ監督の参加が決定してしまった。
しかし、ここからが自分の思惑とは少々違ってきていた。前日の夜21時の東武線の特急に乗り日光江戸村へと向かう。駅へは山本さんがわざわざ迎えにきてくれていた。宿の同室は事務局長の南場さんと鳥井邦男さんと山内大輔くんであった。山内くんとは顔見知りであったが鳥井さんとは初対面だった。宿に向かう途中で山本さんが買ってくれた酒を(自分は酒が大好きです)皆さんと飲み、何故か段々と楽しくなってきていた。それは遥か昔、学生時代の修学旅行のようなそんな感覚にも似ていた。
翌日、撮影は朝早くから始まった。その日の日光はとにかく非常な寒さであった。自分の役は、小栗康平さん扮する菅徳右衛門と阪本順治さん扮するその妻で元花魁の脚本太夫が住む長屋の五人の住人達の一人であった。他の四人の住人には前記した鳥井さんと山内くん、それから澤田幸弘さんと日笠宣子さんが扮していた。他にも若松孝二さんや女優の佐野アツ子さん(必殺シリーズ『助け人走る』の田村高廣の妹役が大好きでした)、スタッフとして参加されていらっしゃる高橋伴明さん、林海象さん、成田裕介さん、今岡信治さん、山際永三さん等々、日本映画界のそうそうたる面子がひとつの撮影現場にいた。それだけでも凄いことであるのに、皆さんが夫々の持ち場で非常に楽しく且つ一生懸命撮影を進行なさってゆく姿には、正直自分も大いなる感銘を受けた。クソ寒いことなんか忘れて、どんどん楽しい気分になっていった。ぶっちゃけ撮影が終わる頃には、もう一日ぐらい日光にいても良いかなあとさへ思えていた。
今思い出してみて、何がそんなに楽しかったのかと聞かれても、端的にこれですと言う風にハッキリ答えることは出来ないが、とにもかくにも楽しい一日であったということは間違いのない事実であります。
当初、そのような場所へ自分のようなチンピラが参加することを訝っておりましたが、今は参加することが出来てたいへん良かったと感じております。本当にありがとうございました。来る二月二十六日の70周年記念パーティでの上映を、今か今かと心待ちにしている今日この頃であります。
追記。
撮影終了後の食事の席で酒を飲み過ぎ(缶ビール5本と缶チューハイ3本)、帰京途中のバスの中で小用をもよおしてしまい予定外の停車時間を作ってしまったことをここでお詫びさせていただきます。
それから、お疲れさまの飲み会で聞いた伊藤俊也監督のカラオケでの『怨み節』には、本当に感動しました。

神野 太
1961年福岡県生まれ。1991年映画「若奥様不倫わいせつ名器」でデビュー。同年、映画「ガッデム!」で注目を浴びる。以後、ビデオシネマを中心に作品多数。今回、その類い稀なる存在感に70周年映画演出部が注目、「映画監督って何だ!」時代劇場面の重要な登場人物として出演を依頼、見事な演技を披露する。